銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ソラヒルズ(北久里浜)は、もと横須賀市の水道山に建っているのだが?(政治もの)

2012-03-16 01:24:59 | Weblog

 これは、国際的軍産共同体のエージェントとして、最も上位に居る瀬島龍三のあくらつさと真正面からぶつかった話です。かれと、友人である、元海軍参謀益山某氏は、北久里浜の東側の岡の上にあった、横須賀市の水道山を、地籍変更届を利用して丸まる、1200坪以上を自分のものにしてしまい、その跡地に、四棟の大マンションを建てています。それを、地境・地主として、一部始終を目撃してしまったのが、この私です。
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 ところでここで、これを書いた5か月後に、挿入としてタイトルの一部を変えないといけないと申し上げましょう。ここで話題に挙げられているマンション群は、五か月後の、8月13日に訪問をしたところ、名前がルネ北久里浜と変わっておりました。で、医家の文章は、そのマンションの名前を常に、ルネ北久里浜と、思って読んでくださいませ。タイトルは初校通りにしておきます。



 写真は、そこの8月13日の夜のJpegで、うっすらとですが、手前の黄色い石の部分でルネ北久里浜と読めます。で、元の本文に戻ります。
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 しかし、その事件の全貌を、一回の文章で現すのは無理です。で、いつものとおり、30%ぐらいを書きます。特に、近隣トラブルを持ち込んで、その力で、勝とうとする彼らのやり口を書きます。
 つまり、他人のふんどしを利用するというわけです。それは、ありとあらゆる場面で、使われる手法です。

副題1、『要約としての、ローンと子育て』
副題2、『私道を、市に寄付するので、実印を押してくださいと頼まれる』
副題3、『役所を、利用しきる、彼ら、元参謀たち』
副題4、『東工大卒だという大物測量士が長電話をかけてきた? 変だぞ』
副題5、『杉本夫人の、人脈と、横須賀市政』
副題6、『法務局も、国会図書館も、瀬島龍三の言うなりである』
副題7、『近隣関係トラブルを、利用しまくる、これらエージェントたち』
副題8、『水道山のただどり・土地取得の方法を、言おう』
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副題1、『要約としての、ローンと子育て』

 これは、スクロールしていただくとしたにありますので、ここでは簡単にまとめます。私は子供好きでいつも子供が家にたむろしている人間です。ところが、ここにB家と言う、家があって大トラブルが発生します。お母さんに、フロイトの言う同性の子供と親は仲が悪いの典型の兆候あって、「家のローンが優先だから、娘を幼稚園にはあげないで置こう」と提案したらしいのです。すると、年齢が高い子が一人混じって遊ぶので、彼女の支配の元で遊びが進行します。
 ところが、このお嬢さんは、普段おうちでお菓子を買ってもらっていないらしくて、お菓子がほしくてほしくて仕方がなくて、私の目を盗んで、食べてしまうのです。それは、大変に困ったことであり、とうとうお母さんに、困ると私が、いいます。客布団の上で、べとべとした生キャラメルを食べてしまい、汚されたからです。言いつけにそむいて、お菓子を盗むので、隠れて押入れの中で食べていたのでした。
 しかし、これが原因で、B家と断絶状態になります。それが、4年後に悪人、瀬島龍三と彼の友人益山某(元海軍参謀)夫妻に利用されるようになります。そのことをこれから書きます。つまり、小さい子の悪口を書いたみたいですが、その親に対する怒りと被害があったからです。それで、あれを書きました。
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副題2、『私道を、市に寄付するので、実印を押してくださいと頼まれる』

 上の写真(今、16日の午後四時の段階では、下の文章についている。スクロールして下を)をごらんいただけますと、左側にフェンスができていて、南側はまだであり、砂場は道路にむき出しに面しています。それで、立派な道路が子供たちの後ろにあるのがお分かりいただけますでしょう。こんなに立派な道路なのに、私道だと言うことでした。持ち主、登記簿上は中野氏(ただし、実際の持ち主は益山氏夫妻)は、この道路を横須賀市に寄付するので、あなたの実印をここに押してくださいと、立派な書類を持ってきました。

 私はね。どうしてこれほど、自分がドラマチックな現場に出会わせているのだろうと驚嘆するほど、驚くべき現象の目撃者になってしまうのです。これから語ることは、実は、瀬島龍三氏が、最初から絡んでいたと、今では推察できるのですが、当時は、書類上は、そちらの名前は見えず、益山氏の経営する大建産業・・・・・これは伊藤忠の前身の名前でもあります・・・・・と、中野氏しか、表に出ていませんでしたけれどね。ただし、主人と子供たち、全部が、広島へ帰省していた間で、私が一人で在宅していて時期の、しかも夜に、益山夫人が書類を持ってきたことからして、当時からとっくに電話が盗聴をされていたことがわかります。
 ところで、私自身は上の文章にも出ていますように、ひどく人がいいので、とっくに自分の実印は取られていました。その書類にすでに押していたのです。中身を見もしないで、説明の言葉だけで押していたのです。が、・・・・・神の助けかそうでないかは、今となっては良くわからないのですが・・・・・ともかくのこととして、我が家は、敷地60坪が半分わけになっていて、建てるときに資金援助をしてくれていた、親の名義になっていました。土地は確かに、主人が半分の30坪分をお金を出し、妻の親が、半分を出して買ってくれていたのです。そのために、「お宅の御実家で、実印を押してきてください」と書類を渡されたのでした。で、実家へ電話をかけると、御近所様から『聡明だ』と、評判を取っている母が、「それは変な話ね、普通寄付ぐらいで実印は押しませんよ」というのです。

 それで、書類を見ると、内容は寄付などという生易しいものではなくて、『地籍変更届』という名前になっており、益山氏の持ち物が、2.73平米という、たった、ひとつぼにも満たないのに、これから、4700平米、つまり、1260坪も増えるのでした。
 そのころには、瀬島龍三氏の名前は、益山氏から「親友だ」とのみ、聞くだけでしたが、その30年後、その1200坪は、みごとに、部分的に、伊藤忠何とか、という子会社の共有になるので、益山氏と、瀬島龍三氏は、最初から共同していたのだと感じます。それは、今になってわかることです。益山氏は事件当時に死にました。最近瀬島氏の方も死んだことになっていますので、本人に確かめる方法も無いのですが。
 ここで、死んだことになっているというのは、井上ひさしと同じで、ちょうど、私が瀬島龍三のあくを書いたあとで、死亡が発表をされたので、井上ひさしとそっくりでした。
 が、瀬島氏が鎌倉の住人で無いので、その死亡の信憑性は確かめようがありません。鎌倉に住んでいるとその音で判断ができるのです。今夜も二時ごろ、偽暴走族が走りまわりました。
 「瀬島龍三がまだ、生きていて、自分に都合の悪いことを書いているから、脅してやれ」と鎌倉警察署に頼んだのかもしれませんね。 
 この件ですが、ある晩、東京から夜の11時半ごろ返ってきたときに、偶然、鎌倉警察署の横に黒い服を来た、三台の大型バイクが待機しているのを見ました。そして家へ帰ってブログを書き始めると、今夜と同じ音が聞こえたのです。彼ら軍産共同体のエージェントは、私が音に弱いと思い込んでいるみたいです。で、そのときもきっと大相撲の事か何かで、彼らにとっては都合の悪いことを書いたので、やっつけてやろうとするのが、その偽暴走族の横行だったのです。
 私は音に弱いのではなくて、ミミが敏感なので、オトの出す意味を考えるのです。それで、こういう提案をするのは、井上ひさしであり、「彼がいまだ、生きている」ということを確信することとなるのです。もちろん詳しいことを言えば、昨日の偽暴走族が、井上ひさしの命令だったかどうかはわかりません。が、一番最初のアイデアは、彼か、今まで、私が名前を挙げた伊藤玄二郎かが、出したはずです。
 そういうわけで、鎌倉市内から聞こえてくる各種のオト(その材料としては、長島一由・議員の宣伝カーの横行をも含むが)で、すべてが判断できるのですが、瀬島龍三は、遠くにすんでいるので、確証はないのです。が、今も生きているのかな?と時々思います。 90を過ぎても、頭がぴんぴん働くのかしら?

 つまり、その地籍変更届けを出すと、もともとは横須賀市の水道局の水道タンクを置いてある山が、実質上、全部ただで、益山氏(名義は、大建産業)のものとなるのでした。そして、それを、通すために反対している、我が家の右隣のH家(なぜ反対しているかというと、そのあたりの畑の戦前からの持ち主で、『益山氏の開発事業が変だ。おかしい。何か嘘がある』と、感じ取っていたので、反対していたのです。

 つまり、益山氏は、その辺りを、500数平米(170坪ぐらい)買ったのですが、大・土木工事を行って、すでにその時点で、水道山に食い込んでいたのです。それを目視していたH家では、「絶対に実印などおすものか」と思っていた模様です。それで、そこから実印をもらわないで済むために、そこを青地という国有地で囲ってしまうという案を持っていて、それが、図面上で出ていました。その青地が悪くすると、半分で、切られて両者側に分けられるものだと聞いて私はびっくりしてしまったのです。
 それが実行をされると我が家は台所を壊さないとならなくなります。

 それで、法律的に戦うことになりました。でもね、今思うと、法的には私が100%正しくて、そして、やむを得ず、向こうは、その件では負けたことにしましたがね。その件では向こうは自分たちが負けたことにはしましたが、実利は得たのです。実質的には、その1200坪をただ取りして、そこに、360度展望が利くという大マンション群、ソラヒルズを建てました。インターネットで、一切出てこないものですが、2000戸ぐらい部屋があるみたいで、売値だけで、600億円に上がるものです。あまり外部へ宣伝をせず、丸の内の大企業の若手サラリーマンなどを勧誘して売ったと見えます。真ん中に高い塀に囲まれた、中野氏の邸宅らしいものが今は見えます。
 その中野氏というのは益山夫人の弟です。その豪邸は、稲川会のトップの居城(まるで要塞です)よりは小さくてモダンな風情ですが、外部からまったく中が見えないという形の防衛力の強さに、秘密がばれることを、どれだけ恐れているかが伺えます。
 また、そのソラヒルズから、京急北久里浜駅に向かうエレベーターがあるそうですが、一か月1500円で会員制で、身分証明書が必要なのかな? 徹底的に秘密主義ですね。ただ、そのマンションの住民にとっての、御近所様である、総戸数400戸の、池田分譲地の住民には一ヶ月無償で、そのカードが配布されたそうですから、きわめて低姿勢です。
 だってね。そこには山桜の咲く水道山が、まあるくも、突出していたのに、平たい土地へと、変更をされたわけですから、やはり、「変だねえ。どうして、あの企業は横須賀市の土地を買えたんだろう。横須賀市は、どうして土地を売ったんだろう」と、内心で思っている人間は多いと思いますよ。
 ここら辺りを詳細に書くと、非常に劇的になりますが、今日は、はしょります。
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副題3、『役所を、利用しきる、彼ら、元参謀たち』

 実は、益山某氏は、元海軍参謀だということでした。上の件が最初に私に感じ取られたときが1980年でした。が、その前、1975年ごろから、個人的に、親しくしていた、杉本夫人の御主人が、横須賀市勤務でしたが、異様な出世をしました。選挙で選ばれる方ではなく、吏員としては、最高の出世をしました。副市長になったのです。
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 ここで挿入ですが、昔は、助役といっていた名前を、副市長と言い換えたことが、杉本氏を、さらに栄光を与えるためだったと、今ではわかるのです。これが、瀬島龍三特有の手法で、心理的作戦で、威圧をさせるというものです。非常に単純です。戦時中は最高に高いレベルの知的エリートとされた参謀も、私から見れば、固定化した頭脳の持ち主で、庶民を見くびっているがゆえに、頭脳の運ばせ方が非常に幼稚です。
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 元に戻ります。
 が、その前の、1978年ごろ、突然に、杉本家は、前の家からすぐ近所に今の豪邸を建ててひっこしました。前の家は、京急池田分譲地内の一軒家で、敷地が50坪程度で、家が、25坪程度だったと感じます。普通のサラリーマン家庭という雰囲気。そこで、舅と姑と同居して、おとなしくて従順な奥様振り(?)を、杉本夫人は、発揮していたのでした。
 ところが、誰も売り買いしていない特別な土地が、突然に、杉本家だけのために開発をされ、そこに、宮大工が建てたような、50坪近い、本格和風建築が出現したのです。が、それは、瀬島龍三と、益山某氏のお世話だった可能性がありますね。だって、分譲地内の、二区画とか、三区画を買ったというわけでは無くて、ありとあらゆる意味で特例であることを、他人に知らしめました。最近の、普通の新興住宅地では、絶対に売り出されていない一区画が、150坪~200坪ぐらいの広さの敷地・・・・・
 人の、暮らしをうらやむのは卑しいことですから、誰も、口には出しませんが、後で、杉本家の弱点がうわさとして広まることになります。それは、その優遇策への、『変だぞ?』と思う人々の反発の表れでしょう。
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 もう少し、瀬島龍三が賢かったら、別の地域に引越しをさせて、豪邸を与えたと思いますよ。だけど、瀬島龍三って、非常に単純なレベルでの、心理作戦が得意な人間なのです。『杉本家は、豪邸を与えて、しかも、横須賀市で、どんどん出世させてやる』というのが、ほかのもの、特に瀬島氏と中野氏の、悪事の実態を知っている私への抑圧策になると考えているのです。
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副題4、『東工大卒だという大物測量士が長電話をかけてきた? 変だぞ』

 私は、1997~2003年の間に、東京工大出身だという、理路整然として、しかも礼儀正しい、測量士、から長い電話をもらいました。そのときに、その人物は、横須賀市でも最も低地で、土地価格の安い場所に事務所を開いていると聞いて、『変だなあ』とは、思ったのですよ。まず、東工大を出て、測量士をしているというのが変です。が、今はわかっています。水道山の山一つを、削ってしまい、そこに、四棟の大マンション群を建てたのです。測量はひどく難しかったはずです。
 その男性は、東京の中心部にオフィスを抱えている有名人でしょう。測量士といっても、一流中の一流の人間のはずです。または、鹿島建設とか、竹中公務店内に勤務している、一流の、サラリーマンかもしれません。横須賀の平作川の沿いにある事務所というのはダミーだった可能性が高いですね。
 だって、そこは例の核燃料の最終処理施設、ペレット化をする、三菱何とか工業会社がある一帯ですよ。人なんかほとんど住んでいない場所です。
 
 彼が電話をかけてきた目的はひとえに、これから、大工事を始めるが、そのときに、私がどう、動くかを探索することだったでしょう。その中でも、最も聞きたいのが、杉本家の内情について、どれほどの、深度で知っていて、それを、これから、どう利用するつもりかだったでしょう。
 彼らは鉄面皮です。だが、中野氏はそこに住むわけですね。子供の学校をどうしたかは知りませんが、一応横須賀市民になるわけです。前は川崎市民でしたが、今では、横須賀市民です。となると、自分たちが持ち上げた人材だとは言え、副市長の杉本家を傷つけたら、安穏に生きてはいけませんね。

 だから、聞いてきたのです。で、徹底的に、***杉本家は、この水道山・ただどり、の地籍変更届***と、関係があると感じました。だって、いくら書類上は、彼らの土地にすでになっているとは言っても、長年山桜の咲く、高度200メートルぐらいのおわん上の山がそこにあるのですよ。それを削ってしまうわけですから、横須賀市としては当然のごとく、抗議をしないといけません。
 そこを、抗議をしないで、別の場所に水道タンクを移した。または、高性能のポンプができて、水道タンクの位置に、高さが必要なくなったので、簡単に引いてしまったのかは、私にはわかりませんが、そこに不明朗なことがあるのは確かなのです。別に賄賂をもらったというわけではなくて、誰も買うことのできない特別な土地を開発してもらって、特別に優秀な工務店を紹介してもらって、特別に値引きしてもらった(?)というような、正当性のある援助でしょう。叩いても、ほこりの出ない形での、それでしょう。
 だけど、中野氏および大建産業、および、伊藤忠何とかという企業の、の代理の測量士が、どうして、杉本家のことを、私に、聞くのですか? その土地の一部でも持っているならいざ知らず、横須賀市に勤めている吏員が、私有地を私物化したら、大問題です。
 ですから、杉本家と、その益山氏が、一種の詐欺で手に入れた、水道山の土地は、一切関係が無いはずなのです。だから、その質問がこちらに来たこと自体が、裏側をさらしているようなものです。
 私の方は、答えていわく、「知っていますよ」と。そして、詳しく知っていることもいいました。だけど、それを彼ら自身にも外部にも、言うつもりはまったく無かったのです。今まで、10年近くたって居ますが、言っていませんね。私はひどく気高いのです。(笑)
 杉本家に関して知っていることは、5つぐらい重要なことがあります。が、測量士が引っ掛けてきた、さらされると、もっとも杉本家が、大きいダメージを受けるであろう件は、言っていません。
 だけど、皆様には明かしていない、その件を丁寧に、考えると、『やはり、神様は居るなあ』となります。神様はよくしたものなのです。
 金銭と名誉を受けても、それがまっとうな形で得たものでない場合は、家族が悲しむようなことが、別方向で起きるのです。神様は見事に采配を振るわれます。でも、彼らがそれを言わせようとしているだけに、言いません。下に杉本夫人を分析していますが、そこでも言っていません。

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副題5、『杉本夫人の、人脈と横須賀市政』

 私は、今、はっきり言えば杉本夫人に対して怒りをもっているわけです。これから、その与えられた被害の、実例を語っていきますが、その前に一回も二回も猶予を与えているということはお知らせをさせてください。
 どんなことがあっても、私は自らのエッセイ本を彼女にお送りしています。それを丁寧に読んだら、私に対して、どういう風に接するべきかはわかるはずです。ところが、世の中には、スノビズムの典型の人が多くて、本だと有名人のものを優先して、無名の、特に友達のものなんか、読まないという人が多いのです。
 杉本夫人とは相当仲良しのつもりでした。特に私が幼稚園のPTA会長をしているときには、彼女の方から近寄ってきてくれたと感じます。で、御主人との出会いが、高島屋の靴売り場だったなどという話まで聞いています。
 しかし、その後、彼女の方の熱が冷めました。が、単にさめただけかな?と思うところがあるわけです。
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 私がよこすかで通っていた小学校のPTAは、コーラス団を持っていて、その指導者は、北村充子三といいます。
 この人から鎌倉の家に電話がかかってきて、自宅で練習をするから、そのときに、あなたも来ない』といわれました。それは、25年前のことで、私は本当に、善意のひと、かつ、ねんねさんだから、すぐ、で掛けかました。京急と、横須賀線の連絡が緊密ではないので、行くのだけでも、一時間半かかりますが。練習が終わった後で、彼女が、40人ぐらいのメンバー全員に、缶ジュースを振舞いました。が、私だけくれないのです。そのとき、強烈な悪意を感じました。
 今の私だったら、「あれ、私、まだもらっていないけれど」と、とぼけて、発言できます。しかし、あのころの、私には、そういう図太さが全然無くてね。もう、内心のおろおろ度を、示さないようにするのに必死でした。
 デモね、今思うと、これは自然ではありません。一応トップです。しかも音大出身ではない。自分の声のよさと、ひとあたりのよさだけで、その地位を占めている女性です。それが、これほど、目立つ意地悪をすることの、めりっとありやなしやと、問えば、なしです。これは裏から、指図があって、わざわざ学校でやる、練習を自宅でやり、かつ、私をいじめるように、計画が練られていたのです。
 このころ、鎌倉でもひどいことが連続していたので、これは、瀬島龍三が、仕組んだことでしょう。私、本当に怒っています。現代の弾圧は、この手の心理的ないじめを拷問の道具として使うのです。40人のほかの主婦が、どう思ったか? 缶ジュース一本でもわざわざ、合計、6時間掛けて出かけた、横須賀で、こんないやな思いをして鎌倉へ、返らないといけないのは、結構きついいじめです。
 これは、今思うと、杉本夫人が、頼まれて、直接か、間接的に、指導した、現象でしょう。でも、いくら教唆・指導を受けても実際にやるかどうかは別です。だから、今では、北村さんが、「出自が、非常に悪いのよ」と町中で、うわさをされているのを信じますね。育ちが悪いことが見え見えです。
 もちろん、ここまではっきりと断言する前に、何度も電話をかけています。実情を彼女の側から聞きたかったので。だが、電話に出ないので、ここで、一気にここまで書きます。
 男性で、理論的なことを好む人にはこういうエピソードは気に入らないと思いますが、こういうことを積み重ねてくるのが、瀬島龍三のやり方ですし、それに、suffering (=被害を受けている)人たちは私意外にも多いので、ぜひ、聞いていただきたいことです。
 そして、まだまだあります。
 私は、この横須賀の家をまだ手放しておりません。で、しょっちゅうそちらへ出かけます。ところが、友人たちがおかしいのです。私へ意地悪をしたくない人たちは、家を真っ暗にして、お散歩に出ています。絶対に御主人が居るはずなのに、全員で、真っ暗にして息を潜めているのです。そして何軒もたずねまわっているうちに、奥さんだけが、夜の道を歩いているので、「どうしたの?」と聞くと、「散歩していた」というのです。それが、何軒も重なるので、不自然です。本当に笑っちゃうほどです。
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 私は携帯を持たないようにしているのですが、本を配り始めると、敵方が、非常に神経質になるのがわかります。ひどい攻撃を受けますからね。だから、それだけ、文章能力が高いのだなと、自分で葉、自信を持ってしまいますが、ともかく、異常に神経質になって防衛しまくります。で、もしかすると、敵方が、尾行をするのかな? または、その時期だと、横須賀線を東京へ向かわないだけで、どこへ行くのかを察して、杉本夫人へ連絡をするのではないかな?
 で、杉本夫人が、「川崎さんが来るから、絶対に会わないように」と私の友人たちに、電話を掛けまくるのではないかしら?

 そういうことは、その瞬間にわかりますが、それを、別に杉本夫人自身にも、ほかの人にも絶対に、問い合わせない私です。黙っている。だから、彼ら側、特に、アイデアを練りだしたエージェントたちは、『自分たちの攻撃が成功した』と考えるのでしょう。だけど、私はそうは思っていないのです。
 いつかはばれるぞ。悪事が。と思っているだけです。そして、それを書くのも計画的ではありません。神様が書かせてくださるときは、頭にそれが下りてくるから書くだけです。だから、杉本夫人も、のどもと過ぎれば暑さ忘れるで、すっかり御自分がやったことは忘れていると思いますよ。だけど、やられた方は絶対に忘れません。
 ただ、彼らは、このように、気が強い杉本夫人を支配下に置くことによって、将来も、いつでも、被害を私に与え続けうるのです。
 それが、近隣トラブルを利用して、悪事を遂行する案、かもし出し、それを警察を利用して、さらに大規模に、やってきているのが、瀬島龍三の施策なのです。防犯協会とか、監視社会の強化は、この横須賀市根岸2丁目、103番地周辺の、怪しい、土地取得がそもそもの大原因なのですよ。きっとそうです。それから、戦後、30年後に、この土地へ引っ越してくる前の場所でも、なんらかの悪さを、この、もと、海軍参謀と陸軍参謀の提携グループは、屋って居るでしょう。

 実は杉本夫人は、横須賀市政、特にお金を大量に使う建築事業の件で、御自分の人脈を、利用したなあと思う件もありますよ。政治とは、きわめて私的な欲望を、あたかも公的なもののように振舞うということと同義語なのだと、どこかで読みましたが、杉本夫人と、大沼嘉津江夫人との結びつきが、横須賀市立美術館を作り出したと感じます。
 杉本夫人は私を捨てた後では、大沼夫人とべったりでした。この大沼さんは島田章三氏の妹で、かつ、大沼映夫さんの義妹だと感じます。
 美術に詳しくない人は、『うん?』となるでしょうが、私ね、国画会で、冷遇されきっているので、大沼映夫と、島田章三の結びつきが、どれほど、国画会の中で、芸大出身者を優遇することにつながり、それが会の中をどれだけ、停滞をさせ、結局は新聞沙汰になるほどの、恥ずかしい現象まで起きさせたかを知っています。
 島田さんは、指導者としての哲学とか、思想がない方です。残念ながら、非常に俗っぽい。御自分が有利になることだけを考えている人です。「でも、お金を集めてくるのが上手で、愛知芸大は、そういう側面で華やかだったが、島田さんが、教授を引退したら、急にお金が入ってこなくなったので、愛知芸大は、沈んできた」といううわさを聞いたことがあります。
 そのお金ですが、横須賀市の税金でしょう。横須賀市立美術館の収蔵品の予算は、ほとんどが、島田章三作品を買うことに当てられていると感じます。1980年代初頭でも、市役所の支所に飾られているリトグラフが、「八千万円ですって」と聞いて、『それは、違うでしょう。一枚ではなくて、一回の個展分、全部でしょう』と、私は思いましたが、ともかく、島田さんには、横須賀市のお金が、多額に、注がれています。徹底的に多額です。愛知芸大は、横須賀市が、支えていたようなものかなと思うほど、島田さんの作品は高いのです。
 横須賀市には、米軍基地があります。そこから市へ落ちるお金は思いやり予算といって、日本全国からの税金が当てられているわけですが、ともかく、基地があることによってお金が入ります。
 又、自衛隊の港湾設備があります。そこからも、市へお金が入ってくるでしょう。そして、日産自動車があります。民間企業の雄です。トヨタほどは、儲かっていないでしょうが、多額の税金を市へ支払っているはずです。それが一部分ですが、決して、無視できない額として、豪華な市立美術館の建設にまわされ、それに、よって、ほぼ、島田章三個人に注がれたも同然のこととなって居るのです。
 私ね、目の前で、毎週、杉本夫人にいやな思いをさせられてきています。杉本夫人は、その人物の性格や、能力を見て、人と付き合うのではなくて社会的な地位とか、勢いの強さで、上下関係の判断をする人ですから、たった、5,6年前には、あれほど、私に、なついてきていたのが、今では、大沼夫人へべったりです。あ、は、はと笑ってしまうほど身がわりが早い人です。
 デモね、これは、深い深い哲学的部分で言えば、不道徳なことだと思いますよ。
 観音崎と言う東京からとても遠い場所に豪華な美術館を作ることの意義と意味。その一方で、飢えて死ぬ人が居る、この国の現実、たまたま横須賀市では、孤独氏や、孤立しは、報告をされていません。でも、個人の私服を肥やしたわけではなくても、ある個人を、異常にえらそうに崇め奉るために大金が使われた・・・・・それも奥さん同士が『友達だから、そのお兄さんを過剰に大切にしてあげましょう』と見える、・・・・・そういう行動を取る杉本夫人なのです。
 それだけでも、失礼ながら、私の哲学からすれば軽蔑の隊商となる。その上に、後ろから散々いじめ行動を続けてきているわけですから、こうなるとはっきり言いましょうとなってきます。
 最後に繰り返しますが、横須賀市以外の地域で、孤立死した人に対して横須賀市にはなんの責任もありません。

 だがね、人間の、最深の道徳観に照らし合わせると、あの豪華な美術館と多額の予算を使った収蔵品について、島田章三さん個人に使われた税人が、それでよかったのか、どこか、この国はおかしいよと、私は感じるのです。こういうのを強者の恣意の典型だと感じます。自分たちは上の人間だから、自分たちだけで、根回しして、自分たちに結局は都合よいように諮ってしまう。
 なんか、腐臭がぷんぷんします。悪臭もぷんぷんただよってきます。
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副題5、『法務局も、国会図書館も、瀬島龍三の言うなりである』

 私はこの1980年の、地籍変更届云々の事件のときは大変立派な弁護士さんにお世話になったのですが、大綱====内容証明を出しなさい====をお教えいただいただけで、すべては自分でやったのです。これは、自慢でもなんでもなくて、その弁護士さんの御子息を、助けるための言葉です。その御子息が最近、急速に大出世なさっていてね。東大はお出になっているけれど、銀行マンだったのが、急に転進なさって弁護士になりました。その、直後に、某、有名大学の教授にもなりました。これは、すでに、瀬島龍三側が、「こっちへ取り込んだよ」といっていることと同義でしょう。

 ちょっと余談となりますが、その出世の形は、ビート武を北野武監督、兼、教授に仕上げて行く過程とそっくりだし、伊藤玄二郎を偉い人に仕上げて行く過程とそっくりなので、『ああ、私の味方をこうして、奪って行くのだな』と、わかって來ているわけです。

 でも、そのお父さんの方の、今はなくなってしまった弁護士さんに、こういっていただいたことはお知らせをしたいです。「あなたは大変に頭のよい人間なのですね。最初は、被害者像(だまされやすい弱い人間)の一人かと思っていたが、まったく違う」といっていただいたり、「法律とは、自分を守るためのものです」と教えていただいたりしたのは、本当にありがたい経験でした。

 そのときの私の武器は、普通の調査ですよ。登記所で、普通のことを調べただけです。それで、すべての裏側がわかったのです。まず、公図がごちゃごちゃです。これは、170坪ぐらいを買い求めた、益山氏が、30坪の規格の家を、8軒分ぐらいを売り出して、しかも、それらの間に、立派な私道も作ったので、実際には無いものを詰め込みすぎたので、薄い三ミリぐらいの宅地が重なっているのです。その矛盾は、地籍変更届を出す前に、すでに、水道山を蚕食しきっていたということでした。
 そんなことは、その公図を見ているだけでわかりました。
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 ここで、挿入的な話題に入りますが、我が家の近辺の公図も、これまためちゃくちゃに、改変をされているそうです。それは、早稲田悠季さんという当時の市会議員(=今は県会議員)が、教えてくれたのですが、「日本って、法治国家でしょう。そこが怪しくなりましたね」といわざるを得ないほどの、乱れようですね。それを、導いているのが、瀬島龍三であり、その手下たち、鎌倉では、伊藤玄二郎と、それに結びついている、井上ひさしと、酒井忠康氏の二人です。
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 ところが、明治時代から積み重なっているその登記簿原簿とか、公図を、全部電子化して、しかも、直前の持ち主までしか、たどれないように変更になっています。これも、瀬島龍三が、自分たちの悪事を隠すために縫製改革をした可能性を感じます。
 アメリカのミステリー小説とか、イギリスのミステリー小説を読むと格好いい探偵が出てきて、縦横無尽に謎を解きます。が、私だって、ほとんど同じほどかっこよかったのです。あくに対して真っ向から戦ってね。見事に、こと、自分に関する部分だけは買ったのですから。そういうことが、ごく普通の調査でできるのですよ。ただし、登記簿謄本を取るとか、閲覧をするとか、で、お金は無論使いました。でも、一日に、二万円以内だったとは思います。そんなに長時間登記所につめているわけにも行きません。小学生のお母さんですから。デモね、この経験が、今につながっています。
 しかし、今ではそれが、できないのです。瀬島龍三って、本当に悪い人間です。
 法務局が、このように変わってしまったのは、すべて悪人の悪事を隠すためなのですよ。だけど、そのことを、日本のジャーナリズムは、追求していません。が、私は、1980年以来、肌で、それを感じ取っています。
 同じこと、紙で書かれたデータがマイクロフィルムかされる形で、どんどん失われているのが、国会図書館です。これも、悪人側を助けるために動いている形です。
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副題6、『山崎豊子さんが、転んじゃったのは大きい』

 山崎豊子さんは、毎日新聞から出発をされたそうです。船場出身だと聞いているので、いいところのお嬢様で、気が強くてしっかりしている方ではないかしら。そして、最初のころは骨太の社会派小説を書いていらっしゃったでしょう。そして、プロットの作り方では、松本清張より豪華ですよね。面白い。が、いつのころか、非常に弾圧をされておられました。剽窃問題です。
 一部分を、他人の元データから取っていて、そっくりそのまま、丸写しであるとのこと。で、山崎さんご本人が釈明するに当たって、秘書が提供した資料をそのまま使ったとおっしゃっていました。
 これですが、それが報道をされた当時は、まったく素人で、何も外部へは発信していなかった私でさえ、一種のいじめであろうと感じましたね。

 今のように、物事を裏の裏まで考えるようになった目で見ると、秘書が、お金で、裏切るように篭絡をされていた可能性さえ感じます。または、最初から、主人をつぶす目的で、秘書が就職してくると言う形。

 で、そういう苦境を助けたのが、成田豊氏か、奥島孝康氏か、井上ひさしか、誰かはわかりませんが、その結果、山崎豊子さんは、瀬島龍三にお世話になったという形になったのではないかしら。それで、一緒に食事などとるとします。すると、瀬島龍三のほうから、昔話など出てくる。それに食指を動かされた・・・・・というのがありうる形ですが、そうではなくて、意図的にストレートに、「私について書いてください」と頼まれたのかもしれません。または、それ『不毛地帯』を連載した、文春の誰かがセッティングをしたのか?

 ともかく、私が正しい情報をつかんでいるわけではないが、その不毛地帯が、書かれたのを、きっかけに、瀬島龍三は安心して、裏でさらに悪いことを画策し始めたと感じます。
 ペンは剣よりも強しといいますが、正義派で、通っていた、山崎豊子さんが対・瀬島龍三という意味では、『転んじゃった』のが、その後の、日本社会の流れにとっては大きいでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『近隣関係トラブルを、利用しまくる、これらエージェントたち』

 日本と、日本人など、一顧だにしないこれらエージェントたちの特徴は、自分が表に出ないということです。誰かを使い、自分に責任が降りてこないように巧妙に立ち回るということです。
 最近、孤立死が三件連続して報告をされました。あれなんかもおかしいですね。国民に不安感を与えて、人身御供を作る目的があるんじゃあないかな?
 そのキャンペーンで、何が行われるかというと、
 近隣自治会を強化しましょうということで、さらに監視社会が強まります。そして、近隣自治会を中心にして、強者の支配が強まります。誰が強者かというと、地域で警察と結びついた人間でしょう。
 この鎌倉の山の中で住んでいて、26年たちましたが、鎌倉の警察署は、中立ではないです。鎌倉市内では、でかい面をしている、鎌倉春秋社・社長・伊藤玄二郎の言うなりです。それは、江戸時代より古い感覚で動いています。憲法だって守られていないと感じています。
 でね、鎌倉でのいろいろについては、今日は触れず、横須賀に戻ります。その水道山の実質的な乗っ取りが行われた当時、1980年でしたが、
 上に書いた、幼稚園に行かせないお嬢さんの親とのトラブルが終わって、3、4年後でした。
 で、電話の盗聴で、委細を知ったのでしょう。で、上のお菓子を盗み食いをするお嬢さんの、家が散々に利用をされました。その一家が、いじめ役の急先鋒になったのです。でも、お子さん方はそれほど、強い力を持っていないので、お父さんがでしゃばってくるのです。お父さんが子供の遊びを仕切るのです。驚きました。私は非常に人気があって、子供たちに慕われては居ましたが、子供の遊びに口を出したり加わったりしたことはありません。ただ、安全で快適な場所を提供して、
 特別な悪さをしたときに叱るだけです。

 しかし、そちらのお父さんは、自分で遊び(=野球や、缶けり)のリーダーシップを取り、我が家の子を入れないようにするのです。でもね、何も言わなくても、内の子はすっと何かを悟って60メートルぐらい離れたところに住む、友達、(幼稚園時代からの仲間)のところへさっと行ってしまいました。そういうことをするのは、私を追い出して『引越しをさせろ』と命令をされていたみたいで、それが成功したら、13つ部分の土地をもらえる約束になって居るそうです。益山夫人が利用をしていた『車返し部分を、あんたに上げる』とも言われていたみたいです。ご本人がそういっていました。土地が高い時代で、ひとつぼ30万円はした時代だから、13坪程度でも、300万円分だし、もともと、30坪しかない土地が、43坪に増えれば、家の建て増しの設計も自由自在にできますよね。
  だから、30代後半のいっぱしの大人の男性が、なりふりかまわず、子供の世界にでしゃばってきて、采配を振るったのです。
 ところで、因果なことに、ことがすべて終わった後で、益山側が、ご褒美を与えたのは、この人間ではなかったのですよ。そうではなくて、しっとりと落ち着いていて、私と、実際には、一番仲良しであり、私を深く信頼していてくれている、一家を引越しをさせたのでした。遠くに、もっとランクの高い家を買って、与えたのだと思います。
 で、こちらのお菓子を買って与えなかった家も、『自分たちは、この件であれほど、尽くしたのに、何にもメリットが無かった』と思い、なんとなく、不満を感じたり、世の無常を感じたのでしょうね。この際は、無情という字を当てはめてもいいかな? で、私たちより先に引っ越していきました。

 この私と、親しい人との間を裂く、ということは、30年後の鎌倉でも取られている手法です。そして、近隣ではなくて同窓会関係でも取られている手法です。
 当時から、本当にいやな人だと、そのご家庭の特に奥さんを思っていましたが、今思い返すと、その最後の段階で、益山某氏と瀬島龍三の手先になって、私をいじめてくれてよかったと思いますよ。それで、私はすっかり、自分の悩みを払拭しえたのですから。
 だって、こちらは、善意で面倒を見ていたのですよ。普通に育てているお子さんなら決して、よその家で、お菓子を探し出して盗み食いなどしないです。いや、貧乏じゃあないから起こるのです。お母さんは働いていない。だから、ある程度以上に余裕はある。それなのに、自らを反省しないで、ただ、復讐だけをやって来る。・・・・・そういう連中に対しては、悩む必要はないではないですか。いまでは、ただ、突き放して見ているだけです。
 しかも、悪事の手先として、利用されていて、その人間としての、器の小ささといったら、こっちが恥ずかしくなるほどです。
~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『水道山のただどり・土地取得の方法を、言おう』

 上のところで、この一文は一応終わっています。ただ、写真を添えたために思い出したことがあります。彼らの土地の取得方法です。

 私の庭の前に道路がありますね。その向こう側に高いがけがあります。それは、目くらまし作用のためにできています。私たちが、自分たちの土地、30坪を二区画買った当初は、こんな高いがけはありませんでした。そこには、1.5メートルぐらいの低い石垣があるだけだったのです。で、南側から燦燦と日差しが差していました。だから買ったのですが、その後で、こんな高いがけを作られて、しかもその上に、二軒びったしで、二階建てがたっています。これは、自分たちが、水道山を開墾して、あたかも自分たちの土地であるかのようにするための作業を、他人の目から隠すためだったのです。
 そして、この二軒の住人から、さらに目隠しをするために、その南側に、高さ5メートルの木製の塀を作って、その中で、山桜などの生えている、自然林を、木の伐採などをして、あたかも個人の所有地であるかのごとく整えて行ったのでした。
 私が引っ越していったのをいいことにしてね。
 ただ逃げたわけではないのですよ。そこをまだ売っていませんし。
 ただ、益山夫妻に言いたいのは、「ともかく、地域社会で、私を下手においてはダメよ」ということです。「その、お菓子を盗み食いするお嬢さんの家なんかを、自分の見方として、私の上に置いたりしたら、こちらは、とことん戦いますよ」ということ。どうして、自分の方が彼らより上だと確信をしているかの秘密を言いましょう。それはね。彼ら夫婦は自分の子だけでも、まともに愛していないし、ましてや他人の子なんか眼中に無い人間だからです。かわいいのは自分たちだけ、大人の自分たちだけなのです。そういう意味で未熟極まりない人間です。そういう人間を相手に戦ったら、小さいときから、考慮深く、慎重に回りに配慮して、生きてきている私の方が勝てるのは、当たり前です。私は自分より他者の方を大切にする人間ですから。その点でレベルが違うのです。だから、順当に、その内容で、ちゃんと、尊重してくれればもめないです。人を押しつぶそうとして、次から次へとばかげた策略を、打ち出してくるから、こちらは戦うことになります。わかっていないね。戦国時代から士族の家に育った人間の気概というものを。
 この件でも、私を小ばかにしないで、最初から、青地なんかを設定しないで置くか、または、尊敬しきって、篭絡した方が、よほど良かったでしょう。途中で、土地を100坪、あげますから、いうことをきいてください』といったり、30センチ分を横須賀市に寄付するとか、姑息なことを、やっていたみたいですが、「最初からそうしなさい。あなた方が取った作戦は、馬鹿みたいな作戦です。あなた方は、ちょっとおつむが足りないね。私の本質を研究しぬいていませんよ」といいたいところです。

 鎌倉の家は、車が入らないがために、そして、前の住人が建てていた家が小さかったために、割安だったのです。その上に、南と東側に、一切、他人の目がありません。木だけなのです。他人の目だけではなくて、人家も見えません。『こんな家って、東京圏には無いね』と思って買ったのです。横須賀をトラブルで、逃げ出したわけではないのです。が、しつこい復讐が追いかけてきました。それは、伊藤玄二郎と、その愛人、石川和子を通じて、し組まれていったのでした。それは、このブログの世界で、30%ぐらいは、過去にすでに、書いてあります。今日はその部分は繰り返しません。
 14日の原文からは、一万字三千字を増やしました。三倍強に膨らんでいます。15日の午後の分からは二倍です。
  2012年3月14日に書き始め、16日に終わる。
                    雨宮舜 (川崎 千恵子)

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家のローンと、通園費、どちらを優先? プラス、瀬島龍三の深い、悪人ぶり

2012-03-14 11:28:21 | Weblog
今、16日の零時半ですが、15日の文章から、さらに7000字以上を書き足して、一応の終わりとさせていただきます。誤変換は、16日の午後三時ごろまでに、直しておきます。もう一度、そのころ、覗いてやっていただけますと助かります。
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 ところで、私は政治ものを書く人間ですが、一方で、一種のエッセイストというか、芸術の香りを残したいと願っている人間です。それゆえに、前報で描いた映画『甘い生活』のようにエピソードが積み重なっている作品が好きなわけですね。で、この文章も最初は、心理学の問題として始まります。タイトルもお菓子の名前が冠してあります。それが、7000字で、それ以上、は、すべて政治の問題となります。では、よろしく。

副題1、『東鳩キャラメルコーンの悲哀』(ローンと子育て)

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副題1、『東鳩キャラメルコーンの悲哀』(ローンと子育て)

 最近ニュースで、北朝鮮では、チョコパイが一種の通貨になっているという話が出ました。お菓子が北朝鮮の人民の苦労を反映しているのです。気の毒に。
 が、私にとっても、つらい体験があり、その象徴としてのお菓子が東鳩キャラメルコーンです。どうしてか、私の文章が影響力が強いみたいで(笑)、この10年間、このお菓子が消えてしまいましたが、油で揚げたとうもろこし系のふわふわの黄色の塊の周りに生キャラメルを絡めたもので、おいしいです。
 ところで、私が子そだて中のお若いご両親(とくにお母さん)に絶対に勧めたいのは、子供が小さいときのご近所づきあいです。非常に面倒くさいですけれど、これをやっておかないとだめです。今、引きこもりがものすごく多いでしょう。あれは、30年前、または、40年前に、お母さんが、ご近所づきあいを面倒くさがってやらなかったご家庭から頻出していると感じます。遠くのお受験塾とか、お稽古事教室の付き合いだけで、済ますほうが、目的意識が共通していたり、生活のレベルが同じで、楽でしょうが、それだけでは、子供の生活が単純になり、子ども自身に応用力がつかず、したがって、後年、パニック障害を起こしたり、引きこもったりします。誰も報酬をくれないし評価もくれない分野が子育てにはたくさんあリます。で、やりながら疑問や矛盾や、孤立感をいっぱい感じると思います。が、それをはしょってはだめなのです。

2  それと、もうひとつお勧めしたいのは、世の中の標準とされている生き方に従うのも、子供が小さいうちは、大切なことだという点です。今回例証としてあげるお宅のお母さんは、ご自分は、お父さんが戦死されていなくて、母親の手ひとつで育ちました。だから、貧乏の中で、倹約して育ちあがったのです。で、それを現代(といっても、戦後の1970年代ですが)にも押し通し、袋菓子の類を買わない生活をしていました。それでも、このお母さんは、フロイドのいわゆるエディプスコンプレックスの典型で、ご長男の方はかわいくて、ごく普通のコースをたどらせたので、問題が起きなかったのですが、下の女の子には、「幼稚園に行かせないで置こう」と家庭内で、提案したのだと思います。夫婦の力関係なんて、他人にはうかがい知れないものですが、たぶんこのお宅ではかかあ天下で、普通なら女の子がかわいい...はずのお父さんも、その提言に従ったのです。
  特に一戸建ての家を買ったばかりです。そこには誇りがあります。「家を若くして買ったのだから、私たちは平均より上です。で、別のところで、家計を締めましょうね」といったのだと思われます。それは、一見すると道理にかなっています。
  だけど、子供がひどくかわいそうです。というのも周りに同年代の友達がいません。ここはね。幼稚園には行かせて、お母さんが内職をするとか、または、三時間だけ、近所のお店のレジうちをするという形で、通園費を稼ぎ出した方がよかったでしょう。お嬢さんに対して正しい愛があったら、絶対にそうすると思う。だけど、このお母さん自身が小さいときに、回りから大切にされていないので、ご自分に愛が少ないことに気がつかないのです。

3 さて、そのお宅が、そのように決意した影に、近所に私がいたということは絶対に勘案したでしょう。きっと計算の中に入っていたはずです。「あそこはいつも保育園か、幼稚園みたいに子供が集まって遊んでいるわ。あそこで遊ばせておけばいいのよ」と、夫婦で言い合ったはずです。その頃の私は、徹底的な奉仕型でした。
  もし、そのお母さんに普通のレベルの愛情があったら、毎日、6時間程度、我が家だけで遊ぶのですから、「すみませんねえ、いつも、お世話になって」という言葉とともに迎えに来てもいいと思う。それが過保護に思えるのなら、それとなく、お買い物の帰りによるのでもいいのです。
 ここで、お礼を要求するのは、私の方こそ、けちみたいで、恥ずかしくて言いたくないのですが、毎日の温和で丁寧な交流を抜かすと、ドカーンと、たまった不安が大きなことを引き起こしてしまうからです。
 子供って、ただ、遊んでいるように見えても、その安全の維持とか、そのほかに、絶対に目を離せないところがあって、安全で楽しい環境がないと遊べないのですよ。そういう環境を用意するためには、相当な労働が、やっている側の人にはかかっているのです。実際には、介護費を払う老人を面倒見るのと同じことで、それだけ預けたら、やはり、一時間、800円ぐらい相手のお金を使ったと考えたほうがいいと思います。よく「ただほど怖いものはない」といいますでしょう。このケースもやはり、そういう形でおわりました。このケースだって、幼稚園代を出して、普通の形で育てた方が、そのお宅にとってもお子さんにとっても、ずっと得だったでしょう。
 問題はそのお嬢さんが、我が家の袋菓子に異常にこだわり、やがて盗んでまで食べるようになったことなのです。普通の形とか、ルールで暮らしていれば、小さい子に駄菓子屋に行かせるお小遣いを上げるとか、または、親が用意した十時や三時のおやつが、出ますよね。ところが、そちらのお宅では、通園火を惜しむぐらいですから、買ってあげてない模様なのです。特にご近所から『あそこは貧乏だよ』とみなされているお宅でない限り、普通の形で、育てるのが普通のことです。
 普通のお宅では、よそこの子が遊びに来たら、袋菓子を、菓子皿に移して供します。また、他人が誰も来ていなくても家族内で、何かのおやつを食べることはあります。で、よその家に遊びに行っても、我が家で、普段日常的に、そういう習慣があれば、異常に強くほしがることもないでしょう。ましてや私に隠れて盗み出すほどとなることもないと思います。

 有名私学に通っている中学生のケースでも親が異常に吝嗇で、(または、信念からお小遣いをあげないので、つらい立場に置かれているお子さんをマクドナルドで、見たことがあるのですが、子どもは、普通のルールで育てないといけません。絶対にそうしないといけません。
 もちろん、あなたが中産階級とも言えなくて、徹底的に貧乏だったら、特殊な形でも仕方がないです。だけど、そういう場合はお子さんはまともに育つでしょう。かえって、親切にしてくれるお宅で、盗みなどはしないでしょう。苦労をして働いて暮れている、親が悲しむことを知っているからです。
 
 お母さんが働いていないのですから、金銭的には、十分に余裕があるのに、愛情が足りないから、ケチをしているのです。だから、子どもが素直に育っていません。

 ここでね。親の愛の多寡も問題になってきます。親から愛されているお子さんは、ちゃんとよそのおばさんの言うことも聞くのです。横浜時代に預かったご近所のお子さんで、こういう問題で言うことを聞かなかったお子さんはいません。皆さん、お互いの配慮が十分だったし、ともかく『自分の子供がかわいい限り、ご近所様も尊敬して置かないとだめだ』という感覚があったのです。ところが、このよこすか時代の子育てにおいては、力関係で判断する人が多かったのです。『こちらが力関係上、上なら、相手が奉仕しても、当然じゃあない』と言うような感覚が蔓延していました。不思議ですが、そうだったのです。

4  私もね。そのお嬢さんがいうことを聞いてくれれば、助かったでしょうね。問題が紛糾しなかった。だけど、親に愛されていない子特有の、すが目でちらを見る感じで、声を出さない子で、彼女が私の発する「後で、ちゃんとあげるから待っていてね。おばさんは、決まったおやつの時間に食べてほしいのよ」という言葉が、彼女に、わかったのかわからないのかが、私には、ちっともわからないし、相変わらず、お菓子は、なくなっているしで、仕方がなくて、私の方が、お菓子を隠すようになったのです。
 ところが、どんなに高い場所に隠しても、いつの間にか見つけてしまうのです。そして、主人の机の下とか、へんなところで盗み食いをします。それが、五歳の女の子で、うちの三歳の娘を手下とします。それは、本当に嫌なことでした。非常にいやだからやめさせたいのですが、どうしても防衛できません。
 そして、ある日二階の押入れの下の段に入れてあった客布団の上で、やられちゃったのです。しかもお菓子は、例の生キャラメルで包まれた東鳩のキャラメルコーンです。私もこの時は、本当に頭に来ました。成人した娘が言ったことがあるのですが、「お母さんが切れると怖い」と。大変我慢強くて、そして、口は達者ではないほうですから、たいていの場合は、こちらが、我慢します。
 が、我慢の限界が切れると、怒鳴ったりはしないで、ずっと我慢していた長期間に観察してきたことを、理路整然と説明しますから、呼ばれた相手のお母さんは、恥を目の前につきつけれられることとなります。いわゆるぐーのねも出ない形でね。
  
 毎日毎日のことだから、毎日お迎えに来て、毎日御礼を言っておけばよかったのです。絵馬を惜しんではいけません。そうして置いたら、これほど、固定化する前に、「お宅で、お菓子どんなものを上げていらっしゃる。お嬢さん、東鳩のキャラメルコーンが異常に好き見たいね」とか、言う普通の世間話の中で、このトラブルをうまく解決する何らかのヒントを、相手に、与えることができたでしょう。お母さんだって、「異常に、好き見たいね」という言葉で『あ、そのお菓子は、買ったことがないから、このお宅で、ほしがるのだ』とわかるはずです。そして、自宅でも買ってあげるようになるでしょう。それで、うまくいくのです。

 しかし、このお宅はまったく違う解決方法をとりました。いやみたっぷりで復讐の味わいの濃いものです。
:::::::::
・・・・・これが、実は瀬島隆三に利用され始めます。近隣トラブルを利用して言論弾圧をするのは、ここあたりから発生していると感じている私です。・・・・・
:::::::::
5  その日、以来絶対にお嬢さんを外へ出さないようになったのです。私はね。自分の子供と同じくらい他人の子供を愛しているから、非常にこたえました。私は、愛されていなかったそのお嬢さんが両親にこっぴどくしかられて、家から絶対に出してもらえなくなったと想像して、本当に苦しみましたよ。
 今思うと、「今日は遊べないのよ」とでも、3日ぐらい言ってみる。それで、問題があることに、親に気がつかせる? そういう手もあったかなあ? とは思いますが、そういう策略を持つ精神と、子育ての実際の現場で、人の子を預かって、いろいろな奉仕をする精神とは合致しないのです。策略家には、子どもはなつかないし、その家が、遊び場になるはずもないのです。私自身が、素直一方だから、子供たちは我が家に集まるのですから。

 いやね。この件を相手方からだけ、聞いた人は、「ええっ、五歳の子を泥棒扱いをしたの。失礼ね」で終わりでしょう。だけど、そこまで我慢をした三ヶ月のこちらのつらさが、その言葉の中では、抜けています。最大に努力をしましたよ。

 はっきり言って、とても切ない思い出です。
 私ね、このお相手との間では、この件は、もう解決をしないのです。40年以上過ぎていますし。残念ながらそうです。ただ、願わくばあのお嬢さんが、親を反面教師として、十分にお菓子を子供に与える子育てをしていてほしいと思います。時間を区切ることは大切ですが、それこそ、今なら、チョコパイ一個ぐらいとお茶かミルク。そして、相手がどんなにお金もちそうでも、ご馳走になりっぱなしではだめです。それって、本当の意味では、誇りを捨てたこじき根性ですよ、でね、これから、子育てをするご両親に言っておきたいです。必ず、平等にしておくことです。お菓子などの費用の面、面倒を見る時間(=労力)・・・・・これらをすべて平等にしておくことです。
 それから大切な二つ目のこと。内々の家計はどういう風に個性的でもかまわないのですが、ご近所と接する小さいお子さんには、ごく平均的な生活を与えることが必要です。そこをケチってはダメです。

 そして、相手が弱く見えても、のしかかったり甘えすぎたりしないこと。・・・・・・これもお話をしておきたいです。

 この問題は地域差があるかなあ。人口密度が濃い都会ほど、洗練をされているとは思います。東京の23区以内だったら、これほど、一方的に、特に幼稚園まで行かせないで、カッコウの託卵みたいに相手に預けっぱなしにしていたら、そっちの方が「怠け者みたいね、変よ」と、批判をされると思う。それから、この鎌倉のこの山でも、上手にやっていらっしゃいますよ。ほとんどの家が、60歳以上の老夫婦となってきたのだけれど、一軒だけ、小さいお子さんのいるお宅があります。で、二人子供のいるママ同士で、4,5人のグループを作っているみたいです。この山は車が入ってこないので、道路や空き地を使って遊ばせるのに最適です。だから、そこに週に、2,3回は、ママたちも一緒に子供が遊びに来ていました。
 そうなると、おやつのこととか、面倒見・・・(おもちゃを取り合ってけんかをしたり、ふと物を投げたりし...て、ぶつかったりするときにそれはだめよ)と注意する必要があって、これもまた、言うことを聞かない子がいると大変な重労働となりますが、それ)・・・を分担し合えるからです。毎日ではないし、こちらのお宅が宿になるので、一番負担が大きいとは思うけれど、お母さんがたが、みんなついてきているので、おしゃべりをする楽しみもあるでしょう。女の人はおしゃべりをしながら考えをまとめて行ったりするのです。で、おしゃべりが、人間を鍛えたり、発達をさせたりする、ひとつの道となっているケースも多いからです。毎日ではなくて、かつ、お子さんの年齢が上になるほど、集合する回数が減ったように思いますが、それもごく自然なことでしょう。
それとね。家があってこその安全な子育てだともいえますね。シェルターとしての家、さらにそれが、もち家だと、社会的に幅が利きます。だけど、お母さんが遊んでいて、働かないで居て、それで、通園費まで削ってはダメなのです。もし、あの子が幼稚園にいっていたら、それなりに、誇りがあるでしょう。だから、判断能力もついてきて、『お菓子を盗み食いするのはダメだ』と自分でわかってくるはずなのです。し、週に4日は午後三時ごろまで、幼稚園に居るのですから、こういうことはおこりえませんでした。
 又、この御嬢さんの場合は、幼稚園に通っていないからこそ、子供集団の中で、年上となっていて、三歳から五歳までだと、その子だけが、飛びぬけて発達しているわけですね。30を過ぎたりしている大人だったら、年齢による差なんてほとんど、感じられなくなるものです。が、このくらいの年齢だと、たった、一才違いでもまるで違います。だから、年上の子が、強い指導性を発揮してしまいます。それも、こんな困った事態を招いたのでした。
~~~~~~~~~~~~~~~

この後では、以下のような文章が続きます。それは、上にスクロールをしていただくか、または、左のカレンダーで、16日をクリックしていただけますと出てきます。
副題2、『私道を、市に寄付するので、実印を押してくださいと頼まれる』
副題3、『役所を、利用しきる、彼ら、元参謀たち』
副題4、『法務局も、国会図書館も、瀬島龍三の言うなりである』
副題5、『近隣関係トラブルを、利用しまくる、これらエージェントたち』
副題6、『水道山のただどり・土地取得の方法を、言おう』
コメント (3)
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フェデリコ・フェリーニ監督の手の内、心の内、映画『甘い生活』から考えること

2012-03-13 11:58:07 | Weblog
映画好きの方にお断りをします。これは、まだ見ていない方にお勧めするための、文章ではないと言うことです。
 映画『甘い生活」を、きっかけに、人間とか、人間の生活を考える文章です。ところで、現在14日の20時ですが、部分的に書き直したら、書き足しています。どこがというと、スタイーナー氏という知的な上流階級が、子連れ無理心中を図るところです。

副題1、『なぜ、映画***甘い生活***を見たか』
副題2、『イタリアの新興住宅地の光景に打たれる。
      樹木が一本もない荒涼たる大地の中に立つ、
      階級別にランクの差のあるマンションや、集合住宅』
副題3、『俳優陣に、輝きと、リアリティがある』
副題4、『知的階級の実存的不安。と、子連れ無理心中』
副題5、『フェリーニ監督の手の内、心の内を推察する』

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副題1、『なぜ、映画***甘い生活***を見たか』

 私はカンヌ映画祭で、グランプリをとった(だから名画であろう)『甘い生活』を見ることを、わざと避けてきました。1960年の制作です。そのころは、高校生です。受験勉強中の少女(?)が、見たい映画ではない。『ローマの上流階級の退廃を描いている』そうですから、17、8の未来を信じる超がつくほどまじめな(笑)少女が、見るべき映画ではないと感じていました。

 ただ、今、NHKのBSプレミアムがアカデミー賞関連番組を編成していて、その一環として放映をされたものを録画しておいたのですが、無論まともに見る気はなかったのです。時間がないと思っていました。でも、年が年ですから、今見ないと、二度と見る機会はないであろう。名画というものの片鱗には触れておこうと思ってね。
 でもね、最初の動機は不順です。急に暇になったからです。

 なぜ、急に暇になったかというと、突然に、フェイスブックを、切られてしまったからです。海外に住む方から、「急に、開けないけれど、どうしたの?」と、電話で、お問い合わせをいただいて、自分でも訪問ができないが、他人も読めないことになっているのを知りました。過去に投稿した、コンテンツが大切ですが、それは、もう誰にも読めないということです。で、その件に関して延々と、長文を今朝の早朝書いたのですが、それを完成する前に、映画は映画で、独立した一文とさせようと考え始めています。

 でもね、上の、7行をどうしてここに入れたかというと、単に時間があまったから『甘い生活』を受け入れられたというよりも、・・・・・今、抱えている問題から、自然に受領した、哲学的な境地というものが、付与してこそ、この映画が、より良くわかった・・・・・と感じるので、その上の政治的な弾圧の部分もコミの、映画感想ではありますが、ここでは、最初にお断りしたとおり、独立をさせます。
~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『イタリアの新興住宅地の光景に打たれる。
      樹木が一本もない荒涼たる大地の中に立つ、
      階級別にランクの差のあるマンションや、集合住宅』

 この映画は、その映像美がすばらしいと誰もが言っています。私もそれには賛成しますが、大方が言っている、貴族の館内の描写や、大金持ちの近代的なインテリアの情景、又、トレビの泉ほかのローマの旧市街の、各種の観光名所の描写が、美しいというよりも、まず、マンション群の映し出される映像に、圧倒をされたのです。
 イタリアの特にローマが、どれほどの戦災に出遭ったかを、私は、知りません。中心部の歴史的な建造物はすべて残っているので、ローマのあの大マンション群が、建って居るところは、地域開発をされた地域なのでしょうか?

 良くわかりませんが、ともかく、樹木一本無い荒れた大地に、ぽかっと集合住宅が建っているのです。棟と棟の間隔は広いです。そこが、人口密度の高すぎる日本とは違います。が、最初に登場するそれがすばらしい。汚さと貧しさの象徴として見事です。
 つまり、中心部で、ヒッチハイカーとして偶然拾った娼婦の家を主人公のマルチェロ・マストロヤンニと、車の持ち主の、アヌーク・エーメが訪問をする場面です。
 これはね。イタリア人の陽気な気質とカソリックを信じる気風から生まれた、処世術だと思うのですが、都会の中で、車を手で合図して、停めて、乗せてもらう風習があるみたいなのです。特に車の数が少ない時代ですから(1950年代の風習を描いている)立派なオープンカーなどに乗っていると頼まれやすいみたいです。物乞いの発想でもあるが、それこそ、シェアの発想でもあります。又、バスなどが無い深夜ですと、これは、お願いしてもいいことなのかもしれません。特に神の元では平等であるイタリアではね。
 で、お礼はコーフィーいっぱいを御馳走してもらうぐらいです。そのコーフィーを入れてもらっている間に、主人公の二人はむらむらと来てしまい。それを察した家主は、ことが終わるまで・・・・・そして、終わった後で、寝入ってしまった二人が起きる朝まで、外の彼女のオープンカーの傍で待っているのです。
 そこへ、親戚だか、ご近所様の男性がやってきて、「お金をもらえ」とそそのかします。つまりラブホテル代わりに使われたからです。が、それを口に出すことも無い間に、アヌーク・エーメがお小遣いを娼婦にそっと渡します。

 その舞台となったマンションですが、後で出てくるスタイナー氏のものとはずいぶん違います。地下室があり、そこに彼女は住んでいます。上階よりも間取りが小さく(1DK・・・・ただし、最近の日本のワンルームマンションの2倍の広さはある)ですが、配管がズサンなので、床は常に水浸しで、板を渡して部屋に入ります。

 主人公のマルチェロマストロヤンニが住んでいるマンション、そして、友達のホステスが、住んでいる高級マンション(が、デザインが古い)。知識階級の有名人が、住んでいる高級マンション(デザインがモダンだ)。古い貴族の館、大邸宅だがインテリアは、古い。近代的なビジネスエリートが住む、モダンな一戸建て・・・・・とうとう、目を見張るほどの、建築物の羅列で、それそのものが、大いなる、意味をこちらに感じさせます。
 庶民的な彼の自宅マンションには、庶民的で、糟糠の妻になりたい女性が待っているし、貴族の館には、何者にも動じない老女が住んでいます。

 最後の宴会場、大富豪の家では、日本でも、六本木あたりで、ちゃらちゃらしているような、後にテレビ業界を牛耳る(加賀まりこや、桃井かおりや、大原麗子などのように、スターともなった人物もあろうが、プロデューサーや、コメンテーターや、台本作家などの裏方ともなっただろう人材がたむろしている場所の、雰囲気を彷彿とさせます。

 私はともかく、階級のステータスの象徴としての住まい、そして、それの利用の仕方に舌を巻きました。

 この映画には、実は筋が無いのです。でも、それでも、飽きないでついていったのは、そういう部屋の違いを見るだけでも面白かったからです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『俳優陣に、輝きと、リアリティがある』

 私はね。もうひとつ惹かれるポイントがあって、それで、ずっと見続けたのですが、それは、俳優陣に輝きがあります。多分、若い日に高卒後、新聞記者になったフェリーニ本人の自画像が投影されているマルチェロ・マストロヤンニが出ずっぱりで、それが、この映画の統一感を唯一支えているところですが、それを始め、出演者全員が輝いていて、かつ、スターシステムではなくて、リアリズム追求でそれなりに、しっかりとした演技を求められていて、きちんとこたえているのです。

 それに、重要な女優陣と主人公が交わす、男と女のリアルな会話・・・・・これもすごいです。特に、糟糠の妻になりたいエンマという女性(ほかの女性と比べると、肉体的な魅力やら、タレント性、また実家の財力という点では、劣るが、必死に、よい妻になろうとしている女性)との会話とか、やり取りは、秀逸ですね。エンマが、最初の方では、浮気ばかりするマルチェロとの、未来を危ぶんで、自殺未遂をするのですが、その後、きちんとほぼ、実質的な、夫婦生活(日本語で言えば同棲)を連続して、居ます。その後、大喧嘩をして、二時間ぐらい、車から放り出されます。自宅へ帰れない路上でほうったらかしにされるのですが、マルチェロは、結局は迎えに行きます。それほど、女性側エンマが、強くなっているのを示すのは頼もしい限りです。

フェリーニ自身は戦友としての妻、ジュリエッタ・マシーナを持っているわけですが、それでも相手から近寄って來たり、しごと上で出遭った女性たちと、何かアヴァンチュールをしなかった可能性は少ないのです。
 でも、エネルギーレベルがとても高くて、肉体的にも壮健な人間たちのありのままの姿だといったらそうも言えるのです。

 しかも、だからこそ、集団的創作の結果である映画の監督ができるのだと思います。我が家など、夫・妻とともに、そういう世界で、活躍できるとは思いません。朝から晩まで不定期な重労働が重なった上で、夜は飲んだり食ったりを仲間とやるわけでしょう。すさまじい、生活です。でも、その猥雑さを、全部入れ込めているのが、彼の当時の立場の反映だと感じますね。動と静と、社会と個人のエピソードが、入れ替わり立ち代り現れますが、私は、その大体を、面白いというか、感銘を受けながら見続けました。
 
 特に父と息子の関係など、生涯ではじめて、ローマのキャバレーの夜に心が通うエピソードなど、『こうだろうな。彼ならね』と思わせる部分がありますし。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『知的階級の実存的不安。と、子連れ無理心中』

 後半に、知的階級として成功をしていて、自宅をサロンとして開放しているスタイナー氏という人物が出てきます。名前の音感やオルガンが弾けることなどから、ドイツ系の人物像を思い浮かべます。で、この映画の中ではきわめて異色の登場人物です。外では飲み食いをあまりしない、上品な人物です。
 自宅のサロンでは、お客が出す音によって目覚めてしまった、天使のごとき愛らしい子供たちも寝室からやってきて、お客に紹介されます。

 そのかわいいお子さんを道連れにして、この人物はやがて無理心中をしてしまいます。女性の方(妻)ではなく、夫の方が、子連れで、無理心中をするのです。
 この事件が当時のローマで実際にあった事件を反映しているのか、それとも、フェリーニの創作であるかどうかがわからないのですが、ありとあらゆる意味で満たされた人物が、実存的な不安に駆られて、愛するもの、特に後に残す幼いこどもたちを心配して道連れにするのは、世間一般の人にとっては、衝撃的なことですが、フェリーニにとっても衝撃だったと思われます。

 フェリーニは、こういう知的上層部と、ずっと前には、付き合っていませんでした。最初は雑誌記者として、始める社会との縁ですから、取材という形でありとあらゆる階層の人々と付き合うことが可能なのです。特に自分が持っている男性的(セクシュアル)な魅力を武器にすれば、ありとあらゆるところに入り込める。
 が、知的上層部は雑誌に自分が出ることなど、望んでいませんので、記者としては出会えない人種です。そういう普段は出遭えなかった人種と、対等の間柄として、その上等なサロンに招かれることは、彼が映画『道』によって世界的な大成功を収めたことと関係があるでしょう。それで、この手の知的上流階級との交流に、門戸が開かれたことをも示しています。

 その家庭にまで入っていってみたところ、お子さんが居た。フェリーニは奥さんが女優のジュリエッタ・マシーナであり、戦友ですから、お子さんを意図的に、創らなかったと考えられます。そして奥さんは35歳を超えました。これは1950年代の医療では出産には危険な年齢といえます。そして、フェリーニ自身も、『しごとに身軽に専念できるためには、小さな子供にかまっている暇などない。そんな小市民的な考えは持っていない』と、自己に思い定めていたと感じます。ところが目の前に、天使を見たら衝撃を感じるはずです。
@@@@@
 実際には本能というか、潜在意識のレベルではうらやましかったと思われます。で、事件がなかったとして、その***父がかわいいお子さんを殺してしまった***というエピソードが、フェリーニのある種の、うらやましさほかの潜在意識の、葬り去りへの解決策、または、開放策だとしたら、・・・・・それこそ、創作の醍醐味ですが、それはそれでもいいと思います。
 というのも最上級の創作のしごとと子供というのは、並立しないのです。子供を持ったら、ある程度以上に平凡に生きないとダメです。

 ただし、これが、創作ではなくて、実際に起きた事件を反映したものだとしたら、フェリーには神の存在を感じたことでしょう。何もかもそろっている人間に落ちてきた衝撃の結末・・・・・自分には子供が居ない。だが、自分は、無理心中事件を起こすほどの、追い詰められた不幸は無い・・・・・というポイントで、幸せと神の采配を感じ取ったといえないでもないです。
 この信仰の問題は新たに、一章を付け加えて考えます。 

 ところで、この事件が実際に起きたものだとしたら、不安の処理をどうするかという課題が、新たに、生まれます。フェリーニにとっても、又、世界中の知的でより深く物事を考える人の間で、必要なこととなります。で、フェリーには、子供云々ではなくて、不安を動処理するかの問題に関して、あのエピソードを提示したのだとなります。無論のこと観客の方は、「結論はあなた自身で出しなさい」といわれているわけですがね。

 その不安の問題こそ、私が昨日、深夜に、文章を書き始めた大きな動機です。

 そして、それは、『フェイスブックを、敵から切られた』ということと連動して考え及んだことなのです。902人という大勢の知己がすでに、その世界で、居ました。それは、単にこちらが、有名人だから相手から申し込まれたわけではないのです。俳優などの有名人は次から次へと申し込まれるので、数千人の友達が居る人が居ます。が、私の場合は、丁寧に、丁寧に、どこか、気心が通じた相手を開拓して言った、友達で、その数なのです。すさまじい重労働の結果でもありました。

 それを一気に失ったわけです。しかも、その世界に私が居ないわけですから、鬼のいぬまの洗濯として、復讐やら、いろいろな悪口の伝播に使われる可能性はあります。大損失です。
 
 でも、パニックには陥っていないのです。割と丁寧に落ち着いて毎日の生活を普通に、やっています。

 ところで、上にケーキの写真をひとつ載せています。これは、本日、五時から六時までにつくったものです。どうしてかというと、このブログおよび、フェイスブックの両方の世界で、私と接触して下さって居る方が、もしいらしたら、私がそこで、イチゴのショートケーキ(ホールといって丸いもの)をアップしたことがあるのを覚えておられるかもしれないからです。
 それは、ずいぶん好評でした。それと同じ形式で、しかし、イチゴではなくて金柑の砂糖煮を使って作ったものです。

 今回のは、土台としてカステラを使いましたから、細長い形になっています。金柑が五つのっています。普通のお店で買うのに比較すると、これを、二つに切ると、ひとつが、400円程度で売っているものと、同じ量となるでしょう。白いところ(=生クリーム)には、お砂糖を入れてありません。その理由は金柑と土台のカステラが甘いからです。そして、無駄になる部分を避けるために、しぼり袋には入れてありません。ナイフで、ぺたぺたと塗りつけております。簡単に作るのがホームメイドをしょっちゅうやるコツだと感じています。
 今、午後7時ですが、食後のデザートとして、五分の一を食べました。おいしかったです。  
 しかし、どうして、それほど落ち着いているかについては、ここでは述べないで置かせてくださいませ。それこそ、昨日アップした文章を推敲して、そこに書きたいことです。

 で、自分は、最近ではパニックに陥らず、その手の実存的な不安に駆られることが少ないのですが、それでも、一般的には不安が存在していることを知っています。特にものを深く考えすぎると、この世は矛盾に満ちているわけですし、深い悩みに陥りがちですし。
 そういう傾向に対して、私自身は、ただ、「自殺がいけないのだから、ひたすらに努力をする」としかいえませんが、年を取ると鈍感になるとは言えます。経験が深くなるので、いちいちについて、以前ほど、深くは、揺り動かされないのです。特に版画をやったことが良かったです。

  私がやっている一般多色摺りというのは重い金属芯の太いローラーを一日に、600回ぐらい回転しないといけません。それから掃除に関して、同じく、ガラス板を使うのですが、それや、そのローラーを拭うのが、拭っても拭っても、インクの色が、残るので、結構な労働量です。それをやりつつ、毎日、版画ばかり10時間やり、それを、ほぼ80日続けることを、1998年、1999年、2000年と、三年、海外で、やり続けたので、それが不思議な、生活改善に役立ち、あまり悩まないようになりました。それは、幸運です。専業主婦の立場で、そういう自由を得られたのは、本当に幸運なことでした。
  苦しみもいっぱいありますが、ラッキーなこともあります。
  で、私個人に関しては、そういうわけで、やっと悩みのトンネルを抜けたといえますが、ほかの人については、ただただ、「訓練と、選択の積み重ねで、強くなっていってくださいね」と言しかないです。その影に、『自殺は悪いとは思わない』という考えが潜んでいると、引き止められませんね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『フェリーニ監督の手の内、心の内を推察する』

 この映画は、難解だとされています。また、プラスの評価を与える人とマイナスの評価を与える人が、真っ二つに分かれるそうです。

 が、私は、このように考えます。かれが、「道」で世界最高の成功を収めたときに、まだ、34歳です。その後で、突然に名誉や、お金がどっと手に入り、階級的にも自分の今までの世界よりずっと上の人と付き合い始めます。

 それに対して、心理的な安定を求める、整理のための映画だと感じます。父とのエピソードも、自分の少年期を説明する意図があったでしょう。日本と同じようなワーカホーリックだから、家に帰られなかったのか、それとも、外に愛人が居たから帰らなかったのかは、わかりませんが、自信ができたからこそ、明かす、『自分が雑草育ちだ』と言うこと。でも、それでも、父はいい人で、親子の間に愛情が交わされていること。

  しかし、最後に、マルチェロは、海の傍で、であった少女の言葉が、ミミに聞こえません。それは、彼にとって、素朴な民との間に、懸隔が、できたということの象徴だと思います。『道』を作ったときに彼の心にあったのは、素朴なもの、根源的なものへの尊敬だったと思います。
 それは、高卒で入った、雑誌記者の生活から、得た澱(おり)というか、ごみ的なものの払拭と、洗浄を目指した映画だったと思います。しかし、その大成功によって、再び、今度は、上流社会と接触することになった彼・・・・・

 しかも今度は取材する側ではなくて、取材される側として、ある自分。そういうものを、受け止めていいのか、受け止めない方がいいのか、悩みながら、しかし実際は、すでに有名になった自分の生活を後戻りさせることもできないのです。そういう自分の生活の中で、心の折り合いをつけるための、映画だったと考えるのですが・・・・・
  皆様の御意見はいかがでしょう。
    2012年3月13日  午後、8時半 雨宮舜(川崎 千恵子)
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不安を感じること、と、その処理と、(甘い生活を見て)+深い政治の話、前編

2012-03-13 00:54:30 | Weblog
  これは、初稿を13日の午前五時に完成をさせていて、その後で、今は、午後三時ですから、ほぼ10時間アップしています。本当は相当に邂逅しないとダメです。が、本日は
  ほかの文章を書いています。それは、政治に関係が無い、この映画甘い生活に関する部分なので、全部完成してアップロードするつもりです。逃げているわけではなくて、頭を少しずつ整理して行くためには、それが必要です。で、以下に書いていることは、一部であるし、アウトラインだけであると思いながら、お読みいただきたいと存じます。その後で、後日・・・・・といっても、間を空けるかもしれませんが、相当に膨らまして、際アップをするでしょう。分割する可能性もあります。ともかく、今現在頭に下りているセンテンスをパソコンにおろすということを常に目標としていますので、お待ちくださいませ。

副題1、『なぜ、映画を見る時間(=余裕)があったのか』
副題2、『すっぱい葡萄の話』
副題3、『近隣トラブルが起きたときに、引っ越すべきか、否か』
副題4、『共依存と、共倒れを避けないとダメだと感じるが』
副題5、『仲間なのに、疑心暗鬼の応酬となる悲劇』
副題6、『歓喜をもたらす、彼女の訪問。彼女をいとしく思う』
 以下は後編に置く。
副題7、『オセロ中島の件は、なぜあれほど、長期間、大騒ぎをされたのか?』
~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『なぜ、映画を見る時間(=余裕)があったのか』

  私はカンヌ映画祭で、グランプリをとった(だから名画であろう)『甘い生活』を見ることを、わざと避けてきました。
  ここから後には、初稿として、400字程度書いていたのですが、それは、『フェデリコフェリーニの手の内』、2012年3月12日午後アップの(現状では予定中)へまわします。

  で、例のごとく、フェイスブックの処理をやりながら、ながら視聴をしようと思っていたのです。ところが驚いたことに、突然に、日曜日の午前中に、フェイスブックができなくなりました。これはね。広義の意味では言論弾圧です。しかし、今その裏側の詳細を書くつもりがないのです。
  なぜかというとぜんぜん怒っていないから。
  いや、不自由にさせられた・・・・・イコール、当然の権利を奪われたという点では、当然怒るべきですよ。だけど、あんまり激しくは怒っていないのです。
  これに比べたら、大相撲が、野球賭博だとか、八百長疑惑だといわれて、いじめられきっていたことの方が怒りが強い。または、松本龍大臣が宮城県庁の応接室で、低い位置に置かれた(だから隠しカメラであろう)カメラで撮影された映像を利用して追い落とされた、あのころの方が徹底的に怒っていました。そのころの方が夢中になって、すぐ、問題を文章に落としていました。
  だが、今、フェイスブックの中止を知ってから、48時間になろうとしていますが、まだ、怒っていません。パニックにも陥っていないし、怒っても居ない。
  ともかく、莫大な時間が空いたので、たまっていたことを丁寧に、今やっているところです。
  そのうちのひとつが、自分向きではないであろう映画『甘い生活』を見ることだったのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『すっぱい葡萄の話』

  イソップ物語の中に、すっぱい葡萄の話というのがあります。狐が葡萄を取ろうとしたが、枝が高すぎてどうしても取れなかった。すると、狐が、『あれは、すっぱい葡萄だから要らない』といったという話です。
  私がフェイスブックの中止を悲しんでいないと言えば、皆さん、『それって、すっぱい葡萄でしょう』っておっしゃるでしょう。

  だがね。非常に深い宗教観とか、哲学観に照らし合わせて見ると、これも、潮時だったのかもしれないとは思うのです。2011年の五月に、自分のブログに付いていたシェアのしるしを『これなんだろう』と思うことから偶然に入ったのですが、最初期からいじめられきっていました。

  それは、真実を語るからです。フェイスブックでは相当に遠慮をしていましたが、原発事故とそれに関連する政治問題では、6月にはすでに隠さず物を言ってきましたので、いじめとか迫害はひどかったのです。
  ええと、このブログを連続してごらんいただいている方は、その一部分は御存知だと思います。今は、その世界を、出てしまったので、かえって、自由に書けるでしょう。もし、グーブログにも閉鎖などということが起きたら、日本には言論の自由は一切ないのだと、皆さんも御了承くださいませ。それが、証明になります。私が身を挺して証拠を挙げているということになります。

  しかしね。ただ、それでも、100%は書いていません。ここでも、そのフェイスブック内部での、迫害のいったん、20%ぐらいしか書いていないのです。毎日毎日、神経を痛めつけるようなことが連続して行われてきました。が、それは、AOLのメルマガでもグーブログでも、散々、やられてきて経験済みのことですから、ひたすら耐えて、その妨害を跳ね除けてクリアーして、ひたすら前向きに、大切なことを書き続けてきたつもりです。
  ただ、そのために莫大なエネルギーを使ってきました。体力がなくなってきているので、ちょうど潮時として、いまそれを、自分からではなくて他者から、切られるという形で止めさせられたわけですが、それもまた、天の采配かと考えているわけです。
  人間は使命があって、それを達成するために、才能を開花させたいですが、一方で幸せにならないともダメです。あまりに過重な労働をすることは幸せではないのです。そういう意味では、この五年間、私はある程度以上に不幸な人だったかもしれません。いったん起きたら20時間起き続けるのは当たり前で、睡眠は、4時間か、五時間程度です。それで、ずっと突っ走ってきました。寿命を縮めているなとはわかっていましたが、それ以外の生活ができなかったのです。それが終わりました。それはひとつの救いかもしれない。
~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『近隣トラブルが起きたときに、引っ越すべきか、否か』

  私には、もうひとつ、あきらめるのにやぶさかではない、理由があります。それは、『義を見てせざるは勇なき成り』ということわざで表されたり、宮沢賢治の『雨にも負けず』の詩で表されたような境地です。

  つまり、人間として付き合う相手として、自分より上の人で自分を引き上げてくれる人と付き合うのか。それとも、自分より弱い人で、自分が支えてあげたり、引き上げてあげたりする相手と付き合うのかと、いう二種類があると思うのです。
  私はね。外見は、まことに弱そうです。生活臭がないとか、白兎みたいだとか、羊みたいといわれています。でも、ここで、書いている文章をごらんいただければ、皆様もすぐお分かりだと思いますが、実は柔良く、剛を制するの類で、非常に内面は、強いのです。ある心理カウンセラーと、ジョナサンというレストランで隣り合わせて、企業労務の相談に乗ってあげているのを見て、相談を掛けました。
  そのときに彼がアドヴァイスしてくれたことのうち、ひとつは間違っていると思いますが、ひとつはあっています。

  間違っている方は、御近所トラブルがあった場合には、引越しなさい」と言うものです。一般的に言えばそれもありでしょうが、私や、最近付き合い始めた、A子婦人や彼女の友人のM夫人のケースでは、近隣トラブルはまったく、自然なものではなくて、仕組まれていることがわかってきました。一種の政治的弾圧として、私の場合は行われているのですが、彼女の場合は、目的が、違うようです。つまり、その財産の収奪を目的としているのだそうです。
  ともかく、人をノイローゼにさせて、精神病院へ収監して、残った土地家屋を奪って行くというシステムがあるそうです。

  彼女はそれを、インターネットを調べることで、わかったそうです。そういうブログが今はいっぱいあるそうです。が、私はほとんど、そういうものを読みません。ありとあらゆる意味で他者とは結びついていません。これは弱さにもつながるのですが、強みでもあります。
  私は、物を考えることが大変に好きであり、物を考えると、文章を書かざるを得ないのです。文章を書いてそれを記録しないと堂々巡りになってしまって前へすすめません。人間の脳とは、それほど、大容量の、物を保管して置けないのです。だから、書くという形で、安心な保存をしてこそ、次の段階へ進めます。
  しかも、私にとっては、書くことそのものも楽しくて仕方がなくて、文案が泉のように常に沸き起こり、あふれてきます。すでに、13年目に入っています。これだけの分量を書き続けることは、努力だけではできません。
  これが、私にとってはまるで、呼吸をするがごとき自然なことだから、できているのです。

  元に戻ります。このブログの読者で、近隣トラブルを抱えていて、引越しを考えている方にお勧めします。引っ越してもダメです。そうではなくて、退職金などで、2000万円ぐらい余分な収入があって、今住んでいるところよりランクアップできるとか、それから、今住んでいるところを、処分してその現金収入で老人ホームへ入るのだというようなケースですと、「どうぞ御自由に」といえますが、それ以外のケースですと「おやめなさい」といわざるを得ないです。
  行った先でも似たようなことが起こります。救いはありません。ならどうするかというと、今住んでいるところで戦うしかないのです。その戦いですが、お上手になさいませ。下手をしてはだめですよ。とも言いたいです。非常に頭がよい形で戦わないとダメですよ。彼らは集団の力を利用してきますので、瞬時に反応するような戦いがいいのか、長期戦に構えた戦いがいいのか、判断は、それぞれにお任せしますが、とても、複雑です。ただし、引越しで解決する問題ではないです。
~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『共依存と、共倒れを避けないとダメだと感じるが』

  さて、そのときのカウンセラーが言ったことで、それはあたりですと思ったのは、あなたは、実はあなたのお母さんを育ているというか、支えてきたのですよ」と言う発言です。多分当たっています。母はゴッドマザーで、働き者で、ご近所様、親戚、ありとあらゆるところから「聡明な人だ」とほめまくられて、老人ホームでモスタッフさんからも、入居者からも尊敬の的でしたが、
最終段階では、心理学的な問題では私を頼っていました。大賢は、大愚に似たりとよく言われていて、私は身近な人間にはまったく尊敬をされていません。がそれほど相手を自由にさせてあげていると言う点で、大きい人間なのです(笑)と、自分でそういっては元も子もありませんが・・・・・

  ともかく、私は人を愛した利支えたりできる人なのです。さて、最近の私はべったりというほど、A子夫人に入れあげているのですが、A子夫人の特徴を少し書きましょう。A子さんは、優秀な高校を、優秀な成績で出て、一流商社にお勤めだった人です。そして、結婚退職をして主婦業をしているうちに、宅地建物取引業の資格を取って、それ以来、次から次へとより上位の資格をとって、収入は抜群に高かったそうです。人間関係にも恵まれていて、あまり努力をしなくても次から次へと紹介で、クライアントにも所属事務所にも恵まれていて、一日に、4時間から6時間働いて、自宅へ帰り、子供の面倒も見ることができて理想的な生活を送っていました。

  ところが、2年ほど前からパソコンに大きな変調を感じて、クライアントのデータが壊されたりするようになって、不安でたまらなくて、仕事を辞めざるを得なくなったそうです。私は似たような、苦しみを5年以上前から味わいましたが、必死で戦ってきました。自分の本を創ることは休まなかったのです。が、他人の本を作ることは、辞退していますから、彼女の心境は良くわかります。ただし、その時点で戦いが、少なかったのですね。戦う手法とか、手段に思い付きが足りなかったのです。

  彼女自身、『そのころ、雨宮舜さんと知り合って居たらよかった」といってくれましたけれど、後の祭りです。彼女がそのときに、戦えなかったのは、育ちが良くて、それ以前に、苦労をしたことがなかったからです。彼女は決して馬鹿でも、非常識でもない人で、私のブログを知ってから、実際の接触まで、8ヶ月か、それ以上もしかすると、一年以上は待ってくれたのです。
  それが、2012年の一月の末のことでした。
  すごく楽しかったです。新宿であって、レストランで、食事、そこから下北沢に移動して、喫茶店で、お茶。全部で、7時間一緒でした。
  しかし、そのときに、私は念を押しました。『私たちはいつどんなところでも、狙われているのだから、歩いているときはいいのだけれど、レストランで着席をしたら、絶対に、こういう件については話さないでね』と。彼女もすぐ了承をしてくれました。
  で、基本のところで、同じ境遇なのですから具体的なことを話さなくても楽しいから、それほど、長時間がもったのです。

  しかし、その楽しい会話が始まった、たった、3時間程度のうちに彼女の長所と短所もすぐわかりました。長所は、明るくて素直なところです。弾むような会話ができます。
  しかし、それが問題でした。それは、すなわち短所につながります。つまり、普通なら別に困らないポイントですが、私たちのような場合には、ありとあらゆるところで盗聴をされています。彼女の家も当然そうなっています。となると、こういう風にぺらぺらとおしゃべりをする人だと、いろいろな意味で、こちらが墓穴を掘ることにならないかしらと心配しました。・・・・・・

後で、詳細を書くつもりに今なりましたが、大局観から言えば、その彼女の立て板に水のようなおしゃべりが、私のフェイスブック中断にもつながったわけですが・・・・・ここでは時制をもっと前に戻します。

  私は初日から、ひどく、そのことは心配しましたが、でも、人は石垣人はしろというでしょう。立った、一人でも、具体的に同じ境遇にある人と知り合ったことには感謝しました。だが、その初日には、彼女がスパイかもしれないと言う疑いは消えなかったので、用心に用心を重ねた会話を交わしました。
  私の周りにはスパイがいっぱいです。別に、『後で会話を上奏してください』と頼まれてデートを命令されるわけでもないでしょうが、二人が居る場所に高性能の盗聴器が掛けられたら、それが、スパイの役目をします。
  この件についてはすでに、種々の実例があるので、後日暇なときに、それを面白おかしく書きますが、A子さんも、そういう一人かもしれないと。思ったのです。
  しかし、もし、A子さんがスパイではなかった場合にも心配の種は付きませんでした。それは、女性の場合には特にありがちな、依存ということです。私は長女で、彼女は末っ子です。となると、保護する側と保護される側と言う幼い日の役割の復活で、こちらが甘えられて、引き受ける側になります。しかし、私は毎日、毎日、フェイスブックの中で神経を消耗し尽くす戦いをやって居ます。余裕がないのです。で、いわゆる共倒れになる可能性は感じました。
~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『仲間なのに、疑心暗鬼の応酬となる悲劇』

  そこまで、用心深かった私ですが、一晩寝ているうちに、その部分を、注意してあげたいし、私とデートしたことで、何らかのユリ戻しが來たのではないかと感じて、それを防ぐために、デートをすることにしました。盗聴がすぐ、攻撃案を相手に与えますので、電話やメールで深いところまでは絶対に話せないのです。が、メールを三時に発信するのですから、時間的な余裕を持たせるために、夜の8時に「例の下北沢の喫茶店で待っている」と書きました。
しかし、このときも時間内には届かなかった模様です。
  しかし、下北沢に住んでいるのではない彼女を、夜の八時に呼び出すのは失礼ですから、自分が先に訪ねようと思いました。で、家族のための夕食に役立つように高めのお弁当を買って出かけました。それを置いて出れば、彼女は外にすばやく外出できるからです。
  彼女は不在でした。後でわかるのですが、月曜日の夕方は趣味の会が遠くであるので、お出かけをするのです。しかし、お互い様に疑心暗鬼いっぱいだから、私は、そのマンションの南側を通ったときに、そのお部屋には南側には電気がついていて、カーテンがゆれたので、彼女が私を避けたと感じ、彼女の方は、お弁当に、実名が書いていなかったので、毒が入っているかと思い捨てたのだそうです。

  ここらあたりを、皆さんは笑ってやってください。だが、それほど、私たちは痛めつけられていて、同胞さえ信じられなくなっているのです。ひどい人権弾圧ですが、私たちは、そういういじめのターゲットになっています。で、私はすぐその夜に、彼女がスパイであったと書きました。
  カーテンがゆれたのを、彼女自身が隠れていたと、感じたからです。実は後でわかってくるのですが、そのときに室内には、ご家族が居て、ご家族がベルが鳴っても(いやならなかった可能性はあるが、ドアをどんどんたたいた)が外へ出なかった、そうです。彼女の方も痛めつけられきっているので、他人への不信感が強いのです。本当に悲劇です。
  私はこの夜の小田急沿線で野、あっちこっちを歩き回り、目的が達成できなかったことで重いインフルエンザにかかり、大いなる苦しみを味わいます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、ここからさらに、二転三転します。そして、私は彼女を心から救いたいと思うようになるのですが、
本日13日は、すでに、朝の5時になっています。出、これから左記を書く体力も気力もありません。実は、私はへまをしたのです。ふたりの本心を書いた数十枚のメモを、たった、彼女が帰った直後の、たった、3分か、30分かわからない間に盗まれたのです。アルミサッシの鍵さえ喪明けるのか、それとも彼女が鍵を掛け忘れたのかはわからないものの、そこに書いてあることで、私がどれほど、真実を知っているかが敵様にわかってしまったので、これは、一種の弾圧でもあるが、アメリカ側の、恐れとして、フェイスブックが中断をされたのでした。中断の理由がパスポートを提示せよというもので、その命令は日本語だけど、ありとあらゆる意味でアメリカ発であることがわかりました。

つまり、アメリカの大富豪が、どういう風に日本人を奴隷化しようとしているかがはっきりと私たちにはわかっていて、それをこれから、フェイスブックの世界で書くであろうとみなされたからこそ、フェイスブックがりようできなくなったのです。そんなことは今までだって、十分に匂わせていましたけれどね。だけど、信じなかったのですね。私と彼女そう方がそれほど頭がいいということを。

ここで、宗教観や哲学間が入ってくるのですが、本日はつかれきっていて、特にそういう部分が書けません。それで、以下にあらすじをかねて副題を置いておきます。後で、この文も直しますし、そちらもお読みいただければ大体、本筋はわかっていただけるでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~
副題7、『オセロ中島の件は、なぜあれほど、長期間、大騒ぎをされたのか?』  つまり、私と付き合うと支配されるといいたいのだ。あ、は、は。

副題8、『一週間に三回、合計20時間も語り合う』
  私は彼女に徹底的に勧める。『ためを創れ』とか、『我慢をせよ』という点を。それを具体的な形でいえば、『音声で、自分の被害を言うな』ということ。

副題9、『彼女はインターネット検索で知った深い事実を教えてくれる。が、それをどういう風に料理するのか?が、大難問である。私のブログ内で、入れ込めるか入れ込めないか?』

副題9、『その間、の一週間ないで、鎌倉の防犯協会、は、意識しきっていて、市役所の名前だが、警察の放送を合計四回も流す』

副題10、『すべては、防衛のために、白いコピー用紙、数十枚を一回のデートで埋めるがごとき、手書きの文字を交換する。が、それを盗まれた。南側の山から泥棒は、私たち二人を、伺っていたと思われる』

副題11、『フェイスブックが中断され、鎌倉では、防犯協会が、すべての銀行の前に詰めていた、13日の午前中、だが、私が帰って、二度目として訪問をするともう居ない(笑)』

副題12、『F.フェリーに監督の甘い生活における、不安の分析と、表現上の工夫のあり方』
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歌に生き、恋に生き・・・・・・これは、神様をなじる歌です。

2012-03-12 00:11:55 | Weblog


  今ね。書きたいことというか、書くべきことの十分の一も書ききれていません。が、汚いことを書き続けるのも非常に疲れます。ので、少し息を抜いた話を、ここに。

『歌にいき、愛にいき』・・・・・神をなじる歌として、

  歌とともにある人生という形で、今、長文を書き続けているのですが、次に来る劇的な歌はカルメンのハバネラです。これをね、私は友達のあだ討ちのために使ったのです。驚くべき発想ですが、その前に、オペラのアリアを練習した時代もあると、申し上げさせてくださいませ。ありとあらゆる種類の歌を、自習していくのですが、結局、自分の教養(笑)とか、好みにフィットするのはオペラのアリアか、イタリア古謡かカンツォーネの類だと、気がつくのです。
  ドイツ系のお歌じゃあないし、英語圏のお歌でもない。テノールとか、ソプラノの歌手のアンソロジーを聞いて、そこに出てくるようなお歌が一番好きだなあと感じるよううになって、ほぼのめりこんで行きます。
  そして、うたうことの目的を、自分の心を支え、整えるというところにおきます。だから、発表会とか舞台が目的ではないので、元歌を自由自在に改変しちゃいます。
  そして、あるひとつの歌を、好きになると、ほぼ三年ぐらい、その歌を歌い続けます。
  もちろんのこと、歌詞は覚えません。自分は音楽の専門家ではないので、完璧なものを目指す必要はないと、考えているので、メロディとお歌そのものの持つ雰囲気を覚えます。
  で、40歳前後に毎日歌っていた歌が、歌劇トスかから、『歌に生き、恋に生き』(または、『歌に生き、愛に生き』と訳されている)です。これを恋愛の歌としてではなくて、神様をなじる歌として、把握して、自分の中に取り込んで行きました。

  私が、『たぶんあのときに、一生で、一番よい声が出ていたでしょうね』と思うのは、夜の八時ごろの、満員の京浜急行の中で、堀の内駅から、北久里浜までの3分ぐらいの間に、2,3回小声で繰り返した、この歌だったと思います。
  周りには、立錐の余地もないという形で、サラリーマンがたっていたのですが、だれも振り返ったり、とがめたり、怒ったりしないで、そのままにしておいてくれました。
  どうして、そんなことが可能だったかというと、誰にも神様をなじりたい瞬間はあるのですね。だから、電車の中で、近所に立っている人は、それに共感をしてくれたのでしょう。
  しかし、あれから、25年たった今の私が、あの頃と同じように、それを好きかというと、決して歌わないという形になっています。
  なぜかというと、今の私は神様をなじる心境にはないからです。
  今の私が感じていることは、「あーた、ずいぶん、うまくやって来たじゃあない。幸せでしょう」と自問自答して、「うん、そうよね。しいて望めばね、澤地久枝になるか、山崎豊子になるという階段が残っているけれど、今までのキャリアーが違うから、無理だ。とはっきり思っているもの。そうなると、遣り残したことがない、と思えるからね。幸せです』となります。でね、上に上げた激しいアリアを、歌うことはトンとなくなりました。

ところで、猫写真ですが、相変わらず、新聞を読むのを邪魔しています。その新聞ですが、下のほうに、今世界中で大ヒットをしている由紀さおりの新聞広告が出ていますね。実は眠っていないのですが、なぜか、写真を撮ろうとすると目をつぶってしまったのです。でも、まるで眠っているみたいですね。ですから眠っているとごらんいただいても結構です。

なお、私に個人的な連絡をおとりになりたい方は、ファックスでは、0467-23-5053にいただきたいです。(ただし、私はそこには一切ませんので、会話を求めて御連絡をいただくのは御遠慮申し上げます。が、それが、通じないというか、ご返事を差し上げない場合は、電話を自宅0467-24-9018にください。それから、緊急でない場合は、
 AtelierCK@aol.com にメールをくださいませ。
   2012年3月12日   雨宮 舜(川崎 千恵子)
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自分を編集する

2012-03-11 15:12:43 | Weblog
 以下は、以前に用意しておいたものです。本日は、3.11の一年後(または、一周忌)に当たります。それについて、何も、申し上げませんが、それは、お許しくださいませ。というのも、このブログ一回分、一万五千字前後費やしても今の自分の思いを正しくは、語ることができないからです。

自分を編集するということ。

  風邪にやられる人があっちこっちで、出ているようです。私も風邪にやられた方ですが、それも一因で二月に書いたものを整理することができていませんでした。書き散らすというぐらい大量に書いたので、必死になって反芻しています。昔までさかのぼって、コピペして、自分のパソコンへ移しておきます。大型スパコンに、保存をしていただく(笑)というのも安全かもしれませんが、安全ではないかもしれませんので。ともかく、ある程度の労働の結果ですから、取っておくのが好きです。
  そのついでにといっては変なのですが、FBの使い方についても、いろいろ、学習しなおしました。ただ、前ほど、追い回されるという感じでもなくて、それは、10ヶ月たったという年の功のひとつだと感じています。最初のうちは振り回されきっていました。(笑)
  こういう風に後戻りをして、整理するということは前は嫌いでした。先へ先へと進みたい方でした。パソコンの中での整理ということは、掃除と同じで、やってもやっても、またやらないといけないことですし。いわゆるシジフォスの神話とか、賽の河原と、言う部分だと思われたし。

  が、整理をしたり、振り返ったりすることって、換言すれば、『自分を編集することだ』と気がついたのです。それ以来、こういう後戻りの作業が、結構、楽しくなりました。
3月6日 3:50に初稿を書いたものを、11日に推敲後アップ。
                雨宮舜 (川崎 千恵子)
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これから先に、大原発事故が起きたときにどこの局を頼るべきか:::::

2012-03-10 16:17:31 | Weblog
  :::::これから先に、大原発事故が起きたときにどこの局を頼るべきか:::::

  3.11直後の報道姿勢と言うか、報道内容としては、日本テレビが一番良かったです。それは、系列局として福島テレビを抱えているからです。30キロという遠方からですが、・・・〔それは、実は、東京横浜間というほど離れてはいるが)・・・定点カメラを、設置してあり、それを、ずっと、流していましたので。三号機の爆発が水素爆発というものではないことは、映像を見ていて、すぐに、わかりました。
  きのこ雲ではなかった・・・・・それは、ウランの濃縮度が、原爆や水爆ほど、高くは無いからですが・・・・・が、ただ事ではない爆発で、その高くあがる煙の中に、いわゆる、死の灰(セシウム、ストロンチウムほかの核分裂後の生成する物質)が、多量に入っていることを、私に、知らしめました。
 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 
 あの直後、セシウム降下量という形で、福島の事故の危険度が、国民に開示されたわけですが、それもまた、言葉の言い回しによる、隠ぺい工作だと感じました。
  国民の大多数は、セシウムといわれても、それが、どういう物質であるかがはっきりとは理解できず、それだけで、『ああ、これは、専門家しか、わからないことだから、専門家のご意見を拝聴しておこう』という姿勢になったと感じています。

  東大教授であるといわれるめがねをかけた、NHKの解説者は、常に、軽めに表現をしていました。三号機も水素爆発だと明言をしていました。この言葉も、とても、専門的に聞こえ、
国民の大多数が、『これは、歯がたたないから、偉い人の言うことを聞くだけにしておきましょう』というムードに入ったと感じます。
  えらそうに言って申し訳ございませんが、私なんかは、化学科卒だから、『え、セシウムなんて、一価だから、出ている物質=死の灰===の中では、とても軽い方ですね。こういう表現を使うのも、隠蔽工作の一種ですね。ひどいなあ。ストロンチウムなどという、国民周知の言葉を使うと、これが、大事故であることが、わかるから、こういう風に言い換えている。昔から周知の、死の灰を、使いなさいと、怒っては居たものの、それが、NHK等に反映するわけはありません。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
  で、私はそのときから、超が付く戦闘モードに入って福島の人に対しては、「逃げなさい、逃げなさい」と、自分のブログ『銀座のうぐいすから』で書いたのですが、私の文章の方がデマ扱いをされていました。
  あの当時、『デマに惑わされないように』と大宣伝をされていたことを覚えておられますか?
  NHKは、一切、爆発の映像を出さず、それだけで、隠蔽が深いことが、3,12ぐらいで、すでにわかりました。一号機も3号機も同じく、映像は長らく静止画だけです。これでは、誰だって、判断を迷い、言うなりになってしまいます。4月までは、「あなたの文章を福島の人に送っても、誰も信じないのよ」と、ブログの読者の方に、いわれていましたし。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
  そこから、推定もされるのですが、一億二千万人の日本人のうち、昼間、テレビを見ていることの、できる人が、あのころ、3千万人はいたとしても、静止画だけを見ていれば、NHKほかで、したり顔で、大丈夫だと言い続けた識者の弁を信じてしまうでしょう。
  夜しか、テレビを見ない人はなおのこと、NHKを選曲したと思います。あのころ、よるテレビを見る人が、8000万人居たとして、それらの、人が言うなりになってしまっていたら、ありとあらゆることは、核燃料ビジネス側の思うとおりに支配されます。

  で、これから先のことですが、何よりも現場の映像を見ることをお勧めします。チャンネル・サーフィンをして、どこが、現場の映像をライブで出しているかを、確認し、そこに、チャンネルを合わせておくことです。
  ただし、こういう提言をしてしまうと、これから先に、動画をライブでは出すなという傾向が、命令支配として、隠微にも、各局へ向けて、出されるのではないかと、思っています。

  だから、そこまでを、考え合わせると、『こうしたらよい』という提言が、なかなか、素直には出せません。良いものであればあるほど、それを、阻止させないがために、提言できないのでス。それで、いつでも、「いつも、30~40%で抑えます」といいながら文章を書くこととなります。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。
  だけど、日本の中流階級を自認している方には、これは、きちんと、申し上げたい。NHKは、どこかで、激しく変質してしまっていて、国民的放送局とは、とてもいえないものに、すでに、なっているということを。これで、視聴費をいまだに、とるということが、国民を馬鹿に仕切った行為であるということも、あわせて申し上げたいです。上の中流階級というところに、さらに、インテリを自認なさっておられる方と、付け加えておきましょう。

  相撲をいじめる風潮・・・・・これも、核燃料ビジネス側の陰謀であると私は見ていますが・・・・・に、乗っかって、放送を中断するなどということをするのは、NHK側にとっても、自殺行為なのに、それをやっている・・・・・今の首脳部は、どういう人材で構成されているのだろう。ともかく、原発に関する大事故がこれから先に、再び、あったときには、NHKは、まったく信頼ができないということを、お知らせしておきたいと存じます。

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新聞と、猫と、ブロガー人生と。

2012-03-09 00:19:42 | Weblog
『私ね。お母さんより熱心に、新聞読んでいたものだから、眠くなっちゃったわ。だってさあ。エルピーダメモリーがどうなるかさあ。眞子様が皇族になれるのかさあ、難しいことばっかりなんだもの・・・』と、我が家の猫がつぶやいています。

 いつも政治のことを分析しきっている私が、どうして、上のような写真を載せて、これから何を書こうとしているかの解説を(笑)今から始めさせていただきます。
*******
 ところで、私は女性です。雨宮舜だけを表記していたときは、男性だと誤解をされたりしました。が、フェイスブックをはじめたりしたので、実名も併記していますので、女性だと、御理解をいただいているでしょう。

 そんなことを考えているうちに、ふとですが、小さいころ、父に、『お前が男に生まれていたら』と、よく言われていたことを思い出しました。子供のころは物怖じしない発表力や決断力があった模様です。

 しかし、高校のときに大挫折を経験して、その次に大学生生活・・・・・というか、いわゆる青春期が始まりました。これが厄介です。つまり、恋愛ということが始まると、意外と主体性がなくなります。つまり、他人に支配されたり、振り回されたりするわけです。

 こっちも相手を振り回しているのかもしれませんが、相手から選ばれるか選ばれないかという、絶対に他者依存の判定が下るのですね。自分だけでは決定ができないことが始まります。しかし、人間も生き物・・・・・特に哺乳類の一種だとすれば、その『種の保存の本能が始まる』のは避けられない現象でしょう。

 さて、そのときに、『人間って限界があるのだな。意外と弱いものだな』と、感じとるわけです。そうすると、一生どうやって生きて行ったらいいのだろうとなるわけです。
 そのときに、結婚をしないで生きて行くことはできないだろうとも、感じました。それほど、自分は強くないと感じました。
 
 特に新卒後、勤めた職場が、一生勤務できるかどうかが不安定だったのです。勤務先は一流です。東大というわけだから。しかし、教授の秘書として始まったのでは、教授がおやめになった後がわからない。若いうちは一種の職場の花でいいけれど、この場所で、一生稼げるのかどうかがわからなかったのです。それも、結婚へと踏み切った大きな原因でしょう。

 さて、結婚をすると、女性はますます、主体性が無くなります。主体性を堅持したまま、主婦をやるなんて、無理だと思う。
 そして、子供が生まれると、相当に子供に左右されます。

 子育てのうちには、選択できない友達と付き合うという人生が始まります。御近所様とか、幼稚園や、学校でのママ友達というやつです。それで、周りから振り回されきった人生となります。
 
 でも、だからこそ、女性は、自分が主体的に生きられる場所がほしいと願います。それで、趣味の道に入ったり、世代によっては再就職の道が開けたりします。でも、子育て期間は意外と長いです。別に労働が必要だというわけでもないが、大人になればなるほど、親側がじっと待ちながら、そして耐えながら、ただ、祈るだけのような場面が多くなります。

 その『待つ』ということほど、疲れることはありません。でも、ともかく、平行して、何とか、やろうと努力をいたします。
 それも、ひとつの戦いであり、すったもんだが起こります。だが、ここでは、そのすべての詳細は省いて、やっと、子供が独立して家を出たと仮定しましょう。

  で、ずいぶん楽になります。しかし、本当のことを言うと、たった二人になった家庭のメンバーの、夫との間が、ギクシャクしていたらこれまた、大きなストレスがあります。
  だが、私の場合は、50代の最後の三年間に、相当な冒険をしてしまった(海外へ単身で行くこと)ので、今69歳では、相当に欲望というものが収まっていて、
  まあ、ともかく、だんなを大切にしましょうという気持ちはあります。
人生の終盤期です。だからこそ、ここまで一緒にやってきた人は大切にしましょうねという気分はあります。
  そこでは、主体的とか、非主体的と言うような論理とは別に、おじいさんとおばあさんの生活が始まっているわけです。
 おじいさんとか、おばあさんと、自分を言うのは非常に悔しいですけれどね。

  そして、そういう限界のある中で、何かをするという生活にも、悔しさや焦りを感じないで居る自分を発見するわけです。つまりやっと落ち着いて何かをできる時期が来たのです。
  ところが、反対に、今度は、気力とか体力の限界を、感じてしまいます。そうなると、今の私には、
  パソコンを使って書くということが、とても似つかわしい仕事となってきます。報酬はありません。だが、一日に、こういう部分までやって、達成感を感じようと願い、それを、着々とこなしていきます。

  その際ですが、だんな本人もそれを言いますし、世間の人も同じことを言います。「お宅は御主人が偉い」と。だけど、ここで、ぺろっと、そうなる、コツというか、秘密を言いましょうか?
  それは、奥さん次第でもあるということです。は、は、は。
  つまり、徹底的に信頼すると言うこと。それだけかな? 甘えるというのとも違うんです。どこか、いいところを見つけていて、そこは信頼していると言うこと。

  あのね。人生を長くやってきていると、丁寧に人と向き合っている人が意外と少ないのに気が付きます。つまり、夫とか、妻といっても形だけを整えていて、本当の意味では、通じ合っていない人も多いです。
  その点だけは、何とか合格点に達しているかな?
  いやね、ものすごい大喧嘩もしているのですよ。いや毎日口げんかをしているともいえます。もし我が家に盗聴器がかかっていて、その盗聴者が、私を弾圧するために、「お前、嘘言っているじゃあないか」という可能性だってあります。だけど、もしそう言われたら、今の私なら、ふんと内心でせせら笑って、『この人って、深い部分は何もわかっていない幼稚な人間だな』と、思って切り捨てて置くだけでしょう。

  さらに言えば、私たち夫婦は、私の実家側の、父と母ほども、緊密でも仲良しでもないです。だけど、肝心なことは、それを嘆いていない私が居るということです。『まあ、この程度でいいかなあ』とか、『この程度でいいでしょう』と、思っている私がいるのです。
 
  さてね。そういうわけで、二人家族のうちの、人間の方は何とかなりました。問題は猫です。

  この子がこの家に来たときは、子供がまだ家に居て、四人家族でした。四人を相手に遊べるのです。なついて行く相手が四人居るわけです。が、今は二人だけになってしまいました。
  お父さんは、お父さんで、この子を溺愛しています。
  だけど、私は、猫にとっては特別な存在です。
  猫にとっては、私は人間ではなくて、一種の猫(族)です。

  猫というのは長時間寝ます。だけど、起きているときはずっと私を注目しています。
  さて、そのお母さんは、昼間だんなの居ないときは必死でパソコンに向かっています。
  1999年からはじめてメルマガ。2008年からはじめたブログ。2011年からはじめたフェイスブック。この三つの処理をし、一応、きちんと運営して行くためには、相当な労働が必要です。
  その間、彼女は、じっと私を見つめています。

 親ばかだと笑われるでしょうが、相当に頭がいいらしくて、私が危険極まりないもの(実名を挙げて批判を開始している。特に世の中にはほとんど知られていない事実)を書いている間は、こそっとも言いません。だが、それが終わったとたんに、察知して声を掛けてきます。
  そして、ごろごろ、床を転がって『遊ぼう。遊ぼう』と言います。だが、それでも、足りないらしくて、もっと遊びたいと常に願っています。

  それで、私が新聞を読むときには、徹底的に邪魔してきます。『そんなありきたりのことをするのなら、私と遊んで』といいたいのでしょう。読ませないぞといいますが、それを声ではなくて、態度で示します。上の写真はそのひとつです。床に正座して、じゅうたんの上で新聞を広げようとすると起きている限りどこに居ても飛んできます。上は、まるで寝ているみたいですが、これからごろんと姿勢を変えようとしているところです。
  というわけで、一生を簡単に振り返ってみてみました。
  間に、非上に苦しい時期もあったのですよ。人生には波はある。だけど、ないでいる季節もあり、今はないでいる季節のひとつなのでしょう。だって、猫がまとわりついてきますのでね。『お母さんには、甘えてもいいのだ。今は、忙しくないのだ』と見ていますから。
  2012年3月8日書き、9日に推敲を終わる。
          雨宮舜( 本名,川崎 千恵子)
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お母さんも疲れた?。私も疲れた、亀屋万年堂のお大福を一緒に食べよう

2012-03-09 00:09:47 | Weblog


お母さん、もう疲れたんじゃあない。秘書としての、私も疲れちゃったわ。亀屋万年堂のお大福があるから、一緒に食べよう。

亀屋万年堂って、駅ビルよりも自社の支店にこだわって出店しています。で、それがまずかったのか、ちょっと、低落気味です。が、お大福だけは抜群のおいしいです。イチゴ大福などという、新しい感覚を入れないで、基本に忠実です。

高峰秀子の流儀、斉藤明美著

  テレビで、斉藤明美さんを初めてみたときはインテリそうで硬そうな人だなと思って、何が、養女にするほど、高峰秀子の心を捉えたのかが不思議でした。だが、「高峰秀子の流儀」を読んでいくうちに明美さんが見かけによらず、とても、かわいくて、人懐っこい女性であることを知ります。高峰秀子さんを、おかあちゃんと呼んでいるのです。私だって、自分の母のことはおかあちゃんとは呼ばないのに。私の方は、「お姉ちゃん」とか、「ちっちゃん」とか、いまだにチャン付けで呼ばれていますが。斉藤明美さんは、母の高峰さんに負けず劣らず、素敵な、女性です。私は高峰秀子さんの書いているものをほとんど読んでいないのです。というのも彼女がエッセイを書き始めたころは、ノンフィクションを中心に読んでいて、エッセイを読む暇は無かったし、『女優さんのエッセイだから、軽いものでしょう』という偏見もあったし。彼女が連載をしていたといわれる婦人画報にも興味が無かったし。どちらかというと装苑の延長で『ミセス』を読むというほうだったし。ところが、斉藤明美さんの『高峰秀子の流儀』という一冊を読んで大いに反省をしました。秀子さんって、きりりとしたいい女なのですね。しかも子供時代に苦労が影にあった。うーん。すっかり偏見が取れて、目がさめた気がする。樋口一葉、幸田文につづく、いい女にして、文筆家、三人衆みたいに思えてきました。ただ、高峰秀子さんが、立派な結婚生活をまっとうなさったので、非常に甘い人かと、それも誤解をさせる方へ役立っていたのでしょう。
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美術家連盟の社団法人への改定+、法の提出問題+、雅子様。

2012-03-07 19:59:27 | Weblog
  これは、主張が薄ぼんやりとしているとお感じになるでしょう。が、実は、政治の問題を、裏から、論議している一文です。

副題1、『美術家連盟からお電話が来る?』
副題2、『個人情報規正法は誰が提出し、誰が得をしたのか?』
副題3、『女性のお茶のみも、馬鹿にならないのですよ』

~~~~~~~~~~~~~~~
副題1、『美術家連盟からお電話が来る?』

  銀座に美術家連盟というところがあります。そこの応接室は、一種の喫茶店代わりになる場所です。もちろんコーフィー代は払うのですが、置いてある雑誌類(?)が、この上なく豪華です。多分、寄贈によるものですが、壁一面が画集に満ちている。そこから定期的に刊行物が送ってきますが、私はここで、トップを目指すという政治的野心がないので、『ふむ、ふむ、来ていますね』という感じで、あまり熱心には読みません。だけど、こういうものも部外者がなにかが、美術界に関して、文章を書こうとするときには貴重な原データになるとは思います。ですから、ライターを目指す方なら、時々、お互いに情報交換をしたいと思っていますし、これらと、音楽関係の原データと交換したいなと思ったりします。私は美術には・・・・・特に最新の情報には・・・・・詳しいつもりですが、音楽に関しては詳しくないのでね。

  最近A4の封筒が届きました。いつもより薄い。そして、表に、麗々しく、赤で委任状在中と印刷してあります。天邪鬼な私はこういう風に強く求められていると逆らいたくなります。どうしてそうなるかというと、実は会議というものに疑問符を持っていて、委任状とは、それ以前に会議が必ずあるわけで、『ああ、嫌いな会議だ。日本の会議は馬鹿らしいと前から思っていたが、中国のそれも、相当に馬鹿らしいみたいだし、ロシアのそれも、そうなんだ。だけど、フランスのそれや、アメリカの会議が充実しているかというと、それもそうでもないらしい。比較的に充実しているのが、テレビの世界、特にカンブリア宮殿に出てくるような今、当たっている企業の能率優先のそれかなあ?』と、思ってしまうのです。
  それにね。ほかの時間が、超がつくほど、自分なりに充実している私は、『数千人分の一の私の委任状なんて、何の力もないし』とも思ってしまい、ほうっておきます。
  しかし、こういうことをすると、日本映画監督協会の会長が崔洋一氏になると言うことになるので、実は、会議を無視してはいけないのですけれどね。でも、放っておきました。『まさか、日本美術家連盟が、その日本映画監督協会ほど、おかしいことにはならないでしょう』と信じてもいて。

  さて、お電話の内容は、思いがけないものであり、「その委任状は緊急性がある」とのことです。それは、重要なものなんですって。それは、日本美術家連盟が、旧体制の社団法人から、新体制の社団法人へ移行する、それに対して、賛成か、委任状が絶対に必要だとのことでした。
  この社団法人の分別化ですが、あっちこっちで、それが、求められていて、どうしたのこうしたのという話はすでに聞いていました。が、念のために、公益社団法人と一般社団法人の差を質問をすると、公益の方は、予算の50%を公益事業に回さないといけないとのことで、美術家連盟が、一般を選択するというのも、納得しますので、すぐ送付いたしますと、ご返事して、電話を切りました。が、問題はここから先なのです。今までの文章はすべて、まえおきです。
~~~~~~~~~~~~~~~~ 
副題2、『個人情報規正法は誰が提出し、誰が得をしたのか?』

  今回の社団法人の分割差別化の件は、ここで、文句をつけるのは、まあ、やめておきましょう。が、問題は個人情報保護法です。また、種々様々な表向きとは異なった、別の目的がある法律が制定をされています。実は裏で、利権団体が動いている可能性があるそうです。しかし、私たち一般国民は、それらについて、ほとんど関心がなく、常に利権団体側が成功している模様です。
  その手の流れ(===永田町を軽視する===)を生み出した陰に、やはり、マスコミの影響は大きいでしょう。異論はあるかもしれませんが、テレビ朝日の『テレビ、たっくる』など、その最右翼だと感じています。だから、北野武監督は、抜群の出世をしました。間接的ですが、日本の政治を一部の不真面目な存在とか、利権団体のメンバーのものとさせてしまうのに、貢献しています。
  本当にまじめで、この国の実態を支えている人間たちは、まず、テレビを見たいですし、そのうえ、北野武を嫌いでしょう。でも、こういう大まかなレベルでの、国際的軍産共同体への奉仕があるので、北野武監督は、フランスや、イタリアで、大厚遇をされるし、横浜に突然、新学科を作ってもらって、芸大教授という箔をつけてもらえ得るし、そして、一年に、13億円の収入があるという身分を手に入れられたのです。人間として、ほかのお笑い芸人とさして能力に、差があるわけではありません。むろん、人間としても、一般の日本人との間に、それほどの差があるはずがないのです。彼が突出して出世したのは、現代の、真実の権力者(むろん、野田総理でもないし、天皇でもない)側の、思惑が大きく関与しています。・・・・

~~~~~~~~~~~~
副題3、『女性のお茶のみも、馬鹿にならないのですよ』

  先ほど、書いたことですが、重要な法案で、この国の一部にしか奉仕をせず、むしろ、その他大勢が、損をしてしまうものが、どうして、通過するかと言えば、数の論理なので、利権団体や、宗教団体、および組合、そして、政党をバックにした有力者は、大変に有利なわけです。が、そのことはうっすらとは知っていても、間接的に頭に入るのと、肉声を通じて頭に入るのでは相当な違いがあります。
  私は火曜日の午後から夜にかけて、7時間もデートしておしゃべりをしたのですが、そこで、耳に入りました。相手の女性もね、非常にしっかりしたことを、くっちゃべって(笑)いるのですよ。

  そういう点でいうと、高峰秀子の養女明美さんが書いていることには、このポイントでは、ある種の誤解を招くということも言いたいのです。インタビュー嫌いの高峰さんを、当時まだ、養子縁組をしていなかった明美さんは、一流ホテルの喫茶室に呼び出します。数時間に及ぶインタビューが終わりました。その時、周辺のお客さんたちが、延々とおしゃべりを続けているのを見て、高峰秀子さんが、「同じ時間があったら本でも読めばいいのに」と言ったそうです。ここは、この本一冊全編を読めば理解できるところですが、ここまで読んだときに、読者が、相当に『いやな感じを受ける可能性があります。したがって編集者がミスしているといえます。これは、チェックしなければいけません。女性の読者を獲得したいであろう、この『高峰秀子の流儀』(新潮社刊)が、あっちこっちで、古本として出回っているのは、ここで、女性読者の反発を食らったからかもしれません。で、保存をされず売られてしまった。
 
  もちろん、その時に、高峰さんの周辺にいたマダム達は、確かに有閑マダムだったでしょう。これも、昨日、直接に耳から得た情報ですが、お医者さんなどの個人事業主は、年収7,8千万円の人がざらにいるのだそうです。そういう手合いと、高峰さんと、明美さんの二人は雰囲気が違うでしょう。だけど、違う種類の人間を軽蔑してはいけません。ここは明美さんの配慮不足、または、説明不足、そして、読者の受け取り方を、配慮しなかった編集者の注意不足といえましょう。
  つまり、ホテルのランチバイキング、および午後からのスィーツバイキングは、主にこの手の女性用に、開発された商品で、毎日どれほど、多くの女性が、二時間から、4時間程度(喫茶店で二次会をしている組も多い)くっちゃべって(笑)いるかを知り、そこに対して寛容にならないといけないのです。

副題5、『雅子様と、紀子様の違い』
 
  つまり、女性のおしゃべりとは、憂さ晴らしの場でもあるけれど、自己啓発の場絵もあり、自己反省の場でもあるのです。例えば雅子様の『こまったちゃんである程度』などは、もし、屈託のない、女子会に皇太子妃ではないという立場で参加されて、それが、50回を、越えたら、ご自分で、すっかり納得できるものと、なるでしょう。それで、自己変革をなさると思います。今のところ、雅子さまの何がいけないのか、だれも教えて差し上げられない。だけど、柔らかな形での集団討論(=女子会)で、世間の有名人が、あれこれと、俎上に上がって批判をされるのを、お聞きになったら、自分のどこがいけないのか、明瞭に把握できると思います。が・・・・・
  雅子様というのは、税金を支払う側としては、本当にイライラさせられる方で、時にその行動の表現には、穏便さをかなぐり捨てる、こともありです。普通なら、『あのお嫁さんは、出来が悪いわねえ』と言われるところでしょう。
 これが、紀子様だと相当に違ってきます。われわれ国民が、秋篠宮様の御結婚の話を聞いたときには、びっくりさせられはしたモノの、紀子様が「賢い人だから、選ばれた」という話は何も聞かされていません。むしろ、父君の川島教授がお読みになった歌が、「ピントが外れているなあ」と、思ったぐらいが関の山です。
  ところが、歳月がたつにつれて、「紀子様は意外に頭のいい方だ」というのが大方の評価でしょう。宮中の特に、お妃様というのがどういう仕事を差し、どういう風に振舞わなければいけないのかが、しっかりと頭に入っていらっしゃいます。
  一方の雅子様は、鳴り物入りで、『頭のいい方だ』と宣伝をされた上で、宮中入りをなさった。が、子育てひとつ、平均点には達しておられません。ほかの事はさらに、ひどい。これは、何事でしょう。どうして、自己啓発とか、自己鍛錬に取り組まれないのでしょうか?
  特に公務ができないほど、御病気で、ほとんど予定が立てられないといわれるのに、愛子様の校外研修には、泊りがけ(あるホテルのスィートだったといわれる)のお付き添いをなさったとか?
  こういうことひとつでも、お医者様も、美智子様や、両親などのご親戚も、誰も改善できないことですが、仮に、ごく普通の女子会に、参加なさって御覧なさい。ご自分のことを、本当に、恥ずかしく、お思いになるでしょう。本からでもない、偉い人からでもない。ごく普通の女性同士の会話から、学べることは意外と大きいということです。
    では、本日はこれで。
    2012年3月7日、  雨宮舜 (川崎 千恵子)
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東大と文学界・・・『松本清張(+田中角栄)の功罪』・・・・1

2012-03-04 22:09:42 | Weblog
副題1、『東大卒業生の、実力失墜の話』
副題2、『オリンパスのケース、と、ビジネス界』
副題3、『井上ひさしは、なぜ、最近優遇をされているのか?』
副題4、『松本清張(+田中角栄)の功罪』
~~~~~~~~~~~~~~
副題1、『東大卒業生の、実力失墜の話』

  これは、書こうとして書いている問題ではなくて、ほかの方の投稿を読んでいるうちにひらめいた話題なのですが、東大というものの存在が、権威あるものとして長らく、この日本では、雲のように、人々の上を覆っていたわけです。そこに変化が見られるという話のひとつです。
 最近、議員になる人に東大出身者が減っていて、それと連動して、大臣になる人の中でも、東大出身者が減っています。それと、連動してか、していないかは知りませんが、ビジネス界でも、社長になる東大卒業生の割合が、減っているのではなかろうか? これらは、すべて、受験勉強の弊害が、もたらしたものでしょう。トップレベルで、競争が激しい場所に、入って行くためには、ものすごい量の知識を詰め込まないといけませんが、それは、小学校の三年ぐらいで、都会ではどちらかに、選択すべきコースとなっていて、それ以前も、それ以降も大きく、子供の発達を左右するのです。上のはみ出しという言葉があるそうですが、上のはみ出しという程度で、規定をされるのなら、それは、まだ、かわいいぐらいであり、一種の劣等性というか、欠落まで内包した、存在として社会へ出て行くケースがあるのです。しかし、芸大も似ていますが、一種の錦の御旗を、掲げ得る存在として、非常に優遇をされます。
  そこに、この現代日本が抱えている種々さまざまな、困難を生み出している可能性のひとつがあるのです。
  特に官僚の質が変化しています。文部科学省、外務省、経済産業省、財務省の4つは、今では、とても、困った存在です。円高も処理できないし、イランの原油開発もあきらめさせられて、投資を無駄にさせられていて、今度は、輸入でさえ、自由にできないということらしいですが、そこには、主体性が微塵も見られません。これは、恐るべき程度で、戦後の東大卒業生にして、官僚になっていった人の、欠点の反映です。つまり、気概がない。そして、スケールが小さい。
  しかし、上の所までは、本日の文章の前置きにしか過ぎません。
~~~~~~~~~~~~~
副題2、『オリンパスのケース、と、ビジネス界』
  
  最近の芥川賞の受賞者が大学を卒業していないことにも、見られるように、受験勉強には、相当な弊害があるのですが、そういえば、作家として、大成功をしている存在(現在、50歳以上)の中で、東大卒の占める割合は、こちらもひどく減っていると思います。ただ、明治期以降から、文学の世界でも、東大卒は君臨していたのです。あの谷崎潤一郎さえも東大卒ですしね。これは、どんな弊害を生んだかというと、「宮沢賢治が、生前にベストセラーにはならなかった」というようなポイントで、地方にいる逸材を埋もれさせて行ったと考えられます。
  これは、小説に限らず、俳句や短歌の世界でも、連綿として東大卒の力は強くて、俳句など大会社での、句会を通じて、発達をしてきた可能性を感じています。だから、寄らば大樹の陰といって、大学新卒生が、大きな会社へ、就職したがるのも無理はないのです。福利厚生とか、この手の文化面でも、社風が良くて伝統的に充実していますから。
  だけど、大きな矛盾は、こういう大企業に入社するためには、有名大学を出ていないとダメで、そのためには、例の小学校三年生ぐらいで、進路を決めて、親子で、必死になって受験勉強に取り組まないといけないという原書が起きるわけです。そして、そういうコースに乗っかった、サラリーマンは、気概もないし、哲学もない。で、トップはあくどい人間が握るわけですが、それらが、行っている悪徳に対してストップを掛ける、気概もなければ、能力もないのです。
  オリンパスのケースは、その典型でしょう。主人は東大卒ではない(横浜国大卒)ですが、長らくサラリーマンをやってきているので、「社員がかわいそうだなあ」といいました。オリンパスは、内視鏡の業界で、世界に冠たる業績を上げているそうです。となると、当然のこととして、部長クラス、課長クラスには、東大卒もいて、きちんと毎日の業務はこなしていたでしょうが、会社の根幹を揺るがす悪については、何も改善する力はなかったのです。で、一般社員は、突然の辱めを世の中から受けることとなりました。優良企業が一気にマイナスの側面を帯びたのです。
  これは、氷山の一角であり、日本の大企業(・・・・・それが、新卒の進路として、もっとも、もてはやされた時期が長かった・・・・)に、その手の、偏差値的には頭脳優秀だが、本当の意味での、社会のこまとしては、欠点がある、人材が大量に就職しているということは、日本社会が衰退して行く、大きな、要因となっているような気がします。
  比較して、欧米に目を向けましょう。実際に、三ヶ月ずつでも、そこ二暮らす前には、知らなかったのですが、ヨーロッパには階級制度が色濃く残っており、有名大学(たとえばソルボンヌ)などに入る、学生は数が、少ない中からの選抜となるのです。ですから、過剰な受験勉強は必要ではありません。
  同じく科挙の時代からの、過酷な受験勉強の習慣のある韓国と中国との比較ですが、韓国は総人口が、日本より少ないですよね。それで、競争の深度が、ゆるいという可能性を感じます。一方中国ですが、実質上、階級社会である模様です。したがって、北京大学とか、上海大学等に、入学する競争率は、日本より緩やかである可能性を感じます。
  むろんのこと、私が目指したいのは、階級社会の復活ではありません。・
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副題3、『井上ひさしは、なぜ、最近優遇をされているのか?』
 
  文学の世界に戻ります。これは、大企業のサラリーマンと比較すると、50%は、実力主義の世界でもあり、ぐっと明快です。が、後の50%は、裏の流れ(宣伝広告が集中する、とくに、政治的に、その作家を売り出したい、企図が、例の国際的軍産共同体(核を売り込んでいる方です)のあった場合には、全マスコミを通じてサポートをされます。最近のケースでは、井上ひさしが、それにあたります。
  3.11以降、テレビからもマスコミからも広告が姿を消しました。しかし、3,13に、新聞広告が、復活して、最終面に、井上ひさし本(・・・・・新潮社だったと記憶をしているが・・・・・)の大広告が載っていて、私はすぐ、その裏側の意図を察しました。これは、婉曲な手法ですが、核を売り込んでいる側の、ある種の挽回策の一手でしょう。井上ひさしが、警察と通々と結びついているとか、それこそ、ロックフェラー財団とか、小沢一郎と、裏では通々に結びついていることは、ほとんど、世に知られていないと思いますが、驚くべき真実として、私には、わかっています。
  というのも、我が家と、井上邸は、直線距離にして、600メートルぐらいの距離しか離れておりません。そして、私はある事情から、共産党の研究に入っております。そして、非公開ながら、あれこれを、パソコン内で書いています。
  口幅ったいいいかたで、恐れ入りますが、私は相当な大物として、注目をされているらしくて、自分があれこれ、ネットの世界で書いたことは、利用されて、応用されたり、または、否定をしたいニュースも流されます。韓国大統領、が、最近、従軍慰安婦問題を取り上げたのも、フェイスブックではない別の世界でかいているものが生起させたと考えております。
  で、表社会へ、公開したもので、そのようになるのは、仕方がないことです。が、閉鎖されたメルマガしか、運営をしていないころから、あまりにも頻繁にそれが起きるので、ハッキングの恐れを感じ始めました。というのも読者(相当にハイレベルな知識人だけ)だが、それらが横流しする可能性はなかったのです。すべて顔、名前、住所を知っている人たちですから、それらの人たちが、一種の裏切り行為をすることは考えられなかったからです。
  で、いろいろ調べて、XPのヴァージョンの段階ですと、今、自分のパソコンがハッキングを受けているかどうかを確かめられる方方があること案ではわかりました。
  皆様にもお教えしますが、スタート → 途中で、何らかの別の、所によるかな、そして、とくべつな、検索窓が開くのですが、そこに、アルファベットで、etstat と入れるのです。そうすると、パソコンの、液晶画面内の左半分に、真っ黒い画面のウィンドーが新しく現れて、そこに、白抜きのアルファベット==いわゆるアプリケーションを、創っている言語===が現れ、すさまじいスピードで、流れていきます。このときに、あなたのパソコンはハッキングを受けているそうです。これはCCCという半官半民の組織の人が、向こうから電話で、丁寧に教えてくれて、私は二年ぐらい、それを、確認し続けました。だけど、やがて、ハッキングを防げないということもわかったので、覚悟をして、だんだんに真実を公開して行くようになったのです。恐るべき真実というのが、この日本社会の底流には隠されています。それを、ほとんどの人は貴がつかずにいます。だけど、3.11以降は普通の人も、自分たちが、大切な情報から阻害をされ炒ることに気が付き始めていますね。それは、私にとってはメルクマールでした。自分が特殊な立場にいたと思うのですが、同じことに大勢の人が気が付き始めて、それについて怒りを持ってきたことです。
  で、鎌倉の特殊事情に戻ります。私が、社会分析を非公開で、PCナイで、やっていると仮定をします。すると、それを書かせないようにするために、鎌倉防犯協会から、放送があるのです。その内容が、見事に私が、非公開で、パソコン内で書いていることと反比例をするのです。つまり、井上ひさしが、この日本社会へ対して、どんな悪徳(・・・・・ただし、それはアイデアであって、それを実行するのは、NHKとか、警察とか、朝日新聞ですが・・・・・)を垂れ流しているかを、書いている最中に、それをとめるための言葉が、鎌倉市内のあっちこっちに設定をされているスピーカーを通じて、大音響で我が家まで届くわけです。
  防犯協会というのは、全国的に同じだと考えていますが、警察の退職者と、地域社会の有力者が組んで運営している模様です。で、そこが放送することはすべて、警察が管理してると考える方がいいでしょう。それで、特に、2008年度と、2009年度は、何度もそういう現象を察知して、井上ひさしが、実質的に、どれほどの悪人であるかを、知り始めました。
  すると、彼は2009年の6月に、クローズアップ現代に出て、国谷さんを相手に、太宰治をかいせつしました。が、その日のメインは、警察を擁護する点にあったのです。つまり、秋葉原の無差別殺傷事件ですが、あれの、犯人は、朝の五時から携帯の世界で、予告をしていたのですね。それを、どうして、警察が、11時までの、6時間に、察知できず、予防をできなかったのはなぜと、世間の大勢の人が指弾をしたと思います。その件で、警察を擁護したのです。最後の段階の捨て台詞みたいな部分であり、世間の大勢の人は見のがしたかもしれませんが、私は悪人としての彼を常に、観察し続けていますので、すぐ気が付きました。
  テレビの中で、瞬間的に広告を流すとサブリミナル効果といって、それを、大衆が買うようになるそうですが、それと似ています。が、それよりも、30秒は映像が画面に音声付ではっきり出たのですから、相当に、有効な手立てとして、国民一般の思いに逆らって、警察を擁護したのです。面と向かって警察を擁護するよりもはるかに洗練をされていて有効だったと感じました。で、これらの現象から、彼が、大変に便利な道具として、核燃料を売り込んでいる側から、利用をされていて、彼の方でも見返りとして、NHKの衛星放送に特番を創ってもらったり、(これは、広告代に換算すると、数億円分のプラスでしょう。再放送も含めれば巨額になる)するような、特権を得ているわけです。
  これが、3.11以降のトップの、新聞広告として、新潮社から出る新刊本の広告が載ったときには、さらに確かめられたと、感じた次第です。
  ただし、読者の皆様に、申し上げたいのは、もっと別のことです。

  つまり、今、現在の日本社会で、光が当たっている・・・・・特に強烈なブームが集中している、・・・・・存在が必ずしも、正しく、大衆の意向を反映してるのでは、ないと、言うことが肝心です。政治的思惑、特に強者のそれが、文化面、および芸能界にも、色濃く反映をしているのだ・・・・・ということが、この一節の結論です。
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副題4、『松本清張(+田中角栄)の功罪』

 東大が、文学の世界で権威を持つことに風穴を開けたのは、松本清張でしょう。
特に戦前の圧倒的な優位性が、受験勉強の弊害によって、崩れ始める時期に、台頭したことは、有意義だったと思います。ちょうどすれ違いで登場して硬直化と劣化を防いだのです。特に彼は、非・東大卒の利点を最大に利用をして、昭和史発掘と言う分野に手を染めました。
  私事で、恐縮ですが、「現代日本で、ここまでのことを言う人はいない」といわれている私でさえ、テーマについては大きなストレスと制限を感じながら選んでいるのですよ。継続して頭に残っているテーマが、5,6個頭にあるのですが、その中で何を取り上げて、続きを書くかは、キーボードに向かった、その日の手先次第とか、前夜とか、その日のうちに、外部から受け刺激次第という側面があります。それでも制限はあって、ほぼ、30~40%までしか書けません
  だから、東大卒という肩書きゆえに、日本の中枢と、直接につながっている人たちの自己規制の深さは、十分に想像できるのです。で、そのタブーを破った松本清張氏は大傑物なのですが、人間としては矛盾に満ちています。
  ある号の月刊文春に振袖姿のお嬢さんが載っていて、その可憐さに仰天したのですが、このお嬢様は外交官へとついで、後に大使夫人となったはずです。その一事から見ても、人間とはいかに名誉とか、金銭に弱くて、上昇志向から逃れられないのかということがわかります。私は清張氏の書くものをすべて読んでいるわけではないのですが、最終段階のものでは濫作がひどくて、一巻の中で、すでに、時間の推移の矛盾とか、登場人物の行動の矛盾が発見できるものがあります。これは、本当なら担当編集者が注意しないといけないのでしょうが原稿用紙を埋めてもらうだけで、ありがたがって、そういうところまでは踏み込まなかったみたいです。へなちょこですね。だが、こちらも、人気作家が、書くだけで雑誌の売れ行きが変わってきて、一万部違うだけで、6ヶ月で、7400万円変わってくるから必死なのでしょう。つまり、人間社会とは、お金で規制をされる部分がいっぱいあるということです。
  そういう意味では、弱点もいっぱいあったが、それでも、貢献もいっぱいあって、たとえば、田中角栄首相の存在を生み出したのは、松本清張氏が、赤いじゅうたんを敷いて上げたから可能になったことかもしれないのです。
  で、今度は、田中角栄氏に、視点を移します。彼こそ、戦後首相で初めて、相当なレベルで、国家的な、主体性を確立した人間でしょう。経済界の繁栄を支えにして、『すでに戦後ではない』という感覚の推進です。だが、失墜しました。立花隆氏の紙爆弾でね。立ち話のいうことも一理あるが、大局観からすれば、あの失脚を起点として、日本はどんどん、decline (下降)へ、向かったのですから、そこに哲学者も、大政治家もいなかったということです。複雑化した、民主主義社会では、一人で、すべてを引っ張る存在は、なかなかいないのもわかりますが、戦後の大汚点のひとつです。それは、田中角栄氏を、塀の中に収監したり、脳梗塞をわずらった後の、病人へ対するものとしてはありえない、恐るべき人権無視のマスコミの姿勢などで、顕著になりました。 
  お若い方は知らないでしょうが、ある日、新聞を空けると大一面に、田中邸の庭・・・・・特に芝生の部分が俯瞰という形で、映っていて、そこを、車椅子を押す真紀子さんらしい姿が歩いていきます。田中角栄氏が、どの程度の病状にあり、どういう政局の流れになるのかは、重要なニュースといえば言えるでしょう。だが、その紙面は、大衆操作の具の誇張でもありました。つまり、底部とか、潜在意識の中で、ロッキード事件の忌まわしさを明瞭に察知している、国民と陣笠代議士たちへ、「おまえら、田中角栄の復活を期待してもダメだぞ」と、「これからは、金丸信(この人と深く連携したことが、小沢一郎台頭の、起点だと思いますが)と、竹下登の言うことを聞け」と言うメッセージを発したと感じています。
  つまり、武士の世界での道徳、弱いものを最後までは追い詰めない・・・・・惻隠の情の発露・・・・・などという部分が一切ないのです。つまり、あの取材は、この日本がいわゆるグローバリズム(核を売りつけてきている側の政策や論理志向を押し付けられ、そちらに利用されることとなる)に組み込まれた象徴的な、出来事であり、そのときに、日本が被・植民地国家であることも、明らかになり、しかもその方向性が、どんどんどんどん強まるようになった、メルクマール的事件だったと考えています。

  この一文は発展させようと思えば、どちらの方向でも、発展させることができますが、本日は東大出身者が、この国を空洞化させている、それが、文学界に現れるとどうなるかと言うポイントに絞りたいと感じていますので、ここで終わりたいと思います。
  と、ここまで書いていったんとぎると、ちょうどすれ違いで、鎌倉市役所が放送をしたのです。スピーカーで大音量でね。
  それが、例の鎌倉防犯協会と同じスピーカーを使っています。
  それで、すぐ4千字に喃喃とする文章を書いたのです。が、それは、このグーブログを連続してお読みになっている方には、受け入れられたでしょうが、フェイスブックでの読者には、誰にも理解をされなかった、または、フェイスブック側が、人々に伏せるように技術的に手配をしたのかで、表には出ませんでした。で、私もここで、分割しようと考えます。この下に現れるようにしました。
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首都圏では、遅延現象が多発しているのか?新・稿、および追加あり。

2012-03-04 21:20:58 | Weblog
この文章の前に、副題1~4があり、それが、総タイトル・・・・
東大と文学、『松本清張 + 田中角栄』の功罪・・・・・1として、スクロールしていただくと、この上にあります。

 今、3月6日の午後一時です。これは、昨日の文章の同じ日に隠れて、下へスクロールをしていただきた意と、言ってあげていたので、よほど、注意深い方でないと、見過ごしてしまうところでしょう。
 で、4157文字を揚げた上で、さらに付け加えます。で、2倍へ直します。完成は明日にずれ込む形になります。どうかよろしく。

副題5、『鎌倉市内での、大音量警戒警報』

  これは、一見すると、地方都市だけに関係する、とても小さい話題です。言わないでもいいことなのですが、実は政治の根本を明らかにするお話です。ですから、皆さんのお時間を堂々と取るわけなのです。
  2012年、3月4日の午後4時に鎌倉中に、大音量で、お知らせが回りました。それは、老人(?)が行方不明になったというものですが、発表者は、市役所との事です。直前に、前の文の中で、井上ひさしのことをあれこれ書いています。すると、必ず、否定しておきたいと、御本人が、思うらしくて・・・・・(笑)、

  思うのは御本人ですよ。私は諸般の現象から、彼は、まだ生きていて地下潜行をしていると考えています。それほどの、大エージェント化しているので、大優遇を受けております。でも、八幡宮の大銀杏が倒れたように、・・・・・というのも、これは、彼と、二人羽織(人形芝居で、羽織の中に二人隠れていて、二人で、人形を動かすことから着た、二人が、共同する作業をソ差す)・・・・で、ここでは、井上ひさし、+伊藤玄二郎が、八幡宮に、大音響を出すようにお勧めになっていた。夏になると目に余る大音響が、音楽祭、およびリハーサルと称して、うるさいうるさい状態であった。
  それプラス、この24時間8マン寓様が御ひいきになった、地元民がやりたい放題の恐ろしい残酷ないじめをやってきた。それを、書くだけで、5冊かかるが、今のところ、もっとも、小さいものしか書いていない。どんどん増えてくるはずだ。それら、音楽家ではない、定常的に住んでいる連中のすさまじくも汚い行動が、あの倒壊を招いたのです。

  井上ひさしとは、カソリックの美しい衣装をまとった、悪魔の存在です。だけど、私の見るところ、どこかで破綻がきたすでしょう。彼が、世に知られている存在としては、2番目の女性(作家の妹)に、男の子を生ませているわけですが、今回、3番目の女性(大女優)に、子供まで生ませていると、見ている私です。こういうことは、自分に対するいじめの諸相を、研究しているうちにわかったことです。いやな話で、他人の私生活に踏み込むみたいですが、ものすごい被害を与えられていますから、その被害を防ぐために、自己防衛をするのは、正当なことであり、自分の被害を研究しているるうちに、彼のあくどさのすべてが、わかりました。
  井上ひさしの周辺は何もかも嘘に満ちています。世間の知らない5人目は、男の子で、海外に住んでいる男性(日本人)との間にできた子供であると発表していますが、その相手が、本当にいるのなら、日本の芸能マスコミのことです。とっくに取材対象として、追い掛け回していて、その名前も、顔も明らかになっているはずです。だが、彼がエージェントとして、どれほど、優遇されているかは、こういう側面でも明らかです。誰もハワイにいるサーファーというのを追いかけないでしょう。同定しないです。幽霊を、探さないです。

 この情報は、篠山紀信氏のアトリエに、警察が家宅捜索に入ったというニュースを詳細に、検討しているうちに発見しました。
 つまり、井上ひさしという人間は、本質的には残酷無残なお琴なのです。全集に入っているそうですが、子供のころ、猫を捕らえて、焼いて食ったそうです。また、前の奥さんを、彼女の方が不倫をしたように、責任があるように、仕立て上げて、奥さんの実家の地所(・・・・建物は自分の所有だった可能性はある・・・・)裸で追い出したことでもわかるように、なかなかに、悪辣な人物なのですよ。
 それでもいいんです。彼本人が、小さかったころですが、父親には行方不明になるという形で捨てられて、母親からも、彼女が生きているのに、施設(カソリック系)に預けられたわけですから、兄との差別を感じて、内面では、相当にゆがんだ育ちあがり方をしているであろうのは、誰にとっても、推定しえることではあります。
@@@@@
  でも、許せないのは、大作家として、今遇されていて、死後なのに、すでに、10冊程度、一ヵ月半ぐらいの、時間を空けて、出版が続いていて、大宣伝をしてもらっていることです。私がみているところ、一ヵ月半に一冊ぐらい、推敲をするか、新原稿を作り出して、それを、奥様かお嬢様が、いわゆるマネージャーになって、出版社に売り込んでいることですが、出版社も言うなりになっているところが不思議なのです。
  たとえば、講談社ですが、昔、雑誌に連載されたものを上下二巻の、大作として、2011年の10月に刊行しています。普通の常識では、死後が勝負だから、こういう企画が生まれるのは、死後、数ヶ月が勝負で、必死に、人員を投下して、さっさと、作り上げるのが、常識の範囲でしょう。だけど、存在感をキープして、本が売れ続けるためには、間を空けて出版した方が得なのです。彼のものがそんなに面白いとも可能を与えるとも、思えませんが、全国の図書館は買うのでしょうね。そうすると、その数だけで、3000部には達すると思います。本って、大体三千部ぐらいで、本が取れます。それだけで、十分なのですが、さらに、マスコミ界揚げての、大宣伝(ただし、番組が特集されるなどの間接的なものです)で、支援をされていて、必ずペイするようにしてもらっていると考えられます。
  巨匠と呼ばれているそうですが、『父と暮らせば』とか、共産党を支援することで、善人ぶって、庶民側に立っていることが、へどが出る思いがします。
  国民の頭脳を、小ばかに仕切っています。
  2010年の死去の際も、私への攻撃を逃げるためだったのは、私の個展4月5日から10西までだった)の裏側に用意された各種のいじめ行為がばれたと思って、文章をそれについてかかれるのを避けるために、死んだということにしたのだと感じています。
  麻央さんという三女が、婦人公論に発表したりテレビで、発表したりした最後の日々にも欺瞞性がいっぱいで、笑ってしまうほどです。特に菓子パンが好きだったとか。最後の日々にも歩いて、病院に通ったとかいう点です。ガンで、死ぬ際の人間、がご飯より、嚥下に困難度の高い菓子パンなど食べられるはずがないのです。
  そして、歩いて病院に通ったですって。笑っちゃいます。佐助というところにある、井上邸から、歩いて、通える最終期のがん患者用の病院といったら、どこを探しても、30分はかかります。歩けるはずがないです。国民をおちょくって馬鹿にするにもほどがあるというものです。
  それからね。私個人としては、彼の悪辣さは、もっともっと知ってますが、それらは伏せて、本日の、鎌倉防犯協会の放送について語りましょう。
  先ほど、私が、井上ひさしが、警察とそっくり結びついていて、私に、『自分にとって、不都合なことを書かせないがために、鎌倉防犯協会の放送という音を利用して常に、プレッシャーを掛けてきて』と書いたとたんです。
  鎌倉市内を大警報、が駆け巡りました。内容はたいしたことはありません。老人が、行方不明になったという事です。が、その放送を、やっている主体者が問題です。市役所だそうです。が、私がこの2012年3月4日に言ったとおり、その放送を行っている団体に詰め掛けていて、報酬をもらっている人間は、多分、以前と々メンバーです。ただ、名前を変えただけです。それで、私が書いていることが嘘だと、言うことができると思っているのです。あほらしい単純さですが、彼はそういう人間です。
  今、首都圏で、電車の遅延事故が多発していますが、それも発案したのは彼でしょう。かれは、書物を研究して文章を書くそうですが、ともかく、NHKで、ひょっこりひょうたん島が当たったあたりから、一切外へは、出ていないとみなせます。NHKの番組に出るか、日本ペンクラブ関係、それと直木賞の審査会関係で、外出するぐらいでしょう。となると、普通の日本人に比べて、圧倒的に、常識不足になります。何も知らないし、わかっていない人間です。
  ですから、私をいじめるために、新宿駅の跨線橋が故障したから、湘南新宿ラインが、動かないといういじめを始めました。私は東上線常盤台駅に有る老人ホームにいる母を見舞うために、必ず、湘南新宿ラインを使いましたから、それが、とまることはいじめに役立つと考えられているのです。この件は、すさまじい段階で繰り返され、かつ、私が閉鎖されたメルマガで書いているので、さらに、誇張して、自己が繰り返され、電車は、日常的に止まり、遅延現象が多発するようになりました。
  そして、あきれることに、私が東上線からJRに乗り換えるまさに、その場所に、『電車遅延情報板』と大きな液晶画面が設置されました。これは、演劇が専門で、常に脚本を考え出している彼が、自分が、行っているいじめがどういう風に効果が上がるかを、机上の空論として、結果の初案でしょう。
  それに従うJR東日本の、どうかとしていますが、彼と、鎌倉旬儒者社長の伊藤玄二郎の二人が二人とも、日本における大エージェントであるので、優遇されきっているのです。この二人は日本ペンクラブ関係で仲良くなり、伊藤の方の不倫関係を秘匿するために協力しているうちに、彼らの思惑以上に私の頭がいいものですから、のっぴきならなくなって、次から次へと、自分たちの悪を隠すための策略を考え出し、生み出し続けているのです。
  この遅延情報お知らせ板というのは、大船駅にも設置され、みえみえに、私いじめに利用をさえていますが、どうか、皆様、素直に考えてみてもください。
  日本は、世界に誇る、時刻表どおりに、電車が走る国でした。・・・・・・

  が、伊藤玄二郎と、彼の愛人石川和子(これは、我が家のさびちゃんをめぐって、二年にわたる大迷惑を加え続けた存在ですが、、)との、恋愛関係を秘匿するために、・・・・・・その誇りと特質が、失われたのですよ。
  それほど、エージェントになると優遇をされるのです。それは、どうしてかというと、この一億二千万人から、金銭的に収奪していますね。高い電気代で、非鳥の人間あたり、年に一万円ほど、ほかの国より高く出していて、それをそっくりそのまま奪われていると仮定をします。すると、一年で一兆円となります。その1%を還元して工作費として使っても、100億円です。お金の力で、何でもできると彼らが、勘違いするのもうべなわれます。
  こういう裏側が、もっとも顕著に現れているのが、日刊現代です。あの新聞は、今、総力を挙げて、小沢擁護に走っています。裏にどういう風な流れがあった事か?
  まだ、まだ、この二人が発案して、日本国、および、日本国民が迷惑をこうむっていることはいっぱいあります。それを、一つ一つ解き明かしていきましょう。
  本日は、鎌倉市役所が、その名前で、老人が行方不明になったことを間髪を入れずに、発表をしたことをあげておきます。つまり、『鎌倉防犯協会の放送なんてないよ。だから、かの女(=私)の言っていることは、嘘なんだ」と言いたいわけです。馬鹿みたいに、幼稚ですが、そういう連中なのです。
  そんな単純な仕組みで、人を馬鹿にして、抑圧し、真実を語ることを避けられると考えている馬鹿な手合いです。それが、大宣伝の下で、非常に大切にされていて、ひょっこりひょうたん島のモデルの島が、何度もNHKで、取り上げられましたね。大人気作家だと言われている。驚くべき欺瞞の、存在です。

  
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映画「にごりえ」 杉村春子、淡島千景、芥川比呂志、今井正、水木洋子

2012-03-03 02:17:30 | Weblog

今からでも遅くない。映画にごりえを海外へ。
・・・・・うっとおしい最近の日本です。でも、誇りを失うことはありません。日本はとてもよいものを作る出せる国にです。すばらしい映画『にごりえ(1953)』を、今からでも海外へ売り込みましょう。この映画に描かれている人間の悲しみ美しさと貧しさは、、世界に通じる普遍性があります。以下は、その推薦の言葉です。

映画「にごりえ」1・・・・・杉村春子、VS、高峰秀子

  今、録画をしておいた「にごりえ」を二度目としてみています。いつもテレビの録画はフェイスブックの処理をしながら見ていてるのでしっかりとは鑑賞していないのですが、「にごりえ」にこだわったのは最後の方に出てくる杉村春子が抜群にいいのです。それをもう一回見たくてね。実は杉村春子は、私はあまり好きではないのです。特にテレビで何度も放映された演劇『女の一生』は、何も感動しないなと、(無論、テレビで、演劇を見るのは、最低の手法ですけれどね)思っているわけです。
  でも、まだ、この映画のそこまでは、進んでいないのですが、絶対に裏切られないでしょう。実は今読んでいる、「高峰秀子」の流儀の中でも、15歳のときに、高峰秀子が、後姿だけを見せて、せりふひとつない杉村春子の演技に電流に打たれたような大反省をしたというエピソードが出てきます。
  高峰秀子は...、5歳のころから養母しげと、彼女が寄生をさせた親戚13人に搾取、搾取の憂き目に会い、大好きな読書さえ、布団の中で隠れて読んでいても、電気をばちっと切られるほどの、意地悪にあい、松竹から東宝に引き抜かれるときの約束であった女学校の入学を、「入学はさせるが、通学をさせるとは、契約書には書いていない」と反古にされて、・・・・・その女学校が、なんと、文化学院と言う自由主義の学校なのに、高峰秀子が、あまりに出席日数が少ないので、学校を取るか、女優を採るかと迫ってきたので、・・・・・しかたがなくて、自分から、退学しますと決めたそうですが、
  そういう生活の中で、映画女優であることに、希望も夢も失い、ほとんど惰性で、仕事をしていた(大変聡明なので、それでも平均点以上の仕事はできたが・・・・・)中で、
  突然に、自分を目覚めさせてくれた、杉村春子の一瞬の演技だったそうです。

  今から楽しみに待っていますが、私もにごりえの中での、杉村春子の演技には裏切られないでしょう。
  ただし、別の項目で書きますが、高峰秀子と、杉村春子はまったく違った種類の人間のようですね。それは、16歳ぐらいまでの、育ちの違いにあるのでしょう。徹底的に、大人に裏切られてしまった高峰秀子と、女学校までほとんどわがままに、自己を貫いて、叱られるということも無かったであろう、杉村春子との違いです。
  私の人生って、どちらかというと、家庭環境の特に経済的な側面では、杉村春子に近いのですが、それでも、自己主張という面では、なんとなく高峰秀子に、近い部分があるなあと思いますよ。相当に周りの状況がわかっていて、自分を抑える方だったから。

映画「にごりえ」・・・・2、  芥川比呂志の美しさに驚く

  ところで、このにごりえは、文学座が創ったので、分裂前の文学座の名優たちが、総出演です。第一話の車引きが、芥川龍之介の長男、比呂志だったのですね。グーグルで検索をしたので、今回、はじめて気が付きました。最近の私は芸能界とか、文化人が、政治にも大きな役目を果たしていることに気がついてきていて、芸能界の興味を抱いています。特にプロバイダーが提供するウエブサイトニュースで、基本的なことがわかりますから。
  で、第一話で、零落した車引きを演じるのが、芥川比呂志だったのです。私がテレビで、芥川比呂志を見始めたころは、すでに、病気(もしかすると結核?)でほほがこけた姿だったのですが、この映画『にごりえ』のころはまだ、とても美しいのですね。
  それから、第二話に出てくる、のけ者扱いをされている長男を演じる仲谷昇も同じです。ほっそりして上品で。そして、まだ見ていませんが、最終話に出てくる山村総もきっとそうでしょう。ただ、これらの男性陣が主役ではない映画なのですよね。

映画『にごりえ』ー3

  この映画はオムニバス形式で、中でも多分ですが第二話「おおつごもり」がメインでしょうね。ただ、お話としては、やや、予定調和の中に終わります。苦しむ純情な女中を、放蕩息子が、救ってやるお話です。
  で、今見ると、この映画の中で、杉村春子についで、名演だったのが、この第二話に登場する長岡輝子でしょうね。悪役、意地悪な役なのですが、すばらしいです。実の娘たちには、甘くて、優しいお母さん。だが、前の奥さんの息子(長男)と、女中には、残酷なまでに意地悪な女性・・・・それが、うまい。うまい。
  それから、wikipediaには女優としては、名前が出ていなかった三崎千恵子がうまかったです。主人公と対比する、引き立て役です。おしゃべりで、自己主張がある若い女中さん。
...   で、三つの話で、三人のヒロインが居るのですが、この第二話の主人公、純真極まりない女中が、もっとも美しい女性なのでしょう。ですが、私はwikipediaで確かめるまでは、香川京子だとばかり思っていました。大失敗、久我美子です。
  でも、私の中のイメージでは、久我美子は、子爵家かなにかのお嬢様で、恋愛映画のヒロインと言う思い出が強いですから・・・・・このかわいそうな女中をやっているのが、久我美子だとは、思いも及びませんでした。
  ところで、この第二話と、第三話のヒロインだけは文学座が外部から招いていますね。でも、この第二話で、意地悪な長岡輝子の娘二人を演じている中で、次女役が岸田今日子です。後日仲谷昇と結婚しますね。


映画『にごりえ』-4、

  この映画の中では、やはり、第三話が圧巻でしょう。筋はオペラカルメンと、大体似ています。もちろん明治の女、樋口一葉が、オペラ・カルメンを見たはずがないので、こういうストーリーが、世の中に普遍的にあるのでしょう。魅力に満ちた酌婦おりきには、昔入れあげてくれた布団やの宮口精二がいて、今、落ちぶれています。吹っ切っているつもりなのに、そして、お金がないので、会わないのに、男女ともに相手の印象が強く残っているのです。
  このおりきがもちろん上手できれいなんですが、淡島千影だとは今回まで気が付きませんでした。が、今、人生経験が増えてきて、この酌婦おりきへの感情移入が大きくなったとはいえ、やはり圧巻は杉村春子です。ヒロインじゃあないけれど、これほど、印象強い女性像も居ないのではないかというほど、すごい造型です。まあ、相手役の宮口精二もすごいけれど。

映画『真実一路』、淡島千景追悼

  本日NHKのBSプレミアムで、「真実一路」が放映されます。これには驚いたという私です。淡島千景さんはお子様も居ないのに、見事に母であり、自由や真実を求める女性を熱演しています。地に近い女性像なのでしょう。誰も言わないけれど、岸信介首相と、とても近い仲だったと、うわさで聞いております。ご本人は一切、それに関しておっしゃらないであの世に旅立たれました。戦前の女性の典型です。
  なお、昨日書いた映画『にごりえ』内での、コンビ、山村総氏と、ここでは反対に、感情も肉体的にも、合わなかった夫婦を演じておられます。でも、それも、意外とリアルで、・・・・・


『水木洋子、と、今井正』 映画『にごりえ』ー6

    映画『にごりえ』は、今見ても内容が充実しきっていて、どこも古いとは感じません。すばらしい映画です。小津安二郎の評価が高いのですが、今井正監督もすごい力量で、この映画は日本映画の宝物だと感じます。でも、1953年は、雨月物語かな? 羅生門かな? 京マチコさんの映画が、世界のコンクールに出品をされ、受賞をしました。こちらの『にごりえ』は、日本国内では、芸術祭参加ですが、海外に出たとは聞いていません。
    でも、今からでも出したらどうかなあ? 懸念は二つあります。日本が貧しかったことを、強調し過ぎているから、それが国民的に恥ずかしいですか? 家ね。貧しいことは恥ずかしいことでありません。酌婦おりきが小さいころご飯を買ってきて、それが、ころんで泥水の中に解けていくの画面のせつなさ・・・・・そういうところに、酌婦(これは、芸妓ほど、技術や修練が...ない女性を指すらしい)が、水商売に入らなければいけなかった、悲しい背景などを、浮き彫りにします。明快な因果関係があるのです。
   情緒纏綿たる映画のように見えて、実際には、理性的で、相当に理詰めな因果関係が、描きされています。これは、現代でも、非常に新しいし、世界中で理解を得られるでしょう。「おしん」が世界中の人の対日感情をよくしたことを思えば、この映画を、新しく世界へ売り出して行くのは、相当に効果かがあるように思えます。
   もうひとつの懸念は、第一話と、特に、第二話が、やや、予定調和に過ぎるところ、・・・・・
   それでも、樋口一葉が、ここまで丁寧にディテールを書いているとは思われないので、脚本家、水木洋子が、すばらしいのだろうと思います。グーグルで検索をすると、生前の邸宅だ市川市に寄付されたというお話ばかり出てきます。もっと、業績を書いてほしいなあ。誰かが・・・・・

ああ、しかし、後日知るのですが、この夫婦が、有馬稲子を、大変苦しめたという事を。
  
2012年3月3日  雨宮舜 (川崎千恵子)

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ウィキリークスとは何だったのか? 田原総一郎、崔洋一、伊藤玄二郎、イミョンバク大統領

2012-03-01 21:33:20 | Weblog
  今、3月2日の午後一時です。これから、下記の文章を推敲し始めます。少し、言葉を足すかもしれません。そして、これは、私が最近書いているものと独立しているみたいですが、どこで、つながっているかも明らかにしていきます。推敲後の最先端は、@@@@罫線のところです。

副題1、『女性宮家の創設への諮問は、田原総一郎の復権を目的としている』
副題2、『田原総一郎は、どうして、この様な人間として、出来上がったのか?・・・・・その結婚を考える』
副題3、『田原総一郎は、どうして、この様な人間として、出来上がったのか?・・・・・その結婚を読み解く』
副題4、『イミョンバク大統領まで使役をされている。・・・・・従軍慰安婦問題が、なぜ、脅迫に使われるか?』
副題5、『崔洋一監督は、こんなところ、ミヤネ屋で、生活費を稼いでいたのだ』
~~~~~~~~~~~~~~
副題1、『女性宮家の創設への諮問は、田原総一郎の復権を目的としている』

1;  この件ですが、会議が、どうして、今週から盛り上がったかについて、私はうがった見方をしている人間です。昨、晩秋に提起されて、いったん雅子様(皇太子家)の意向が、プラス方向ではないので、沈んだとされる話題が、どうして復活したかです。
  それは、田原総一郎氏を、表に出し、一般的なレベルでの人気のある評論家として、マネーロンダリングさせ、復活させることが目的でしょう。この人は、映画『コーヴ』公開のときに、露骨に、製作側の味方をしました。
  捕鯨問題は、例の核を売り込んでいる====だから、日本が放射能汚染のるつぼとなってしまった====側が、『日本が悪い。日本人はダメな人間だ』と世界中の民衆を洗脳させるために行っている行動(=キャンペーンです)です。ですから、それに乗っかって、それを、好意的に宣伝するなど、彼ら側に立っているということの証明なのです。

この国ではまともな意見がマスコミに載ることが少ないので、彼と崔洋一監督などは、そちら側で、突っ走りました。そのあとで、3.11が起きたのです。もし、3.11が起きなかったら、田原総一郎氏は、あのまま、偉そうに突っ走ったはずですが、私のように、ずっと観察している人間が居るので、すこし、逼塞していて、BS朝日や、深夜番組だけで、活動していたのです。が、そろそろ、彼を洗浄化して、表に出したいと願っている連中が居て・・・・(というのも口が達者なので、国民の洗脳用に、有能だとみなされています)・・・・
  どういう形で、国民の前に、大物として復活をさせるかを考案して、この「女性宮家の創設の問題』で、第一回目に招かれた評論家としては、大物だという箔付けをしてもらったのです。
  テレビニュースでの見かけ上は、「私は、女性宮家の創設に賛成です」といっているので、『ああ、この人は立派な人間だ。まともだ』と、大勢の日本人は思うでしょう。

2;
  が、本日主人が休日で家にいて、偶然ついていた午後のテレビで、日本テレビの宮根さんの司会するニュースショーで、もっと長く、田原氏の言葉が出てきました。そうすると、彼は「女性宮家の創設は、いいのだけれど、子供が生まれたときに、もしそれが、男の子だったら、天皇にはさせない」といっていました。これでは、女性宮家創設の、本質的な目的のうちの大きな部分が失われます。つまり、小さな部分では賛成して見せて、もっとも大きな部分では、反対です。『なるほど、ちっとも変わっていないわね。彼の詭弁は、今も健在です。それなのに、この件で、マネーロンダリングをさせるとは、エージェントたちも本当にあくどいなあ』と感じます。
  つまり、この国を、被・植民地国家として支配したい、例の、その核を売り込んでいるグローバリズムの世界での、この国の真実の支配者にとって、1945年に便宜的に、残した天皇制が、その復活と、機能回復をはたして、また、新たにこの国のへそ(一種の中心)となってしまい、そこを中心として、国民の団結が図られると困るからです。私は決して、右翼ではありません。でもね、ホリエモン、橋下市長、など、そのほか、少しでも、人気があり、国民の中心として、その下に、国民がまとまりそうな人間が現れると、どんなに足を引っ張られるかを観察しぬいてきたので、そちら側がどれほど、英雄の誕生を恐れているかを、確定的に知っているのです。この国で、光が当たっている人間は、人脈のコネの件で、必ず、そちら側につながっています。(笑)
3;
  この田原氏の起用と、女性宮家創設の諮問会議復活の、裏側の忌まわしさを感じ取るのです。きっと、次の会議は、報道されないでしょう。次の会議そのものも開かれるかどうか、怪しかったぐらいですよ。私が、ここで、はっきり書いたので、彼ら、あくどい発案者(エージェントとして、この国をどう支配したらいいいかを、日夜考えている、少数の人間たち)も、『ああ、そうか。そこまでこの国の国民は頭がいいのだ』と、推察し得て、少しは反省して、二回目、三回目が開かれて、やがて、女性宮家が創設されるでしょう。国民だって、それを望んでいますから・・・・・だけど、このお子様が男の子だった場合、天皇に成れるのか、なれないのかと言うポイントで、またもめて、実際には創設にいたらないかもしれません。
  でも、「女性宮家は創設いたしました。が、そこに生まれた男子には天皇家は継がせません」となると、その新しい宮家は、結局のところ、高級女官というに過ぎなくなって、何の実質的な、天皇家・存続への影響も与えないとなります。さあ、どう流れて行くか、丁寧に観察していきましょう。国民の皆様の間に、この件で論議が活発に起きることを期待しています。
  これは、後で、少し足します。が、それは明日付け加えます。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『田原総一郎は、どうして、この様な人間として、出来上がったのか?・・・・・その結婚を読み解く』

*****この部分を3月2日に加えますが、これが、非常に大切な部分です。
1;
  日本に住んでいて、この国の穏健な、国民によって、稼がせてもらっていながら、裏切っているひどい存在が、田原総一郎氏です。汚いという以上の存在です。小選挙区制度が導入されたころの彼の、恐ろしい恫喝に満ちた、短絡的な・・・(出席者ををせかせ切って、十分な論議ができないようにさせる手法をいつもとる)・・・指揮ぶり(テレビ朝日の、サンデーモーニングの中でですが)を、忘れてはなりません。
  週刊朝日とテレビ朝日を舞台にして、有名にしてもらって、大金を稼ぎ、えらそうにしてすることを準備してもらっていながら、その基盤となる安定した平和な、この国を裏切っている存在です。
  この国が、本当に追い詰められたら、誰が週刊朝日など買うでしょうか。『ばかばかしい。こんなものを読んでいる暇はない』となって、週刊誌など買わなくなるはずです。
  テレビは、相当な人数の人が、『あんなものは見ていられない』とすでになっているとは思います。

  ところでね。ここで、心理学的な分析に入りますが、この人は、数年前に、前の奥様との離婚が成立して、新しい結婚を公開しました。
  相手は、仕事上で出遭った『できる女性』の典型で、「そこからインスピレーションをもらう理想の関係だった」と、御本人は言っています。
  しかし、いわゆるダブル不倫です。相手の方にもご家庭があったのです。それを、いわゆる略奪婚という形で、相手の女性が妻として、または、母として構築していた、そちらの家庭を壊すという形で、完成したのです。有名人田原総一郎氏が主役として、最もおいしいところを取り、後の有名人ではない、二人が、取り残されたという形になります。はっきり言えば捨てられたという形です。
  こんなことを公開したのは、スキャンダルとして、それが、足かせになることを恐れてだと感じますが・・・・・、昔だったら、普通の日本人は、こういうタイプを忌避したでしょう。テレビという小市民的な道徳観で律せられている社会においては、『大きな顔はできない存在』のはずなのです。
  そういう選択をするところから考えても、この人は、相当に不誠実で、自己本位だとわかります。

  ただし、御本人は、ここを攻め立てられると、「ふん、英雄色を好むということわざを知らないのか?」と、言って逃げ出すのかもしれないし。

・・・・・そして、このポイントでは、彼の周辺にいる人間は誰も彼を責めないのでしょうね。その新しい奥様自体も、これが、大衆的に相当な損失を与える情報であるという判断はできないので章。となると、それほど、立派な秘書でも、プロデューサーでもなくて、性欲とか名誉欲に目がくらんだ、彼とそっくりな人材だとなります。そういう人間が、今東京で、偉い人として、機能しあっているのです。
  そして、他人ですが、自分がテレビの世界に出ようと思えば、彼をけなすことは損失につながると考えるのでしょう。

  しかし、これは、非常に大きいです。市民の代表として、「自分は貧乏な若い時期を送って早稲田は夜学で出た」と言ってもいる彼が、一方で王侯貴族並みの愉悦というか、悦楽を享受しえている。しかも、これとそっくりな人生を送っているのが井上ひさしです。私から見れば、二人は同じ穴の狢ですから『そりゃあ、そうでしょうね』と感じます。
~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『イミョンバク大統領まで使役をされている。・・・・・従軍慰安婦問題が、なぜ、脅迫に使われるか?』

  この中で、これから語る、伊藤玄二郎だけは、覚悟が足りないです。自分が経営する会社名と同じ鎌倉春秋という名前を関した陶芸教室を開かせた石川和子が、元愛人であったという件を隠そうとして、抜群の公費を無駄遣いさせている大悪人ですから。『はい、堂々と、そういたしました。彼女を鎌倉市の公民館等に送り込んで、えらそうにさせて、大金を稼がせてやりました』と、居直ったらいかがですか?
  私、この連中に莫大な被害を与えられていますので、つい激越な調子で話をすることとなります。

  これから、順次語って行く害悪は、聞くだに恐ろしいものです。私だって、最初は関東学院の教授をしている人間が、ここまでのことをするかしら?」と不思議でならなくて、すべて推察できていましたが、なかなか、語らなかった次第です。が、タガが外れたメルクマールと言う機会があって、大原光孝氏が、何度目かのこととして、ひどいいじめをかけてきたときに、パンドラの箱が開いたのですが、

  今回、岩手大学卒で、岩手県、盛岡市で、タウン誌の編集をしている会社「のびあ」を経営している高橋真樹女史が、ひどい攻撃をしてきたことで、二回目のメルクマールとそれがなりました。本当に、覚悟を決めて、これを書き始めています。ここに、名前をさらされたかたがたが、抗議をしたいのなら、彼女に御連絡を取ってください。グーグル等で、検索できるでしょう。それを引っ込めたら、盛岡市にある有名店にお問い合わせになったら、結構大勢の彼女のタウン誌と、宣伝の問題で、知遇があるのではないですか?

  その前に、12月と、1月に我慢をして、こういう政治的な問題に触れなかったときに、どんどん、小沢一郎擁護の気配が高まって、とうとう陸山会事件が無罪になりました。
  その上、悪い方向へ悪い方向へニュースは流れ、なんと、2月29日いミョンバク大統領は、またまた、従軍慰安婦の問題を出しました。

  しかし、それがなぜか、皆様お分かりになりますか? 私が重要な進歩を、このブログの世界で遂げたときに、それを否定するために、『私を脅迫する手段の一つとして、必ず韓国政府は使われるのです。
  私のパソコンへの破壊とハッキングについて書けば、
  第一段階としては、
  ウィルスが、はやっているという大ニュースが流され、
  1は、トロイの木馬、
  2は、ボットウィルス
  3は、ウィキりークスです。

  ウィキりークスは、今、トンと静かですよね。私がそんな脅迫に乗らないので、それを大騒ぎしても、書くのを止めさせる効果がなかったからです。

  そして韓国の政府のパソコンにハッキングが入ったとなります。それから、それでも、書くのを止めないと、今度はソニーが、情報漏れを起こしたとなります。時には新幹線のスパコンに何かが入って、新幹線のダイヤが乱れるとなります。
  もちろんすべて正しいので章。我、そういう破壊活動を起こされたタイミングは、すべて、私のブログが、重要な真実へ触れ始めたときです。特に伊藤玄二郎に供さされて動いた人物名を特定したときに、激しい形で、それが起こります。

  今回は瓜南直子と、金田裕子と、高橋真樹という三人の女性を守るために、これほどの、屈辱を日本人全体が味わわされました。
  わかってくださいます。この三人は面と向かって、私をフェイスブックの世界で苛め抜いてきたのです。
  それを、はっきりと書き始められて、あわてた伊藤玄二郎が、しかるべき筋へ、救済を願いたてて、・・・・・または、
  警察庁長官が動いて、
  ・・・・そうなんですよ。日本の警察庁なんて、首相の管轄下にはないのです。世界を牛耳る国際的軍産共同体に、直に結びついています。そちらの命令どおりに動く存在です。

  まあ、日本人がイミョンバク大統領を動かすとしたら、鎌倉のファンドマネージャー木村某氏か、成岡庸司君などの、トップレベルのエージェントでしょう。成岡訓だけは、最近40年間では、大衆の目の前に姿が現れていないので、勇み足になってしまうことを恐れますが、ともかく、伊藤玄二郎が、直に韓国へ電話をかけているとは思えません。
  もちろん、いまだ生きていて、重大な諜略行動の案を練っているだろうと推察される、井上ひさしが、直接、イミョンバク大統領と、電話ができるとは考えられません。

  ただし、小沢一郎、または、稲盛和夫氏なら、直接イミョンバク大統領を動かせるでしょう。
*******、ここまで、3月2日に新たに、挿入いたしました。それで字数としては、ほぼ二倍になりました。
~~~~~~~~~~~~~


副題3、『崔洋一監督は、こんなところ、ミヤネ屋で、生活費を稼いでいたのだ』
1;
 崔洋一監督が2010年の春だったか。日韓関係をテーマにしたNHK特番内で、すさまじくもヒステリックな暴言を吐いて、見ている人全部を凍りつかせた件を覚えておられますか?
 私は、ひどく怒って、珍しくインターネットサーフィンをして,世間の人がどういっているかを確認しました。すると、皆さん、崔監督批判です。ほとんど一色という感じで、崔洋一監督批判に回っています。
 別にそれに力を得たわけではなくて、
 どうして、この人がこれほど、威張ったらしい発言ができるかの裏側を探るべく、いろいろできる範囲で、調査・確認をしたのです。

 そうすると、日本映画監督教会の会長なのだそうです。驚き入りました。そういう組織があるのでしょうか? それは、日本にひとつの統一的なもので、権威があるのでしょうか? わかっている方は、教えてほしいです。
 私は、そういう会で、互選として、または、投票で、この人が会長に選ばれたのかどうかを知りたいです。
 画家の場合は、みなさん、ほとんど、自主独立的に動いていますが、強いてあげれば、日本美術家連盟が、各公募団体展を、旧官展、旧在野団体を、問わず、網羅的に、会員を募集していますので、どちらかというと、ここに一本化されていて、日本で、唯一の統一的組織であるといえます。でも、美術評論家など、少なくとも、組織が二つある模様で、
 映画監督業、の業界も、組織がいくつもあり、そのひとつが、崔洋一監督をてっぺんに抱いているのでしょうか?

 ともかく、『ええ、どうしてこうなるの?』と不思議です。だって、彼の映画って、『月はどっちに出ている』一本ぐらいしかないでしょう。ほかに当たったというものを聞いたことはありません。どうして、この人が長なんでしょう。不思議でなりません。

   NHKでの、大失敗の前から、このミヤネ屋というニュースショーに出ていて,あの失敗をものともせず、に、出演を継続していて、プロデューサー側も切れないのでしょうか?
  真実は彼が在日の出自だから、失敗も、見逃してもらえるし、常に暖かい態度で、テレビ界での、優遇席を、準備してもらえるということだと思います。
  だけど、私がブログで書く意見は、相当に珍重されています。明言は誰もしてくれませんが、ニュースのでき方、もって行き方を見ると、それが、わかります。で、私が激しく批判を展開したということは、少し彼を引っ込める必要があると考えたはずです。または、かれをそれこそ、マネーロンダリング(洗浄)する必要も感じたはずです。
それは、私自身が、日本人のある種の心の平均値であるとみなされていますので、彼の生活費の援助を確保してやる一方で、国民から反発を受けていることは、例の国際的軍産共同体は、十分に認識をしたはずです。彼が映画監督協会の会長を務めることができるのも、故(?)成田豊氏などの大いなる、互助組織、互助システムに乗っかって、居るからでしょう。彼らエージェントたちは、国際的軍産共同体の意向を受けて、国際関係上は、日本より韓国を上に置き、日本国内においては、政界、文化界、芸能界、すべてのおいて、在日の出自を持つものに支配をさせると言うコンセンサスができているはずだからです。

3;
  非常にさもしく見えたり、聞こえたりするから、なかなか、言いたくないのですが、すでに、既得権益になっているテレビ出演とか著書の公的出版が、一部の人に偏っていることは、すべての人が疑問に思っていることです。そして、彼らが、別に人気があるわけでも、能力が高いわけでもないのです。なんというか、人脈の問題で、死かも先ほど言ったように、この国を在日の出自の人で支配をさせるという共通認識が世界のトップ(大統領などだけではありませんが。裏側のトップを含みます)にある限り、崔監督は、自分は絶対に安全だ。テレビの世界からは、下ろされるはずがないと、信じているのでしょう。
  昔、こういうお昼のニュースショーで、大人気を得ていた、前田武彦氏が、失言(共産党を支援した)で、テレビ界を干されてから、ほぼ、50年近くたって居ますが、その手の純朴さは、すっかり、息を潜めているらしいです。
  しかし、その秋のことです。鎌倉小町通を歩いていたら、川喜多記念館の催し物を知らせる看板があるのに気が付きました。そこに崔洋一監督出演とあります。講演会です。「えっ」と驚いてさらに丁寧に見ると、同じ日に、鎌倉春秋社の社長、伊藤玄二郎氏も講演をします。『なあんだ。同じ穴の狢同士で、助け合っているわけですか?』と納得至極です。
  この伊藤玄二郎という人は、いまだ、大衆的には名前が通っていない人間ですが、鎌倉に住んでいると、深いいぶきの伝播として、彼が、どれほど、深く国際的、軍産共同体にめでられているかがわかります。NHKの番組などもいいように動かせる人間です。
  なるほど。鎌倉市民の税金を使って、崔監督をマネーロンダリングしてあげるわけですね。なるほどなるほど、お仲間同士ですから』と、納得はしたものの、こちらは怒り心頭です。川喜多記念館は、旧川喜多かしこさんのお屋敷を、市が寄贈を受けてプチ映画博物館としているもので、鎌倉市の税金でほぼ運営をされています。この伊藤玄二郎という人物ほど、こういう風に他人のお金を利用して、自分の地位を高めている存在はありません。このケースでも、崔監督は感謝至極なはずです。そして、鎌倉の川喜多記念館で、講演をしました』という宣伝文句を、全国の知自体に向けて、発信し、新たな講演会場を見つけて、企画を、彼本人はまたは、所属事務所に手配をさせ、次から次へと講演料をせしめているのでしょう。そして、その講演料で、高価な服を買い、高価な靴を買い、高級なレストランに関係者を招待して打ち上げ等を行い、相手を煙にまきつつ、さらに、人脈を広げて行くというわけです。
  その一方で、こういう人たちが、映画『コーヴ』を推薦するので、世界の悪人たちは、容易に円高を続け、エルピーダを破産をさせ、イランでの、原油の、開発既得権を破棄させ、あまつさえ、石油そのものも淫乱から買うなと、いじめ放題に、日本をいじめています。
  私は、自分が誤解を受けることはかまわないのです。『あいつは、自分がお金がほしいんだ。テレビの世界へ、自分が出られないから、出ている人間をそねんで、悪口を言うのだ』と、彼らは言うでしょうし、その流れが自分まで届くことがあっても、別に、恐れはしないのです。ただ、ただ、こういう人物たちが、この日本を悪くしていて、まっすぐな改良が一切できない国にしてしまっていることは、ここで、力説をしておきたいと思っています。本当の悪人たちちは、こういう人間なのです。でも、その顔を、二年見ないうちに、さいよういい痴漢特は太っていましたよ。良心も脳みそもない、単なる風船みたいな、体だから、この期に及んでも、たいそうに、太ることもできるのでしょう。驚きます。悪人生活には。多分、一ヶ月に、150万から、200万円の収入があり、ますます居丈高になっていると思われます。
  AIJの倒産という88万人の中小企業の連合体の年金が、奪われた件もみんなここへつながって行くのですよ。そして、まじめで賢い人は、こういう伴国を見ないので、知らぬうちに怒涛へ巻き込まれて、不幸にさせられているのです。金融商品で、損失を多大に出してしまった人は、日本中に満ち溢れていると感じています。

    その一方で、こういう人たちが、映画『コーヴ』を推薦するので、世界の悪人たちは、容易に円高を続け、エルピーダを破産をさせ、イランでの、原油の、開発既得権を破棄させ、あまつさえ、石油そのものも淫乱から買うなと、いじめ放題に、日本をいじめています。
  私は、自分が誤解を受けることはかまわないのです。『あいつは、自分がお金がほしいんだ。テレビの世界へ、自分が出られないから、出ている人間をそねんで、悪口を言うのだ』と、彼らは言うでしょうし、その流れが自分まで届くことがあっても、別に、恐れはしないのです。ただ、ただ、こういう人物たちが、この日本を悪くしていて、まっすぐな改良が一切できない国にしてしまっていることは、ここで、力説をしておきたいと思っています。本当の悪人たちちは、こういう人間なのです。でも、その顔を、二年見ないうちに、さいよういい痴漢特は太っていましたよ。良心も脳みそもない、単なる風船みたいな、体だから、この期に及んでも、たいそうに、太ることもできるのでしょう。驚きます。悪人生活には。多分、一ヶ月に、150万から、200万円の収入があり、ますます居丈高になっていると思われます。
  AIJの倒産という88万人の中小企業の連合体の年金が、奪われた件もみんなここへつながって行くのですよ。そして、まじめで賢い人は、こういう伴国を見ないので、知らぬうちに怒涛へ巻き込まれて、不幸にさせられているのです。金融商品で、損失を多大に出してしまった人は、日本中に満ち溢れていると感じています。
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