代田文彦先生の死去後、遺品整理の際に夫人が私に本や雑誌記事を下さった。その中には、<澤田先生講演>とする澤田健の講演記録のコピーがあった。澤田健については代田文誌氏の著書から、ある程度知ることができるものの、本人がじかに記したものは「三焦論」以外、残っていない。
澤田健は、どのような考え方をするのか知りたく、内容を検討してみたが初めて知る知識が多く、非常に難儀した。現代人の頭の構造とだいぶ違っているようだ。「上記(うえつぶみ)」「易」「除算九九」などがその例だが、その理解には、それぞれに基礎知識がないと理解不能になる。私なりにできる部分から註釈を加えた。なお全8ページ中、「五運六氣」と鍼灸臨床の関わりに関する内容が2ページ続くが、難解なので本稿では省略した。
タイトル:澤田先生講演(昭和11年8月6日 京都祇園中村楼に於いて)東邦医学社
澤田健(1877-1938)は62歳で死去したが、澤田59歳の時の講演内容で、速記者による筆起こし文を代田文誌が校正し、これをさらに澤田が点検した。
1.「うえつふみ」にみる鍼灸具の起源
註釈)「うえつふみ」とは何か
うえつふみは漢字で上記と書く。1837年に豊後国(現在の大分県)で発見された。豊国文字(日本語のアイウエオに対応した象形文字)で書かれている。古事記や日本書紀以前の文章とされ、神武天皇以前の歴史や、天文学、暦学、医学、農業・漁業・冶金等の産業技術、民話、民俗等についての記事を含む博物誌的な内容。しかしこんにちでは研究者間で偽書とみなされている。
灸の起源は「アツモノ」と記されている。上代にはハリのことを砭石(へんせき) といい、陽奇石を材料とした。この石を雪の上に置くと、すぐ雪が溶けてしまうことから陽奇石との名称がつけられた。「子なき女これを抱けば子を孕む」とあり、この石は体を温める作用があるとした。陽奇石は幅3寸以上長さ8寸ばかりで、薄く裂ける性質があり、これを砥石で磨いてハリとして使った。
註釈)砭石とは石ハリのことで、押(砭)さえて刺すことからこの名がついた。現代では皮膚切開のメスに相当するとされている。これに対して鍼は金属製のハリで、石ハリとは異なり深く刺すという用途がある。
陽奇石は身体を温めるのに使われたとする記録はある。セラミックを熱すると遠赤外線を放出されるのと同様な物質らしい。ただし陽奇石を材料に鍼を作ったとする見解は独自的解釈になる。
2.「一より二を生じ、二より三を生じ、三万物を生ず」
註釈:上は『老子』の一節に出てくる文章。無という『道』が有という一(元の氣)を生み出し、一が天地という二つのものを生み出し、二つ陰陽の氣が加わって三を生み出し、三つのものが万物を生み出すというもの。しかしこれでは理解できないので、一次元、二次元、三次元をさすと考え、この世の中の物すべては三次元であると説明する捉え方もある。
3.上の表現を数理に直していいかえると、「二一天作の五、二進の一十、三一三十の一」これが万物の起こり元になっている。
註釈:現代では小学校教育で積算の九九を記憶させられる。しかし明治初期の教育では、積算はもちろんのこと割算九九を記憶させられた。ソロバンのコマの移動に便利なように、独特の言い回しで記憶させられた。
1)「二一天作の五」とは10÷2=5のこと。転じて物を半分ずつに分けること。太極が二つに別れて陰陽となり、陰陽が別れて五行となる。日月は陰陽、五行は木火土金水。
2)「二進の一十」とは2÷2=1のこと。陰陽合して元の一に還元すること。
3)「三一三十の一」とは10÷3=3余り1のこと。天地循環の無限の生命を表わすもので、一を三で割っても割り切れず永遠に一が残る。この割り切れないところが無限の生命である。
4.経穴と經絡について
澤田の真骨頂が示されていると思われるが、独自性が強い。
1)一陰とは中脘のこと。中脘に灸すえると身柱・脊中(Th11棘突起下)・腰兪(仙骨裂孔の中央陥凹部)に響いて真っ赤になることから、これら三穴を三色という。
2)中脘と脊中とは、真っ直ぐに裏表になっており、普通の健康体でも中脘に灸をすると脊中が真っ赤になる。脊中に灸をするとこの逆になるので、脊中は禁灸穴となている。背中で灸をしていけないのは脊中穴のみ。
3)一元両岐三大四霊五柱および澤田流一行
督脈を一陽の一元とし、左右に別れて脊柱一行となる。即ち一元が両岐に分かれて、それが二行に分かれ三行に分かれる。これを三大(=三区分)という。
四霊(澤田造語)とは、左右の大巨・滑肉門の四穴で、五柱(澤田造語)とは上中下の三脘と粱門の五穴をいう。この五柱は脊(=脊柱)にもあって、臍中心にもある。
そしてこの五柱のうちにまた三大(=三区分)があって、中脘を中心とし腎経・胃経・脾経の三つをいう。この五柱は呼吸困難、喘息の発作等に非常に効くことがある。
脊(=脊柱)の三大(=三区分)でもって病の時期がわかる。一行が初期、二行が二期、三行が三期になる。 脊の一行を見ると、熱を出している臓腑がわかる。肝兪の一行であれば肝の熱、心兪の一行であれば心の熱といった具合である。
註釈)背部一行とは、背部督脈の5分外方の線をいう。背部二行とは外方1.5寸、背部三行とは外方3寸をいう。急性熱には一行を使う。ストレスがあれば肝兪一行を刺激し、舌先が赤くなり熱があれば心兪一行を刺すなど。
4)中焦
中焦とは中脘を意味しており、上脘中脘下脘の三脘が三焦にひびく。この三という数字は、前述したように無限の生命を意味している。上脘は胸から上の方にひびく、すなわち上焦にひびく。下脘は臍から下の方にひびくすなわち下焦にひびく。
その中脘に灸をすえると、前述したように脊中が真っ赤になる。
5)三原氣論
腎臓というものは、難經六十六難にも「腎間の動氣は人の生命十二経の根なり」とあって、また「三焦は元氣の別便なり」ともある。腎臓を先天の元氣、脾臓を後天の原氣、三焦を元氣の別便といって、この三元氣がつどって人間の一元氣となる。
五臓六腑の病氣はことごとくみな膀胱経の兪穴に現れ、これを治すもまた、その兪穴によるものであって、すべての病氣は膀胱に関係をもっている。その膀胱は腎の所属である。だからすべの病氣は筋を根本として見てゆかねばならない。ゆえに澤田流では腎に重きを置いている。
註釈)「三原氣論」とは、先天の原氣系は腎、後天の原氣系は脾、原氣の別使系は三焦であると考えた理論。三焦が五臓を巡っていると考える点で澤田流太極療法独特のもの。
血が回ると、手足が温かくなるとの素朴な観察から考えたものだろうか。
6)寒と熱
人の身体で、一方に熱というものがあれば一方には寒がなければならない。頭に熱があれば、足には熱がない。これを逆上という。「頭寒足熱」といった言葉通り、陽は下り陰は上る。陰は上って頭の方に行って手に抜ける。熱は足へ下りていって足から抜ける。
陰陽和合を欠く時に熱が起こる。すなわち寒氣を追い散らすために熱の方が高くなる。これが発熱する理由である。
西洋の医者は、熱を恐れているが、東洋の方では「傷寒論」があるくらいなもので、寒の方を恐れる。
註釈)代田文彦氏は次のように語った。発熱とは、免疫機能を高める目的で延髄の体温中枢が示した設定体温が高まった状態である。身体はこの設定温度にまで体温を上昇させようとするが、その目標温度に実体温が達していない場合、悪寒を感じる。頸や肩こりがあって延髄の血流低下がある場合、延髄の設定温度に狂いが生じて発熱を生じていることもあって、頸肩のコリの改善目的で風門や大椎への多壮灸(20~30壮)を行うことが発熱に対する鍼灸治療になる場合がある。もう一つの方法として解表法がある。交感神経緊張状態により皮膚の腠理(汗腺)が閉じていていては発汗による解熱はできない。このような状況では発汗法として、人体で最も汗のかきやすい部とされる肩甲上部~肩甲間部の領域に、速刺速抜を行なう。これは葛根湯液服用による発汗と同じような意味になる。
7)肝と病氣の進展
病氣は肝隔(=肝臓と横隔膜)の間に起こって肝隔の間に収まるので、全ての病氣は肝臓が始まりになる。肝臓と膈の間が八椎(=Th8棘突起下外方1.5寸)で、ここは病氣の始まる処で収まる処でもある。そこから内臓に這い入ってくる。
膈兪の真ん中へ鍼をうつと、期門にひびく。肝兪にうつと章門にひびく。脾兪にうつと京門にひびく。膈兪に鍼をうつと、どう響くかは非常に難しく、わずかな違いにより上にも行けば下にも行き、横にも行く。そしてへんてこな灸をすえたような熱く感じる部位もある。こういう不思議は響きかたをするのは膈兪だけである。
病は膈兪から入って期門に出て、期門から肝臓に入る。それから肝臓に病が入ると肝兪へ出る。肝兪から章門に出て、章門から脾臓に入る。脾臓から脾兪に出て、脾兪から京門に出る。ここがひどく響く処。京門へ出ると腎臓が弱くなる、この腎臓から逆に上に行くと、心臓にゆき心兪にあらわれ、しまいには肺に入る。肺は終点である。
註釈)膈兪刺針は横隔膜刺激となる。横隔膜は体性神経が入るので針響を与えやすい。
肝臓は病氣の始まりに関係する。肝臓は魂を主どるところで、これは何事も几帳面に行わなければならぬという性質をもっている。これに対して魄は雑念の多いのを主どるので、
魄は肺に属する。
註釈)魂魄:道教における霊についての概念。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指す。魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。
8)肺と病の進展
風邪は肺から風門に出て、風門の一行から膈の兪に下り、膈から内臓に、這い入ってくる。
膈の一行のところには代田文誌の説明によると交感神経の内臓にいく太い自律神経(=腹腔神経節)があるとのことで、これで謎が解けた。
寒くなると肺結核患者が多くなる。では結核菌とは何かといえば、カビで人間の血の巡りの悪いところにカビがはえる。日光に照らせばカビなんかきれいに消える。フランスの細菌学者アランジー博士も同様のことを云っている。結核菌は病氣をつくるものではなく、繁殖の適当な範囲において繁殖するものである、と。
9)三焦と陽池の灸
心臓病のとき、それを治そうとすれば三焦を納めなければならない。澤田流太極療法基本穴で、左の手の陽池に灸をすえるということは、この三焦を納めるためで、陽池は三焦の原である。天の氣は初めは肺に受けて中焦に起こる。天の氣を吸わなければ人間は決して長生きできない。天の氣を受けての最初の人間の動きは、まず中焦に起こる。肺で呼吸し、そこから經絡に合わせるのだが、その源との連絡は方法は、源である発電所の方が誤っていては何もならないから、まず陽池と中脘に灸をすえて三焦の調節をとる。そうすると丹田(=関元)に力が入ってくる。氣海は腎の所属で腎間の動の発するところであり、天の氣を三焦のうちの中脘に受け、それが氣海に入って動くのである。氣は三焦に属し、動は腎に属する・動氣相求むる
註釈)「動氣相求むる」とは、正しくは「同氣相求むる」という。同じ性質を持つ者はお互いに求めあうと言う意味です。『易経』の一節。
三焦については、フランスのスリエド・モラン氏が研究し、三つの熱源地として想像していたが、澤田が送った三谷先生の「解体発蒙」をみて、モラン氏は想像してたことが解剖上に実証されているのを見出し、非常に嬉しかったと聞いた。
註釈)「解体発蒙」は三谷公器著(1775-1823)による。オラン大学の解剖知識と『内経』の機能・整理額的知識の一致・折衷をめざした著作。石坂宗哲らに影響を与えた。
澤田腱が入手し1930年に復刻し、その際に「三焦論」を付した。「三焦論」は澤田唯一の著作。
10)精神を納める灸穴
氣海より脳にのぼる。脳は上丹田である。精神は脳にあるというが、精神を納めるのは氣海丹田である。
陰は上り陽は下るというが、頭の重い時は陰が上れないからで、そんな場合に氣海に灸をすえてごらんなさい。すぐに頭がスーッと軽くなる。
病氣というのは精神が納まらないからであって、その精神を納めるには陽池・中脘・ 氣海の三穴に灸すればよろしい。
11)熱府と寒府
熱府は風門で、寒府は膝の陽關(膝蓋骨上縁の高さで大腿外側の腸脛靭帯のすぐ後ろ)をいう。熱府と寒府は、外から侵入した寒氣を去ることができる。司天の寒氣は風門でとれ、在泉の寒氣は膝の陽關(=寒府ともいう)でとれる。
内臓の熱を去るには岐伯のいう「臓腑の熱をとるには五あり。五の兪の内の五の十を刺す」とある。これは脊柱の兪穴の一行のことで、これによって内臓の熱を診て、またそれを去ることができる。
註釈)司天・在泉:五運六氣の用語。天の気が司天で、地の気が在泉。一年間を六つに分けて一番暑い60日間(≒夏季)を司天、一番寒い60日間を在泉(≒冬季)としている。