AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

針灸の効果を高める運動学的方法

2016-01-26 | 総論

鍼治療の効果を高めるには、針の手技だけでなく、患者の体位・筋に力を入れるか否か・息を止めるか否かなどを考慮するとよいことが知られている。これらは導引という概念といえるらしいが、現代では導引に代わり、神経生理学的機構に働きかけることで治療効果を高めようとする考えが生まれている。

1.Ⅰa抑制

1)Ⅰa抑制とは
スムーズな関節運動を行うためのしくみ。
主動作筋が収縮する際は、拮抗筋が弛緩する生理的機序のこと。この機能がないとスムーズな関節運動はできない。筋紡錘による拮抗筋の抑制である。肘屈曲の際、上腕二頭筋が収縮する際、上腕三頭筋が弛緩する現象など。

2)Ⅰa抑制の生理学的機序
伸筋からのIa線維が抑制性介在ニューロンを介して屈筋の運動ニューロンに接続していることで起きるIa抑制(=相反性抑制または反回抑制)
 目的筋を大きな速度で伸張する
 →筋紡錘が反応してⅠa求心性線維に刺激を送る
 →その刺激が脊髄を通り脊髄前角にあるα運動線維を介して拮抗筋に抑制的に働く
 →拮抗筋が弛緩。

3)臨床応用
筋紡錘刺激は、拮抗筋を抑制する。

①腰部筋緊張をゆるめる手技:

その拮抗筋である腸腰筋を緊張させる動作を指示する。具体的には仰臥位で大腿挙上させ、腸腰筋を緊張させる動作を指示する。セラピストは、その運動に抵抗を加える。
 
②大腿四頭筋緊張を緩める手技:
その拮抗筋であるハムストリング筋を緊張させる動作を指示する。具体的には側臥位で、上になった側の下肢を、膝関節伸展させたまま、股関節を伸展させる。弓を反らすような姿勢にし、セラピストは、その運動に抵抗を加える。
   ※「筋」紡錘は拮抗筋を抑制し、
 
2.Ⅰb抑制

1)Ⅰb抑制とは

筋肉の両端部分のスジが引き伸ばされても反射的に弛緩する。これをⅠb抑制とよぶ。Ⅰb抑制は、筋肉の収縮や外力によって急激に引き伸ばされスジが断裂するのを防ぐための防御機能である。「腱」紡錘による自筋(目的筋)の抑制。


筋伸張反射とは、筋肉が急に引き伸ばされた時、筋が切れないように筋が防御的に収縮する反射(=Ⅰb抑制)であって、等尺性の筋収縮(=関節運動を伴わない筋収縮)を起こさせる。
 
※急激に筋肉が引き伸ばされた時は伸張反射(例として膝蓋腱反射)が起こり、引き伸ばされた筋肉が収縮する。これは関節が過剰に動き破壊されてしまうのを防ぐ目的がある。
   
2)Ⅰb抑制の生理的機序
筋をゆっくりと大きく伸張する→腱紡錘(=ゴルジ腱器官)腱紡錘が伸ばされてⅠb線 維に刺激を送る→その刺激が脊髄を通りγ線維を介して伸張した筋に抑制的に働く→伸張した筋が弛緩する。
   
※Ⅰa抑制は、目的筋を大きな速度で伸張することでスイッチが入る。これに対して、Ⅰb抑制の起こる閾値が高く鈍感なので、Ⅰa抑制が働かないように、静かにゆっくりした動作が必要である。(例:アキレス腱ストレッチは、腱に伸張刺激を与えることを目的とするので、徐々にゆっくりと負荷をかける。)
  
3)臨床応用  「腱」紡錘は自筋(目的筋)を抑制する。

①アキレス腱のばしの方法:

スタティックストレッチ(反動をつけず、ゆっくり引き伸ばして行うストレッチ。ストレッチ作用は弱いが安全性が高い)
  
②膝OAにおける大腿直筋を緩ませる方法
大腿直筋緊張を緩めるには、単に四頭筋上の筋硬結部に刺針するのではなく、仰臥位で膝関節屈曲させ、四頭筋緊張させる→その状態で膝蓋骨の大腿四頭筋停止部の圧痛(鶴頂あたり)を探って手技針すると効果的。
   
③腰方形筋緊張による腰痛治療:
立位で前屈させて腰方形筋を伸張させる。その状態で腰方形筋の腸骨稜停止部の圧痛に手技針または運動針。  

 

3.筋ストレッチと筋トレの相違
 
「ストレッチ」という言葉は、1960年頃にアメリカで発表されたスポーツ科学の論文中で使われ始めた。筋緊張時、、この収縮状態を引っぱって伸ばす運動のことを筋ストレッチまたは単にストレッチとよぶ。

 筋ストレッチの効能は、①筋緊張緩和と筋の柔軟性改善、②関節可動域拡大、③血流改善などである。今日ストレッチはスポーツにおけるウォーミングアップ、クールダウンの中で盛んに行われ、重要な役割を果たしている。
 一方、筋トレ(筋力トレーニング)は、筋肉(骨格筋)の出力・持久力の維持向上や筋肥大を目的とした運動の総称をいう。目的の骨格筋に抵抗(レジスタンス)をかけることによっておこなうものはレジスタンストレーニングとも呼ばれる。抵抗のかけ方には様々ありますが、重力による抵抗を利用するものをとくにウエイトトレーニングと呼ぶ。
 
4.スタティック ストレッチング(static stretching 静的筋伸張)
 
1)方法と適応 

   
通常の筋伸張運動。反動をつけずに目的の筋肉をゆっくりと伸ばし、その姿勢を30秒(または20秒)程度保持する。運動後のクールダウンやリラクセーションに適す  るが、パフォーマンス向上には適さない。

  ※伸ばしている時は息を吐く(=交感神経緊張を緩める)と筋が伸びやすい。
 
2)生理学的意義

     
筋肉をゆっくり伸ばすのは、伸張反射を防ぐ意味がある。筋肉には筋紡錘と呼ばれるセンサーがある。筋肉が瞬間的に引き伸ばされると、次の変化が起こる。

   
筋紡錘から「伸張された」という信号が出る→反射的に脊髄から「筋を収縮させよ」  という命令信号が出る→筋肉が反射的に(意思とは関係なく)収縮する。これを伸張  反射とよぶ。伸張反射は筋肉が急激に引き伸ばされたときに起こる防御反応である。

   
この伸張反射はスタティックストレッチングを妨げるので、これを避けるためにはゆっくりとした筋伸張動作を行うのがよい。

2.バリスティック ストレッチング(Ballistic stretching  勢いのある筋伸張)
   
反動を利用したストレッチのことで、筋の柔軟性を改善する効果が高い。柔軟体操やラジオ体操がこれに相当する。可動域 増大、筋温上昇、交感神経興奮の効果が得られる。静的ストレッチングと異なり伸張反射が起きやすいので、健康維持目的の運動(=フィットネス)には用いられなくなったが、 競技スポーツにおいては現在でもバリスティックストレッチが使われている。

   
類似のものにダイナミック ストレッチング(dinamic stretching 動的な筋伸張)がある。これは勢いを制御したバリスティックストレッチングのことで、大きくは反動をつけないので事故が少ないという利点はあるが、効果的にはバリスティックに及ばない。


3.PNFストレッチ

 
1)概要

     
PNFは” Proprioceptive Neuromuscular Facilitation ”の頭文字をとったもので、
固有受容性神経筋促通法と和訳される。PNFストレッチとは、リハビリテーションの手法を取り入れた徒手抵抗ストレッチの技法をいう。
   
抵抗を加えながら筋肉を収縮させた後、抵抗をなくすことで、筋肉の柔軟性を高める。すなわち単純に筋を伸ばすのではなく、一旦収縮させることで筋肉が伸びやすく  なる性質を利用し、また力を入れた主動作筋に対して、反対側にある拮抗筋は緩むという性質(Ⅰa抑制)を利用する。PNFストレッチは目的とする筋の緊張を緩めるのに非常に適している。その結果、関節可動域の拡大を図ることもできる。

   
自分一人では行いにくいので、トレーナーがセラピストとなって行うのに適している。これまで針灸臨床の場でも、刺針+筋肉運動が相乘効果を生むことが認識されて  きたが、多分に経験的で運動学的理論に基づいて行われることは少ないように思われる。これからの検討課題となるであろう。

 
2)具体例 

  
①五十肩に対するカリエのリズミックスタビリゼーション

    
患者はセラピストの指示にしたがい、上腕を上下左右に動かす。その時セラピストは患者の上腕を持って腕の動きと逆方向に力を入れる。患者、セラピストとも筋力を使っているのだが、その力が釣り合っているので、上腕はあまり動かない(等尺性運動になる)。この運動を行うと、肩関節ROM拡大が図られる。

 

 ②ハムストリングのPNFストレッチ

 

 ③大腿四頭筋のPNFストレッチ

 

 

 

 ④梨状筋のPNFストレッチ



⑤吸玉療法で筋が緩む現象

     
まず皮膚と皮下組織を吸玉で吸引する。この状態では患者は交感神経緊張状態になっている。5~30分間後に吸玉を外すと、副交感神経緊張状態に変化する。すなわちリラックスするためには、単に筋の脱力を図ろうとするのではなく、そ    の直前に身体緊張状態をつくり、急に脱力させるのがよい。


 


代田文誌の頌徳歌碑(飯田市龍門寺) Ver.1.2

2016-01-13 | 人物像

少し前のこと、代田文誌先生が活躍していた場所に行って見たいという考えが生まれた。そのことを代田泰彦先生に相談してみると、長野市の東京医学研究所(代田36才~)の跡地はまったく面影がないが、飯田市の寺には石碑があるとの話だった。飯田は、文誌先生が幼少期から35才まで住居を構えた土地である。

また、つい最近のこと、沢田健先生墓参後の新年会で話題になったこともあって、玉川病院後輩の寺師健先生から、飯田市の龍門寺にあるという石碑の写真が送られてきた。1999年、飯田市で日本針灸懇話会があった時、自分が撮ったのだものだという。頌徳歌碑と、この歌碑説明文の2枚で、歌碑は光線の関係からか一部判読しづらく、また説明文も錆びたり剥げたりしていて分からないところがあり、読解には苦労した。そもそも頌徳歌碑を建立した「望真会」というのも初耳だった。
 
記憶はいずれ途切れてしまうものだ。代田泰彦、寺師両先生の協力を仰ぎ、この辺の状況を記録しておくべきだろう。

なお石碑建立は、昭和56年なので、私が28才の頃で、日産玉川病院東洋医学科3年目の時にあたる。当時は代田文彦先生と毎日のように顔を合わせていたはずなのに、石碑についての話題は一切なかったのも不思議な話である。今考えると、貧乏な研修生に石碑建立のための寄付金など余計な心配をさせまいと思ったのではないだろうか。

 

 
1.代田文誌先生の頌徳歌碑
  
代田文誌先生でなければ詠めない内容になっていると思う。  

 


あなたふと 
薬師如来の
本願を 
わが身にしめて 
世を救いなむ
文誌


現代文訳(代田泰彦先生による)

ああ尊いことだな、
薬師如来の
本願を 
わが身に背負って 
世を救いたいものだな
文誌

 
2.頌徳歌碑の説明文

 


望真の灯は消えず


代田文誌先生は明治三十三年豊丘村河野に生れ、学業半にして

肺結核に冒され、数度の大喀血も堅固な佛道精神と東洋医学によ
りこの難病を克服された。病中の体験から針灸医学を志されこれ
によって病者を救はむ事を念願として、七十四年の生涯を
一筋に精進された。針灸の泰斗としてその科学化に尽瘁され、多
数の著書と、その術技は、後世への不滅の功績として輝いている。
常に医道を説き、望真会を興し後進を導かれた。又島木赤彦に師
事して、歌人としても勝れていた。歌集に「火の山」がある。
この度、その償徳を敬慕する子弟、同志、後輩が相寄りここに頌
徳歌碑を建立するものである。

昭和五十六年十月十八日 大安佳日建立

 
代田文誌先生頌徳歌碑建立委員会
 

略歴

一、望真会会長            一、日本針灸師会副会長
一、日本針灸医学会会長     一、日本針灸皮電学会会長
一、長野県針灸師会会長 
  

昭和四十九年九月二十四日
 
※尽瘁(じんすい):自分の労苦を顧みることなく全力をつくすこと。
※旧字は新字に変更した。

 


3.望真会と石碑建立の経緯(代田泰彦)

望真会とは飯田市を中心として代田文誌先生を慕って集まった鍼灸師の集まりで、2-30人の鍼灸師が、研究会等行って切磋琢磨しあったらしい。この歌碑を作ったメンバーの人たちが、会員であり、推進者であったようだ。丸山薫・林一一等が中心で協力を仰ぎ、250名318万円の浄財が集まったときく。三木健次・清水千里・森秀太郎・米山博久等の名前も見える。
なお、この除幕式には代田家代表として小生が出席したことは思いで深いものがある。(兄、代田文彦は他用があり出席できなかった)

私(似田)も望真会について調べてみると、現代につながる針灸の経緯に直結していることを知った。
先の大戦で敗戦後、GHQは鍼灸治療禁止令を発効しようとしたが、これに反対したのが石川日出鶴丸で、「鍼灸医術ニ於イテ」とする論文を著した。これと同時期、「望真会」として飯田市を中心とした針灸研究交流の場が存在したが、昭和22年2月5日代田文誌は日本鍼灸医学会の再建を決意し、同年11月には、「望真会」を発展解消させ、全国規模を想定した「日本鍼灸医学会」とした。
その第1回の全国大会を飯田市松尾の竜門寺で開催された。従来の迷信的針灸と決別し、新しい科学的な針灸治療を志向したのであった。このような努力が功を奏し、GHQは針灸存続を認めたのだった。

 


平成28年を迎えての沢田健先生墓参

2016-01-04 | 講習会・勉強会・懇親会

平成28年1月3日、念願だった沢田健先生の墓参をした。沢田先生は、代田文誌先生の師匠であった。新大塚駅(池袋から地下鉄丸ノ内線で1つ目の駅)で仲間と待ち合わた。お花は現地で買うのがよかろうと思って、事前に花屋の場所を調べていたが、お正月ということだろう、どこも閉まっていて大いに焦ったが、道すがら1件のスーパーを発見、そこでどうにか一束発見できた。本来は墓石の左右設置するため二束必要だがやむを得ない。
 
歩くこと薬7分で、本伝寺に到着。立派な門構えのお寺だった。本殿の向かって右手から墓地に入ると東西に長い墓地で、驚くほど墓石だらけだった。果たして沢田先生の墓石を発見できるか不安だったが、墓地に入って1分もしないうちに、幸運なことに墓地の東側に簡単に見つけることができた。あまりに普通のお墓であること、そして意外にも新しい外観であることに驚いた。これは新しく建て替えられたものだろう。墓石を水で洗い、一束のお花を二つに分けて供し、お線香を大量に焚いた。各人、手を合わせて本年の鋭気を養うべく黙祷。
「沢田先生、どうか我々に力を与えてくださいませ」

そして記念写真撮影した。
 

その後は、新宿で新年会。午後10時40分終了。