◆橋本真之 木樹の間からの展開-内部-(1998.6 コンテンポラリーアート NIKI個展)
撮影:高橋孝一
撮影:高橋孝一
◆アーティスト・プロジェクトⅠ 成長する造形・橋本真之
「果実の中の木もれ陽」(埼玉県立近代美術館)
撮影:高橋孝一
◆橋本真之展 (2004.3 コンテンポラリーアート NIKI)
撮影:作者
2005年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 35号に掲載した記事を改めて下記します。
造形論のために『存在の上澄みに向かって』 橋本 真之
2005年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 35号に掲載した記事を改めて下記します。
造形論のために『存在の上澄みに向かって』 橋本 真之
時代の趨勢が自分の居るあたりを遠く離れて筋道をつくって行く時にも、自らの方位を見失わずに方針を立て続けることが出来るのでなければ、我々の生にとって造形とは何であろうか?実のところ、そうした迂遠な場処に立つことこそ、手つかずの鉱脈を見い出す切っ掛けになるのだろう。あたり前過ぎて大勢が見逃す事象に目を止め得るためには、別種の価値観、あるいは目的がなければならないはずだが、その事に気付く人がまれなのは、時代の環境が目の前の事象に気付き得ない流れを形成しているからである。むしろ、人はそうした事象の岩鼻に気付きたがらないのかも知れない。大概の人々は簡便に見い出そうとするものだから、望むものはいつも流れの先にあると思い勝ちである。誰れもが見過し続けた存在に、ひとたび目を止めることが出来れば、事態は新たな価値形成の筋道を明確に示し始める。こうした簡単な道理は理解しやすいことだが、実行することが困難に出来ている。そこに様々な困難の包囲網がある。
独創に価値がある訳ではない。別種の価値のために、独創が止むを得ずやって来るということを理解する人は少ない。自ら確信する価値のために、ことさらな独創が必要ないということは、おそらく、それは流れの傍らに押しやられる存在ということだ。
しかし、人がある奇妙な一点に気付く時、しかも社会的に無価値な事象と見なされていた物事に気付いたのだとしたら、そして他者をもそのことに気付かせ得るとなれば、それ自体が別種の価値構造を形成し始めるということは、自明である。それは一瞬にして明瞭に発現することもあるし、長い時の形成を必要とするかも知れぬが、その運動の価値は時の長短の問題とは無関係である。
ある文化圏に生きるということは、その文化圏の限界に囲われて堂々巡りをさせられるということである。青年時代のある時期、一瞬一瞬が私の目を引き止めて、目的の場所に行き着くことが困難と思える程に、歩き続ける為に強い無視の意志が必要だった。街中で様々な事象に引き止められるのであったが、そこに別種の秩序の入口があるように思えて、
私には容易に行き過ぎる事ができ難いのだった。私にとって、「林檎体験」はそうした様々な目の前の事象のひとつとして始まったが、奇妙な具合に入口が開いて、自らの日常感覚の根底を踏み抜いた、という経験をしたのである。私にとって慣れ親しんだ「美術」という因習のひとつひとつが、だらだらと続く壁のように相対化して行くのは苦しい出来事だった。今も敬愛する数人の画家や彫刻家達の仕事さえもが、一度は無残に平板化して、それが因習の中の一問題に過ぎないというように見えることは、それまでの憧れに充ちた生活や努力が、ことごとく無力化することだった。
ひとつの文化圏に育った造形が、あたかも限界を突破したかのように普遍性を持つとは、いかなることだろうか?と考えざるを得なかった。侵略者が異文化を根刮ぎにして行った。その場処に固有の文化というものがあったとしても、侵略者達によって持ち込まれて受容された、あるいは受容者達によって持ち込まれたと言っても同じことなのだが、受容された文化的価値観があまねく行き渡るようになるのだとすれば、文化は力によって普遍を得ると納得しなければならないのだろう。しかし、力によって普遍性がもたらせるのだとすれば、文化は軍事力と政治力経済力なしには成立し得ないということだろうか?それでは、あまりに愚劣なことではないか?囲われた中での安心のゲームをしている悦びが、私の内で崩壊していた。
文化がルールに則るゲームだと言うのならば、そのゲームをひっくり返す行為とは何か?ひっくり返した自らもまた別のゲームを始めるのだとすれば、ひとつのルールに則ってするゲームをひっくり返す必要もないことである。スポーツと同様に造形行為をゲームと考え得るのであれば、造形行為の個人性は他愛のないことだ。人はそのようにも造形行為を繰り返すことは出来るが、私を含めてある種の人々にとって、ゲームとはなり得ぬこととして造形行為がつかまれていることを、忘れてはなるまい。おそらく広く世の中に行われている文化的営為は、おおよそゲームとしてとらえられるものだとは、私にも見える。けれども、そうした営為の間で、一人黙々と生そのものの変革行為として、論理の破碇を怖れず成されようとしている場合があることを忘れてはなるまい。
造形する人間にとって、自らの場処から発現する造形行為自体による自己変革が引き起こされるのでなければ、ついに自然の造形運動の強大さ精細さの前で、顔色を失わざるを得ない存在であることをまぬがれまい。我々の自我は、生の運動そのものの中で自己認識と自己変革に向かうのだが、それと共に生の果ての死に向かって、次第に距離を縮めて行く。
一歩一歩、歩きつめて、私もまた死に至るはずだという確実な現実。その距離がどれ程のものかを、次第に確信するに至るのは、自らの肉体を感覚する自意識の、根底の認識作用だと思える。私の肉体の小宇宙が、いまも鼓動している。
かつて、自らの肉体をミイラに仕立てて迄も残そうとした人々が居た。あるいは巨大な墳墓を築いた人々が居た。いかなる文化圏にも見い出すことの出来る、あきれるばかりの死のまつりごと。生の循環運動の前で身悶えした人々の自我の姿。虚無に向かう自我の踏み越える、消滅の瞬間の自覚。
一個の物体が目の前に在って、生きて呼吸しているという現実と、一個の物体が目の前に在って、不動であるという感覚上の現実。物質が外的なエネルギーによって運動しているのと、内的なエネルギーによって運動していることの差異について思いを至せば、人間にとって目の前の物体が静止しているかのように見えているのは奇異である。「それらの事々は等価なことである・・・」と認識する賢者達が私の耳元で幻聴のようにささやく、その思想は美しい。私が造形運動に願望する「存在の上澄み」は、彼等の思想とどれ程の距離にあるのだろうか?彼に一本の線でも描いたものが残っていれば、私には彼の存在の手がかりがそのまま見えることもあろうが、彼等は言葉を残したのみである。何か針穴のような光がほの見えるだけの、距離の計れない遠い存在の息使い。
たとえば彼等の内の一人が、戦乱の中から私の傍らに現れて、共に私の「果樹園」を歩くことがあるのならば、私は黙って、彼の後姿を見るために立ち止まりたい。果樹園を見続けた彼の目に私の蜿々となされて来た愚行がどのように見えるのか?
雑念に充ちた私の生のエネルギーが物質と共に運動体として変成し続けている。そこに訪れる皮膚と同化するような清々しい五月の風のように、私の作品空間を吹き抜ける目が現れれば良いと思う。そして粘りつくような銅からつむぎ出した私の濃密な作品空間が、いつか厳かに澄んだ気配を引き入れることが出来るように成ることを、私は願っている。そしてまた、私の生の底に沈んだ雑念のひとつひとつの粒子が核となって、いつか真珠層を形成するように願っている。この荒れた環境の中から生え出た造形運動が、誰の目にも快いものとなるとは思えないが、空間の運動が無数の結晶をまき散らしていることを、心の底深くで感得する人が現れることを希んでいる。遠い幻聴のようなささやきが、いつか私の声と重なる時がやって来るのだろうか?