AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

沢田健による寒熱の針灸治療

2013-08-24 | 経穴の意味

1.背部基準線と督脈・膀胱經走行の関係 
背部の基準線は、後正中、背部一行(後正中の外方0.5寸)、背部二行(後正中の外方1.5寸)、背部三行(後正中の外方3寸)と定められている。
ただし、この基準線に背部膀胱經の走行を当てはめた場合、筆者の鍼灸学校時代、「背部二行を背部膀胱經一行に、背部三行を背部膀胱經二行とする」と教わった。
しかし以前から気になっていたが、鍼灸治療基礎学(代田文誌著)を読むと、「沢田健は背部膀胱經二行線を後正中の外方1.5寸、背部膀胱經三行線を後正中の外方3寸とした。そして背部膀胱一行を督脈の外方0.5寸と定めた」と記載されている。なお従来の考え方では、背部膀胱一行を督脈と定めていたという。


2.沢田健の背部一行の運用

沢田健による分類の優れていたのは、背部一行の用途を熱症治療と定め、さらに同じ高さの背部兪穴の所属する臓腑に関係する熱に関係すると体系化した点にある。なお背部一行の位置を石坂宗哲「鍼灸説約」によれば、石坂は華陀夾脊として好んで用いていたようだが、五臓六腑との関連を認識していなかったので、運用に難があった。

たとえば「心」の病証の一つである舌症状では心兪を施術するが、心の熱による病証では舌の激痛と発赤が顕著になるので、心兪一行を刺激する、といった使い方をする。
同様に次のような使い方もできる。(一行に現れる反応点は、およそ2行の穴より5分ほど上にある)
 脾兪一行の圧痛:脾に熱がある時
 腎兪一行の圧痛:腎に熱がある時
  胃痙攣→胃兪または脾兪一行刺針
 胆石症→胆兪一行刺針
 腎盂炎→腎兪一行刺針
 眼痛→肝兪一行
 舌痛→心兪一行刺針 

 

3.熱府と寒府

私の手元には、<「澤田先生講演」(速記)昭和11年8月6日京都祇園中村楼に於いて(東邦医学社)>という資料のコピーがある。澤田健60才の時のもの。8000文字ほどの長編であった。鍼灸古典を基礎としつ、とくに五運六気学説を中心に語っているが、私はその方面に不案内で、理解するに困難を感じる。ただただ沢田健の博学ぶりには仰天されられた。

私の理解の外にある内容が多い中に、背部一行と熱府・寒府の使い分けについて述べた部分があった。

1)内臓の熱を去るには背部一行を使用

内臓の熱を去るには、岐伯のいうように「臓腑の熱をとるに五あり。五の兪の内の五の十を刺す」とあって、これは脊の五臓の兪穴の第一行のことをいっている。これによって内臓の熱を診し、またそれを去ることができる。

2)外感の寒熱を去るには熱府・寒府を使用

熱府=風門、寒府=陽関(足)、この運用で外から侵入してきた寒気を去ることができる。

①熱府

第2胸椎棘突起下外方1.5寸に風門をとる。甲乙經に風門熱府とある。熱府とは熱の集まる処という意味である。門は出入り口で、入口をふさぐことが風邪の予防になり、出口を開けることが風邪の治療になる。いかに高熱があるものでも、風門に鍼するのは差し支えない(灸は控える)。
 風邪の抜けぬ者では20~30壮すえると早く治る。
司天(≒臍より上)の寒気は風門でとれる。つまり熱府は、寒邪にも熱邪の治療にも用いる。

※背中がゾクゾクした、というような瞬間、古人は風邪(ふうじゃ)が身体内に入ったと認識し、風邪の侵入する部分が風門と考えた。ぞくぞくする状態を悪寒とよぶ。悪寒は本来は視床下部の温度設定を、これから上昇させるサインであり、これから熱が上がる予兆である。代田文彦先生は、銭湯などで熱い湯船に入る準備として、背中に何杯も熱い湯をかけている人を見て、中枢の温度の感受性を一時的に狂わせることで熱い湯船に入れるようになるのだと考えたという。 


②寒府

陽陵泉の上3寸。膝外側、陽陵泉上3寸、大腿骨外側上顆上方凹陥処に足の陽関をとる。
素問では足の陽関を寒府といっており、「寒府は膝の下の解営にあり」とある。下から上がってくるような寒さは、まず膝に寒邪が集まる。そこで膝や膝蓋骨が非常に寒くなる。在泉(≒膝より下)の寒邪を去るには寒府を用いる。

※足陽関は腸脛靱帯あたりにある。一般に靱帯部は筋肉部に比べて血流が乏しい。皮膚温が低いも当然である。 


眼科針灸治療の法則性を探って

2013-08-15 | 眼科症状

1.代田文誌・代田文彦による眼科治療穴   

代田文誌著「針灸治療基礎学」(昭和15年、発刊)の巻末にある疾患別経穴一覧の眼科疾患の項をみると、眼科疾患別に治療穴が載っている。ご子息の代田文彦先生は、この中の法則性を見出し、内容を再整理した。 


これを要約すると、①眼前部に対しては大腸経の手の遠隔治療穴(二間、合谷、曲池)の灸治を多用すること、②眼構造前部障害に対しては、痛みや眼の充血改善目的でコメカミ~側頭部(太陽、頭維)に刺針・刺絡が行われること、③眼構造後部障害に対しては天柱から上天柱などが行われることなどが読み取れるものとなっている。
以下、代田文彦、迷いながらの鍼灸、理療、1979~1980より

 

 ①曲池
目の領域。目といても表面の結膜とか角膜の領域。目の表面と関わるように、皮膚の比較的表層とは、全身にわたって何らかの影響力をもっていると考えたい。したがって皮膚がかゆいときとか、皮膚病のときに取穴したくなるし、ごく表層の病変ということで、風邪のときにも取穴したくなる。

※曲池とよく似たイメージとして、合谷穴がある。抗生物質が発明される前の明治から昭和初期まで、面疔の灸 として桜井戸の灸が有名だった。左右合谷に50~200壮、顔面の痛みが止まるまで5週間施灸する。

 
②和髎・目窓
少し奥に入った虹彩付近と関わり合いが深い。

※和髎:頬骨弓後端の上際。浅側頭動脈拍動部。浅側頭動脈拍動上。
※目窓:瞳孔線上で前髪際付近に頭臨泣をとる。目窓はその後1寸。

③天柱・上天柱
網膜から視神経と関わり合いが深い。


④中国では、網膜疾患や眼底疾患に対しては、眼窩奥にある上眼窩裂(=睛明)や下眼窩裂
(=球後)の刺激も行われ、それぞれ30分程度の置針が試みられるものの、この部分の疾患は一般に難病である。


2.代田文誌・代田文彦による眼科治療穴の再検討 


1)現代では眼の炎症症状には抗生物質を使う


眼の痛みや充血、すなわち結膜炎、角膜炎、虹彩炎等では、現代では抗生物質やステロイドの点眼薬を使って上手に治せることが多い。これらの治療のために針灸の門を叩く者はほとんどない。眼の疼痛・充血治療であるコメカミ~側頭部筋への刺針・刺絡が効果的だというが、今日では出番はめったにないであろう。  

コメカミ~側頭部への施術は、側頭筋緊張性頭痛に付随する眼精疲労ともいえる。  

2)毛様体神経(毛様体筋)-三叉神経第1枝-大後頭神経症候群とのアセスメント


代田文誌は、視力障害には眼構造項部を刺激するとあるが、乱視や仮性近視、眼精疲労などにも項部を施術する点が、現代的感覚と異なる処であろう。項部刺激が視神経や網膜に影響を与える可能性のあることを考えたらしいが、ここは毛様体神経-三叉神経第1枝-大後頭神経の機能異常と捉えるのが妥当であろう。


①毛様体神経:球後(部位的に使いづらい)

②三叉神経第1枝:睛明、魚腰、目窓、頭臨泣、上眼窩内刺針
③大後頭神経:本神経はC2C3後枝であり、知覚枝と運動枝がある。
知覚枝→上天柱、玉枕  運動枝→項部筋を広く支配。

※眼精疲労の針灸

眼精疲労の原因については種々あるが、調節性眼精疲労(毛様体筋疲労)またはと筋性眼精疲労(輻輳不全、斜視)が2大原因であり、調節性眼精疲労の方が多い。調節性眼精疲労に対しては、その支配筋である三叉神経第1枝を刺激する目的で、魚腰、上眼窩内刺針、目窓などを刺激する。または大後頭神経が三叉神経につながる部分であるC1~C3 脊髄神経後枝を刺激する目的で、天柱や上天柱を刺激する。

3)眼の表層の治療


動物の本能として、腹が痛い時は腹をさすり、腰が痛ければ腰をさする。同様に、目が悪ければ目をさする。目をさする場合、多くは自分の二間や合谷を閉じた目の部分にあて、こすることになる。基本的には、瞼をこすることにより、血行改善させ、それによって涙腺やマイボーム腺分泌の活性を図っているのだと思う。したがって、上眼瞼を蒸しタオルで温めたり、刺激するような意味があるのだろう。

 
3.毛様体神経節刺針(≒球後)とは 

1)毛様体刺針法の意義

毛様体神経節刺針法とは1979年、中村辰三先生が発表した刺針法である。毛様体神経節は副交感神経性の神経節(眼の栄養、分泌、疲労回復などの機能)であることから、この部への刺針が眼症状に試みる価値があると予想した。実際に試みると、針治療により急速に視力が改善するという。針治療が眼底出血に有効である症例があったとの治験も得た。

※単に球後から刺入するだけでも心理的に抵抗が強いのに、毛様体神経節刺針は、下眼窩から深刺するので、多少なりとも危険が伴うであろう。経験の浅い針灸師が行うべきでない。

 

2)毛様体神経節刺針法

眼耳水平面(眼窩下縁の最低点と耳孔最上部を結ぶ面)から、上向き角度約30度、正中面に対する内向き角度約30度で、眼窩下縁と外側縁の交点から、眼球の後方に向けて約3.5㎝内側上方へ刺入。1号針を用いた10分間置針。軽く雀啄後に抜針。

※球後刺針:外眼角と内眼角との間の、外方から1/4 の垂直線上で「承泣」の高さを取穴。眼窩内に直刺、その後針尖を上内方に少し向け、視神経孔方向に刺入。