◆紗と羅の複合組織に刺繍(小原豊雲記念館蔵)
2008年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 50号に掲載した記事を改めて下記します。
「古代アンデスの染織と文化」-透ける織り布技法-アンデス独自のレース 上野 八重子
2008年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 50号に掲載した記事を改めて下記します。
「古代アンデスの染織と文化」-透ける織り布技法-アンデス独自のレース 上野 八重子
前号までの4千㍍の地から今回は一気に下って、ペルー中部海岸チャンカイ川周辺に興ったチャンカイ文化(紀元約900年~1500年)をたどってみましょう。
地図上では首都リマがペルー海岸線のほぼ中央とすると、リマの上側に位置する場所にあたります。
インカの勢力が及んだにもかかわらず土器などは素人が見ても一目で判別出来る特徴を持つ程に独自の文化を保っていました。もちろん、染織品にも同じ事が言えるでしょう。
リマ市内には日本人旅行者が立ち寄る天野博物館(天野芳太郎氏創設)があり、生前、天野氏が主としてチャンカイ文化の研究に没頭されていたという事もあり、多くのチャンカイ文化期の染織品、土器等が収蔵されています。ペルーに行かれたら寄ってみるとよいでしょう。 余談ですが、私にとってこの博物館はアンデス染織品との出会いと、人生180度転換の出発点となった場でもあります。
◆透ける布・刺繍レース(刺繍薄物)
このチャンカイ文化期のみに製織されたものに「刺繍レース」と呼ばれる透け布があり、これはアンデスのみの特殊な織物と言われています。
通常、「レース」という響きから想像すると、鉤針やボビンを使ってのレース編を思い浮かべるかと思いますが、この「刺繍レース」とは、後世の人がただ単に「見た目がレース編に似てるから」と、名付けたのではないかと思います。
一部の説に「スペイン人の持っているレース編みを真似て作った…」と言われていますが、年代的に見るとスペイン侵略以前に既に作られていた事からしてチャンカイ独自の技法に違いないのでは…と思います。「真似ではないですよっ!」とアンデス人の名誉にかけて言いたい気持ちです。たしかにマンドリンを見てチャランゴを作ってしまった民族ですから疑われるのも仕方ないかな~とも思いますが…
刺繍レースには大きく分けて次の4種類があり、それぞれ製織法も違ってきます。
※羅基布に刺繍 ※紗基布に刺繍 ※紗と羅基布に刺繍 ※紗と羅もどき基布に刺繍
どれを見ても「手間暇かかる仕事だなぁ~」と思うのですが、これらは庶民の墓からも出土している事から考えると決して高貴な人だけが使っていたものではなく万民が平等に生活出来る社会が出来上がっていた事が察しられます。
数ヶ月前、探検家・関野吉晴氏の講演会で入手した本の一節に「…旧大陸では墓を掘ってみると、王侯貴族の持ち物と庶民のものとでは雲泥の違いがある。 -中略- 技術的にも芸術的にも優れた文明は他にもある。それらの技術や芸術を皇帝や貴族だけでなく一般庶民つまり普通の人でさえも享受出来る社会を作り出したインカ帝国。普通の人である私は、そこに魅せられた。」(インカの末裔と暮らす・関野吉晴著より)とあります。 同感です。
◆写真1 羅基布に刺繍 (小原豊雲館藏)
◆写真2 羅基布に刺繍(部分) 小原豊雲館藏
◆ 羅基布に刺繍(写真1・2)
刺繍レースの中では一番簡単で自由に模様を描けるのではないでしょうか。まず、基布として羅(網捩り-3本羅)を織っておきます。使用糸は木綿S撚り単糸
次に織り上げた基布に太い刺繍糸(数本引き揃えたもの)で絵を描く様に線を入れていきます
特徴としては羅の輪郭に沿って刺繍していくのでラインが斜め方向に行く事になります。(図1)
使用糸は木綿甘撚りZ撚り単糸 を別糸で固定。
◆図 1
◆写真 3 紗基布に刺繍 (小原豊雲記念館藏)
◆写真 4 紗基布に刺繍(部分) (小原豊雲記念館藏)
◆紗基布に刺繍(写真3・4)
こちらは一見、簡単そうに見えますが… しかし、きれいなマス目を形成するには難しくはないけれど相当な労力を要します。
※まず、紗で基布を織り上げマス目状になったところで(図2)
※捩られた経糸2本と交差する緯糸をもう1本の緯糸で結んで固定しながら次に進みます(図3)従って経緯糸4本が固定されるので、紗の組織だけでは動いてマス目がくずれてしまう欠点をこの「結ぶ」という一手間で補っているのです。中には紗を2回捩り、3回捩りをして基布としているものがありますが、それでも経緯糸4本の固定を施してマス目の崩れを防ぐ努力を惜しんでいません。こうした基布を作る事で刺繍もし易く、出来上がりも美しくなります。 使用糸は木綿S撚り単糸
◆図 2
◆図 3
※ 次に羅基布と同じように、織り上げた基布に太い刺繍糸で模様線を入れていきます。特徴としてはマス目に沿った縦横直線的な模様が多くなりますが、もちろん斜線も入り自由に描かれていきます。 使用糸は木綿甘撚りZ撚り単糸
◆写真 6 紗と羅の複合組織に刺繍(部分) (小原豊雲記念館藏)
◆紗と羅基布に刺繍(写真5・6)
これは刺繍レースといわれる中では一番難しいものかもしれません。
なぜなら、前者2種類は基布を紗なり羅で作っておいて後から刺繍を施す工程なので途中での模様変更、直しも可能でした。しかし、こちらは紗と羅の複合組織で模様を表している為、基布を織る段階で紗(地)と羅(模様)を織り分けていかなくてはなりません。その代わり、基布が出来上がれば模様も出来ている訳ですから刺繍は縁取りするだけで楽だったのかもしれません。
「紗(地)と羅(模様)の織り分けが大変そう!」と思うのは未熟な我が身が感じる事であって、実は織りにたけたチャンカイ人達は難なく織っていたのでしょう。 また、結ぶ工程もない事から意外と簡単だったのかもしれません。 これも又、基布は木綿S撚り単糸、 刺繍糸は木綿甘撚りZ撚り単糸です。
◆写真7 紗と羅もどき複合組織に刺繍 (小原豊雲記念館藏)
◆写真 8 紗と羅もどき複合組織に刺繍(部分) (小原豊雲記念館藏)
◆紗と羅もどき基布に刺繍(写真7・8)
紗を織るところまでは(図1)と同じですが、次の結ぶ工程でひと工夫…というか、賢い手抜きというか、これも手仕事から生まれた知恵なのでしょうか。ちょっと見には`紗と羅基布に刺繍´と見間違えそうです。効果としては同じなのですから…
※マス目状の紗織り布を2本目の緯糸で結びながら進む工程で、模様部分にあたる箇所では捩られた1組の経糸のうちの1本は、隣の組糸の1本と結び合わせる事により羅の様な網状の基布が構成されます。この操作は1段おきに行います。(図4)
◆図 4
※その後は刺繍で縁取りをして模様を浮き立たせ て完成です。
先程、手抜き…と言いましたが、よく考えてみると結びをする分、かなりの手間である事を思うと、`羅と羅もどき´ どちらが楽なのかなぁ~などと変に考え込んでしまいます。 どちらも織りの段階で模様を作っていくのですから、その点を同じとすると`紗と羅もどき´の方が労力大ってところでしょうか。
さて、この両者の技法はどちらが先に生まれたのでしょうか? それとも作者が違うのでしょうか?
現在、私達が目に出来る布の殆どは埋葬品であり、それらは生前に使われていた物も多くあります。
故に模様はかなり歪み使い込んだ形跡があり、機から外した時の綺麗さは想像するしかありません。 今回紹介した刺繍レースのいずれもが、基布は木綿強撚S撚り単糸 、太い刺繍糸は木綿甘撚りZ撚り単糸(別糸で固定)を使い分け、撚りの違いで 刺繍を安定させているといわれています。糸の使い分けは長年の経験から得た知恵と思われますが、フッと「最初は~?」 と疑問が湧いてきました。 現代人に左利きがいるように、古代にもいたはず…スピンドルで紡ぐには右利きと左利きでは撚りの方向が左右されるはず…?
何だか耳元で 「私の織りには、向かいの娘が紡いだ糸を使うと綺麗に仕上がるんだょ!」 なんて声が聞こえた様な気がします。