AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

井穴・原穴・絡穴に関する素朴な疑問の解決策

2011-01-31 | 古典概念の現代的解釈

1.井穴の半分は排水口か?(図A)
肺経・大腸経ともに水が乏しい場合 

1)肺経の絡穴である列缺からは表裏関係になる大腸経に経脈が連絡しているとされる。大腸経のどこに連絡するかは諸説ある。大腸経井穴の商陽に連絡するという見解は、同時に大腸経絡穴の偏歴から肺経の少商に連結するという見解もとっているが、そうすると偏歴→少商のルートは使い道がなくなる。表裏関係にある絡穴(図では肺経列缺と大腸経偏歴)が結合しているという見解もあり、ここは後者の見解をとることにして作図した。

2)古典では肺経は肺を源として、上肢に入り、尺沢(合)→列缺(絡)→太淵(原)→少商(井)で終わるとしている。しかし井穴の少商は湧水口であるならば、流れは衝突してしまい経脈を流れる水は行き場を失う。そこで少商を湧水口ではなく、大胆ではあるが排水口として考えることにすると、水の流れがスムーズになる。同じように考えると、十二經絡全体で排水口に該当する井穴は、手の三陰経井穴(少商・少衝・中衝)と足の三陽経井穴(兌・至陰・足竅陰)になる。
 以前、私は五兪穴(井栄兪經合)の意味について調べ、井穴は湧水口だとの見解を記した(ブログタイトル→五兪穴のイメージ)
。河川の水は導かれて田畑の灌漑に利用された。灌漑であるとすれば水の排出にも考慮があったのではないかと、古代中国の灌漑についてのネット検索を行った。すると以下のような資料を発見することができた。


 灌漑に利用された水は、<サンズイ+會 おおみぞ>から排水‥‥という記載がある。要するに、古代人も排水口に関する意識があったのである。ちなみに<瀉>とは、高い方から低い方へと水をうつす意味がある。

3)図Aは肺経と大腸経を流れる水が少ない場合である。水は大腸経に流れることはない。このため肺経絡穴の列缺と大腸経絡穴の偏歴にある水門は閉じている。
この場合、肺経→大腸経の連絡は乏しく、経絡は循環していないことになるが、少商と商陽の間は絡脈でつながっていると考えるべきだろう。このような場合、治療としては問題となる経絡の単独治療で間に合う。

2.<原穴が自経を代表する>の意味(図B)
肺経・大腸経ともに水が適度な場合

1)肺経の経脈の水が過剰な場合、一部は肺経井穴の少商から排水されるが、大部分の水は肺経絡穴の列缺水門と大腸経の偏歴水門は開放され大腸経偏歴に向かう。一方、大腸経井穴の商陽からは大腸経の湧水が出ているので、大腸経偏歴において、肺経経脈(青色)と大腸経(赤色)の経脈は混じり合う(青+赤=紫)。それ以降の大腸に向かう大腸経を流れる経脈は、紫色の肺経と大腸経の水が混じったものになる。

2)大腸経脈上で、その源泉の水質(赤色部分)を維持できているのは、井穴から偏歴直前の範囲に過ぎない。私は<原穴は、その経を代表する>との意味はここにあると考えている。原穴部分は、経脈の多少に関係なく、純粋に所属経のみの経脈が流れるからである。

3.絡穴水門が開かない場合の障害(図C)
肺経脈の水が過剰な場合 
肺経を流れる水が過剰な場合、排水口である井穴の少商からは排出しきれず、余剰の水は水門の列缺(絡)から大腸経の偏歴(絡)を通り、大腸経に流れ込む。偏歴より下流の大腸経は、肺経成分と大腸経成分の水が混じって紫色になる。
もし何らかの原因で水門が開かなかった場合、肺経実証という状態になるであろう。

4.絡穴水門が閉じない場合の障害(図D)
大腸経脈の水が過剰な場合
肺経絡穴の列缺と大腸経絡穴の偏歴間の流れは、肺経→大腸経の一方通行である(そうでなくては経脈は循環しない)。大腸経を流れる水が過剰な場合には、絡穴の偏歴の水門は閉じているので、そのまま下流に流れる。何らかの原因で水門が閉じない場合が問題で、大腸経の水が肺経に流入してしまうので、肺経の流注を妨げ重篤状態になるであろう。

5.井栄兪経合と原絡の要穴の差異
 手足にある要穴は、五行穴(井栄兪経合)と原絡ゲキの2つの視点から成っている。五行穴が自然の河川の流れる状況について記しているのに対し、原絡は河川に対する施設を示している。<原>は水質調査部であり、<絡>は放水路である。なお<ゲキ>は、後世になって考えられた概念であり、原絡と同一に論じることはできない。強いて言えば、絡我慢性症に対する治療穴なのに対し、ゲキは急性症にたいする治療穴とされるが、多分に修辞的である。

 


S先生とのQ&A 古典と經絡に関する私の見解(続)

2011-01-30 | 古典概念の現代的解釈

S先生の質問

質問1:日本、中国を問わず古典的鍼灸では何故手足に要穴(原・絡・ゲキ・五兪穴等)を配したのか。高貴な身分の人々が本当に手足だけの刺鍼で治療効果を得ていたのだろうか?手足にブスッと刺すのが一番即効性があると考えたのでは。また、一般庶民(江戸日本でいえば下級武士、士農工商、中国でも圧倒的大多数の農民層、農奴)までも体幹への鍼は受け付けなかったのか?
これまでに聞き及んだ回答の要旨は以下の如く。

1)古代・近代では特に儒教の影響があり体を傷付けることは文明人文化人のすること
  ではなかった。⇒この要因もあり特に鍼師等の身分は高くなかった。

2)鍼・湯液を主とした古代の近代科学の恩恵を享受できたのは王族・支配階級であり、それゆえに鍼師が高貴な人間の体に直接触ることができず手足で診断し、治療した。

質問2:古代・近代の鍼は現代の鍼とは全く別物で現代の釘のイメージの方が強かったという。すると現代の浅鍼なんて芸当は困難で、ぶすっと刺すしかない。
 

似田回答:
上記質問は、二十年以上前に発刊されたニーダム著「中国のランセット」針灸の歴史と理論 創元社刊が参考になるでしょう。ここでは本書を久しぶりに手にしつつ、私見を交えて紹介します。

1.手足の要穴治療の時代的必然性

中国における鍼灸の歴史では、18世紀には湯液治療が圧倒的に優位で、鍼灸は針よりも灸が主体だった。そうした彼らも自国の古典文献を調べてみると、針治療の果たした大きな役割を知って驚いた。

一方、これまで、四肢に限らず体幹にも針灸をしていたが、中国政府は儒教的教道徳から、裸をさらすことを禁じ、1822年国立医科大学で針と灸を教えることを禁ずる勅令を下した。これにより体幹への刺針は法律違反となり、必要十分な針灸ができなくなり、針灸医学は衰退の一途をたどった。手足をもって治療しようという発想は、身体に鍼灸することを禁じた制約が生み出した、やむを得ない結果だと言える。また手足しか治療点を選べないという制約は中世以前にはなかったと考えられる。

古代から手首の橈骨動脈の拍動を伺うことで鍼灸の診断に利用したわけだが、チャングムの歴史テレビドラマを観ても、治療点は手足に限定していない。素問霊枢にも、体幹部の刺針施灸に関する記載は普通にみられる。

2.要穴は、なぜ手足に多いか?
手足には要穴が集中しているが、体幹には兪募穴がある。昔の中国人が、この2つを修辞的に対立的概念として捉えたのではないか。

1)手足の要穴:經絡を流れる水は澄んでいる(各臓腑の性質の純粋度が高い)が、流水量は少ない。→川の上流的特性。水量(情報量)自体が少ないので、反応点としては難しいが、臓腑の良否をに関する診断点や治療点として優れている。

2)兪募穴:水量は豊かだが、水は濁っている(いろいろな臓腑の性質が混じっている)。→川の下流的特性。すなわち反応点として出現しやすいものの、診断点としては確実性に乏しい。 
 臨床にあたっては両者の長所と短所を認識した上で、上手に組み合わせて診療を行ったであろう。

3.素問霊枢誕生時代の鍼灸医療水準について
医学とは、宮廷画家・宮廷音楽家と同じように、王のためにあった。当時の最高水準の医学をもって王を長生させる使命があった。このような知識を平民にも還元することが王の徳でもあった。最優秀の儒医とよばれた医師は王室専用であり、二流以下の医師が平民の治療にあたっていた。

そもそも末端の医師は、金がないので専門書を買うことできず、そればかりか文字も読めなかったので、専門書を借りて読むことさえ困難だった。最下層の医師である鈴医(または串医)は、鈴を鳴らして村々を旅して、わずかな金銭をもらって治療をしていた。そういうレベルの人は古典に基づかず、代々うけついだ医術に基づいた治療をしていた。

4.針の材質

現代に伝わる針の最古の文献は紀元前600年(周代中期)であるが、それは鉄と鋼の技術が栄えるよりも1~2世紀早い。それ以前は青銅で作られ、青銅以前は植物のトゲ、動物の骨、石でつくられていた。ヘン(石+乏) という漢字は、石の針を指す。こうした材料は、皮膚を傷つけることはできても、深く刺すことは不可能だった。針は深く刺す道具ではなく、膿を切開したり、皮膚を傷つけることで筋の早期疲労回復処置(戦場で、早く体力を回復しないことには命取りだった)として行われたものであろう。

もっとも、素問霊枢(前漢後時代、紀元前200年~紀元後200年)頃になると、金属針が使われ、深刺も可能になっていた。金属針による鍼灸治療体系が 素問霊枢と捉えれば、あえて針の材質問題を考える必要はないと思う。


針灸カルテでの針・灸等の表記記号 ver.1.2

2011-01-26 | 雑件

針灸カルテにおける針・灸の記号私が玉川病院で研修していた頃、代田文彦先生は季刊誌「現代東洋医学」(医師向けの東洋医学専門誌)の編集委員をしていた。代田先生は現代医学・東洋医学(湯液、針灸)とも精通していた。しかし湯液の記事を書ける医師は多いが、針灸方面は少ないということで、「現代東洋医学」ではもっぱら針灸面を担当していた。

この雑誌では毎回、針灸Q&Aのコーナーがあり、それに代田先生は回答していたのだが、「本当に、読者から質問が来るのですか?」と言う私の質問に、「来た試しがない」と苦笑していた。

針灸師グループで、カルテはSOAP方式で行ってはいても実際には形骸的なものに過ぎず、せめて針・灸等のシンボルマークだけでも共通にしようと決めた。その内容がQ&Aの「A」として記事にあったので、代田先生にお伺いしてみようと思ったのだ。先のQ&Aは代田先生の自作自演だったわけだ(笑)。
現在では玉川のシンボルマークに、私なりに改良して使用している。その内容を紹介する。


実際には、人体スタンプが備えてあり、必要に応じてカルテにスタンプして概略を記入することもあった。

 

 

ついでに、現在当院の使っているカルテ用紙を紹介する。以前は印刷所に注文依頼したが、現在はパソコンで自作している。大きさはB5。主流はA4のようだが、ベッドサイドではカルテを見開きで使うので、A4は大きすぎると思っている。紙質は上質紙110kで、これはkamihanbai.comに相談して決定した。ちょうどよい厚みである。

カルテ上面の拡大版


膻中穴圧痛の古典的意味と現代医学的意味 ver.1.2

2011-01-09 | 経穴の意味

.だん中の位置と解剖
 だん中穴は、ほぼ両乳頭間にある胸骨上の穴で、ほぼ第4肋間に位置する。皮膚の直下は皮下脂肪を介して胸骨がある。

2.だん中圧痛の現代医学的意味と針灸治療法

1)津田胃・十二指腸潰瘍点

だん中穴は、津田氏点でもあって、胃・十二指腸潰瘍時に圧痛が出現しやすい部だとされる。内臓体壁反射で有名な石川太刀雄は、その理由として横隔神経や肋間神経(第4肋間神経の前皮枝の前枝)の反応だと推測している。

胃十二指腸の交感神経性デルマトームは、Th5~Th9である。しかし胃は横隔膜に隣接しているので、胃の病的反応は横隔膜に伝達され、横隔膜は胃より鋭敏な組織であるため、むしろ横隔膜の異常反応として体壁に出現しやすい。横隔膜は中心部がC3C4脊髄神経支配、辺縁部は肋間神経支配である。

また肋間神経が深層から浅層に出てくる部の一つに胸骨点がある。胸骨点は胸骨外縁部の肋間で、肋間神経前皮枝が表層に出てくる。前皮枝は、胸骨側に行く前枝と外方に行く後枝があり、前枝は胸骨上にまで枝を伸ばす。すなわち胸骨上の圧痛をもたらす直接原因は、第4肋間神経の興奮による。

 

2)心疾患の反応点
では第4肋間神経の興奮をもたらす疾患にはどういうものがあるだろうか。心疾患の交感神経性デルマトームはTh1~Th5なので、心疾患が該当するが、この場合には左前胸部の反応(自発痛と圧痛)が強く出現することが多いが、右心房や大動脈基部の反応としてはだん中に特異的圧痛点になることが報告されている。


3)肋間神経痛

第4肋間神経を自発痛が出ない圧痛点程度の反応にするには、Th4あたりの椎体間の椎間関節症や肋横突関節症に求めるべきだろう。とすれば治療点もTh4椎体を中心とした背部一行に求めると考えるのが自然である。


それを裏付けるものとして、だん中に圧痛がある場合、胸骨外縁(=肋間神経前胸点)や前腋窩線上(=肋間神経外側点)の、第4~第6肋間にも圧痛が出現しやすいという現象があった。
まただん中に圧痛ある者の多くは、だん中だけでなく、だん中から巨闕(第8肋間神経支配)にかけての前正中にも圧痛のあることが多く、これは肋間神経痛は第5~第9肋間に好発するという結果とも一致する。

するとだん中の圧痛をとる方法は、第4~第5肋間神経痛の治療と同一であり、私の場合、同レベルの肋椎関節への深刺ということになる。この方法を実際の臨床に用いてみると、非常に効果的だった。

3.古典的意味
だん中穴の圧痛の古典的意味は、心臓疾患もあるが、常見的には精神疾患時の反応点とみなすのが一般的である。だん中穴は古典では心の募穴とされているからである。なお古典の「心」は心臓と精神を併せた概念を意味する。

※私は、古典でいう心は心拍数を変化させる要因である情動に、心包は心ポンプ作用を営むものと理解している

2.だん中穴反応の古典的意味
だん中穴圧痛の古典的意味は、心臓疾患もあるが、常見疾患としては精神疾患時の反応点とみなすのが一般的である。だん中穴は古典では心の募穴とされているからである。なお古典の「心」は心臓と精神を併せた概念を意味する。

(私は、古典でいう心は心拍数を変化させる要因である情動に、心包は心ポンプ作用を営むものと解釈している。

それにしても、なぜだん中を精神疾患と結びつけたのだろうか。「悲しみに胸が塞がる思い」などとの連想がまず思い浮かぶ。精神的苦痛→頭を下に垂れる→胸腔臓器や横隔膜を圧迫→ だん中の圧痛という関連、あるいは胸椎前湾を助長させ、肋間神経に悪影響を与えた結果だろうか。

 


S先生とのQ&A 古典と經絡に関する私の見解

2011-01-07 | 総論

S先生(53歳男性)は、臨床経験3年の鍼灸師で、首都圏で開業している。私のブログの熱心な読者であり、時々メールで質問してくる。ここでは、中医学と經絡に関する私の見解が記されている。このたびS先生が転載の許しを得たので公開する。

1.經絡について

S先生の質問
年末のお忙しい中ブログで経穴図を公開され、そのご尽力に敬意を表します。
1)ところで今年は小生にとって○○先生の解剖学に立脚した筋肉への刺鍼、そして似田先生の筋肉に加え神経そのものへの刺激も意図する方法に触れ、これらをまがりなりにも模倣するに至り最近は経穴の位置そのものにさほど拘らなくなっている自分に気づきました。

2)それまでは、中医といってもほぼ臓腑弁証に基づいた本治として臓腑関連の兪墓穴やら瘀血、気滞には何何穴との組み合わせ、はたまた順経治療として耳鳴りであれば足臨泣・中渚などを補法・瀉法も取り混ぜ標治に合わせて実施しておりました。
それ故に正確な刺鍼点(何が正確なのか議論百出ですが)経穴の位置に気を使っていた積もりでした。

3)しかし、臨床においては特に筋肉外科系症状における自分の治療法の進化とともに経穴図もさして重要な位置を占めないと思うようになってきたのですがこの点似田先生はいかがお考えでしょうか。

4)かつて専門学校で学んでいた頃に経絡治療を標榜するある先生が”極論すると鍼師にとって経穴が唯一の飯の種であり、これを取ったら何も残らない”と言っていたのが当時妙に納得がいったものでしたが、この受け取り方も自分のキャリアとともに変化しそうです。

5)また、経穴とは体表、あるいは体表近くにある経絡上の内臓にも影響を及ぼす反応点と理解するも、時に中医では”骨の裏に深く経絡が流れるため、骨の際にある経穴から骨を超えて斜めに骨の裏側目指して刺す”なんてことも言われますが、似田先生は経絡と経穴の位置関係に関しどのように理解すべしとお考えでしょうか? 
深い場所にあり体表から探れない脈はそもそも経絡ではなく経別になるのでは?とも思います。また一般的には経穴のすぐ真下に経絡があると理解されていると考えるのですが。
 
似田の返答

1)經絡、経穴図はあまり必要ないですが、局所解剖学的要所として刺激ポイントとしての経穴図は必要と考えます。刺激点をカルテに記入したり、他の先生がたとコミュニケートする記号として、経穴名も必要となるでしょう。

2)針灸治療は、実用の医学である→治療費は安いことが条件→短時間治療になる→形式的な治療穴を省略して実際に効果のある穴のみを選択して刺激する。以上の考え方の変化が根本にあります。

3)たとえば臨床を初めて間もない頃、耳鳴りに中渚や液門をとったが効果がないことを知りました。内臓治療といっても、病院など現代医学的治療の場に放り出されると、鍼灸師は無力である体験をさんざんしました。

4)鍼灸師という身内だけで通じる話は無意味であり、医療の場でその専門性を発揮し、その存在価値を他の医療部門スタッフからも認められるようになる必要があるということです。

5)經絡を使わない治療と、經絡を使った治療とで、その治療効果に差はあるという討論に意味があるとすれば、經絡を使った方が有効率が高いという結論があることが必要ですが、実際はそうなっていません。代田文彦先生は、古典治療は、せいぜい気の病しか治せないとの見解をとっています。
オッカムのカミソリ:經絡という言葉を使わずとも、その事象を説明できるならば、もはや經絡という概念は必要ない。。物事を単純に説明できる方が正しい意見である。
 

2.針灸古典理論について

S先生の質問
1)(前略)ところで現代針灸派を称する似田先生が何故ブログでも古典中医学の体系を解説されているのですか? 鍼師としての教養の一つ、温故知新?

2)専門学校では古典理論をやはり教えるべきなのでしょうか、それより解剖学の知識増加にもっとを時間を割くべきとお考えでしょうか? 
例えばある経穴が何に効くと言われている因果関係を現代医学に照らし合わせ解明していくというのも頭の体操としては面白いとは思います、例えば痔には承筋・承山穴、なぜなら日本の専門学校では深く取り上げない(重要視されていない)経別で繋がっているから、との回答に神経学・筋肉学などからそのように解釈できるのかできないのか、を検討するのは面白いことと思います。ただ臨床で有効かは症例経験がなく実感がないまま効くに違いないと信じようとしている?のが小生の現状ですが。
 

似田の返答

1)日本の針灸・漢方の古典に対する教育の程度を中国と比べると、大人と子供ほどの知識量があり、太刀打ちできません。知識=古典を記憶する、というのではかないません。また臨床研究でも、予算・規模の面で日本は圧倒的に不利です。しかし、どうやって施術して治療効果をあげるのかをみると、日本と中国は大差ないです。中医も卒後、有効な治療を求めるほかありませんから。

2)私のブログで中医をやるのは、中医学の一般的知識ではなく、古代中医師の考え方を再現しようと思ったからです。もとより、人体メカニズム=蒸し器の原理ではない訳ですから、結果的に現代中医に対する批判になっているのかもしれませんが。中医学の第一人者である兵頭明先生も、中医学が未完成の体系であることは認めています。中医学のこれからの体系づくりには、中国人ではなく日本人の発想が必要だろうとも、私に話してくれました。

3)東洋医学者が本治という言葉を使うのは、現代医療の詳細を知らない針灸学生や患者向けのプロパガンダでしょう。よく言っても本治の実態は、術者の思い込みであって、ズサンなものです。


 


章門、京門および跗陽の取穴

2011-01-05 | 経穴の意味

1.章門と京門の取穴
 章門(脾の募穴)は第11肋骨尖端下端にとり、京門(腎の募穴)は第12肋骨尖端下端にとる。それは分かってはいても、実際に第11肋骨尖端や第12肋骨尖端を触知するのは意外と難しい。しかし簡単に取穴できる方法を発見した。
 側臥位になった被験者の、上になった上肢の上腕を、被験者自身の頬に接触させるほど外転させる。すると脇下の結合織が引き伸ばされ、結合織下の肋骨下が触知しやすくなる。
 経穴の知識をもった者が被験者であれば、被験者自らの指で肋骨下を探ることで、容易に第11肋骨端や第12肋骨端が触知しうる。(下の写真:モデルは初登場、助手の戸川純君)

 

2.跗陽の取穴方法
 跗陽は、崑崙(アキレス腱と外果の中点)の上方3寸に取穴する。現代針灸派にとってはほとんど注目されないが、陽蹻脈の郄穴なので、奇経治療家にとって診断点であり治療点でもある。
 跗陽の反応を診るには、被験者を仰臥位にし、患肢の踵骨後方に、検者の手掌を入れ、手掌は、踵とベッドにはさまれた状態にする。すると患肢はベッドから少し持ち上がった形になる。その状態のまま、検者のもう片方の指で、アキレス腱部を撮上あるいは撮下するようにする。すると跗陽穴あたりで隆起を感じ取ることができる(隆起が見つからなければ、反応していない)。この隆起中央に跗陽と取るようにする。