代田文誌が昭和24年の経絡論争の時に、古典治療派に対し、「なんで現代の知識を応用して鍼灸を発展させることがいけないことなのか(大意)」ということを述べていたという。この話は現代鍼灸科学研究会メンバーのT先生に教えてもらった。至って当たり前かつシンプルな意見であるが、重要な問題提議になっている。この問に似た質疑は、本間祥白著「誰でもわかる經絡治療講話」に書かれていると思うので、かいつまんで紹介する。
1.「誰にもわかる經絡治療講話」にみる本間祥白の嘆き
もう40年近く前、私が鍼灸学校1年だった頃、本間祥白著「誰にもわかる經絡治療講話」を購入して読んでみようと思った。ところが本書の緒編に「まずは批判的態度を離れ、白紙になって学ぶ必要がある」と書かれていて、非常にがっかりした思いがあった。
数十年ぶりに読み返してみると、言わんとしている經絡理論は、人に説明できる程度には理解できるようになった(実際に鍼灸学校で講義を担当した)。ただし自分自身では信用できない気持ちに変わりはなかった。
しかしながら本間祥白の大言壮語するでもなく、<鍼灸師としての努力にも限界がある>とする想いが切々と伝わってくるものであった。本著は昭和24年に出版された。60年経った現在、鍼灸の科学化はある程度進んだが、それは針・灸の治効機序であって、古典的治療の進歩とはいいがたい。基礎医学の上に立脚した鍼灸術を目指すという姿勢は、いまでいう現代鍼灸派の立場となっている。
1)鍼灸科学化は、科学的教養のある人にやってもらう他ない
司会者:(鍼灸の)科学化については異論はないのだが、一向に実現しないのはなぜか?
谷井先生:現代(昭和24年頃)の鍼灸師で科学的教養を持った人はマレである。そのような鍼灸師がいくら科学化だとの、かけ声をあげたところで科学化はできない。鍼灸師のできることは、科学的教養のある人に、鍼灸が研究する価値のある学問だということを提示することだ。すなわち科学化への素材としてこれを提供すべきだ。(本書p8)
2)古典は臨床医学としての実利性がある。ただし基礎医学の面でも努力すべき
司会者:古典の間違った基礎概念から正しい治療効果が生まれるはずはないとの意見がある。
谷井先生:治療効果という点から判断しなければならない。立派な治療体系ができているとすれば、その限りにおいて、前記の基礎知識は有用であるといえる。逆に現代医学的な基礎概念であっても、それに続く治療体系が乏しいとするならば、治療家としては前者を選ぶことになる。
しかしいつまでもこれでいいというのではない。正しい基礎医学の上に立つ鍼灸術を完成しなければならないことは当然であり、この方面でも大いに努力しなければならない。(本書p24)
2.中西医結合(中西合作)の低迷
では中国ではどうか。「中医学の科学化」とのかけ声は、政府主導で行われた。
1949年の中華人民共和国成立後、とくに1958年の大躍進政策以後、中国政府は中医と西医の長所を互いに学び取り入れることを目標として「中西医結合」を呼びかけた。しかし中医学は自己完結型であって、中医学サイドから改善する方法はなく、事実上は西医の基準で中医を測り検査するだけのものとなった。
西洋医学の発展は現代科学的成果の相互浸透による一部分として実現したものであり、中医学は西洋医学の後についていくしかない。中医学の理論と実践を発展させるには、現代科学の成果を利用する勇気を持たなければならない。(カク(赤+邑)暁卿「中西医結合医学の歴史と現状を顧みて」福岡県立大学人間社会学部紀要2008,Vol.17,No.1.13-27)
3.結語
古典派(中医派も含む)は、自らの努力だけで科学化することは困難だろう。科学とは前例のデータを基にして修正・改善を積み重ねることができる概念のことをいう。 古典文献は内容の改変はできないだろうから、修正・改善は不可能である。この点において、古典派は宿命的に科学とは無縁な存在なのである。あるいは古典派であることを売りにし、それでメシが食えているのであれば、科学化する努力など必要ないのかもしれない。
4.余談:ヒゲについて
「誰にもわかる經絡治療講話」を読んでいたら、p137にヒゲに関する説明があった。興味深いので転記した。
髪:頭にあり。
眉:目の上にあり。音は媚であり、人に媚びるためのものである。
鬚:あごひげ。秀の音である。人物が大成して初めて出る毛である。ゆえにあごひげは、功成って生やすべきです。ビアード (beard)
髯:ほおひげ。頬にあるもの。
髭:くちひげ。口上にある、姿の音であり、容姿(すがたかたち)の美を表すひげであります。すなわち鼻下のひげは、おしゃれのひげの意です。ムスタッシュ (mustache)