本書は明治25年発刊。明治44年5月25日第2版発行。昭和50年9月30日医道の日本社より復刻再版。
著者の大久保適斎は明治時代の西洋外科医で、群馬県医学校の初代校長、兼病院長の重責に任じられた。自らのノイローゼが鍼灸により軽快した体験から鍼灸に興味をもった。しかし良き指導者にめぐまれなかったため、現代解剖生理学に基盤をおく「自律神経手術」という針治法を独自に開発した。本書の価値は、明治中期の頃、西洋医の第一人者として活動していた者が、灸治療を現代医学的にどう理解ていたのかという点にあり、医史的価値をもつものである。
本著『鍼治新書』は、「解剖編」「治療編」「手術編」の3部作からなる。医道の日本社からは昭和四十~五十年代に「治療編」と「手術編」のみ復刻版が出ていたが現在では入手困難である。針灸治療法について書かれているのは「手術編」である。なお本著でいう<手術>とは外科手術のことではなく、解剖生理学的理論に基づく具体的な鍼の手法のことを指している。「解剖編」「治療編」とは異なり、知識・技術不足の者が手術編を読んだだけで安易にこの内容をマネして医療過誤を起こすことを恐れ、読み手を制限したという。
私は病院研修した昔、研修2年目仲間で「手術編」の抄読会をやったことがあった。しかし知識のない者同士が集まっても、疑問点の解決につながることはなく、あまり成果はあがらなかった。今回はさすがに40年間の知識や臨床経験があるので大丈夫(ただし技量と余命は等価交換)と思い、手術編の中で中核となっている刺針点について、その概要をまとめることにした。
なお本著の示す刺激点とほぼ一致すると思われる経穴名を付加した。また必要に応じて図を挿入した。
1.刺針点の総説
大久保適斎の「治療編」には、簡明に鍼の治効作用が示されている。①神経の運動枝に作用した場合には、筋の痙攣を鎮め、麻痺(運動麻痺)を回復させる。②感覚神経枝に作用した場合には痛みを鎮め、痺れ(知覚鈍麻)を回復させる。③交感神経に作用した場合は内臓機能を調整する、としている。③の鍼灸刺激は交感神経を介して内臓機能に影響を及ぼすとする考えは、当時として先進的なものである。
刺針点を多く定める必要はない。「本」の治療が効果あれば、いちいち末梢を治療する必要はない。重要点となるのは以下の11点である。この中で内臓交感神経手術として用いるのは左右6点とする。
内臓交感神経刺激点:頸部交感神経点(3カ所)と腰部内臓点(3カ所)
体性神経刺激点:上肢部(3カ所)と下肢部(2カ所)
2.頸部交感神経点
後頸部の後正中の左右外方1寸からの深刺が、上・中・下交感神経節に影響を与えることは十分理解できる。
しかし本稿で詳しく書くことは省略したが、<同部から浅刺すると副交感神経に影響を与える>とする旨も記されているので、これは誤った指摘であろう。当時は副交感神経につて、よく分かっていなかったというべだろう。
1)頸部第1位点(上頚神経節点)(天柱)
①位置
乳様突起の尖端と下顎角との中間から、頸椎に向け、頸椎中央に至る水平線を引く。その中央より左右に開くことそれぞれ約一横指。すなわち項窩の一横指下の左右、椎体の左右の筋隆起の際を取穴する。
②刺針法
浅層手術:刺入5分~8分。副交感神経の運動性後枝を刺激する。(?)
深層手術:刺入8分~1寸。椎骨動脈への刺入を避けるため、やや外方に向けて刺入する。
③意義
深層手術は、交感神経上頸神経節に刺激を与える。上頸神経節からは上心臓神経が、中頸神経節からは中心臓神経が、下頚神経節からは下心臓神経が、それぞれ心臓神経叢に入る。一方、迷走神経の枝である上頸心臓支と下頸心臓支に影響を伝播させる。
肺臓に対する深層手術は、上頸神経節の喉頭支迷走神経に影響を与える。
肺に対する浅層手術は副交感神経支配の僧帽筋枝であって、これは肺や気管に興奮または鎮圧作用を至らせる目的である。喘息および動悸の鎮静に用いる。
2)第二位点(中頚神経節点)
①位置
第一位点と第三位点の中間。頸椎の左右で、第4第5頸椎横突起間とする。
②刺針法
浅層手術:6~7分。副交感神経の運動性後枝を刺激する。(?)
深層手術:1寸ときには2寸に達する。熟達した者以外、深層手術を慎むこと。③意義
③意義
深層手術の意義は、頸部交感神経中頸神経節に刺激を伝播させる目的。第一位点の補助。
3)第三位点(下頸神経節点または星状神経節点) (治喘穴または定喘)
①位置
頸椎第6第7あるいは、第7頸椎と第1胸椎間において、その上下横突起間とする。この探り方は、第7頸椎の棘突起の基準として、その左右に去ること横一横指の点である。ときとして第一胸椎と第二胸椎間に取穴することがある。
②刺針法
浅層手術:刺入6分ないし8分。副交感神経の運動性後枝を刺激する。(?)
深層手術:1寸ないし2寸。
③意義
深層手術は、下頸神経節に刺激を伝播する目的で、最も心臓鼓舞の作用がある。時には呼吸催進術として行うべきである。呼吸催進作の効能は、交感神経枝から反射的に、上喉頭枝下喉頭枝を興奮させて、呼吸圧制作用を行なうことができることによる。
かつこの刺点は、痰分泌を減少させる効果はあるようだが、完全にその効を奏するまでには至らない。
2.腰部内臓点
腹部内臓手術の3種の治療点は、腰部交感神経枝を刺激するのが目的だが、針尖は敢えてその交感神経節に直達させる必要はない。脊髄神経の前枝に達すれば、その刺激を交通枝に伝えることで、その交感神経節に伝達させることができるためである。
1)腰部第一位点(三焦兪)
①位置
第1腰椎と第2腰椎の横突起間。患者を伏臥位にしせめ、季肋を探り、その下線より水平に腰椎棘突起に至るラインよりも、一椎体あるいは二椎体上がった処を取穴する。二椎体異常は、往々にして肋間神経痛を発することがあるので、避けるのがよい。そして腰椎棘突起を中心にとり、それよりも左右1横指ないし一横指半のところに刺点を定めるとよい。
②刺針
2寸ないし2寸5分。
③意義
太陽神経叢の分枝に刺激を伝播することで、胃・肝の機能および尿の分泌を調理する。また腸が機能亢進して生じた下痢を鎮静する。糞便の厚薄は腹の蠕動に関している。その機能亢進すれば腸内容物の通過が速まり、液体吸収の時間が少なければ、水分増加して下痢する。その他にも神経切断により、あるいは他の事情により、腸神経およびリンパ管麻痺しても下痢する。この場合、強直性刺激?(こわばったような刺激のこと?)を行うべきである。
2)腰部第二位点(大腸兪)
①位置
第4第5腰椎横突起間。腸骨稜を探り、腰椎に至る水平線を引き、その棘突起の一節上の棘突起の左右それぞれ一横指ないし一横指半。
②刺針
2寸~3寸刺入、非常時は4寸刺入。この時は基準点よりも外側に開く、針先を椎体の前面に向けて刺入する。
③意義
腹大動脈神経叢に対する刺激が目的がある。その細胞から幾多の分枝を生じ、筋層に位するマイスネル粘膜下神経叢、およびアウエルバッハ腸管粘膜神経叢、迷走神経の末梢端を刺激すれば、胃を運動させるとともに腸管もまた同一の運動を起こす。この運動は下腸間膜神経叢から来て、迷走神経と同一の運動を営む腸上部の運動は、この二位点の手術を要し、それ以下に至っては針先を下に向ける必要がある。この刺激は腸の疝痛を治する。針尖を少し下方に向けて刺入すれば、下腸間膜神経叢に刺激を与え、下行結腸、S状結腸および直腸の運動を進め、便通を促す。また下痢止めの方法としては持続性刺激法を行うのがよい。
3)腰部第三位点(関元兪)
①位置
第5腰椎と仙骨外上部との間隙。
②刺針
2寸ないし4寸(第二位の刺入の要領で)刺入。刺入要領は、腰部第二位点と同様。
腸骨櫛を探り、腰椎に至り、その横突起と仙骨翼(仙骨上外方の張り出し部分)との間に刺針点を求めることは前例と同様である。もっとも、この点においては、第4腰椎と第5腰椎の棘状突起の間に通信を定め、それよりも左右に開いて刺針点を求めれば、鍼先はちょうど第5腰椎棘突起と仙骨翼との間隙に入れることができる。
③意義
下腹神経叢に対する目的で、膀胱・子宮に対する治療にある。その傍ら下腹の血行を調節する。その他に、この刺針点は下腸間膜神経叢の下部を補うところの上痔神経を刺激し、結腸下部お呼び直腸の運動に対しても奏功あるから、便秘にも効果がある。
子宮機能にも作用する。しかしながら、出産に臨んで、あるいは単に子宮収縮させる必要がある場合、肩井・合谷・三陰交に鍼してもよい。子宮を運動せしめる要素は多数あるが、直接刺激と反射による刺激に大別される。直接刺激によるもの第一は下腹神経叢、第二は仙骨神経叢から発する勃起神経、第三は腰部仙骨部の脊髄である。
一方反射によるものは、坐骨神経叢と腕神経叢(腕神経叢の中心を刺激すべき)である。また乳房を刺激すれば子宮収縮を起こせるので、肩井は鍼先の方向を左右すれば、腕神経叢の中心に触れることができる。また三陰交も鍼先を左右に動かせば、坐骨神経の末端に触れることから、その収縮を起こすことができる。
この2点をすべての妊婦行うことを禁じた方がよいが、分娩時の胎児排出を助け、不規則の陣痛を取り除くことは、前述したように第3位点を必要とする、
すでに胎児発育中心のものは、正規の排出力に加えて排出作用を強力に増し、速やかに排出をさせ、産婦に不必要な努力、疲労を増加させることなく、かつ刺激自体のために、脱胎早産させることはないのので、信念をもって従事すべきである。
4)後仙骨孔刺針(上髎、次髎、中髎、下髎)
この部位は、体性神経としては陰部神経、副交感神経としては骨盤神経が支配している。交感神経としては下腹神経が支配しているのだが、下死腹神経は泌尿器科や婦人科の医師以外、あまり意識しないものだろう。こうした解剖学的特徴を無視して、交感神経手術部位として後仙骨孔刺針を行っている。
①位置
第1~第4後仙骨孔
②刺針
第1後仙骨孔は、やや上方に向けて刺入。第2~第3後仙骨孔は直入する。約2寸刺入。
巧みに刺針してその目的を達すれば、患者は大いに癒された感覚を感じる。
③適応
子宮その他の小骨盤の疾患
3.上肢の刺針
上肢では、次の3種類の刺針点がある。上肢の疾患は、頸神経叢に刺激を伝達させるので、頸部第三位点において手術を施すが、前腕および手部に症状のあるものは、上肢部三点の刺激を考えるのがよい。
1)橈骨点(手五里)
三角筋停止部と上腕骨外側上顆との中間。
2)尺骨点(青霊)
上腕骨内側上顆の上部4~5㎝のところで、尺骨神経溝中を探る。
3)正中点(曲沢)
上腕骨内側上顆の上部2㎝の上腕二頭筋内側頭中。刺入する時は、前腕を曲げ、肘関節を上腕に向けて去る、おおよそ1寸の処で、橈骨前面に針尖を向けて刺入すること1寸。
※副点として、前腕後面に針することがある。この方法は、前腕を曲て、その後面において尺骨鈎状突起と橈骨頭との中間において、肘を腕に向けて去ること1寸の処で、尺骨の橈骨側に1寸刺入する。(位置不明瞭)
4.下肢の刺針点
1)股骨点(陰廉または足五里)
上前腸骨棘と恥骨縫合との中央やや外方に仮点をとる。そこから鼠径溝下、おおよそ2寸のところに刺点を定める。約1寸刺入で刺点内方に針体を傾ければ、刺針の際、皮膚に刺痛を感じる大腿神経を刺激する。
2)坐骨点(各種ある環跳取穴の一つ)
坐骨結節と大転子の中間。およそ1寸刺入。この刺針点は、全枝に激痛を発するので、極めて頑固な神経痛または麻痺症でなければ、みだりに針しない方がよい。この点は、多くの場合、施術する必要がない。というのは股筋の疾患は腰椎第2第3位で、その刺点を通常の刺針のやや外方に行えば、その目的を達することができるからである。もし強いてこの坐骨点に刺針しようと思えば、(麻痺症においては於いて可)、中央部、大転子より膝窩にいたるところを三等分し、刺針すると、強度の疼痛を避けることができる。
3)下腿の副点
①足三里
足三里は深腓骨神経を刺激するとともに、脛骨動脈とも関係している。足三里の位置は、前脛骨筋と長指伸筋間で、長指伸筋に寄りに針するのがよい。
足背の知覚枝に刺激を与えようとすれば、同所で長指伸筋の外側(浅腓骨神経刺激 で代表穴として陽陵泉?)にその刺点を求めるべきである。
②三陰交
三陰交は後脛骨神経の下端および足底神経に刺激を与える。内果の一握上で長指屈筋お後側に刺点を定める。この点は、足底運動・知覚の疾患を主治とする。
5.その他の刺点
1)回気鍼
①水溝
水溝すなわち人中の鍼。鼻中隔直下に刺針すること4~5分。鼻口蓋神経(三叉神経第Ⅱ枝の枝)を刺激できる。この刺点の刺激は、鼻口蓋神経から反射的に精神を還帰して、医薬のアンモニアを吸入させて鼻腔粘膜を刺激するのと同一原理になる。
②紫宮直側(左)・玉堂直側(左)
左第2肋間ないし第3肋間で胸骨左縁。胸骨後縁に向けて1寸5分刺針する。心臓自動性運動中枢に刺激を与える。この刺針は、最も潜心注意し、肺運動停止した後でなければ鍼してはならない。それに呼吸停止後3分以内でなければ、確実な効果を得ることはできない。(以下略)
2)膀胱鍼(曲骨)
恥骨縫合上点に、刺点を定め、鍼尖を下斜に向けて刺入すること1寸5分、時として2寸4分を要することもある。この目的は膀胱に達することを必要とするので、肥痩に従って考えるべきである。膀胱がに非常に畜尿膨張していれば、あえて下斜めに刺針する必要はない。恥骨上縁に接して刺入すれば、腹膜に触れないだけでなく、患者の疼痛を感ずることもわずかであるという利点がある。痙攣症に対しては、一鍼で奏功するので、奏功後はみだりに鍼してはならない。麻痺症に対しては、一日一回あるいは隔日に一回するのもよい。
3)横隔膜鍼
①頸部の点
横隔膜の筋に強直を起こすから、症状を確実に病態把握して施術すべきである。その位置は、胸鎖乳突筋の外縁に沿って斜線を引き、また環状軟骨下縁から水平線を引き、その二線の交わるところを縦径に該当する神経の経過するをもって、僧帽筋の外縁の同位において、この点は、頸動脈の損傷を恐れるから、その搏動を按じつつ動脈を避けるように努める。
②腰部の点(胃兪)
腰椎第一位点(三焦兪)の一椎上で、その左右一横指去った部を刺点に定める。これは横隔膜脚刺激を目的とするもので、刺入2~2.5寸。この針は、時として肋間神経痛を喚起して呼吸運動を障害することがあるが、大概3~4日で治る。
③期門
季肋部で第9肋間の軟骨部。鍼すること8分。(本著では、この解剖学的部位を「章門」としているが、章門穴は、今日では第11肋骨尖端に定めている。)
4)歯痛鍼
①上歯痛(客主人)
外耳孔直下に刺点を定め、下顎枝に沿って、やや前方に鍼尖を進めること1寸ないし1寸5分。これは上歯槽神経に刺激を与える目的がある。
②下歯痛(頬車)
下顎角の尖端から斜めやや上方で、できるだけ下顎骨に沿って前進すること1寸。あるいは、下顎角から頬に一横指寄ったところから、頬骨内面に向かい、上に刺針すること5分。これは下歯槽神経に刺激を与える目的がある。
6.おわりに
本著は針灸医学史に載るほどの重要書籍だが、文体が明治調であること。専門的な文章で、かつ現代の医学とは異なる用語もあったりして、現代語訳は意外に時間を要した。以下、本著に対する註釈を記す。
①大久保適斎といえば、頸部交感神経節に影響を与えようとする鍼が有名である。後頸部の後正中の左右外方1寸からの深刺が、上・中・下交感神経節に影響を与えることは理解できたが、同部から浅刺すると副交感神経に影響を与えるとする意味は理解できなかった。
②上肢と下肢の刺針は、末梢神経に対するものなので、今日でも同様の方法は広く行われている。ただし、上肢3点、下肢2点とする刺針点の簡素化は大胆なものであろう。
③回気針の人中刺針は、清脳開竅法でも使用するものである。清脳開竅法では、脳血管障害による意識障害に使用する。神経走行的に考察しているのが興味深い。回気鍼の左肋骨部刺針は、心停止に対する応急処置である。医師ならではの内容だが、針灸でこうしたことも出来るのかと感心する。
④横隔膜鍼の「頸部の点」の位置は、この記載から不明瞭だったが、C3~C4前枝への刺針でパルスをかけると横隔膜がリズミカルに動くことはよくあることである。
横隔膜鍼の、腰部の点(胃兪)が横隔膜脚刺激になることは、石川太刀雄著「内臓体壁反射」においても同様の記載がみられる。
⑤歯痛鍼の内容は、柳谷素霊著「秘法一本鍼伝書」の内容と類似しているが、「秘法一本鍼伝書」には局所解剖や治効理論の記載はない。