1.序
桜井戸の灸とは、家伝の灸の一つで、よう・ちょうの灸として、明治から昭和初期にかけて賑わっていた。ネット検索をすると、断片的な知識は入手できる。筆者も現代医学的針灸のブログ内で、<「麦粒腫に対する二間の灸」雑感>2011.4.22.で少々触れたことがある。ただ今となっては、その詳細な内容を知ることは、困難なことのように思えた。
しかしながら故・代田文彦先生宅に残された資料を調べていると、<桜井戸の灸療に就いて>と題して、当時の桜井戸灸療所所長3代目、漆畑淳司氏の文章が臨床針灸第2巻第1号(昭和28年1月)に載っていることを発見できた。そこで、私の知り得た桜井戸の灸の概要をまとめることにした。なお漆畑淳司氏は初代の静岡県鍼灸師会会長(昭和57年、80才で死去)。
最近、医道の日本昭和57年12月号に、飯島左一氏が「百年つづいた癰疔の名灸」と題して桜井戸の灸に関する記事を書かれていたことを知った。そこでの内容も、本文各所に付け加え、内容の充実をはかった。
2.桜井戸と桜井戸の灸の由来
桜の老樹があり、飲料水の源泉もあった処。現在の静岡市の近くである。このあたりは桜の名所だった。西暦1800年頃のこと霜凍る朝、この井戸の傍らに倒れて苦しむ老僧夫婦がいた。そこを佐治(右)衛門 夫妻に救われ、数十日の看病されたことに感謝感激し、自分の修得した「よう、ちょう、その他一切のはれ物に適応する灸の秘法」を伝えた。以上の話が津々浦々まで世に広がった。
桜井戸の傍らの庄屋でお灸をするということが、次第に「桜井戸の灸」とよばれるようになった。
この地は現在では、この一帯は史跡桜井戸として保存されている。毎年春には、見事な桜が咲く。その地下には防火用水貯水槽が設置されている。
現在では、創始者佐治右衛門の子孫に当たる漆畑勲先生が、その近くで井戸医院(内科・小児科)を開業されていたが現在は閉院している。
3.桜井戸の灸療者のための駅が誕生
漆畑淳司<桜井戸の灸療に就いて>には、「草薙駅は、静岡鉄道(東海道線の傍らを走った軽便鉄道)にある駅であり、当所の灸療患者のために設置された駅」との記載ある。当時「草薙駅」を新設するにあたっては、いっそのこと「桜井戸駅」という名称にしたらどうかとする意見もあったが、売名行為になるとして桜井戸の創始者佐治右衛門は固辞した。その一方で、駅新設の費用は彼が負担したという。静岡鉄道の草薙駅を利用した者は、1日の患者数は500人とも1500人ともいう。施設内には下足番もいた。治療の順番を待つため、さくら荘という宿泊施設もできた。
なお草薙駅という駅名は、静岡鉄道と東海道本線に2つあるが、まったくの別物で、当時は東海道本線の草薙駅は存在しなかった。この駅が開業したのは大正15年になってからであった。
4.昭和28年頃の桜井戸の灸の現状
抗生物質出現の影響のためか、これに加えて化膿菌に対する一般衛生知識の普及のためか、ちょう・よう、その他の腫れものの患者は、従前よりはずっと減少した。けれども、連日新患30名を下ることはない。
最近では蓄膿症患者が非常に増した。この種の患者には次のような方法で施灸しているが、80%の好成績を得ている。
1)合谷(左右):1穴へ50壮(小灸で感ずる程度のもの)。1日2~3回。
2)風門(左右):1穴へ20壮。1日2回。
3)膏肓(左右):1穴へ20壮。1日2回。
以上を5週間、毎日連続で施灸する。成績は施灸後1ヶ月くらい後に判明する。
抗生物質がない時代のこと、面疔に対する合谷の灸はとくに有名であった。私が知っていた内容は、合谷に数十~二百壮連続で、痛みがとれるまですえる。自宅への帰路、東海道線に乗ったが、途中で再び痛くなると、列車内で灸する者もいたという内容だった。昭和28年頃には、以前よりも少ない刺激になったのだろうか。
「桜井戸の灸」で施灸する合谷の位置は、一般的な合谷とは異なることに注意。母指と示指を開張させ、その筋縁の中央で、白赤肌肉の境を取穴する。すなわち奇穴の<虎口>に相当する部になる。ここに徹底した多壮灸を行うというもの。
面疔の治療は、化膿を待って切開するのか常で、したがって手の一穴(合谷)へ灸をすえれば必ず口が開いて排膿治療するとして、桜井戸の灸は救いの神とされた。
※面疔:黄色ブドウ球菌感染症。常在菌である黄色ブドウ球菌が顔面の毛孔から侵入し、毛嚢炎が起きた状態。抗生物質が有効。ほとんどは自然治癒する。
病巣部である眼窩や鼻腔、副鼻腔などは薄い骨を隔てて脳と接しているため、場合によっては髄膜炎や脳炎などを併発し死に致る可能性も少なくない。沢田健は面疔で死亡した。
※深谷伊三郎は「合谷へ100 壮、200 壮と多壮灸をすえるのである。50壮ぐらいで面疔のズキンズキンする痛みが止まってくる。灸を止めると痛みだすのですぐ続ける。そのうちに痛みが止まって、ひとりでに口が開いて膿が排出されてしまう。」と記している。(「家伝灸物語」、三景)