銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

魂の美を追求せよ。さすれば救われん・・・・・(FB復活?-5 =政治もの)

2012-03-24 03:38:59 | Weblog

 連続してお読みいただいている方には、こう申し上げます。これは、フェイスブック復活の5であり、純粋に政治ものだと。しかもその4までの間に、『副題1~16、2万4千字を、すでに書いているのだ』とも。

 が、表題が、上のごとくなっていると、別のものを期待して、全く新しい読者が、入ってきてくださっているかもしれません。それで、そういう方に対して、副題17だけで、簡単に復習をさせていただきたいと思います。
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副題17、『私のライター人生、と、フェイスブックの遮断について』
副題18、『フェイスブックの真実、私からの観察』
副題19、『愛読書が共通する、フェイスブック友人たち』
副題20、『体力を、温存させることを、最優先にしたが、
         それが、敵の誤解を招いたかな』
副題21、『K子さんの、瀕死の母と、その内縁の夫』
副題22、『文章を書くことは、あなたを救う』

 *1、私は1998~2000年にかけて毎年、三か月ずつ、海外修行をしたことから、その報告をしたいと願って、1999年にメルマガを始めました。主に芸術やら哲学やら、心理学の分野を平易な言葉で語るものでしたが、2005年までには読者数も大きく増え、相当に華やかなものになってきていました。特に読者の知的レベルが高いので、一種のネット上のシロガネーゼと、そのサロンという趣を呈していたと感じています。

 *2、ところが、現代の日本は、元気な人は、ホリエモンをはじめとして、ことごとく、魔女狩りに出会います。それで、2007年ごろからまず、パソコンに異常を感じ始め、自分が弾圧の対象となっているのに気が付きます。で、抵抗するために、2008年から、ブログをはじめ、また、そのブログに引っ付いていたシェアのしるしをなんだろうと思ったことから、偶然にも、フェイスブックの世界に入り込みました。(それが、2008年の5月末) で、その3つを合わせると、相当な読者数を持っていると感じています。特に大衆的には知られていませんが、読者の知的レベルが高いことが、注目の的となっています。

 *3、しかし、先ほども言った、パソコンの異常の件を、少しずつ、外へばらし始めたので、それと同じ症状が起きているA子夫人と付き合いが始まりました。その二人の間の通信ですが、全くうまくいきません。(後注1、ここについては次章、第一段で実例を語っております)
 通信した内容が、今度はまた、新しく、自分に対する攻撃に利用をされる可能性を感じて、
 直接会い、面談をして、かつ、筆談を交わしています。室内も電話も盗聴をされているからです。

 それを、三月に入ってから、連続、3回ほどやっています。で、私たち二人を苦しめている敵が、異常に関心を持って見守っていて、10日の土曜日の22時半に彼女が帰った途端、直後に、二人が筆談を交わした、A4のコピー用紙20枚が盗まれてしまいました。
 で、そこに書いてある内容に、敵さんたちが、驚いてしまったのだと思います。

 つまり、私もA子さんも専業主婦です。が、二人とも現代日本政治とか、社会現象の真実に目覚めてしまっています。で、
 こういう人間(私の方)を自由にしておいたら大変だということで、突然にフェイスブックが遮断をされてしまいました。
 読者の数としては、フェイスブックの方がより広い世界へ広がっていく可能性があるので、これは、片翼をもがれたほどの痛手です。

 しかし、常に、転んでもただでは起きないと言われている人間が、私です。すぐさま、方針転換をしました。
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副題18、『フェイスブックの真実、私からの観察』

 最近フェイスブックに関する情報が、日本でも、世の中に氾濫してき始めました。
アラブの春や、最近での世界共闘のデモの発生などで、それが、大衆にとって便利でありがたいツールであるとみなす向きもあるでしょう。が、出てしまったから、僻目で言うのではないが、

 大衆のレジスタンスの道具となっているというのは、嘘だと思っています。

 アラブの春は、結果として、北アフリカのアラブ圏を、政治的に弱体化させ、それゆえに、イスラエル、およびそこを深く支援をしている、大富豪たちを安心させています。世界各地を席巻しているデモも、それが、本当に自然発生的なものであるかどうかは、疑わしいとみています。日本の安保反対闘争、および、大学紛争の時も指導者の中には、いわゆる回し者も多くいたと感じています。表面上は、運動家面をしているのですが、生活が保障されている人材は、うらで、取引があるはずです。それが明言されるかどうかは別として、闘争やら運動を、一種のゲームとみなして、楽しんでいる安全地帯にいる人間もいるのです。それが、そっくりそのまま、フェイスブックの世界でも、繰り返されています。
 また、この二週間以内に発表をされたそうですが、そのデータはそっくりそのままCIAにわたっているそうです。

 私は、それら、政治的な裏側も、解っていながら、そうとうに、真実に迫ることを書いてきていましたが、それでも、限界は多々感じていて、そこが、足を引っ張っていることも、知っていました。どうしてかというと、一種の社交のマナーもあって、連帯責任も生じますよね。だから、902人のフェイスブック仲間から、その人たちがまだ、気がついていない部分は、突出したこととなり、それは書きにくいのです。で、こちらのブログの世界でも、相当に表現を抑えるようになっていたのです。

 それが、取り去られました。だから、急に自由になったとの感覚を得て、今週の月曜日から、ぐっと、重厚なものを書き始めていました。それは、日付けこそ、16日になっていますが、書き始めたのは、日曜日の深夜からです。
 これは、日本を実質的に支配している瀬島龍三氏の悪を書くことですから、今まで述べてきている、小沢一郎、井上ひさし、伊藤玄二郎、云々、よりもっと敵方には打撃だったと思います。それに、書類上は責め立てられないことですが、内容的には、まともな人だったら、すべてが、驚き入ってしまう話です。『これが犯罪ではなかったら、何をして、犯罪というのでしょう』というような類のお話です。
 で、敵方は、きゅうきょ、考えを改めたと、感じます。

 少し、この勢いをとめて、もとへ戻さないといけないと。その使者として選ばれたのが、K子さんです。そちらからのメールが入ったのが、16日ですから、私としては、裏側が見え見えの話でした。
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副題19、『愛読書が共通する、フェイスブック友人たち』

 さて、フェイスブックの世界を、あとで、もっと詳しく語りますが、私の知り合いは、まず、美術畑から始まって、→猫好きな人、 →相手の書くものが、充実しているひと、→私の書くものを、評価してくれている人。
 の順で、増えていったのですが、二番目に、置いてある、相手の書くものが充実している人・・・・・の、中の一人がK子さんだったのです。
 ところで、21日アップの2の中で、「二人で、相談に乗ります」といって名前の挙がっているA美さんは、
 彼女自身の投稿は短いものの、そこに反応する人が多い人物です。
 このような、星雲の中心になっているような人が、フェイスブック内には何人も居て、

 もし、私がフェイスブックを使用する技術上の妨害を受けていなかったら、私もまた、そういう中心の一人となって行ったでしょう。しかし、書いてアップしたとたんに、18個ぐらいほかの人の投稿をわざと、私の後に、入れられたり、それから、友達の所へは、自動的に届かない仕組みにされたりして、
 ものすごい妨害を受けていましたので、その星雲の中心者たちほどの人気者とは、なっていなかったと思われますが、『媚びない人。そして、最も真剣なものを書いている人』であるのは、知られていたと思います。

 A子さんにも、この意図的な妨害者の嫌がらせによって、いやなことがいっぱい起きるみたいですが、私も毎日、毎日、パソコンを開けるたびに、いやなことをたくさん発見していて、それが、最近では、もっとも頻繁に起きる世界が、フェイスブックだったのです。
 で、どういう風に心構えを、確立して行くかですが、ともかく、数には頼らない。ひたすら、文章の面白い人のものを読むと、言う姿勢で、最近は集中していたのです。
 ただ、エンターテインメントとして、面白いものには、興味はありません。
 
 私にとって、大切なことは、人間とはいかに生くべきかであって、それに、着いて言及している文章を、読むことが楽しみだったわけです。そこでは、愛読書についての情報交換、親子関係の真実についての分析、ほか、深い内容についてのやり取りがあり、そのトップクラスの人材が、5人居て、その一人がK子さんと、A美さんだったから、敵のリクルート力がここまで来たかと、はっきり言って、うっとおしい事、かぎりが無かったのですよ。
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副題20、『体力を、温存させることを、最優先にしたが、
         それが、敵の誤解を招いたかな』

 12~16日にわたって書いた重厚なものの続きを書くのもひとつの手でした。が、このうっとおしさを感じながら、平静に、人間として、生きて行くためには、体力の温存が大切だと、考えて、17日から、20日までは、メモがすでにあるものを、推敲する形で、やりぬきました。頭をオリジナルなものには、使わなかったのです。

 しかし、それが、敵の誤解を招いた節があります。『彼女は、弱まっている。だから、もっとからかってやれ』と、なったのでしょう。K子さんが、22日に、二度目のちょっかいをかけてきました。「なんと、もう一回フェイスブック復活にトライしてみたらどうでしょう。方法はかくかくしかじか」と言うメールをくれたのです。

 その間に、彼女と私の間には、我が家ないの声を出すリアルな会話でも、その帰宅後でも、メールで、虚々実々のやり取りがかわされていたので、彼女自身、『自分の役割(=からかう存在として、我が家を訪ねる刺客であること)が見破られていること』を知っていながら、そのような行動に出てきたのですよ。
 これは、恐るべき、裏切りの行動です。
 
 で、ここで、裏切りというのなら、その前に、どういういい交流があったかを言わないといけません。

 私は今から書くことが、フォロー行為によって、打ち消され、逆転をされる可能性は、深く感じています。ですから、最初のメールが來てから、8日間も、彼女が、アイデンティファイ(誰であるかが、わかること)されることを注意深く避けてきました。だが、フェイスブックは、彼女の一回目の指導によっても、回復をしないし、二回目の指導によっても回復をしていません。
 で、最も難しいことに、これから、取り組みます。
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副題21、『K子さんの、瀕死の母と、その内縁の夫』

 彼女は一月ごろ、フェイスブックの世界で、『自分の母が死にそうである』と書き始めました。『自分は、きちんとしたお勤めがあるが、誰かにかわってもらって、大阪まで週末のとんぼ返りを重ねて見舞っている。だが、一番の問題は、母の内縁の夫である。これが、難物中の難物で、看護師たちも、<あんな人には、過去にはあったことがない>というほどの人である。
 いわゆるドメスティック・ヴァイオレンスを、自分たち子供や、母にも、与えてくる人間であるが、体力の弱った母の枕頭で、喧嘩沙汰をすることがどういう影響があるかが心配である』と、書いてきたのです。

 でね、忠告として、『70%でいいのです』と書いたのです。『100%の決着を求めないように。自分側に不満が残ってもいいのです』と書いたのです。そして、『もし、その引いた感じの態度で、不利になったら、そのときは、いきさつをフェイスブックの世界で、書いたらいいでしょう。そこで、うさばらしをなさい』とも付け加えました。これは、行動のあり方を書いただけで、決して立派な忠告とも見えないでしょう。でも、彼女は感謝してくれました。
 この忠告ではっと目が覚めたそうです。
 それで、その後は、妹さんと、よく、気脈を通じさせ、二人で、その男一人を相手にして、どうどうとというか、ようやっとというか、で、自分たち、二人の残された子供たちが、主体であるお葬式を執り行うことができたということでした。
 実は内縁の男には、すでに、関係が通じている別の女性も居るそうですから、K子さんは、本当に嫌っていたのです。が、こう言えば、ああ言う、ああ言えば、こう言うという、複雑なレトリックを使う男で、しかも来歴がテキヤ稼業だそうですから、半分やくざですね。怖い、怖い男性です。私は、この男性についての詳細は、すべてが終わった後で、彼女が『棋譜』と言うタイトルで、1万五千字に喃々とするものをフェイスブック内で上げていますので、それを読んで、さらに行間の詳細を想像したのです。が、それを読む前から『相当な悪人であろう。せっかく、現在は、安定した生活に入っているK子さんが、この男が恨みに基づいたストーカーにでもなって、自分の生活を乱されたら大変だ』と思ったわけです。
 棋譜とは、こっちが何か言うと、相手が何か言う。それを一手と考えて、どういう風にうまく対応をするかと言う意味合いを含めているでしょう。
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副題22、『文章を書くことは、あなたを救う』

 彼女の心はとっくに私から離れていると思いますので、その時点で、私が差し上げた無償の愛については、ほとんど、忘れていると思います。そして、私もこれほど、お母さんの死が早く訪れ、彼女が見事な行動を取るとも思わなかったので、あれよ、あれよというほどの、見事な結末でしたが・・・・・
 それでもね。私の忠告が、彼女の戦い方を、上手に進めさせた、起爆剤であったことは確かです。

 私は、ただ、彼女が傷つくことを恐れたのです。彼女がもっとも、傷つかない方法は、ただひとつ、正面きって戦わないことです。それだけを求めたわけですが、半分逃げたが、半分は正面切って戦っていて、しかも、みごとに後腐れなく別れることが可能になっています。

 そうですよ。皆さん、大きな苦難に直面したときには、できるだけ、美しい行動を取ることです。そして、苦しい部分は文章に書き落とすこと。

 ところで、その文章です。特に私のブログについてです。私はものすごく恐ろしいことを書いているように、みなさんは、お思いかもしれませんが、別にこちら、初発の悪意はありません。すべて、やられるから、現実の世界でやり返さないで、ただ、ただ、文章を書き続けているだけなのです。記録文学です。
 そして、それは、相当に面白いはずです。私は苦難に満ちて書いていますが、・・・・・そして、後で読み返すと、うんざりするものも多いですが、
 
書く力と、書きたいという意欲と、文章は、いつも、泉の様にわき出でます。枯渇することが無いのです。

 この件も、別に復讐のために書いているわけではないのでス。もし、そういうつもりなら、K子さんのメルアドは、携帯も、PCも、彼女からのアタックによって、手に入っていますから、
 「21日から、ブログで、こういうものを書いていますよ」と、知らせればいいです。が、知らせていません。

 別ルート、(=この案を企画して、彼女を動かした連中)から、すでに、この情報は入っているという思いもありますし、この一連の文章のタイトルを書き下ろした時点から、『はい、私は彼女から、捨てられたことを、はっきりと自覚しましょうね』と、覚悟を決めていますから、心の中は、こちらも、別れているのです。で、人間とは相手を大切に思い、かつ、交流に、未練がある場合は、相手の理解を求めるために、こういうマイナスの情報でも与えるのだと、思いますが、決定的に離れてしまえば、何も求めず、復讐も目指さず、ただ、ただ、いつものとおり記録するだけなのです。

  大体、上のようなことを、私は、自分のほうの心構えとして、16日の時点で、構築仕上げた上で、18日に彼女を我が家に迎え入れるのです。

  これは、全体をすべて仕上げた上で、署名と日付を入れます。
  初稿を、書き始めたのは、3月22日の午前中からであり、書き終えたのが、24日の土曜日です。

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