1.炷
これまでのを私は、針灸免許をとって十年経た頃まで、恥ずかしながら、モグサをひねって小さくして立てたものを艾柱(がいちゅう)と誤って記憶していた。針灸学校教員になり、灸基礎実技を教える段になって、艾炷だと知って仰天した。それでも、<炷>という文字に特別に注目することはなかった。
1)線香の燃えつきる時間
永平寺に一年間、座禅修行に行った人の本を読んでいる時こと。「時間にして四十分、一炷とよばれるこの時間は、線香が一本燃えつきる時間を意味し、永平寺の座禅はすべてこの一炷単位で構成される‥‥との記載を発見した。こうしたところにも<炷> という漢字が使われていることを知った。そこで<一炷>について漢和辞典で調べてみると、<禅寺では線香が1本燃え尽きるまでの時間(40分)を一炷と呼び、坐禅を行う時間の単位とした‥‥>とあった。永平寺で使われている線香は、長寸タイプらしい。というのも、時計がなかった時代には、線香の燃えつきる時間を一つの単位とした。ゆえに線香の長さには決まった単位があって、票準とされた中寸サイズは、13~14㎝の長さで、燃焼時間約25分だということなので。
江戸時代、遊郭では線香の火がたち消えるまでが芸子と遊ぶ時間と決まっていて、延長する場合2本3本と線香の火を足していった。線香が1本燃えつきる間、客人を飽きさせないよう接待できるようになることを一人前といい、一人前になったことを一本立ちといった。一本立ちの語源はここから来ているという。ちなみに線香1本分の遊び代は、現在の価格で2万円程度だという。
線香の燃え方が一定であることから、江戸時代以前には時計として利用された事実もある。これを線香時計あるいは香時計とよぶ。
線香時計とは線香を横に寝かせた長方形の器の両サイドに、溝が切ってあり、そこに糸を横たわらせ、その先には「青銅の玉」がある。時が経って線香が次第に燃え、やがて線香の火が糸の処に行くと、熱が糸を焼き、すると玉が落下して、下の鈴を鳴らす。現代でいう時報に似ている。
香時計とは、灰床の上に、抹香(まっこう:粉末状の香)を播き、直線を折り曲げた規則正しい幾何模様を描いておく。その一端に火をつけ、燃え進んだ長さで時刻を計るというもの。灰床の大きさに合わせた木製の板に、一筆書きのような迷路模様のスリットが開けてあるのを用意しておき、この木枠を灰床の上に置き、スリットにお香を敷きつめておく。
しき
2)炷(しゅ)とは?
では<炷>の意味を辞書で調べてみると、<①ともす。芯をたてて明かりをつける。または線香をたててともす。②線香などを数える単位。>とあった。そうであるなら、艾炷とはモグサを燃やすこと、あるいは燃やすべきモグサというような意味になるだろう。その燃え方は、ボッと一度に全部が燃えるのではなく、まるで線香のように、下へ下へとゆっくり火が燃え移る様を思い浮かべる。<灸>という漢字は火+久に分解できるが、この<久>には<長く続く>の意味があり、<灸>の文字全体としての意味には、<長く続いてもえる火>という意味がある。
通常の半米粒大や米粒大艾炷の丈夫に点火すると、ゆっくりと下方に燃え、全部燃えて終了する。このような小さなかたまりでは気づきにくいことだが、燃焼丸めた点灸用上質もぐさの隅から火をつけても、まるで野焼きのように、途中で絶ち消えることなく、一定の速度でゆっくりと燃え広がり、最後には灰のかたまりになる。 これも特筆すべき、もぐさの特徴的な燃え方である。
3)炷(た)くとは
ある日、70歳くらいの女性患者の治療をしていたら、家でお灸を炷(た)いた‥‥」という言い方をした。ご飯を炊く、風呂を焚く、とはいうが、灸を炷くというのは違和感があった。そこでネットで「炷く」およびその類義語を調べてみた。
炊く:食物を煮る。
薫く:くすべて煙をたてる。火をつけて香をもやす。
焚く:①炎や煙をふき出してもえる、もやす。②ある程度の広さがある空間で、香に直接火をつけて匂いを漂わせる。
炷く:①間接的に熱を加えることにより、香木に含まれる香り成分をゆるやかに解き放つ。②線香に火をつけてもやす。
つまり「炷く」とは、香りを放ちながら、ゆっくりと燃やす、といったニュアンスになると思った。
2.艾と蓬
もぐさは漢字では艾になるが、よもぎは漢字では艾と蓬の2種類ある。そこで艾と蓬の違いを漢和辞典で調べると、艾は<刈り取った草> で、蓬は<ぼうぼうと生えている草>だという。
確かに、もぐさを製造するには、まずよもぎを切ることから始める。ヨモギはかつては河原などでごく普通にみられる野草だった。
3.壮
お灸をすえる単位には、<壮>を用いる。代田文誌著「十四經図解 鍼灸読本」(絶版)を見ていたら、<壮>という単位を使う理由が書いてあった。以下引用する。「灸一灼を一壮と云うは、壮年の人にあてて幾灼と定めたれば、壮と云えり。年寄りたる者、いとけなき者は、ほどほどにつけて、その数を減ずるなり。」(榊原玄輔著「榊巷談苑」より)
壮には、盛んにする、元気づけるという意味がある。
以下余談。現代では壮年は、青年期の次に迎える時期をさすようで、気力体力ともに充実した働き盛りの年頃をいう。ちなみに熟年という言葉は新しく考案された言葉で、1980年代からマスコミを中心に広がった。もとは老人ということだが、現代では中高年の意味に使われている。