1997年7月25日発行のART&CRAFT FORUM 8号に掲載した記事を改めて下記します。
信号のないクロスロードからお日さまの方向に少し歩くと、この町の人々や大きな荷物を背負い山から下りてきた人たちが集まってくるところがある。広場のように道は少し広くなっていて、捨て水で水溜まりができたところにもリキシヤや自転車が乱雑に停められている。まぎれもなく市場だ。
途上国へ出かけた時に、必ず覗いてみるのがこのようなマーケット。そして、日常の生活用品や食料品を見て廻るのが楽しみだ。このような町は界隈性を持っていて、場所がわかりやすい。
もうひとつ、どうしても探したいものがわたしにはある。骨董屋だ。目的は、いまも根強く生活の中に入り込んでいる、染織関係の道具達と出会い、買い求めるためだ。以前は(国によって事情は異なるが)、織物をしている村などで実際使っているものをわけてもらう事もあった。近年はそれができない。わたしが魅力を感じる、手垢のついた使い古されたような、そして昔ながらのデザインと機能を持ちあわせたものに出会うことが少ないからだ。また、生活の糧として重要な仕事である場合、それらの使い慣れた道具を無下に取り上げてしまうようなことは、できなくなってきた。以前は、無理矢理現金を見せて、取り上げるような事をしたという反省もある。学者でもコレクターでもないわたしには、見つかれば儲けもんくらいのことなので、系統立てて収集していない。織りや紡ぎの道具が、単におもしろいからである。必ずと言っていい程、道具は骨董屋の片すみに眠っている。少し具合の悪い状態のものではあるが、現在使われていない形態のものも見つかる。使用方法の定かでない道具もあって、聞き取りをしてもなおも不明のものがたくさんある。道具に贋物も本物もないが、やはり手垢のついた埃まみれのそれらを見付けると、『やった!』と言う気分になる。また、装飾された道具を人手できた時は、本当にうれしい。今ではきれいに絵柄等のついたそれらを見ることは稀だからである。
手織物、手紡ぎ等で使用される道具は、世界各地でいろいろな形態のものがあり、機能的にもさまざまである。羊毛や綿など素材によって、当然の事ながら異なる、織物組織や糸番手等によっても、道具は変化し興味ある対象となってくる。ほとんどの場合、その地域に生育する材木によって作られる。
手紡ぎ道具は、羊毛産地や綿産地には、必ずドロップスピンドルがある。大まかな分類ではあるが、綿や細番手の場合は軽い小さなスピンドルだし、羊毛等で特にキリムくらいの厚手のカーペット等に使用する、太い番手を紡ぐものは重く大きい。歩きながら紡ぐのに都合よく工夫されたスピンドルのなかには、コマ部分が2枚のものや移動するコマがはめられているものもある、つむ先にフックのあるもの、またその反対の場合、使用方法もつむ先を下に、あるいは上にする場合や、真横に向けたくさんの糸が紡がれ重くなったとしてもそのまま紡ぎ続けたりもする。このように道具を見ていくと、なるほどと感心してみたり、お隣の国ではもっと簡単で楽な方法で紡いでますよ、と教えたくなる時もある。手紡ぎは、今ではわたしたちは紡毛機という大きな横型、縦型の違いはあっても、早く大量に紡ぐことができる。ドロップスピンドルは、手紡ぎの基本として教わるに過ぎない、しかしまだまだ発展途上の国では、ドロップスピンドルが生活の中で生きている。
手織物では、世界共通にシャトル(杼)がある。通常のボート型シャトル以外に、筒型や刀抒、タペストリーボビンや、それらに工夫を施した特殊なものもある、諸条件によって納得できる違いがある。織機の構造についてはもっと、変化に富む。高機での組織を織るための工夫ひとつ取り上げても地域によって違い、これもまた非常に興味わくものである。詳細まで書き記すのは今回の目的ではないので中途半端な取り留めもない話で申し訳ない。
世界中、人の住むところには衣服や住まいのための布はある。食の分野でも必要である。ということは織る、編む、組む、刺すなどの道具がその地域に存在するはずである。生産技術の進歩によって忘れ去られてしまったこれらの道具たちから、先人たちの文化に触れてみたい。また、これら日々の手仕事を捨て去ろうとする傾向にある途上国の職人には、勝手ではあるが、技術を保存し続けてもらいたいものだ。
信号のないクロスロードからお日さまの方向に少し歩くと、この町の人々や大きな荷物を背負い山から下りてきた人たちが集まってくるところがある。広場のように道は少し広くなっていて、捨て水で水溜まりができたところにもリキシヤや自転車が乱雑に停められている。まぎれもなく市場だ。
途上国へ出かけた時に、必ず覗いてみるのがこのようなマーケット。そして、日常の生活用品や食料品を見て廻るのが楽しみだ。このような町は界隈性を持っていて、場所がわかりやすい。
もうひとつ、どうしても探したいものがわたしにはある。骨董屋だ。目的は、いまも根強く生活の中に入り込んでいる、染織関係の道具達と出会い、買い求めるためだ。以前は(国によって事情は異なるが)、織物をしている村などで実際使っているものをわけてもらう事もあった。近年はそれができない。わたしが魅力を感じる、手垢のついた使い古されたような、そして昔ながらのデザインと機能を持ちあわせたものに出会うことが少ないからだ。また、生活の糧として重要な仕事である場合、それらの使い慣れた道具を無下に取り上げてしまうようなことは、できなくなってきた。以前は、無理矢理現金を見せて、取り上げるような事をしたという反省もある。学者でもコレクターでもないわたしには、見つかれば儲けもんくらいのことなので、系統立てて収集していない。織りや紡ぎの道具が、単におもしろいからである。必ずと言っていい程、道具は骨董屋の片すみに眠っている。少し具合の悪い状態のものではあるが、現在使われていない形態のものも見つかる。使用方法の定かでない道具もあって、聞き取りをしてもなおも不明のものがたくさんある。道具に贋物も本物もないが、やはり手垢のついた埃まみれのそれらを見付けると、『やった!』と言う気分になる。また、装飾された道具を人手できた時は、本当にうれしい。今ではきれいに絵柄等のついたそれらを見ることは稀だからである。
手織物、手紡ぎ等で使用される道具は、世界各地でいろいろな形態のものがあり、機能的にもさまざまである。羊毛や綿など素材によって、当然の事ながら異なる、織物組織や糸番手等によっても、道具は変化し興味ある対象となってくる。ほとんどの場合、その地域に生育する材木によって作られる。
手紡ぎ道具は、羊毛産地や綿産地には、必ずドロップスピンドルがある。大まかな分類ではあるが、綿や細番手の場合は軽い小さなスピンドルだし、羊毛等で特にキリムくらいの厚手のカーペット等に使用する、太い番手を紡ぐものは重く大きい。歩きながら紡ぐのに都合よく工夫されたスピンドルのなかには、コマ部分が2枚のものや移動するコマがはめられているものもある、つむ先にフックのあるもの、またその反対の場合、使用方法もつむ先を下に、あるいは上にする場合や、真横に向けたくさんの糸が紡がれ重くなったとしてもそのまま紡ぎ続けたりもする。このように道具を見ていくと、なるほどと感心してみたり、お隣の国ではもっと簡単で楽な方法で紡いでますよ、と教えたくなる時もある。手紡ぎは、今ではわたしたちは紡毛機という大きな横型、縦型の違いはあっても、早く大量に紡ぐことができる。ドロップスピンドルは、手紡ぎの基本として教わるに過ぎない、しかしまだまだ発展途上の国では、ドロップスピンドルが生活の中で生きている。
手織物では、世界共通にシャトル(杼)がある。通常のボート型シャトル以外に、筒型や刀抒、タペストリーボビンや、それらに工夫を施した特殊なものもある、諸条件によって納得できる違いがある。織機の構造についてはもっと、変化に富む。高機での組織を織るための工夫ひとつ取り上げても地域によって違い、これもまた非常に興味わくものである。詳細まで書き記すのは今回の目的ではないので中途半端な取り留めもない話で申し訳ない。
世界中、人の住むところには衣服や住まいのための布はある。食の分野でも必要である。ということは織る、編む、組む、刺すなどの道具がその地域に存在するはずである。生産技術の進歩によって忘れ去られてしまったこれらの道具たちから、先人たちの文化に触れてみたい。また、これら日々の手仕事を捨て去ろうとする傾向にある途上国の職人には、勝手ではあるが、技術を保存し続けてもらいたいものだ。