ART&CRAFT forum

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「音の力」 榛葉莟子

2016-03-18 14:41:15 | 榛葉莟子
1997年7月25日発行のART&CRAFT FORUM 8号に掲載した記事を改めて下記します。

 北に向かう各駅停車の夜汽車に飛び乗った。
流れていく景色は、しだいに夜の色に染まり、その輪郭をあいまいにしていく。パッパッと見え隠れする人家の灯が妙に赤く感じられる。硝子窓には、まばらな乗客の明るい車中がそっくりと映っている。食べる人や雑誌をめくっている人、うずくまって眠る人、それぞれがそれぞれの物語りの続きをさがしに、カタコトと揺れるリズムにその身をまかせている。停車駅を知らせるアナウンスが流れると、まもなく白々とした明るい駅が浮かびあがってくる。いくつもの駅を経由するたびに車中は人の気配が消えていき、窓硝子にはからっぽの車中と自分の顔だけが映っている。なにも考えずただボーツと闇の外を見ているうち、幾重もの深い闇の波間にひっぱられそうになる。と、ガラッと戸の開く音がした。登山だろうか、大きなリユックをかついだ丸いめがねの太ったおじさんが窓硝子に映った。汗の匂いが横切っていく。後ろ姿をみているうち、あの人はハノハノおじさんじゃないかしらと思えた。
 それは、ずっと昔こどもの頃、ハノハノおじさんの歌がラジオからよく流れていた。ワッハハのワッハハ、ハのハのハのハのハ、笑ってくらせば世のなかは、ワッハハのハのハで楽しいな、ことしもきましたハのハのくすり。という呑気な歌だった。太ちょの古川ロッパというコメディアンがハのハのおじさんで、あちらこちら旅をしながらの、ハのハのくすり屋さんだった。ハのハのおじさんのリュックの中にはいろいろな色の夢の種がぎっしりはいっている。つらく悲しい人のそばに、どこからともなくそっとやってきて、ぽとりと種を置いていくのだ。そんなふうに、おじさんはまだ旅を続けているのかもしれないなあと、話地味た空想がひろがる。ふと、掌をみる。なんだろう、ぽっと赤いもの。闇夜のなかに見え隠れしていた妙に赤い灯色の、ひとつぶの小さな種があった。口に入れた。「ああ、せいせいするなあ」と、背伸びする目の前をひとひらの花びらが舞いおちていく。ふっと、息を吹きかけた程の振動にもひらりはらりと散る。そこいらじゅうを明るく染めあげた満開の時を経由し、花はおしまいの気配に彩られはじめている。それはまた、はじまりの気配をも含んでいる。おしまいとははじまりの狭間に見え隠れするドラマに魅かれる。ぴゅーんと音を鳴らして吹いてくる一陣の風は、あっというまに花びらをほぐす。花びらは宙に舞い踊り、吹雪の空間を出現し風は吹き抜けていく。ほぐされ、散りじりの花びらは其処いっぱい一枚の薄布を織りおえている。陽が西に傾く時刻、それはまた、おしまいとはじまりの狭間だ。花びらの薄布にも、夕焼の光は滲み溶け入り、連なり重なるひとひらひとひらの花びらを染めていく。そして、まもなく花びらは乾燥し、変色し枯れてまるまりパチッと砕け散る。そこに感じとれるのは、花を脱した光の粒子。散ったあとのつかのまの余白にかがやく瞬問がみえてくる。
 雨降りの日が続き、やっと晴れた朝がきた。そこいらいっぱい、いっせいに緑はパチパチはじけて光かっている。なんと強固な音だろう。