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「凡庸の勝利」-モランデイ覚書- 橋本真之

2016-05-30 09:23:32 | 橋本真之
◆モランディ flowers 1950

◆「ボローニャ・フォンダッツア街の自宅アトリエ」

1999年2月10日発行のART&CRAFT FORUM 13号に掲載した記事を改めて下記します。

 「凡庸の勝利」モランディ覚書       橋本真之(造形作家)

 「絵画」は人間の文化圏においてのみ有効な事象である。このあたり前なことを思い起こさせる自己批評力を、絵画自体の内に持つということは重要だ。

 ジョルジョ・モランディ(注1)という、今では古風なイタリアの画家の展覧会を、庭園美術館で見た。(注2)目黒駅を出た時、すでにだいぶ陽は傾いていた。時間はいくらもない、迷っている場合ではないと踏んで、手っとり早く新聞の売店の男に美術館の方角をたずねた。見覚えのある道筋を急ぎながら、私は以前にも、あの男に同じ道をたずねたのではなかったかと思った。美術館の会場に入った後、ひどく憂鬱な気持に襲われた。観客の中に声高にしゃべっている初老の男が居て、これらの絵が三千万円もするらしいのだが、そのことに腹を立てているようなのである。この男は何を見に来たのかと、私は不思議に思った。この男のお蔭で、最初モランディが下世話な世界のあぶくのように見えて来るのに抗するだけで、精一杯というところだったのである。私もまだまだという訳だ。観客の一人の、見知らぬ物知り顔の中年の女は、照明が悪いのではないかと、大きな声で不満の声を上げていた。私はそんな観客達の内に混じっていることに不快が募り、一刻も早く彼等から離れたくて、足早に見て回った。

 けれども、彼等の気持が解らぬでもない程、アメリカ美術に慣らされてしまった眼には、モランディの絵画はくすんで見映えのしない、ひどく小さなものばかりだった。実際モランディは小さな作品ばかりを描いていたらしい。私はこうしたメリハリの乏しい奇妙に白濁した絵画世界が、忘れ去られずに残されたという事跡を思わずには居られなかった。美術史上、形而上派の一員と位置づけられる若い頃のモランディは、他の画家達の間に置くと、その存在の意味は見えるのだが、いつまでもそうした場処では居心地が悪いように見える。

 モランディの絵画は油絵具のヘドロで描いたのかと思わせる程、彩度の低い色彩が全体を覆っている。それらは一見、絵具の扱いに慣れていない素人画家の手すさびのように見えるかも知れない。おそらく、今日の団体展の、我こそは……の騒がしい色彩の中にあれば、誰も見向きもしないような性質の世界が、そこに現出しているのである。事実私でさえ、初めの内かの手合のように、もっとはっきり描いてくれ……と言いたくなる程だった。ところが、外の陽が落ちて、ざわざわした人々の波が引いた後、部屋に一人二人の静かな観照者達だけになり始めると、隣りの部屋の壁にかかっている小さな白濁していたはずの絵が、むくむくと色彩の動きを放ち始めるのだった。私は動揺して隣りの部屋に行き、その絵を真近で見るのだったが、それは小馬鹿にされたように、先程と変わらぬ白濁した絵画なのであった。そして再び離れて見ると、やはり輝かしい作品に見え始めるのだった。どの絵も同様な様子を示し始め、会場のいくつもの部屋を足早に往き来しながら、これはどうした事だろうと自問し続けた。

 おそらく、モランディの灰色の世界を見続けていると、わずかに暗示されている程度の色彩の強度を、次第に観照者が補って見始めるのである。そのように観照者によって励まされた色彩が動き始めると、観照者は自ら描いた絵画であるかのように、モランディの絵画世界に感覚の密着を覚えることになる。これは東洋の水墨画の方法でもある。形においても、光を面として掴まえるおおまかで暗示的な組み立てで、パタパタと立ち上げた様子をしている。それは心地好いシンプルな組み立てである。モランディの絵画は「見る」ことの揺れ動きを誘い、私の視覚の確たる根拠をあいまいなものにして、絵画世界のあえかに成立する歓びを共有させるのだった。しかしながら、絵画というものが揺れ動く感覚によって成立し、供受しなければならない頼りなさを、画家は何によってささえようとしているのだろうか?

◆ボローニャ・フォンダッツア街の自宅アトリエ
 ボローニャ・フォンダッツア街の、残されたモランディのアトリエの写真が、会場の二面の壁に大きく引きひきのばされていて、アトリエの中に入って見るような仕掛けになっていた。彼はこのアトリエから見える風景と、机上の静物を繰り返し描き続けた。鳥の糞のように油絵具の積ったイーゼルが手前にあり、静物画のための机には、紙を画鋲で止めてテーブルクロスのように敷いてある。その上にモランディ特有のブリキの容器たちが置かれている。その作り物達に注がれる光の具合が、モランディの絵画そのものの質を思わせて、その写真を懐かしいものにするのだろうか?傍らにある低い木製の棚には、少しばかりの本や画材が積まれている。何とも慎ましい空気が、私にその簡楚なアトリエを好ましい場処に思わせるのだった。ところで、その静物画のための机の刳り木の四本の足の内、手前右側の足が少し傾いていて、器物の並んだ机上の空間が何事かに耐えているようにそこに在るのを、危うくささえているといった様子だった。その一本の足が、先年見たジャコメッティの作った女の彫像を思い出させた。モランディの世界にはジャコメッティの鋭利さはない。けれども私は、そこに同じ空気を見たように思った。ある種の絵画的探究には特有の空気がある。けれどもモランディはジャコメッティにおける渇望にも似た探究とは、明らかに異なる方向を向いている。モランディの世界は、外界の不安の中にあって、画家の背中に当たっている光に、充足を思わせるところがある。その充足の質に、私は親密な感情を覚えるのである。

 モランディは少なくとも目の前の変化を相手にしていたのではなさそうだ。何か変わらぬ空気の質というようなものへの確信があって、それをあたかも中庭のような絵画世界にもたらそうとしているように思える。その非生命的な物のたたずまいがもたらす空間の質に感応している眼の揺れ動きが、その絵画世界に生命をもたらしているようだ。すなわち、モチーフそのものの生命感よりも、画家自らが動いていることの生命として、絵画は成熟して行くということになる。

 絵画はかくも成熟する。そう語っているように思える。さもなければ、絵画は何のためにあるのか?とつぶやいているようだ。凡庸の勝利がここにあった。

 私は美術館の薄闇の庭園を出口に向かった。古木の太い横枝のひとくねりが闇の中で生動していた。見知らぬ老女が紙袋を小脇にしっかりとかかえて、私の傍らを急いで行った。瞬間、何か不愉快な感情が私をとらえた。おそらく、外国を旅行することに慣れてしまった姿勢なのだなと気付いた。堂々たる古木のひとくねりの下では、何もかもが軽率なものに見える。かの成熟した絵画でさえも。私には今さら先を急ぐ理由もなかった。

(注1) Giorgio Morandi(1890-1964)
 (注2) 「ジョルジョ・モランディ・花と風景」展(会期1998年10月10日~11月29日)


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