1.背部基準線と督脈・膀胱經走行の関係
背部の基準線は、後正中、背部一行(後正中の外方0.5寸)、背部二行(後正中の外方1.5寸)、背部三行(後正中の外方3寸)と定められている。
ただし、この基準線に背部膀胱經の走行を当てはめた場合、筆者の鍼灸学校時代、「背部二行を背部膀胱經一行に、背部三行を背部膀胱經二行とする」と教わった。
しかし以前から気になっていたが、鍼灸治療基礎学(代田文誌著)を読むと、「沢田健は背部膀胱經二行線を後正中の外方1.5寸、背部膀胱經三行線を後正中の外方3寸とした。そして背部膀胱一行を督脈の外方0.5寸と定めた」と記載されている。なお従来の考え方では、背部膀胱一行を督脈と定めていたという。
2.沢田健の背部一行の運用
沢田健による分類の優れていたのは、背部一行の用途を熱症治療と定め、さらに同じ高さの背部兪穴の所属する臓腑に関係する熱に関係すると体系化した点にある。なお背部一行の位置を石坂宗哲「鍼灸説約」によれば、石坂は華陀夾脊として好んで用いていたようだが、五臓六腑との関連を認識していなかったので、運用に難があった。
たとえば「心」の病証の一つである舌症状では心兪を施術するが、心の熱による病証では舌の激痛と発赤が顕著になるので、心兪一行を刺激する、といった使い方をする。
同様に次のような使い方もできる。(一行に現れる反応点は、およそ2行の穴より5分ほど上にある)
脾兪一行の圧痛:脾に熱がある時
腎兪一行の圧痛:腎に熱がある時
胃痙攣→胃兪または脾兪一行刺針
胆石症→胆兪一行刺針
腎盂炎→腎兪一行刺針
眼痛→肝兪一行
舌痛→心兪一行刺針
3.熱府と寒府
私の手元には、<「澤田先生講演」(速記)昭和11年8月6日京都祇園中村楼に於いて(東邦医学社)>という資料のコピーがある。澤田健60才の時のもの。8000文字ほどの長編であった。鍼灸古典を基礎としつ、とくに五運六気学説を中心に語っているが、私はその方面に不案内で、理解するに困難を感じる。ただただ沢田健の博学ぶりには仰天されられた。
私の理解の外にある内容が多い中に、背部一行と熱府・寒府の使い分けについて述べた部分があった。
1)内臓の熱を去るには背部一行を使用
内臓の熱を去るには、岐伯のいうように「臓腑の熱をとるに五あり。五の兪の内の五の十を刺す」とあって、これは脊の五臓の兪穴の第一行のことをいっている。これによって内臓の熱を診し、またそれを去ることができる。
2)外感の寒熱を去るには熱府・寒府を使用
熱府=風門、寒府=陽関(足)、この運用で外から侵入してきた寒気を去ることができる。
①熱府
第2胸椎棘突起下外方1.5寸に風門をとる。甲乙經に風門熱府とある。熱府とは熱の集まる処という意味である。門は出入り口で、入口をふさぐことが風邪の予防になり、出口を開けることが風邪の治療になる。いかに高熱があるものでも、風門に鍼するのは差し支えない(灸は控える)。
風邪の抜けぬ者では20~30壮すえると早く治る。
司天(≒臍より上)の寒気は風門でとれる。つまり熱府は、寒邪にも熱邪の治療にも用いる。
※背中がゾクゾクした、というような瞬間、古人は風邪(ふうじゃ)が身体内に入ったと認識し、風邪の侵入する部分が風門と考えた。ぞくぞくする状態を悪寒とよぶ。悪寒は本来は視床下部の温度設定を、これから上昇させるサインであり、これから熱が上がる予兆である。代田文彦先生は、銭湯などで熱い湯船に入る準備として、背中に何杯も熱い湯をかけている人を見て、中枢の温度の感受性を一時的に狂わせることで熱い湯船に入れるようになるのだと考えたという。
②寒府
陽陵泉の上3寸。膝外側、陽陵泉上3寸、大腿骨外側上顆上方凹陥処に足の陽関をとる。
素問では足の陽関を寒府といっており、「寒府は膝の下の解営にあり」とある。下から上がってくるような寒さは、まず膝に寒邪が集まる。そこで膝や膝蓋骨が非常に寒くなる。在泉(≒膝より下)の寒邪を去るには寒府を用いる。
※足陽関は腸脛靱帯あたりにある。一般に靱帯部は筋肉部に比べて血流が乏しい。皮膚温が低いも当然である。