1.序
採血や注射などで、針がさされることによる恐怖や痛みなどによるストレスで、血管に分布している迷走神経を刺激して血管が拡張し、循環血液量減少・血圧低下、冷や汗、気分不快、顔面蒼白、徐脈、失神などの症状が現れることがある。
鍼灸治療においては、とくに座位で肩井刺針を行なうと、同様の症状が現れることが知られている。一般的に仰臥位や伏臥位で行う針灸治療ではこうした問題は生じない。肩井刺針で脳貧血が生じるのは、肩井刺針体位が通常座位であること、肩井刺針でズシンと響くような針響を与えやすいからだろう。これらの一連の反応を、血管迷走神経反射という。
2.対処法
頭を低くしておくと、30秒~5分程度で後遺症を残すことなく、意識は回復する。
筆者も、この十年で肩井刺針で脳貧血を2回生ぜしめた。この時の処置は「仰臥位にして足を高く持ち上げると、意識回復は患者は急速に回復する」という内容で、これはC.CHAN-GUNN著、大村昭人他訳「筋々膜痛の治療:ハリ治療の西洋医学的手法」克誠堂)に準拠したものである。
3.発生頻度
台湾のある医療施設で針を受けた患者の調査では、28,285回の針治療のうち、55回失神が起きた。すなわち0.19%の率で失神が起きたと発表した。(Chen 1990)。
失神が起きたのは、いずれも座位または立位姿勢で施術を受けていた。完全に意識を失った患者は一人もおらず、すべて後遺症もなく回復した。(Edzard Ernest & Adrian White 山下仁ほか訳「針治療の科学的根拠」医道の日本社2001)
なお我が国で使用される鍼は、台湾よりも細く刺痛も比較的生じないので、前記台湾の一施設のデータ0.19%よりも少ないであろう。ちなみに筆者は約30年間の臨床で2回経験している。
4.予防法
失神を防止するためには、肩甲上部や後頚部刺針においては、座位では椅子に腰掛ける肢位にせず、ベッド上に座らせるようにして施術するとよいという。要するに、血液が下肢に集まりにくくする条件をつくるようにする。
5.血管迷走神経反射性失神(VVR:Vasovagal reslex)の機序
原因不明の失神で最も多いのは神経調節性失神とされる。神経調節性失神は、血管迷走神経性失神、頸動脈洞症候群、起立性調節障害などに分類される。血管迷走神経反射性失神は、交感神経過剰反応のため迷走神経が過剰に反応することで生ずる。肩井刺針で時に生ずる脳貧血発作も、このタイプである。
これに対し、起立性調節障害は交感神経活動不十分なためにおこる。起立性低血圧が代表で、朝朝礼中にひっくりかえるなどの例がある。重篤疾患にはシャイ・ドレージャー症候群がある。
血管迷走神経反射性失神は比較的新しい概念である。高頻度に起こる。ただ血管迷走神経反射性失神の機序は難解である。筆者が、おぼろげながら理解した範囲内で記載する。
肩井刺激すると交感神経が興奮
→すると血管収縮するので、心臓に戻る血液量が低下する。
→代償性の頻脈により、心臓が空打ち状態になる
→心臓の左心室後壁にあるメカノ・レセプターを刺激。この受容器が刺激され、心臓から脳幹に伸びている迷走神経のC線維が異常に興奮
→延髄を介して遠心性交感神経活動性低下し、血圧低下。遠心性迷走神経の活動性上昇し、心拍数低下。要するに副交感神経優位になる。
→脳血流低下による失神
上記をさらに簡略化すると、「自律神経系の突然の失調のために、血圧や心拍数が急激に下がり、脳に行く血液量を確保できないために、失神やめまいなどが起こる」ということになろう。
※メカノレセプター mecano recepter:機械的受容器。機械的刺激を受けて、求心性インパルス発生を起こす受容器。