AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

筋痙縮時の自己防衛策

2023-02-28 | 下肢症状

もう少し寝かせて成熟させて発表しようと思っていた題材があったのだが、「しゅう鍼灸院」の柏原修一氏から下記1の記事があることを教えてくれた。記事が鮮度を保っている間に、この内容を発表することにした。


1.マラソン中、足が痙攣したら安全ピンで刺した話

 
令和5年2月26日放送のフジテレビ「ジャンクSPORTS」の中で、(元マラソン選手の福士加代子は、高校時代に長距離走中に足が痙攣した際は、叩いたら痛みを忘れるとかあるとかで、安全ピンで自身の足を刺したという話をしていたという。

これはテレビで流して良い話ではない。マネされて事故が起きればテレビ局の責任になるからだ。
ピンで刺すのは衛生面や安全面に問題はある。ただし強く痙縮する筋に対して、痙攣している部を自分の指腹で強く強圧して急場をしのぐ行為は、普通のことではないかと思った。
 

2.腹筋痙攣に対する自己対策
 
私は以前から無理な姿勢で上体を前屈した時などに、突然片側の内腹斜筋がつることがあった。年に1~2回のこと。つった瞬間は、自分でも分かり大した痛みはないが、数秒後から次第に腹筋か強く収縮して耐え難いほどの痛みになるのが常だった。それを必死で我慢すると、数分後に痛みは自然消失する(ときに筋の一部分に持続性収縮状態が残ることもあり)。

つった瞬間、から激しい痛みに至るまで、猶予は5秒間程度あるので、何とか激しい痛みにならないよう、自分なりに対策をたててみた。
対応A:前屈して腹筋をゆるめておく
 →でいつもより強い筋痙攣が生じ、最悪の結果だった。

対応B:腹臥位となって床に寝て、上体を起こすことで、腹筋を他動的に伸張させる
 →何もしないより痛みは2~3割減っただけ。
対応C:これから腹筋が痙攣するのを見越し、あらかじめ自分で腹筋を収縮させておく。
 →何もしないのと比べ、痛みは1/3程度となった。
  

なぜこのような結果になったのは不明だが、対応Cは制御された筋収縮になったのではないかと思っている。部位的に指頭で押圧すると、皮下組織が多いので筋を強圧するには無理があった。


灸頭針の歴史と方法、および適用について ver1.1

2023-02-17 | やや特殊な針灸技術

1.灸頭針の歴史

昭和6年、東京の芝で開業していた笹川智興氏発案による。婦人雑誌へ発表した処から一般に知られるようになった。発表当時は、鍼頭灸という名称だった。笹川智興の方法は、今川正昭氏「灸頭鍼の周辺」(医道の日本、昭和60年10
月号)に詳しく載っている。それによると、元々の方法は比較的長鍼を用いて斜刺し、モグサを丸めて鍼柄にからめて点火する方法だった。浅刺の場合には、鍼はモグサの重みで倒れぬよう、丸めたモグサで鍼を支えていたということである。

 

田中博氏によれば、柳谷素霊は笹川氏自身から教えを受け、柳谷素霊の門下生である西沢道允氏が赤羽幸兵衛にそれを伝え、赤羽幸兵衛が「灸頭鍼法」を執筆して広く知られるに至った、という流れとなるらしい。(「灸頭鍼入門(6)笹川智興氏の軌跡」医道の日本、昭和61年5月号)。なお田中博氏の同上文献によれば、灸頭鍼という名称を考案したのは柳谷素霊であり、この名称が広く普及したのは赤羽幸兵衛著「灸頭鍼法」によるということである。 

当時の鍼は、鍼柄と鍼体がハンダで連結されているだけで、熱はもちろん、ちょっと力を入れると継ぎ目で折れてしまうほどで実用にならず、赤羽氏も相当苦労した。結局、太めのステンレスの鍼で、鍼柄を半田ではなく、カシメで方式でつなぎ、その上に中央部に鍼柄が被さる塔のような管がついた金属製のお皿を乗せ、お皿の上でもぐさを燃やす方法を考案した。1970年代以降は、鍼もステンレス製が中心になり、鍼柄も大半がカシメ式になったため、現在では鍼に直接もぐさをつけるようになった。


2.灸頭針の基本手技(田中博氏の見解を中心に)

1)ステンレス針柄、ステンレス鍼を使用する。
鍼の太さは直径0.2㎜(3番鍼)以上が必要。鍼が細いと艾炷の重さに耐えきれず、鍼が彎曲する。一般に顔面では1寸、腰殿部では寸6、四肢体幹部では寸3と使い分ける。

2)灸頭針に通常の透熱灸モグサを使うとコスト高かつ温感が弱すぎて使いづらい。温灸用の下等モグサは安価で燃焼熱量が高いが、パサついて球状に丸めにくく煙の量も非常に多い。無理に丸めて針柄にとりつけても、燃焼中落下の危険がある。ということでその中間である灸頭針用モグサを使うのが普通である。価格も透熱灸用モグサと温灸モグサの中間くらい。近年、灸頭用モグサとしてあらかじめ丸く固めてあるものが市販されている。多量に使う治療院ではコスト高になるだろうが、たまに使う分には必要十分だろう。

3)皮膚と艾炷底面との距離は2.5㎝で、艾炷直径は1.8㎝(0.5g)。なお艾は、いわゆる灸頭針用艾すなわち中級艾を使用し、できるだけ固く丸める。鍼の長さが変わっても、皮膚と艾炷底面との適切な距離は変わらない。

※ちなみに一円硬貨の直径は2㎝である。艾炷直径1.8㎝というのは、私のイメージからすると小さ目である。先輩から教わったのは、直径2~2.5㎝すなわち1円玉~10円玉硬貨大で、フワッと固からず軟らかからずに丸めるというもの。これは固く丸めすぎると、点火しづらくなるため。この艾炷の大きさしたなら、艾炷と皮膚との適正距離は3~4㎝である。

4)点火は、マッチやライターでもよいが、使い勝手は、チャッカマンタイプの方が使い勝手は良い。
点火する部位は、艾の下側から行う方が熱効率は良い。艾炷の上側から点火するなら燃焼するにつれ、針体が倒れ、皮膚に近づくので、患者は熱くて悲鳴をあげるなりかねない。艾の重量で針が傾いている場合、傾いている側(皮膚に近づいている側)から点火した方が、艾が燃えるにつれ、針の傾きが修正されるのでお勧めである。

直刺した針柄にとりつけた艾炷であっても、艾炷の上から着火するより、下から着火した方がよい。上から艾炷を燃焼させると、患者が暖かさを感じるまで時間を要し、結局暖かく感じる時間が短くなってしまう。


)灸頭鍼は、通常は3~5壮行う。1壮目が燃え切ったら、燃えかすを軽く取り除き、2壮目をつけるが、その際、鍼柄は非常に熱くなっているので、火傷防止の意味で術者の手指が鍼柄に触れないような注意が必要である。指が針柄に触れることなく、艾炷を丸めることは意外に難しい。燃えかすを取り除くには、専用の器具を使う方法もあるが、カットした乾綿でも間に合う。2枚のカット綿を使い、灰を挟むようにして両側からすくい上げ、灰皿に捨てる。

6)目的とする壮数を燃焼したら、燃えかすを取り除いた後、ピンセットまたはカット綿で針体をつまみ、抜針する。不用意に針柄を指でつまんて抜針しようとすると火傷することがある。

7)万一燃焼中の艾炷が患者皮膚に落下した場合、すばやく艾を取り除かないと患者が火傷するばかりでなく、熱さに驚いて急に体を動かすことにより、他部位の燃焼中の灸頭針艾が落下したり、折針したりする大事故にもなりかねない。取り除くための道具を探すような時間的余裕はないので、術者は間髪を入れず、素手で燃焼中の艾炷をつかみ、灰皿に入れる他ない。ごく短時間に行う操作なので、術者の手指はほとんど熱く感じない。患者もほとんど熱さを感じない。

艾炷落下防止のため、灸頭針キャップを使うのも一つの方法であるが、灸頭針キャップは重いので針がしなりやすく、それを避けるためにはさらに太い針を使わざるを得ない。灸熱を金属で遮蔽していることになり温熱効果が弱まる。何回も灸頭針キャップを使っていると、キャップがモグサのヤニで汚れ見た目が悪くなる。


8)艾炷の熱さを弱めるための道具を自作しておくことをお勧めする。ティッシュ箱を分解して、直径5㎝ほどの円に切る。”ハスの葉”のように下図のように一部を切り取った道具を何枚か用意しておく。患者に「熱い」といわれたら、その部に”ハスの葉”を置くと、熱さは大幅に緩和される。

 

 
3.灸頭針の利点(私見)

単に置針+温熱効果を期待するならば、置針した状態で赤外線を照射したり、置針した上から箱灸をするのが簡便である。それでも灸頭針を行うメリットは、刺針ポイントに対して十分な熱量を与えることができることにある。同じこと赤外線で行うと、広範囲に熱量を与えることができるものの、単位面積あたりの熱量は比較的弱いものとなる。

刺針点を中心に、熱量は距離の二乗に反比例した熱量を周囲に放射する。その結果次のメリットが生ずる。(たとえは不適切であるが、広範囲に被害を与えるため、原爆は地表ではなく、高い高度で爆発させたのと同じ)

①刺針直下のポイントでも、耐え難い熱さにはならない。

②数十秒間の持続した加熱により、深部温も上昇する。
田中博によると、灸頭針後には、刺激部位の皮膚温は、処置前皮膚温に比して約3度上昇し、治療後30分経過しても皮膚温は約1度高く維持されるという。
③加わる熱量は刺針部位から離れるにつれ、同心円状に連続的に減少する。これは熱したい部位を、集中的に熱することが可能という意味になる。 


4.灸頭針の欠点


①燃焼中、煙が多量に出るので、換気扇を回していても治療室の空気を汚す。

※近年、煙のでない灸頭針用艾が販売されている。艾を炭状にしたもの(炭化艾という)が発売された。わずかな衝撃でも欠けやすくモロいこと、値段が高いことが欠点であろう。私見では、火持ちが良すぎることは、治療時間が長引くので、これも欠点になると思う。

②落下の危険防止と熱管理のため、艾燃焼中は術者はベッドサイドで見守る必要がある。同時に行える灸頭針は
4カ所程度まで。燃焼中、患者が「熱い熱い」と叫んだ場合、その灸頭針の熱量を減らさねばならないが、もたついているうちに別の場所の灸頭針も「熱い!」と叫ぶ自体になることがあり、対処できなくなる。すると患者は熱さに我慢できず、動くので燃焼中の艾炷が落下したり、針が折れたりする危険性もある。また灸頭針として使った針は針柄が焼け焦げるので、見た目に悪いばかりでなく、再利用時には針管に通りにくくなり、挿管時に支障が出ることも多い。

灸頭針最大の欠点は、艾炷落下による火傷である。それが怖いので筆者は30年以上灸頭針をしていない。その代わりに箱灸を行っている。この箱灸は自家製である。数本置鍼しておき、その上に箱灸を設置する。艾炷落下の危険性がないので、術者は患者のそばにつきっきりになる必要はない。

箱灸の自作
https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/640d8106132c7fbf9e0d4a15657e5f73

上写真のモグサは、中国棒灸を八等分にカットしたものを使用。煙が多量に出るが、実際にはフタをして燃焼させるので業務に支障はない(換気扇を使用)。

 

③適切な加熱のため、皮膚から針柄までの距離を2~3㎝に保つ必要がある。深部にあるツボに針先をもっていくのではないので、刺針が浅すぎたり深すぎたりすることもある。
④原則として直刺しかできない。

⑤艾はかなりの重量になるので、針柄がたわたわまないためには、ある程度太い番程の針を使用しなければならない。(#2以下は使用し難い)


5.灸頭針の臨床応用


灸頭針の長所は、患者に無理なく、大きな熱量をスポット的に与えることができることにあると思った。その点、通常の刺針や施灸はエネルギー的には小さなものであるから、古典でいう「気血を動かす」ことは可能だとしても、気や血のエネルギーを増やすことは困難だろう。


灸頭針を行うと、針+灸の作用ということで、患者は特別な治療をされているという満足感が得られることも多い。実際、心地よい熱感を感じる。しかしあえて艾を多くしたり、艾と皮膚の距離を短くすることで、耐えられる限界あたりまで、皮下組織深部の皮下組織まで加熱することも行われる。これは通常の針灸をしても同じ場所が頑固に痛む場合の場合に行う切り札ともいえる。

 


お灸のトリビア ver.1,1

2023-02-16 | 灸療法

1.灸治療が庶民に広まったのが江戸時代

もぐさは西暦500年頃、朝鮮を経由して仏教とともに日本へ伝わってきた。中国にある棒灸は、日本のお灸の原型と考えられるが、お灸は日本独自に進化した伝統的な治療法。西暦700年頃僧侶が行う治療として隆盛を極め、江戸時代には庶民にも広まった。江戸時代には、「弘法大師が中国から持ち帰った灸法」というふれこみで打膿灸も普及した。


2.いくさにおけるモグサの利用法

もぐさは<戦さ>で使われていた。<戦さ>で怪我をした際にもぐさを使って傷口を焼いて、肉を盛り上がらせ、血止め・消毒をしていた。


3.庶民が行っていた灸治療

鍼は鍼医という専門家が行うもので、鍼医は今日での鍼治療以上に、膿を切開するなど簡単な外科手術も行っていた。古代九鍼のうち、鋒鍼は膿を出す穴を開ける用途で、鈹鍼は膿を皮膚切開して膿を出す用途として用いられた。これに対して灸は、庶民同士が行う素朴な医術だったので、灸医というものはなかったが、漢方薬(富山の薬売りが有名)は高価だったこともあって、治療の主流はお灸だった。多くは痛いところや、切り傷にお灸するとかの原始的方法だった。


4.乾燥したよもぎ葉を石臼で挽く理由

もぐさは、よもぎの葉を乾燥させ、繊維部分を石臼で挽いて細かくし、竹簾でふるいにかけてフワフワの状態に仕上げたもの。よもぎの総量の3%ほどしかつくれない。
石臼挽きを重ねたもぐさは線維が細かく、線維間に空気を多く含むのでフワッとしていて、燃焼温度も比較的低い。中国製のものは乾燥したヨモギ葉を電気式ミキサーで粉々にカットするが、このような製法では繊維間の空気含有が少なく、燃焼温度が高くなるので有痕灸用としては不適切である。
 

5.お灸の壮数について
   
お灸の壮数は、ほとんどが3・5・7壮と奇数になっている。これは古代中国において奇数が陽の数字としての意味をもち、灸をすえるという行為事態に「陽の気を補う」という意味が込められたことを反映している。(鍼灸甲乙經)
お灸の壮数で、病が深く浸透している者は、数を多くすえる。老人や子供では成人の半分位の量に減らす。扁鵲の灸法では、五百から千壮に至ったというが、明堂本經では鍼は6分刺し、灸は3壮と記し、また曹氏の灸法では、百壮することも五十壮することもあった(千金方) ということで、当時としても多様な考え方があった。

お灸のすえ方として、江戸時代頃までは、打膿灸と多壮灸が主流だったらしい。しかし現在の状況では、両者とも行い難い方法になってしまった。

 

6.排膿口がある場合に鋒鍼、排膿膿口がない場合には打膿灸
 
血が停滞して体内に熱をもって体内に腫瘤形成される。これを取り去るには内科的には湯液治療だが、鍼灸的には鍼による皮膚切開と、打膿灸による排膿の方法が行われていた。

1)皮下に腫瘤の存在が明瞭で、排膿できそうな場合

鋒鍼(△型に尖った鍼。三稜鍼)や火鍼(鋼鉄の太鍼を火で加熱)で皮膚を切開し、排膿口をつくって膿を外に出す。膿が溜まった部分の皮膚は知覚鈍麻しているので火鍼を行っても我慢できる程度だという。
 
2)皮下に腫瘤がない場合

打膿灸で排膿口をつくる。そして火傷部に膏薬を貼ってわざと治癒を遅らせ排膿を長くする。4~6週で膿を出し尽くす。すなわち傷口内部に砂や木片が残っているとなかなか治癒しない。同じく、傷部に異物(「無二膏」など)を接触させていると、治癒が遅くなることを利用している。
多壮灸による排膿をねらったものに、面疔に対する合谷多壮灸があり、戦前には桜井戸の灸とし賑わった。「
面口合谷収む」とは四総穴の一文である。

 

 

 

7.つぼの効能

今日でのお灸は、半米粒大の艾炷で、1カ所3~7壮程度が標準とされているが、昔は数百といった多壮灸が普通だったのかもしれない。ということは、灸治療の効果も、今日の常識を越える効き目があったのではないだろうか。

1)足三里 

①旅人のツツガムシ病の予防する

江戸時代になると、旅の道中もモグサを携帯するようになった。旅の途中、川を渡るとツツガムシ病に感染する恐れもあることから、お灸で予防していた。松尾芭蕉も奥の細道の旅立ちを控え、「三里」のツボに灸をすえて...と詠んでいる。(富士治左衛門(釜屋社長)東京 日本橋の観光・グルメ・文化・街めぐり情報サイト2015年02月【第52号)より)
  
※ツツガムシ病:オリエンティア・ツツガムシという病原体を生来もっているダニの一種。河川敷や草みらに幼虫は生息していて、そこに人が通ったりすると、皮膚にとりつき管を体内にいれて体液を吸着する。人の体内にその病原体が入ったときに発病する。発熱、刺し口、発疹は主要3徴候とよばれ、およそ90%以上の患者にみられる。また、患者の多くは倦怠感、頭痛を訴える。

 
②中高年者のノボセを下げる

<千金翼方>では「三十歳以上では頭に灸をする。四十歳で足三里にもお灸をしないと、気が頭に上って目が見えなくなる」書かれている。それが後の<外台秘要>では「人、四十にして三里に灸せざれば、目暗きなり」となっていて、文章の最初の「頭に灸する」の語句が抜けた。それ以後「年をとったら三里の灸をしなければならない」と伝わってしまった。もともと足三里の灸は、のぼせを下げるための意味付けが強かった。(一本堂学術部「 江戸の鍼灸事情と養生法」) 

頭寒足熱が理想の体調状態だが、これが逆転して頭熱足寒になると不健康になりやすいとは昔からいわれている。頭部より足部の温度が高いほうが人間快適であり、ゆえに床暖房がもてはやされる。就寝時、足冷でアンカを使うことはあっても、頭は掛け布団の外に出ていても意外に平気である。

 

2)膏肓
   
<千金方>で初めて膏肓穴が登場した。古い文献に膏肓は記載がない。膏肓の名前の由来は、「病膏肓に入る」の故事より。<晋公の病はすでに膏の上、肓の下にあるので治療できない>と医師の緩は語ったことによる。
   
しかし孫思邈(ばく)は、当時の医療では膏肓の取穴がきちんとできなかったからであり、このツボは万病に効く。600~1000壮すえることで、自分の身体補養になると言っている。  600~1000壮という壮数は、「医心方」にもあって、医心方中最も多い壮数となっている。


3)関元

南宗の時代の<扁鵲心書>では、罪人でつかまっていたが、90才過ぎても快活で1日十人の女性と交わっても衰えることがなかった。刑吏がその理由を聞くと、夏から秋への季節の変わり目に、関元に灸を千壮すえているだけだと言った。しばらくこれを続けていると、寒暑を恐れることがなくなり、何日も食事をしなくても飢を覚えることがなくなったと返答した。関元へのお灸は、百壮単位で行うのがよいらしい。

 

8.家伝の灸
 
家伝灸とは、ある一個人が自分の病気を灸で治した経験から,同じ方法で同一の病気を治そうと他に施し、それを子孫が伝えているものである。家伝灸の多くは打膿灸だった。わざわざ遠方まで打膿灸されに出向くこと、熱さに耐えること。こうした苦労を克服したからこそ御利益もあるという思いだったろう。要するに神仏にすがる思いと同種のものであった。
以下は代表的な家伝灸

1)中風予防の<熊ヶ谷の灸>膝眼穴

目的:中風予防の打膿灸取穴
刺激法:大豆倍大にして一ヶ所三壯、打膿灸(吸いだし灸)。
実施日:六月一日の二日の2日間のみ。治療代は一人2~3円。この2日間だけで6万円(現在の価値では6千万円)があった。小田急の鶴川駅はこの灸のためにできた。

2)面疔に対する<桜井戸の灸> 合谷穴 

https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/f383507bdb11c90225c42c9f3a6b8bf1

目的:面疔。昭和 28 年頃は副鼻腔炎に対しても行っていた。
方法:手三里と合谷に 30 壮~ 100 壮灸する。これを1日3回やる。面疔の治療は、化膿を待って切開するのか常で、したがって手の一穴(合谷)へ灸をすえれば必ず口が開いて排膿できるという。膿の出る口を開けるには、吸い出し膏薬を貼る。(代田文誌著「簡易灸法」) 痛みが出たら、再び合谷に数十~二百壮連続で、痛みがとれるまですえる。

面疔には下頤(かい)の灸というのも知られていていた。頤は「おとがい」とも読み、下顎の尖った先部分をいう。下顎中央の縦溝下端の骨上を取穴。灸の熱感が浸透して排膿するまで5~20壮(入江靖二著「灸療夜話」緑書房)。鼻は骨のでっぱりだが、顔面の中で、同じように骨のでっぱりという共通項から頤を選んだのだろうと思われた。

※面疔:目や鼻周囲にできた黄色ブドウ球菌感染症。常在菌である黄色ブドウ球菌が顔面の毛孔から侵入し、毛嚢炎が悪化して化膿し、セツの状態になったもの。抗生物質が有効。面疔は強烈に痛んだり、悪寒発熱など全身症状の出ることもある。軽度な面疔であれば、排膿後2 週間ほどで自然治癒する。病巣部である眼窩や鼻腔、副腔などは薄い骨を隔てて脳と接しているため、抗生物質を服用しないと髄膜炎や脳炎などを併発し 手遅れになることもある。沢田健は面疔で死亡した。
 

3)眼病に対する「四つ木の灸」臂臑  

上腕外側、臂臑穴に行う打膿灸。眼病に効果あり。

 


9.施灸時の体位

1)紐を使った取穴 

取穴を大仰(おおぎょう)にする演出で、この類には次のようなものがあった。患者は、おそれいったことだろう。
 
①騎竹馬の灸→第10胸椎の両側各5分のところ。 灸30壮。癰疔などの悪性潰瘍を主治する。 乳腺炎等。
②四花・患門→呼吸器疾患、心臓疾患  
③脊背五穴 
④五処穴など 

2)施灸体位

現在では、鍼も灸も仰臥位または伏臥位で施術されることが中心となったが、残された古文書をみると、座位で背中にお灸した図を見る機会が多い。深谷灸法にあっても、「治療は座位で行なう。座位ができない場合は寝て取穴する。当然ツボの位置はずれる。」とある。

座位で鍼する方法は、柳谷素霊「秘法一本鍼伝書」の五臓六腑の鍼で紹介されている。
鍼でも灸でもこれは背部筋を弛緩した状態で鍼灸刺激するよりも、自重を背筋緊張で自重を支持して鍼灸するのでは、後者の方が効果が高いことを知っていたのだろう。
 

中国の宋代とは、糖につづく時代で、我が国の鎌倉時代にほぼ一致する。上絵は打膿灸を行っている。

     

椅座位での足三里の灸

 

会陰への灸

 

 

座位で、台の上に両肘をつけて背中に灸する様子を描いている。肩甲骨を左右に開くことで大・小円筋や大・小菱形筋をストレッチ状態にさせ、また胸腸肋筋を目標に施灸していたことが発見できて、今日でも参考になる。この体位を開甲法(「困学灸法」より)とよぶ。

 

 


難聴・耳鳴に対する側頸部治療穴の理解 ver,1.2

2023-02-11 | 耳鼻咽喉科症状

下図は、佐々木和郎氏が報告した耳鳴りで多用する局所治療穴である。これらが示すツボは、ほぼ予想はつくので、筆者の見解を示した。さらにこれらのエリア内にあるツボの位置を図示してみた。耳鳴りの針灸治療で、とくに多用する穴を赤丸で区別した。各穴について説明する。


                


1.乳様突起後方
天柱、風池、完骨
後頭骨-頸椎間の動きに関係する。頭蓋骨の可動性を改善する。種々の疾患に適応がある。
「完骨」とは乳様突起の昔の名称である。頭蓋骨が終わるところ。


2.乳様突起直下(翳明、安眠、天牖)
胸鎖乳突筋の停止部に治療穴が多い。

1)安眠(新)
乳様突起下端(翳明穴)から下方1寸。  


2)天牖(三)

下顎角の高さで胸鎖乳突筋の後縁。患者を仰臥位にさせ、手掌を上にして骨際にとる。松本岐子氏は「チューインガムが骨についた感触で圧痛のある処にとる。天牖の下1寸に東風という新穴があり、このツボ反応も天牖と同時に調べていく」と記している。(松本岐子:長野式を中心としためまい・耳鳴り・難聴の治療、疾患別治療大百科5 耳鼻咽喉科、医道の日本社、2001.10.15)

3)翳明(新)

教科書的には完骨穴の下で耳垂と同じ高さにとる。

①松本岐子氏の方法:「患者を側臥位にさせ、術者は後から乳様突起の際を探っていくと硬結に触れる。胸鎖乳突筋中にとる。乳様突起の内側に向けて刺針する。必ずしも一穴ではない。長野潔は翳明穴として2~3穴、硬結に捻針していた」と記してる。


②柳谷素霊著「秘法一本針伝書」耳中疼痛の鍼である「完骨」と似している。眼疾一切の針である「風池」にも似ているようだ。

柳谷「完骨」:乳様突起尖端後側、胸鎖乳突筋付着部。この部に指を当て、頭をやや後側に曲げると胸鎖乳突筋が乳様突起に付着する部に陥むところがある。ここを完骨穴とする。患側上の側臥位で脱力させ、閉眼・開口。乳様突起尖端の内側下端をくぐるように耳孔の方に向けて刺入。1寸~1寸2、3分で手応えがある。本穴に対する刺針は、鼓膜を知覚支配する鼓室神経(舌咽神経の分枝)
刺激になっていると思えた。

柳谷「風池」:乳様突起後方に軟骨様の小突起がある。これは三角形で尖端は下方に向いている。これはゴリゴリの強度なものである。按ずるとコメカミに響くところ。患側上の側臥位で脱力させ、目は半眼で顎はやや開口。口呼吸させる。鍼を上内方に向け、鍼先を三角形の小隆起下を通過ときに貫通、眼底方向に刺入。5分~2寸刺入。側頭部または眼底に針響を得るとある。刺針深度にずいぶん幅があると感じつつ追試してみた。すると鍼先が頸椎頸椎横突起にぶつかってしまう場合は5分ほどしか刺入できず、うまくすりぬけた場合には2寸ほど刺入できることを納得した。結局2寸くらい刺入できて初めて効果あり、それはC1~C3頸神経後枝刺激となり、大後頭-三叉神経症候群の機序で三叉神経第1枝である眼神経に影響を与えていると思えた。

C
 

4)翳風(三)
翳風の「翳」は、鳥の羽で隠すという語意がある。耳垂を鳥の羽にたとえ、その羽により風から隠れた場所という意味になる。深部に顔面神経管があり、顔面神経が頭蓋骨から出てくる部。顔面神経ブロック点で、ベル麻痺の治療で多用される。
 

3.下顎枝部


1)頬車


①下顎枝の外縁には咬筋があり、内縁には内側翼突筋がある。下顎の動きに関係する。顎関節症や下歯痛に使用することがある。


②柳谷素霊の秘法一本針伝書の耳鳴の鍼に似ている。この刺針は下歯痛の穴と同じと記載されている。頬車または大迎あたりの下顎枝縁の内側から下顎骨に沿うように刺入、下歯槽神経を刺激することが下歯痛の治療になる。耳鳴の治療では、下歯に響きがあれば刺針転向して鍼先をやや上方に進めると、耳閉感や耳鳴が少なくなり、それをもって抜針する。二度三度繰り返して刺針してもよい。

 

③顔面神経下顎枝刺激部位

佐藤意生(耳鼻科医)は、感音性耳 鳴患者の顔面神経下顎縁枝に経皮的に反復電気刺激で
蝸牛神経の異常を抑制できるのではないかと考え、大迎と頬車に表面ツボ電極をつけ、2~30ヘルツのパルス低周波刺激を2分間加えた。それにより半数の者が耳鳴りは5割減となる好成績だったが、持続効果は8割が1週間以内であることも判明した。
91例中耳鳴が5/10以下 に 減少→47例(51.6%)、6/10~8/10 に減少→34例(37.4%)、9/10~10/10に減少→28例(11.0%)となった。治療有効者(53例)で、効果続期間は1週間以内に元に戻ったのは43例(81.1%)で、このうち持続期間が2~3日だった者は17 例(32.0%)だった。4週間経過後にも耳鳴が以前より軽いと答えた例も5例(9.4%)あった。(佐藤意生:顔面神経下顎縁枝刺激による耳鳴の抑制:耳鼻咽喉科臨床。98巻11号(2005))


4.耳珠部


1)耳門、聴宮、聴会

耳前三穴として知られる。 
語呂:門の宮で会う巫女(みこ)たち  
門(耳門)の宮(聴宮)で会(聴会)う巫女(みこ)(三、小、胆)たち。
上から順に、耳門(三)、聴宮(小)、聴会(胆)と並ぶ。 

①外耳炎のツボ反応は耳孔周囲に出現するので、圧痛を目安に上記の耳介前穴に施灸。耳介後方では、側頭部の胆経反応穴に施灸。針灸治療は著効することが多い。(郡山七二「針灸臨床治法録」より)

②耳掃除などで耳穴を触った後、耳介を引っぱった際に痛むのは外耳炎である。
中耳炎では耳介を引っぱっても痛みは増悪することはなく、耳奥が痛むと訴える。圧痛点も耳前三穴には現れない。

③中耳炎のツボ反応
中耳の範囲は広く、病巣部位に応じて反応点も変わってくるだろう。中村辰三氏は、ある患者(針灸師)の慢性中耳炎の圧痛を、手術前→術後1ヶ月→術後2~3ヶ月に分けて記録した。合谷に圧痛がみられ、耳周囲としては側頭部のロソク・後髪際であるケイ脈・完骨、側頸部の天ユウには常に圧痛がみられた。実後は、圧痛が耳介外縁の側頭部全体に拡大した。(中村辰三:慢性中耳炎の圧痛、医道の日本、第500号(昭和61年4月)

この中で、とくに興味深いのは天ユウで、芹沢勝助氏が耳鳴り圧痛点とし指摘していた部も、天ユウあたりになることである。

②顎関節の関節包・靱帯の障害。顎関節症Ⅱ型(関節包の痛み)時に反応が出る。顎関節周辺の大きな負荷→炎症→疼痛
③耳介側頭神経の神経ブロック点 。耳介~外耳道の神経痛は三叉神経第Ⅲ枝痛だが、Ⅲ枝の分枝の耳介側頭神経痛によるもので、これを「神経性耳痛」とよぶことがある。この治療に耳介側頭神経ブロックを行うことがある。

 

5.側頭部

1)角孫

①側頭筋中にとる。きつい帽子を被ったような感じの緊張性頭痛時の施術点となる。
②慢性中耳炎の反応点。
③胸鎖乳突筋トリガーの放散痛エリアである。

 


麦粒腫への二間の灸と面疔への合谷多壮灸

2023-02-09 | 眼科症状

鍼灸師の間では、麦粒腫に対して患側(健側でもよい)の二間穴に灸をすると、腫脹吸収あるいは排膿促進につながるというのが常識である。しかしながら患者も鍼灸治療で麦粒腫を治す目的は来院せず、麦粒腫瘍そのものも自然治癒しやすいので、鍼灸院でも患者に治療する機会は多くない。自分自身や自分の身内に試みるくらいなので、症例集積まで至らないのである。わかっていることは以下のごとくであろう。

①麦粒腫というのは、おそらく外麦粒腫のことである。
②二間穴は学校協会教科書の二間(「十四経発揮」の二間)と澤田流二間があるが、ともに同程度の効果がある。麦粒腫の治効として有名なのは澤田流二間の方である。学校協会の二間は、
第2中手指節関節の下、橈側陥凹部になるのに対し、澤田流二間は示指PIP関節裂隙の橈側に取穴する。

 

③二間は、健側治療、患側治療とも同程度の効果がある。
④二間の針は、効果が乏しい。
⑤せんねん灸でも、有痕灸でも効果がある。有痕灸では艾炷の大きさや壮数ともさまざまであるが、効果優劣は不明である。
⑥腫脹しているタイプは腫れが引き、膿が出ているタイプは排膿を促進させる。

筆者も内・外麦粒腫に対しては二間へのゴマ大灸施灸5壮程度を行うことが多い。これで眼のうっとうしさは少し軽減するが、症状消失までには至らない。しかし施灸した翌朝には眼が気にならない程度になるのが普通である。多壮灸の方が効果あるともいうがその経験はない。
 

1.麦粒腫の知識 

眼瞼縁からの分泌腺には、眼球結膜側から、マイボーム腺(涙の上層を覆う油液分泌)・モル腺(汗分泌)・ツァイス腺(睫毛を潤す脂分泌)の順になっている。この腺孔から黄色ブドウ球菌などの細菌が感染した病態が麦粒腫である。

1)外麦粒腫
睫毛腺(アポクリン汗腺)からの細菌感染症。眼瞼の充血・浮腫・腫脹・疼痛を生じる。外麦粒腫は通常2日から4日以内に病変は自潰し,排膿すると疼痛が治まる。

2)内麦粒腫
眼瞼腺(マイボーム腺)からの細菌感染症。内麦粒腫は外麦粒腫に比べて少ない。外麦粒腫は皮膚側へ腫れるが、内麦粒腫は結膜側へ腫れるのが普通で、瞼を返して診察する必要がある。内麦粒腫は眼瞼結膜表面に限局する疼痛・発赤・浮腫が生じる。内麦粒腫の自潰はまれで、再発が多い。内麦粒腫の治療は抗生物質内服、必要があれば切開および排膿である。

 

.麦粒腫になぜ二間を使うのか?

麦粒腫は、眼自体の疾患というより、眼瞼という皮膚疾患であることから、経絡的には大腸経病変とみなすのは古典的解釈になる。ただし大腸経上の経穴が多数ある中で、なぜ二間なのだろうか? 昔から不潔な指で目をこすったりすると麦粒腫になることが経験的に知られていて、目をこする指の部分が二間あたりになるからだと考えた。「手当て」という素朴な認識から、麦粒腫の治療穴として二間を思いついたのかもしれない。

ちなみに、代田文彦先生は、「眼球前の皮膚には二間を、角膜・結膜あたりの病変には曲池を、網膜あたりの病変には風池・天柱を使う」と話していた。さらに「膜」には血流があるので鍼灸が奏功する理由があるとも語った。その意味で、白内障の鍼灸の効果に対しては否定的だった。


3.眼瞼の血流増多が治効を生むのか?

針灸治療で二間の灸は有名だが、二間の針では効果がないという。麦粒腫に対する現代医学的治療は眼瞼部の温罨法、ときに抗生物質内服である。唐麗亭は、閉眼させ1.5吋30号針で、眼瞼全体を上下に6回、左右に6回程度まんべんなく接触刺して皮膚が発赤し、患者の患部周囲が気持ちよく感じるまで行うと記している(三種刺法在眼病的応用、「北京中医学院三十年論文選」、北京中医学院編 1956~1986、中医古籍出版社)。この治療法は原理的に、温罨法と同じものだろう。                  

瞼への温罨法や接触針で、麦粒腫が改善するということは、血流を豊富にすると良いらしい。ということは、二間の灸の治効も、眼瞼の血流改善に効果があるらしいと推定できる。顔面の血流増加を意図するという点では、面疔に対する合谷多壮灸も同じである。

 

4.面疔には合谷多壮灸

1)面疔とは

 

面疔とは顔面にできたセツのこと。黄色ブドウ球菌の感染症で毛嚢炎が悪化した状態である。セツそのものは重篤な疾患ではない。

病巣部である眼窩や鼻腔、副鼻腔などは薄い骨を隔てて脳と接しているため、抗菌剤が普及していない時代には、敗血症や脳膜炎の原因となり死亡することもあった。沢田流鍼灸創始者の沢田健も面庁で死亡した。


2)合谷多壮灸

面疔の治療といえば、合谷が有名である。昭和中期まで、「桜井戸の灸」といって、静岡県の清水で面疔の治療で名をはせた名家があった。1日500人の患者が来院し、近所には患者宿泊用の旅館もでき、駅(静岡鉄道の草薙駅)もできた。

平成6年頃まで、熱心に当院に来院していた当時95歳の男性がいた。この患者は、なんと桜井戸の灸のことを実体験として知っていた。下足番もいたという。
治療は合谷への数十から二百壮の多壮灸で、面疔の痛みが取れるまで壮数を重ねた。患者は自宅への復路、東海道線に乗ったが、途中で再び痛くなると、列車内で灸する者もいたという。


3)なぜ合谷なのか

古人は発赤や腫脹などの炎症所見に対して、軽症ではやがて自然治癒するが、重症では化膿して、それが排膿した後に治癒すると考えていたらしい。排膿しなければ治らないのだから、毒素を体外に排出するため、皮膚に出口をつくる必要があった。多壮灸や打膿灸でわざと化膿させるのは、毒素の出口をつくるのが目的だったらしい。大腸経は、下顔面と関係が深いことが知られていたので、合谷を取穴したのだろう。面疔の治療穴として頤(かい)の灸がしられている。頤はオトガイで下顎のでっぱり部分をさす。頤の灸も面疔の排膿の意味があると思われた。