1.井穴の半分は排水口か?(図A)
肺経・大腸経ともに水が乏しい場合
1)肺経の絡穴である列缺からは表裏関係になる大腸経に経脈が連絡しているとされる。大腸経のどこに連絡するかは諸説ある。大腸経井穴の商陽に連絡するという見解は、同時に大腸経絡穴の偏歴から肺経の少商に連結するという見解もとっているが、そうすると偏歴→少商のルートは使い道がなくなる。表裏関係にある絡穴(図では肺経列缺と大腸経偏歴)が結合しているという見解もあり、ここは後者の見解をとることにして作図した。
2)古典では肺経は肺を源として、上肢に入り、尺沢(合)→列缺(絡)→太淵(原)→少商(井)で終わるとしている。しかし井穴の少商は湧水口であるならば、流れは衝突してしまい経脈を流れる水は行き場を失う。そこで少商を湧水口ではなく、大胆ではあるが排水口として考えることにすると、水の流れがスムーズになる。同じように考えると、十二經絡全体で排水口に該当する井穴は、手の三陰経井穴(少商・少衝・中衝)と足の三陽経井穴(兌・至陰・足竅陰)になる。
以前、私は五兪穴(井栄兪經合)の意味について調べ、井穴は湧水口だとの見解を記した(ブログタイトル→五兪穴のイメージ)。河川の水は導かれて田畑の灌漑に利用された。灌漑であるとすれば水の排出にも考慮があったのではないかと、古代中国の灌漑についてのネット検索を行った。すると以下のような資料を発見することができた。
灌漑に利用された水は、<サンズイ+會 おおみぞ>から排水‥‥という記載がある。要するに、古代人も排水口に関する意識があったのである。ちなみに<瀉>とは、高い方から低い方へと水をうつす意味がある。
3)図Aは肺経と大腸経を流れる水が少ない場合である。水は大腸経に流れることはない。このため肺経絡穴の列缺と大腸経絡穴の偏歴にある水門は閉じている。
この場合、肺経→大腸経の連絡は乏しく、経絡は循環していないことになるが、少商と商陽の間は絡脈でつながっていると考えるべきだろう。このような場合、治療としては問題となる経絡の単独治療で間に合う。
2.<原穴が自経を代表する>の意味(図B)
肺経・大腸経ともに水が適度な場合
1)肺経の経脈の水が過剰な場合、一部は肺経井穴の少商から排水されるが、大部分の水は肺経絡穴の列缺水門と大腸経の偏歴水門は開放され大腸経偏歴に向かう。一方、大腸経井穴の商陽からは大腸経の湧水が出ているので、大腸経偏歴において、肺経経脈(青色)と大腸経(赤色)の経脈は混じり合う(青+赤=紫)。それ以降の大腸に向かう大腸経を流れる経脈は、紫色の肺経と大腸経の水が混じったものになる。
2)大腸経脈上で、その源泉の水質(赤色部分)を維持できているのは、井穴から偏歴直前の範囲に過ぎない。私は<原穴は、その経を代表する>との意味はここにあると考えている。原穴部分は、経脈の多少に関係なく、純粋に所属経のみの経脈が流れるからである。
3.絡穴水門が開かない場合の障害(図C)
肺経脈の水が過剰な場合
肺経を流れる水が過剰な場合、排水口である井穴の少商からは排出しきれず、余剰の水は水門の列缺(絡)から大腸経の偏歴(絡)を通り、大腸経に流れ込む。偏歴より下流の大腸経は、肺経成分と大腸経成分の水が混じって紫色になる。
もし何らかの原因で水門が開かなかった場合、肺経実証という状態になるであろう。
4.絡穴水門が閉じない場合の障害(図D)
大腸経脈の水が過剰な場合
肺経絡穴の列缺と大腸経絡穴の偏歴間の流れは、肺経→大腸経の一方通行である(そうでなくては経脈は循環しない)。大腸経を流れる水が過剰な場合には、絡穴の偏歴の水門は閉じているので、そのまま下流に流れる。何らかの原因で水門が閉じない場合が問題で、大腸経の水が肺経に流入してしまうので、肺経の流注を妨げ重篤状態になるであろう。
5.井栄兪経合と原絡の要穴の差異
手足にある要穴は、五行穴(井栄兪経合)と原絡ゲキの2つの視点から成っている。五行穴が自然の河川の流れる状況について記しているのに対し、原絡は河川に対する施設を示している。<原>は水質調査部であり、<絡>は放水路である。なお<ゲキ>は、後世になって考えられた概念であり、原絡と同一に論じることはできない。強いて言えば、絡我慢性症に対する治療穴なのに対し、ゲキは急性症にたいする治療穴とされるが、多分に修辞的である。