
今ね。書きたいことというか、書くべきことの十分の一も書ききれていません。が、汚いことを書き続けるのも非常に疲れます。ので、少し息を抜いた話を、ここに。
『歌にいき、愛にいき』・・・・・神をなじる歌として、
歌とともにある人生という形で、今、長文を書き続けているのですが、次に来る劇的な歌はカルメンのハバネラです。これをね、私は友達のあだ討ちのために使ったのです。驚くべき発想ですが、その前に、オペラのアリアを練習した時代もあると、申し上げさせてくださいませ。ありとあらゆる種類の歌を、自習していくのですが、結局、自分の教養(笑)とか、好みにフィットするのはオペラのアリアか、イタリア古謡かカンツォーネの類だと、気がつくのです。
ドイツ系のお歌じゃあないし、英語圏のお歌でもない。テノールとか、ソプラノの歌手のアンソロジーを聞いて、そこに出てくるようなお歌が一番好きだなあと感じるよううになって、ほぼのめりこんで行きます。
そして、うたうことの目的を、自分の心を支え、整えるというところにおきます。だから、発表会とか舞台が目的ではないので、元歌を自由自在に改変しちゃいます。
そして、あるひとつの歌を、好きになると、ほぼ三年ぐらい、その歌を歌い続けます。
もちろんのこと、歌詞は覚えません。自分は音楽の専門家ではないので、完璧なものを目指す必要はないと、考えているので、メロディとお歌そのものの持つ雰囲気を覚えます。
で、40歳前後に毎日歌っていた歌が、歌劇トスかから、『歌に生き、恋に生き』(または、『歌に生き、愛に生き』と訳されている)です。これを恋愛の歌としてではなくて、神様をなじる歌として、把握して、自分の中に取り込んで行きました。
私が、『たぶんあのときに、一生で、一番よい声が出ていたでしょうね』と思うのは、夜の八時ごろの、満員の京浜急行の中で、堀の内駅から、北久里浜までの3分ぐらいの間に、2,3回小声で繰り返した、この歌だったと思います。
周りには、立錐の余地もないという形で、サラリーマンがたっていたのですが、だれも振り返ったり、とがめたり、怒ったりしないで、そのままにしておいてくれました。
どうして、そんなことが可能だったかというと、誰にも神様をなじりたい瞬間はあるのですね。だから、電車の中で、近所に立っている人は、それに共感をしてくれたのでしょう。
しかし、あれから、25年たった今の私が、あの頃と同じように、それを好きかというと、決して歌わないという形になっています。
なぜかというと、今の私は神様をなじる心境にはないからです。
今の私が感じていることは、「あーた、ずいぶん、うまくやって来たじゃあない。幸せでしょう」と自問自答して、「うん、そうよね。しいて望めばね、澤地久枝になるか、山崎豊子になるという階段が残っているけれど、今までのキャリアーが違うから、無理だ。とはっきり思っているもの。そうなると、遣り残したことがない、と思えるからね。幸せです』となります。でね、上に上げた激しいアリアを、歌うことはトンとなくなりました。
ところで、猫写真ですが、相変わらず、新聞を読むのを邪魔しています。その新聞ですが、下のほうに、今世界中で大ヒットをしている由紀さおりの新聞広告が出ていますね。実は眠っていないのですが、なぜか、写真を撮ろうとすると目をつぶってしまったのです。でも、まるで眠っているみたいですね。ですから眠っているとごらんいただいても結構です。
なお、私に個人的な連絡をおとりになりたい方は、ファックスでは、0467-23-5053にいただきたいです。(ただし、私はそこには一切ませんので、会話を求めて御連絡をいただくのは御遠慮申し上げます。が、それが、通じないというか、ご返事を差し上げない場合は、電話を自宅0467-24-9018にください。それから、緊急でない場合は、
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2012年3月12日 雨宮 舜(川崎 千恵子)