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「古代アンデスの染織と文化」-伝承されている技法-(標高4千㍍の村で①) 上野 八重子

2017-10-06 10:20:15 | 上野八重子
◆プーノのアルパカ牧場 手前2頭は一才未満のベビーアルパカ この毛は高価

◆クスコの中心、アルマス広場 午後になると雨雲がたちこめる

◆雨期のクスコ空港 標高3400m以上の山にも緑。乾期は茶一色になる

◆クスコ フォルクローレライブ付レストラン

◆手描きビーズ

◆クスコ ブラックマーケット(ドロボウ市場)

◆高山列車の事故 牛が巻き込まれ、その事故の処理中

2008年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 47号に掲載した記事を改めて下記します。

 「古代アンデスの染織と文化」-伝承されている技法-(標高4千㍍の村で①) 上野 八重子

 日本がこれから冬に入ろうという頃、南米ペルーでは緑の季節を迎えます。直行便で約24時間、ちょうど日本の裏側に当たるこの地は季節も逆になり、10~3月頃が雨期、その他が乾期に当たります。雨期…というと梅雨を連想されるかもしれませんが、ナスカやリマの海岸砂漠地帯は年間を通してほとんど雨は降らず、クスコやマチュピチュ、プーノの山岳地帯では午後にサーッとスコールが降る程度。そんな少しの雨でも乾期が終わった高原には緑が広がります。

◆クスコの町で
 海の町リマから空路1時間、インカ期の主都クスコに到着…短時間で標高差3430mは高山病になる人も多いのですが、空港に降り立っても息苦しさも感じず、目の前の緑の山並みを見ていると富士山と数百㍍の差とは思えず油断しそうです。迎えの友人を見つけて駆け出し「オッと危ない、酸欠注意だぞ、ここは高地なのだ!」と自分に言い聞かせながら歩をゆるめます。 
 翌日、体調がおかしい、パンが喉を通らない…それから一週間というもの食欲がなく、口にしたのはインスタント蕎麦だけ。クスコ暮らしが長い友人夫婦への土産蕎麦だったはずなのに結局全部食べてしまったのです。「やっぱり私は日本人なんだ…」を嫌でも感じた一幕でした。体調不良の原因は到着した夜、美味しくてお腹いっぱい食べた石釜ピザでした。後でわかった事…高地では内臓の働きが弱くなるので腹八分目が鉄則との事。
 クスコは町の其処此処にインカ期の名残があり旅行者には人気の町…と言うよりも、観光スポットであるマチュピチュに行く玄関口である為、多くのホテル、土産店、飲食店があり、活気溢れる町です。近頃はヨーロッパ系列のハイセンスな店が多くなり「これはケイファセットのセーターでは?」と思える日本で買ったら10万以上はするアルパカセーターが1万~3万円で並んでいます。日本女性が何枚も買っていくとか…そんな高級店とアンデス雑貨が並んだ土産店とが軒を並べているのも面白い光景です。又、賑やかなメーンストリートを離れ一歩裏通りに入ると、「ひなびた田舎町の商店街」みたいな店が並び、中に入るとなかなか面白い掘り出し物もあるのです。こちらは「安いよ、買ってかないっ!」と声をかけられる表通りと違い、地元客相手なのか観光客慣れしてなくて欲しい物を手に入れるには身振り手振りで大変です。探していた手書きビーズもここで見つけました。以前は沢山あったのですが今は量産品になっていて個々の味がなくなっています。見つけたのはきっと売れ残っていた物なのでしょう。ラッキーと言えますね。 
 町の中心部を取り巻くように市民の生活圏が広がり目に入る光景が全く違ってきます。中心部の「金と人の動き」を見てきた目には貧しいインディヘナの生活を垣間見た時、一観光客として歩いている自分の心の整理に時間を要しました。道路脇に並ぶ食材料の店、いろんな匂いが入り交じった空気。汚い、臭い…と観光客はほとんど足を運びませんが、でも、其処には生きる為の底力の様な活気が溢れていて元気を取り戻してくれるようでした。
 ある日、通称「泥棒市場」と呼ばれている線路上に店を張った市場に行ってみました。此処は観光客は絶対に行ってはいけない危険な地域なのだそうですが、友人は私の面構えから現地人として通用すると思って連れてったのでしょうか?その市場とは…見渡すと鍋のフタだけ、靴片方、怪しげなカセットデッキ、ねじ1本まで身の回り品なら何でも揃う感じです。泥棒市場と言われてるだけあって仕入れ先は?でしょうか!そんな中で少女が割れ皿にビーズを入れて売っていたのです。怪訝な顔をしている少女を尻目にもちろん全部ゲットです。
 明暗がある町クスコですが、観光で行った人が住み着いてしまう位魅力な町でもあります。自分をどのレベルに置くか、考えるかで心の快適さを求められるのでしょう。電気、ガス、水を不自由なく使える日本にいると、それが当たり前になっていますが、クスコでは水は朝の数時間しか出ないので1日分を容器にストックさせておきます。ゆえに風呂などには入れません。友人宅に滞在した一週間で体を洗えたのは行水が1回だけでした。風呂好きな日本人にはちょっと困る事かもしれませんね。水に限らず異国にはその場の事情があるので、それ等もひっくるめて理解すると古代から築かれてきた文化も納得できるのではないでしょうか。 

◆高原列車
 クスコ駅にはマチュピチュ行き客の列が並びます。それとは反対方向には4千㍍以上の高原を抜けて向かうチチカカ湖畔の町プーノ駅行きです。
チチカカ湖はペルーとボリビヤの国境になっておりペルー側がプーノ、ボリビヤ側がラパスの町となっています。
クスコからプーノへは12時間の列車の旅になり、朝出発して到着は夜の8時半。景色を見るのも飽きてきた頃、突然急停車!外では人が走り回っているのが見えます。平原の真っ只中、何事か?…どうやら事故らしいが車の道がある訳でもなさそうだし…何と、牛が飛び込んで車輪の間に挟まってしまったとの事。牛から見たら列車は縄張りに入ってきた侵入者だったのでしょう。果敢に戦いに挑んだ結果の出来事の様です。この後がアンデスタイムの素敵なところで、いつ発車するのかわからぬ列車を待ちながら平原に腰を下ろしてくつろぐ乗客達。「日本だったらどうだろう?きっとズーッと車中でイライラしながら待つんだろうなぁ~」と、牛には気の毒でしたが、ドアを開けてくれる鉄道と「早くしろ!」と騒がぬ乗客を見ていて青空眺めながら思いもよらぬ幸福感を味わっていました。日本も両者共にこの様なゆとりが欲しいものだと痛感した一場面です。
2時間遅れで出発し、途中この路線で標高が一番高いラ・ラヤ駅(4319m)を過ぎた頃から車窓のコヤオ高原にはアルパカの群れが見え始めてきました。アルパカ毛は柔らかく艶があり、古代アンデス染織品には欠かせない素材となっていました。…と言うよりアルパカだったから緻密な染織品が生まれたといった方が正しいかもしれません。
ラ・ラヤ駅付近ではさすがに深呼吸状態で息をしていたのですがプーノ駅(3870m)に着いた頃には
平常に戻り…とは言っても4千㍍に近い場所なので油断は出来ません。

◆プーノのアルパカ牧場
 牧場と言うと、つい木の柵に囲まれて…が頭に浮かんでしまうのですが、ここプーノのアルパカ牧場は彼方の山の裾まで見渡す限り全面が「アルパカ住人使い放題」って感じです。これではストレスもなく良い毛がとれるだろうなぁ~が実感でした。牧場の中を一般道路が走り人影もなく出入り自由なので写真を撮りまくり、アルパカ三昧を満喫です。
しかし、ペルーに行くと何処でもアルパカが見られると言う訳ではなく生息地域が4千㍍に近い場所なのでクスコあたりでは観光用に見られる程度です。
 今回は技法から抜け出してアンデスの生活・文化を記してみました。今までと見方が少し変わるかも知れませんね。次回は続いてチチカカ湖内の小さな島の技法を訪ねてみたいと思います。



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