◆“REVOLVIG”(25×25×12cm) 1999年制作
◆「柳行李」-豊岡産-
◆柳行李を作る作業
2000年9月20日発行のART&CRAFT FORUM 18号に掲載した記事を改めて下記します。
かごを編む作業は、作る人が手で材料を動かしながら手前で編んでいくので、作業の姿勢はだいたい共通している。小さなかごなら座って、かごをお腹の前あたりに持つか、あるいは、台に乗せて編むことが多い。例外もあるが、普段は作業が楽にできて力が無理なく入るようにする。
先日、兵庫県の豊岡という所へ行ってきた。昔から杞柳細工で有名な所である。その中でも柳行李に興味があって、一度編む所を見てみたいと前々から思っていた。草や樹皮などの繊維で編んだかごは、そのプロセスがなんとなくわかるような気がするが、この柳行李に関しては、どうやって編むかがわからない、そう昔から思っていた。
ヤナギの枝で編んだかごはヨーロッパでも多くあるが、皮をむいたコリヤナギを並べ、麻糸で織るようにして作る方法は、中国、韓国、日本にだけあるようである。しかも方法はほぼ同じだが、それぞれ形に特徴がある。素材のヤナギの性質も違うようで、中国のものに比べ、日本のコリヤナギは細いけれども粘りがあるらしい。この素材の違いは日本の柳行李の角張った形につながる。しかし、現在は良質な素材を育てるところも少なくなり、素材を得るのもたいへん、と聞いた。
杞柳というのはコリヤナギ、あるいはコリヤナギとトウで作るかご全般をさす。豊岡の兵庫県杞柳製品協同組合の理事長、田中榮一さんと製品の広報などの担当の榊原さんのお世話で杞柳製品を作っていらっしゃる方々にお会いすることができ、行李を作る作業などをずいぶん長い間見せてもらった。
初めて作業を見た。大きな厚い板の上に人が乗り、ひざをついて、うつむきになって織っている。片ひざをたて、手を下に延ばし、タテ方向に並べたコリヤナギの間に麻糸を入れていく。力のいる作業ではないが、腰をうかした状態で前かがみになって作業を続けなければいけない。数段、編み終えたら、一旦、板から降りて編みの先端を後ろへずらす。毎回、中腰になってコリヤナギを1本ずつ拾って開口を作り、そこに糸を入れることを繰り返す、たいへんな作業だ。
この作業を職人さんの所で実際に編ませてもらった。中腰はつらいし、前か、後ろにつんのめりそうになる。糸を入れるためにコリヤナギを1本ずつ拾うのも、案外固い。力を入れすぎて折りそうになったり、糸を引きすぎたり、コリヤナギが乾いたり、でなかなかうまくいかない。
柳行李の組織の構造は織物の構造に近い。タテにコリヤナギ、ヨコが麻糸である。だから作業も織るということに近いはずだが、織機で織る時の作業の力関係とはまた違う。弓に似た道具でコリヤナギを挟んで並べていき、前述の大きな板の上に置く。その上に薄い板を置いて、その上に乗る。自分の体重を使ってコリヤナギを押さえ、組織をひたすら平らに作るという作業は単に”織る”と言ってしまうには独特なもので、体全体を使った作業は決して楽なものではない。しかし、名人と呼ばれる職人さんは、ほとんど高齢なのだが、編む作業にリズムがあって、板をずらす時も軽やかに、ぴょんと跳ねて移動するそうである。
箱の展開図のような形を織り、糸で縫って四角い箱にしあげるが、織った後で出てくる編み地のそりも計算されて、それらのエネルギーが相殺されて角張った箱が作られる。昔から作業は分業で行われてきた洗練された製品だから、作業行程はひじょうにたくさんあり、織る、縁をつける職人さんはそれぞれ別の人だ。
柳行李に興味を持ち始めたのは、かごを作りはじめるようになってからであるが、最初は織機かなんかの機械を使ってタテ糸の麻糸を強く張り、コリヤナギを横に入れて編むのではないか、と思っていた。しかし、実際はタテ方向がコリヤナギ、横方向が糸であった。織ということであれば、タテ方向にテンションがあるわけだが、柳行李では、ヨコ材の細い麻糸の方が強い、とさえ思えるほどコリヤナギに糸の跡や横の段ごとにわずかなうねりが見られる。組織はコリヤナギのタテ密度が高く、組織の中のコリヤナギの1目の形は細長い菱形に近い。
話は飛躍するが、一つの作業で作られた組織構造と似ていても、それを作るプロセスが違う、ということが編み組品に多々ある。作り方が違うのだが、同じに見える構造ができる、とったことである。いつも見慣れた組織だと思っていて、眺めているとあるはずのないところに材があったりして、え?!ということになる。
右の作品は私の作品で、そのようなプロセスに関する興味から出てきたものである。シラカバ(白っぽい材)で組んだ所は、材全部で面を組んで重ねているように見えるが、実際には、材の動く方向は1本ずつ同じ方向ではない。互いに反対の方向に進んでお互いを組んでいる。作業からいえば、複雑で面倒だ。普通に組んだ方がはるかにやさしい、しかし、このややこしい方法でできる形ということに興味を持っているので、面倒でもやっている。
バスケタリーの作品には組織構造に興味をおいたものがある。これらの作品はそれこそ、たいへん面倒な作業で作られたものも多い。私も組織を作るプロセスへの興味があり、どうしてもここに行き着いてしまう。この種のテーマは、必ずしもアイデア自身が形の面白さと直結するのでない、というのが私の悩みではあるが、この分野が自分に合っていると信じこんで続けてきた。人には好きなテーマというものがあるのかもしれないが、私にとってみたら、初めてかごを編んだ時から今もずっと不器用であるということも深く関係している。
初めてかごを編んだ時、いろいろな問題が起こった。一番困ったのは、できつつあるかごをどう持って編めばいいかということであったように思う。どうしてもうまくスムーズに編めない、形がゆがむのは下手なせいだ、といつも思っていた。その後、多くのかごや作品を作ったわけではないが、材料の扱いや作業自体にもいつしか慣れて、変に緊張して力を入れなくてもいいようになった。今でも上手にはなれないが、その代わり下手でもいいと思えるようになった。半分負け惜しみのようだが、一つ、一つの動作を考えながら進む、ということが、創造的なアイデアを生むと思えるようになったからである。
初めてかごを編む人を見ていると、とてもやりにくそうな姿勢ややり方で編んでいる、と思える時がある。初めの頃、やりにくいでしょう?と声をかけていたが、このごろはこれも作る人自身の造形的なアイデアを見つけるチャンスになればと思って黙るようにしている。