未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




円模様が回転して見える 立命館大教授、錯視研究で受賞
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2006110800241.html

 直線なのに曲がって見えたり、四角形が揺れて見えたりする視角の錯覚(錯視)の研究で、北岡明佳・立命館大教授(知覚心理学)が7日、色に関連した科学や芸術の研究に貢献した人に贈られる「ロレアル 色の科学と芸術賞」の金賞に選ばれた。

『錯視』

聞き慣れない言葉ではある。一般的には「錯覚」という。そのうち特に視覚に関するものを『錯視』と特化して呼んでいるようである。

これらの作品は、我々が幼い頃に、子供向けの雑誌で見たようなものとは、隔世の感がある。

コンピュータの発達によって、精緻なパターンの模様が、正確に、比較的に手軽に作れるようになったことにより、研究に拍車がかかっているようだ。

錯覚と呼ぶと、一般には物事を間違って捉えてしまうこと。の意味に捕らえられる。

だが『錯視』とは、人間の視覚系に欠点があるために発生する現象ではない。

人間が文明を手に入れたのは、その長い歴史の中でも、比較的最近のことである。

それまでは、森や草原で、他の動物達と同じように、外敵に怯えながら暮らして来た。『錯視』も、そういった中で発達してきた特性と考えられるであろう。

何気ない草木の揺れの中から、特定のパターンを抽出し、それを誇張することによって、いち早く敵の存在を察知してきた固体が生き残り、そうしてその能力が、『錯視』として進化して来たと考えるべきであろう。

現代のコンピュータを用いた監視システムであっても、監視系の温度や圧力などを、ただ数値で表示するだけではなく、危険値に近付くにつれ、それが黄色になり、赤になり、点滅を始めることにより、人は単に数値が羅列してるよりも、より容易に状態を把握し、いち早く危険を感知することができる。

現代の文明社会においては、その有用性は失われてしまったかもしれないが、それは決して、機械ではない人間の目が判断を誤っているのではなく、高度な情報処理の結果として、危険を顕在化させるという、とても機械などには真似のできない能力なのである。

身近な所では野菜の良し悪しの判断から、美術品の真贋の見極めなどに到るまで、理屈ではなく、直感的にその判断ができる人がいるが、それは、その高度な能力の進化の賜物であろう。


「では、早速見せてもらいましょうか。」
「ええ、どうぞ。これです。」
「・・・。なんだよこれわっ!!今時こんな粗悪品じゃ、中学生でも騙せないだろ。」
「まぁ、ちょっと見てて下さい。」

 ・・・

「どうです?ちゃんと、売れましたでしょ?」
「あぁ。サクラじゃないだろうな?」
「そんな、直ぐにバレるような手は使いませんよ。」
「身に付けてたもんは、皆ちゃんとしたブランドもんばっかだったぞ。正直、ちゃんとした鑑識眼のある、れっきとしたお嬢様風に見えたけどな。」
「たぶん、そうでしょうね。」
「何か秘密があるのか?」
「勿論あります。これ、さっきのと同じものですが、ちょっとスイッチを入れてみましょう。」
「スイッチ?」
「ええ。何か、見えませんか?」
「模様が、動いて見えるな。」
「はい。表面に電子ペーパーが圧着してあって、ロゴのパターンが動いて見えるんですよ。」
「・・・? だったら、どうなんだよ。」
「実はうちの娘、どんなに精巧に出来ていても、ニセモノは一発で見分けるんですよ。」
「まだ、小学校前だろ。カエルの子はカエルってわけか。」
「私も最初は、そう思ってたんですがね。ある時、『何でこっちがいいの?』って聞いて見たんです。すると娘は『模様が動いてる方が好きなの』って言うんですよ。」
「動いて見える?」
「ええ。どうやら直感的に真贋を判定して、本物だと模様が動いて見えるらしいんですよ。」

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