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「紐むすびの靴で」 榛葉莟子

2017-04-24 13:58:51 | 榛葉莟子

2004年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 31号に掲載した記事を改めて下記します。


「紐むすびの靴で」 榛葉莟子

 夏に履いていた靴などを洗ったり、ブラシをかけたりして靴箱にしまう。ついでに下駄箱の掃除となる。下駄箱と今でも言うのだろうか、シューボックスと洒落て言うのかも知れないが、我が家のそこは下駄箱の言い回しが合う風情だ。靴道楽ではないけれども物持ちがいいのか捨てられない性分なのか、何年も履かない靴が幾足も眠ったままでいる。結局は履きなれた気に入りの二足くらいの出番で済んでしまっている。思い切って捨てようと、一つ一つ箱の中の靴を取り出しては足を入れる。捨てるにはもったいないなあと迷ってまた箱に戻す。そんな事を繰り返して結局はモトノモクアミとなる。

 自分の収入で靴を選び買える年頃になって、ある日、気づいたことがある。好んで選ぶ靴は紐むすびのデザインばかりなのだ。いまだにどちらかといえばその好みは変わらないが、好みだけではないなとずっと前から気づいているのは、自分の身体が選ばせる自己防衛ならぬ事故防衛だろうなということなのだ。子供の頃もそうだったけれども、大人になってからも転んだり、つまずいたり、ひねったりで、痛かったり、どきっとしたり、みっともなかったりがよくあった。ふわふわ歩いているからと親の言葉はしばしばだったし、しっかり歩かなければとの自分への言い聞かせが、きゅっと紐を結ぶ靴を選ばせていたのかもしれない。きゅっと紐を結べば、ふわふわ頼りない足下がしっかりして、支えてくれるイメージがいつのまにか描かれていたのだろう。

 ところが、この紐むすび靴が思わぬ激痛を招いてしまった二十歳の朝があった。靴の紐をむすぶのに腰を屈めた瞬間、魔の一撃に襲われた。あのギックリ腰である。そして椎間板ヘルニヤという正式な名を告げられた。自分の身体の中でなにが起きているのか、自分の身体が自分の意思ではどうにもできない激痛の異変は不安を膨らませる。偶然の巡りか、切ったり貼ったりの治療ではなく整体療法の治療により少しずつ回復に向かったとはいえ、激痛の悪夢は数年おきに突然起こり激痛からの解放を得るのにほぼ十年必要だった。というのは自分の身体がまるで実験室であるように、治療を通して実感する身体の不思議は長年の骨格の歪みを矯正するだけで済むわけではなく、興味関心は身体と心の関係に結ばれていく。激痛からの解放は閉ざされていた窓の開放と一体である事を身をもって学んだ。更にそれらに連なる糸が延々と延びて、結び目を待ち構えているかのように全てが己と結ばれている予感がふつふつと沸いてくるような、自分の内の窓が開け放たれ新鮮な風が吹きはじめた感覚を実感していた。結びあわせていくことのおもしろさは魔の一撃の授業により発見できたと言える。そして小さな磁石を与えられた必然であったと気づいたのは、微かに光る小さな磁石が着かず離れず紐むすびの靴のおぼつかない足下を照らし、こっちだあっちだと奥深い謎解きの旅に連れ出された途中でだった。自分で選んだ紐むすびの靴を履き、いまも小さな磁石の光と連れだって無器用が歩いている。
何事かの状況に直面したその時に、ふっと何を考えたかどのように意味づけしたかという心の動きを自動思考と呼ばれていると、新聞の心のもんだいのコラムにあった。直面したその時にふっと浮かびあがった考えが気持ちに大きく影響するとある。よく言われるプラス思考マイナス思考といえばわかりやすいけれど、ふっと浮かびあがった意味づけの思考が悪さをしたなら落ち込みの壺にはまっていくらしい。切り換えのスイッチを見失ったらこれはたまらなくつらいこととなる。たまらなくつらい事態におちいっている渦中の人の顔が浮かび、次を読み進むと、気づかなければ自分の自動思考が悪さをする癖となっていくという。癖。癖だと知れば修正できるではないかと知らせたい人の顔が浮かぶ。誰もが落ち込みの事態にはまることはあっても、必ずむくむくと立ち上がる時がくる。ふっと身体が立ち上がりたくなってくる。心の自由が奪われていた不自由な自分の心に気づく。不安や障害は自分への応援のメッセージがいっぱい含まれているはずなのにと叫びたくなるけれど、そのようなことを並び立てるよりも、自動思考の癖だと知ることの方がよほど妙薬で詰まった箇所に風穴が開けられるのではないか。大切な自分を守る本能は脈脈と私たちの遺伝子に引き継がれているはず。
目的地への最短距離はないのかとある時若者に尋ねられ、さあ無器用に歩いている身には答えようもない。なにが最短なのか最長なのかあるものか。ふと手にしていた万華鏡を渡した。筒をちょっと回せば次々に変化する覗いた先の摩訶不思議な美しさ。魔法のめがねを覗いた若者と何かが結びあわせられただろうか。