銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

新聞と、猫と、ブロガー人生と。

2012-03-09 00:19:42 | Weblog
『私ね。お母さんより熱心に、新聞読んでいたものだから、眠くなっちゃったわ。だってさあ。エルピーダメモリーがどうなるかさあ。眞子様が皇族になれるのかさあ、難しいことばっかりなんだもの・・・』と、我が家の猫がつぶやいています。

 いつも政治のことを分析しきっている私が、どうして、上のような写真を載せて、これから何を書こうとしているかの解説を(笑)今から始めさせていただきます。
*******
 ところで、私は女性です。雨宮舜だけを表記していたときは、男性だと誤解をされたりしました。が、フェイスブックをはじめたりしたので、実名も併記していますので、女性だと、御理解をいただいているでしょう。

 そんなことを考えているうちに、ふとですが、小さいころ、父に、『お前が男に生まれていたら』と、よく言われていたことを思い出しました。子供のころは物怖じしない発表力や決断力があった模様です。

 しかし、高校のときに大挫折を経験して、その次に大学生生活・・・・・というか、いわゆる青春期が始まりました。これが厄介です。つまり、恋愛ということが始まると、意外と主体性がなくなります。つまり、他人に支配されたり、振り回されたりするわけです。

 こっちも相手を振り回しているのかもしれませんが、相手から選ばれるか選ばれないかという、絶対に他者依存の判定が下るのですね。自分だけでは決定ができないことが始まります。しかし、人間も生き物・・・・・特に哺乳類の一種だとすれば、その『種の保存の本能が始まる』のは避けられない現象でしょう。

 さて、そのときに、『人間って限界があるのだな。意外と弱いものだな』と、感じとるわけです。そうすると、一生どうやって生きて行ったらいいのだろうとなるわけです。
 そのときに、結婚をしないで生きて行くことはできないだろうとも、感じました。それほど、自分は強くないと感じました。
 
 特に新卒後、勤めた職場が、一生勤務できるかどうかが不安定だったのです。勤務先は一流です。東大というわけだから。しかし、教授の秘書として始まったのでは、教授がおやめになった後がわからない。若いうちは一種の職場の花でいいけれど、この場所で、一生稼げるのかどうかがわからなかったのです。それも、結婚へと踏み切った大きな原因でしょう。

 さて、結婚をすると、女性はますます、主体性が無くなります。主体性を堅持したまま、主婦をやるなんて、無理だと思う。
 そして、子供が生まれると、相当に子供に左右されます。

 子育てのうちには、選択できない友達と付き合うという人生が始まります。御近所様とか、幼稚園や、学校でのママ友達というやつです。それで、周りから振り回されきった人生となります。
 
 でも、だからこそ、女性は、自分が主体的に生きられる場所がほしいと願います。それで、趣味の道に入ったり、世代によっては再就職の道が開けたりします。でも、子育て期間は意外と長いです。別に労働が必要だというわけでもないが、大人になればなるほど、親側がじっと待ちながら、そして耐えながら、ただ、祈るだけのような場面が多くなります。

 その『待つ』ということほど、疲れることはありません。でも、ともかく、平行して、何とか、やろうと努力をいたします。
 それも、ひとつの戦いであり、すったもんだが起こります。だが、ここでは、そのすべての詳細は省いて、やっと、子供が独立して家を出たと仮定しましょう。

  で、ずいぶん楽になります。しかし、本当のことを言うと、たった二人になった家庭のメンバーの、夫との間が、ギクシャクしていたらこれまた、大きなストレスがあります。
  だが、私の場合は、50代の最後の三年間に、相当な冒険をしてしまった(海外へ単身で行くこと)ので、今69歳では、相当に欲望というものが収まっていて、
  まあ、ともかく、だんなを大切にしましょうという気持ちはあります。
人生の終盤期です。だからこそ、ここまで一緒にやってきた人は大切にしましょうねという気分はあります。
  そこでは、主体的とか、非主体的と言うような論理とは別に、おじいさんとおばあさんの生活が始まっているわけです。
 おじいさんとか、おばあさんと、自分を言うのは非常に悔しいですけれどね。

  そして、そういう限界のある中で、何かをするという生活にも、悔しさや焦りを感じないで居る自分を発見するわけです。つまりやっと落ち着いて何かをできる時期が来たのです。
  ところが、反対に、今度は、気力とか体力の限界を、感じてしまいます。そうなると、今の私には、
  パソコンを使って書くということが、とても似つかわしい仕事となってきます。報酬はありません。だが、一日に、こういう部分までやって、達成感を感じようと願い、それを、着々とこなしていきます。

  その際ですが、だんな本人もそれを言いますし、世間の人も同じことを言います。「お宅は御主人が偉い」と。だけど、ここで、ぺろっと、そうなる、コツというか、秘密を言いましょうか?
  それは、奥さん次第でもあるということです。は、は、は。
  つまり、徹底的に信頼すると言うこと。それだけかな? 甘えるというのとも違うんです。どこか、いいところを見つけていて、そこは信頼していると言うこと。

  あのね。人生を長くやってきていると、丁寧に人と向き合っている人が意外と少ないのに気が付きます。つまり、夫とか、妻といっても形だけを整えていて、本当の意味では、通じ合っていない人も多いです。
  その点だけは、何とか合格点に達しているかな?
  いやね、ものすごい大喧嘩もしているのですよ。いや毎日口げんかをしているともいえます。もし我が家に盗聴器がかかっていて、その盗聴者が、私を弾圧するために、「お前、嘘言っているじゃあないか」という可能性だってあります。だけど、もしそう言われたら、今の私なら、ふんと内心でせせら笑って、『この人って、深い部分は何もわかっていない幼稚な人間だな』と、思って切り捨てて置くだけでしょう。

  さらに言えば、私たち夫婦は、私の実家側の、父と母ほども、緊密でも仲良しでもないです。だけど、肝心なことは、それを嘆いていない私が居るということです。『まあ、この程度でいいかなあ』とか、『この程度でいいでしょう』と、思っている私がいるのです。
 
  さてね。そういうわけで、二人家族のうちの、人間の方は何とかなりました。問題は猫です。

  この子がこの家に来たときは、子供がまだ家に居て、四人家族でした。四人を相手に遊べるのです。なついて行く相手が四人居るわけです。が、今は二人だけになってしまいました。
  お父さんは、お父さんで、この子を溺愛しています。
  だけど、私は、猫にとっては特別な存在です。
  猫にとっては、私は人間ではなくて、一種の猫(族)です。

  猫というのは長時間寝ます。だけど、起きているときはずっと私を注目しています。
  さて、そのお母さんは、昼間だんなの居ないときは必死でパソコンに向かっています。
  1999年からはじめてメルマガ。2008年からはじめたブログ。2011年からはじめたフェイスブック。この三つの処理をし、一応、きちんと運営して行くためには、相当な労働が必要です。
  その間、彼女は、じっと私を見つめています。

 親ばかだと笑われるでしょうが、相当に頭がいいらしくて、私が危険極まりないもの(実名を挙げて批判を開始している。特に世の中にはほとんど知られていない事実)を書いている間は、こそっとも言いません。だが、それが終わったとたんに、察知して声を掛けてきます。
  そして、ごろごろ、床を転がって『遊ぼう。遊ぼう』と言います。だが、それでも、足りないらしくて、もっと遊びたいと常に願っています。

  それで、私が新聞を読むときには、徹底的に邪魔してきます。『そんなありきたりのことをするのなら、私と遊んで』といいたいのでしょう。読ませないぞといいますが、それを声ではなくて、態度で示します。上の写真はそのひとつです。床に正座して、じゅうたんの上で新聞を広げようとすると起きている限りどこに居ても飛んできます。上は、まるで寝ているみたいですが、これからごろんと姿勢を変えようとしているところです。
  というわけで、一生を簡単に振り返ってみてみました。
  間に、非上に苦しい時期もあったのですよ。人生には波はある。だけど、ないでいる季節もあり、今はないでいる季節のひとつなのでしょう。だって、猫がまとわりついてきますのでね。『お母さんには、甘えてもいいのだ。今は、忙しくないのだ』と見ていますから。
  2012年3月8日書き、9日に推敲を終わる。
          雨宮舜( 本名,川崎 千恵子)
コメント (13)
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お母さんも疲れた?。私も疲れた、亀屋万年堂のお大福を一緒に食べよう

2012-03-09 00:09:47 | Weblog


お母さん、もう疲れたんじゃあない。秘書としての、私も疲れちゃったわ。亀屋万年堂のお大福があるから、一緒に食べよう。

亀屋万年堂って、駅ビルよりも自社の支店にこだわって出店しています。で、それがまずかったのか、ちょっと、低落気味です。が、お大福だけは抜群のおいしいです。イチゴ大福などという、新しい感覚を入れないで、基本に忠実です。

高峰秀子の流儀、斉藤明美著

  テレビで、斉藤明美さんを初めてみたときはインテリそうで硬そうな人だなと思って、何が、養女にするほど、高峰秀子の心を捉えたのかが不思議でした。だが、「高峰秀子の流儀」を読んでいくうちに明美さんが見かけによらず、とても、かわいくて、人懐っこい女性であることを知ります。高峰秀子さんを、おかあちゃんと呼んでいるのです。私だって、自分の母のことはおかあちゃんとは呼ばないのに。私の方は、「お姉ちゃん」とか、「ちっちゃん」とか、いまだにチャン付けで呼ばれていますが。斉藤明美さんは、母の高峰さんに負けず劣らず、素敵な、女性です。私は高峰秀子さんの書いているものをほとんど読んでいないのです。というのも彼女がエッセイを書き始めたころは、ノンフィクションを中心に読んでいて、エッセイを読む暇は無かったし、『女優さんのエッセイだから、軽いものでしょう』という偏見もあったし。彼女が連載をしていたといわれる婦人画報にも興味が無かったし。どちらかというと装苑の延長で『ミセス』を読むというほうだったし。ところが、斉藤明美さんの『高峰秀子の流儀』という一冊を読んで大いに反省をしました。秀子さんって、きりりとしたいい女なのですね。しかも子供時代に苦労が影にあった。うーん。すっかり偏見が取れて、目がさめた気がする。樋口一葉、幸田文につづく、いい女にして、文筆家、三人衆みたいに思えてきました。ただ、高峰秀子さんが、立派な結婚生活をまっとうなさったので、非常に甘い人かと、それも誤解をさせる方へ役立っていたのでしょう。
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