ART&CRAFT forum

子供の造形教室/蓼科工房/テキスタイル作品展/イギリス手紡ぎ研修旅行/季刊美術誌「工芸」/他

『インドネシアの絣(イカット)』-今も息づくイカット(後編)- 富田和子

2017-07-22 10:22:06 | 富田和子
◆トゥガナン村にて、正装の子供達
儀式によってお揃いの時もあれば、思い思いの衣装の時もある
 向かって左側の胸布はソンケットで、腰布はウンドゥック 中央はグリンシン 右側はプラダ

◆結婚式
結婚式や舞踊の時の祭壇の装飾や衣装には、華やかで色鮮やかな、ソンケットやプラダが使われるのが一般的である


 ◆トゥガナン村にて グリンシンで正装した娘達

◆バリ島主な染織品

◆BaG-wayan
・グリンシン(gringsing)…経緯絣(ダブルイカット)
素材:手紡ぎの木綿 植物染料
用途:トゥガナン村の衣装として、また厄除けの布として宗教儀礼に使用
模様:花、果物、太陽、星、さそり、影絵芝居など


◆Bali Cepuk
・チュプック(cepuk) …緯絣(シングルイカット) 
素材:手紡ぎの木綿 植物染料
用途:祭儀、特に葬儀用に、また祈祷師や魔女ランダの衣装に使用
模様:幾何学模様
バリ島東南のプニダ島で織られている


◆Bali Endek
・ウンドゥック(endek)…緯絣(シングルイカット)
素材:木綿、絹、レーヨン、またこれらの組み合わせ
用途:祭儀の正装、また服地やホテルの制服としてなど、広く一般的に使用
模様:花、動物などの具象模様、幾何学模様など多種
※現在では括りと刷り込み法とを併用し、高機で織られ、ある程度量産されている
豊富な色使いが特徴

◆Bali Songket
・ソンケット(songket)…緯糸浮織
色無地に金糸や銀糸、色糸を緯糸に使い模様を織り表したもの
素材:絹、木綿
用途:元々は王族の祭儀の衣装に使用 
模様:花をモティーフとしたものが多い

◆Bali Perada
・プラダ(perada)…印金
素材:絹、木綿あるいは合成繊維の色無地布に金箔あるいは金泥で模様を描いたもの
模様:蓮などの花、卍、影絵芝居などをモティーフとしたもの
用途:寺院や祭壇の装飾、舞踊や特に花婿花嫁の衣装に使用
※現在では絹はほとんど用いられず、金箔は今も純金箔が使用されているが、金泥には純金ではなく、真鍮粉などが代用されている また、手描きではなく、シルクスクリーンによるプリントも量産されている

◆Bali Poleng
・ポレン(poleng)…織
素材:木綿
模様:白と黒の格子柄  白と黒の2色は、善と悪、聖と邪、生と死、昼と夜といった同時に存在し相対立する概念をあらわしたもの
用途:寺院の石像に供物に巻かれていたり、葬儀時に男性の揃いの腰布として、白や黄色の無地の布と共に神聖な儀式に欠かせない布である


2006年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 39号に掲載した記事を改めて下記します。

『インドネシアの絣(イカット)』-今も息づくイカット(後編)- 富田和子

 ◆祭儀のための暮らしの中で
2億人を上回る人口のうち、90%近くがイスラム教徒を占めるインドネシアは世界最大のイスラム教国家でもある。 その中にあって、唯一、ヒンドゥー教を信仰するバリ島は広大なインドネシアの中で極めて特殊な存在である。 東京都の2.6倍の面積に、約300万人の人々が暮らしているバリ島には西暦の他に、ウク暦とサカ暦という二つの暦がある。 ウク暦は210日(35日×6ヶ月)を1年とするバリ独自の暦で、主に宗教儀礼使われ、サカ暦は月の満ち欠けを基にして354日を1年とする太陰暦で、主に農耕作業に使われている。バリではこれら三つの暦を使い分けなければならない。

 バリ・ヒンドゥーへの信仰が生活の基盤であり、神々のすむ島と言われるバリ島は、またウパチャラの島でもあり、芸能の島でもある。 ウパチャラとは祭礼や儀式のことを言う。 日本でも通常行われている、冠(元服)婚(婚礼)葬(葬儀)祭(祖先の祭祀)にあたる祭儀は、当然、数日間かけた盛大なものとなる。またその他にも、個人の成長過程にともなって行われる家族単位の通過儀礼から、神々に対して、死者の霊や悪霊に、自然や身の回りの物に対して等々、村や周辺地域で行われるもの、全島あげてのものまで、様々なウパチャラが執り行われるのである。

 日本のお盆にあたる「ガルンガン(先祖の霊を迎える)」と「クニンガン(先祖の霊を送る)」や、寺院の創設を記念する「オダラン」は1年に1度執り行われるが、ウク暦に従って210日ごとの周期となる。学問、知識、芸術の女神の日には、書物にお供えをして感謝の祈りを捧げるというように、 鉄製品に、果物や椰子の木に、道具に対して感謝したり、家族や村の加護を願って、寺院で祈りを捧げる日もある。 一方、バリ・ヒンドゥーの新年や農耕儀礼はサカ暦によるもので、354日ごとに巡ってくる。 島中が寺院だらけのような印象を受けるこの島のどこかで、毎日必ずウパチャラがあると言っても不思議ではではないし、彼らの人生のためにウパチャラがあるというよりは、むしろウパチャラを行うために、この世に生を受けたようにさえ思える。そして死後もなお続く。 死者の霊魂は 死霊となって穢れているが、儀礼によって浄化されると、祖霊となって神格化され、天界に行くことができる。やがて時を経て、祖先の霊魂は子孫の体内に入り再生するという。 これは仏教の「輪廻転生」にも通じるものであるが、バリでは子供の生後105日目(ウク暦の3ヶ月)に招魂の儀礼を行い、祖霊を招き、子供の体内に甦らせるという。また、バリの人が死ぬまでに必ず行わなければならない「ポトン・ギギ(歯を削る)」という儀式もある。
尖っている犬歯を削って平らにすることによって、獣性を廃し、完全な人間性を獲得できるというものである。 もしも、歯を削る儀式を行わずに死ぬと、その死者の霊魂は穢れたままで悪霊となり、天界に行くができないという。 

 そもそも、儀礼という行動様式は、日常生活とは異なった時間と空間の中で、歌や踊り、華やかな衣装や飾り物などを伴って行うことにより、ある場合は荘厳な雰囲気を、またある場合は陽気な喧噪状態を作り出し、社会の連帯といった価値観や,結婚・死といった重大なる事件を明確に表現し、心に強く刻みこむ働きを持つという。 バリの伝統的な芸能文化は、こうして頻繁に行われる祭儀=ウパチャラによって受け継がれてきた。
それと共に祭儀の正装、祭壇の装飾や供物として、また舞踊家や演奏家の衣装としても、布は必要不可欠なものであり、大きな役割を果たしてきた。 そんなバリの染織品は実に多種多彩である。

◆バリ・アガの村
 13世紀から16世紀にかけて、ジャワ島東部で隆盛を極めたマジャパイト王国の時代に、バリ島の各地にも、ヒンドゥー・ジャワ文化が広まった。その後イスラム勢力が台頭し、16世紀前半に王国が滅亡した時に、その一部の人々はバリ島に逃れてきた。その後、ジャワ島はイスラム化したので、バリ島はヒンドゥー・ジャワ文化を継承する唯一の島になった。そして、ヒンドゥー・ジャワ文化以前に伝わった仏教、ヒンドゥー教、さらに古来からのバリ島土着の文化と統合され、ヒンドゥー・バリという独特の文化を築き、発展させてきた。しかし、このヒンドゥー・ジャワ文化を受け入れずにきた人々もいる。彼らはバリ・アガ(純粋のバリ人)と称され、一般のバリ人とは別の社会を形成し、ヒンドゥー・ジャワ文化の影響を受ける以前の生活様式や伝統を、今日に伝えている。 現在、バリ島東部の山間地域にバリ・アガの住む集落が数カ所残っている。そのうちの一つに、「グリンシン」という経緯絣を織っている人々の住む「トゥンガナン・プグリンシンガン村」がある。このトゥンガナン村は、山裾の南斜面に沿って作られた、南北500m、東西250mほどの長方形の集落である。周囲三方を小高い山に囲まれて、わずかに開かれた南側に村の入口がある。さらに、この村の入口付近は、塀で囲われており、外からの侵入を拒んでいるかのように存在している。入口には記帳所があり、観光客はいくらかの寄付金を納めてから村へ入る。村には3本の広い通りが南北に並んで伸び、その両側に家並が続く。村の入口に通じている最も大きな通りに面した家々では、観光客相手に工芸品を販売しており、運が良ければグリンシンの実演を見ることもできる。

 ◆ 魔除けの布として - マジカルイカット
 
 経緯絣が織られているのは、世界の中でも日本とインドとインドネシアだけである。しかも、イカットの盛んなインドネシアにおいて、このバリ島のトゥンガナン村にだけ経緯絣は存在する。つまりここは、東南アジア唯一の経緯絣の産地ということである。グリンシンの絣模様は約20種類ほどあり、絣括りの単位である正方形から構成された幾何学的な模様が主体となっている。模様には、花、果物、太陽、星、蠍、影絵芝居のワヤン人形などがモチ-フとして用いられている。布の大きさは5種類に分けられ、その用途によって、名称も異なっている。おもに村人の腰布、腰帯、胸布、肩掛けといった祭儀礼用の衣装および供物として使用されている。手紡ぎの木綿糸を用い、経糸と緯糸の両方に絣括りをし、植物染料で染め分けて、絣模様を合わせながら織り上げていく経緯絣(ダブル・イカット)の製作は手間暇が掛かり、根気のいる仕事である。なぜトゥンガナンが東南アジア唯一の経緯絣の村なのか、いつごろ、どこから、どのような経路で、グリンシンの染織技法が伝わったのかは不明であるが、次のような言い伝えがあるという。バリ・アガの人々にとっての最高神はインドラであり、最初の人間の創造者として崇拝されている。ある晩、インドラは薬木の上に座り、月光の輝きと星の美しさ楽しんでいた。そしてそれをイメージとパターンに変え、最初のバリ島の人の神聖な衣服と定めた。その後、神インドラは経緯絣の布の作り方を少女と女性達に教え、それ以来、神から与えられた魔法のグリンシンは、儀式用の織物としてバリで最も神聖で重要な布になったという。 「グリンシン」という名称は、gering(病気)、sing(なし)、という言葉から成る。つまり、「無病息災」を意味するバリ語で、村人のみならず、バリ人にとっても、魔除けや病気の治癒のための呪術的な力を持った布としてもてはやされてきた。例えば、歯を削る儀式の時には枕を覆ったり、葬式の際には死者や棺を覆ったりと、恐れを感じるときの身を守る魔除けの布としても使われたという。ただ現在では、希少価値であり、高価になってしまったグリンシンが一般のバリ人の儀式で使われることはほとんど見られなくなってしまった。  古きバリの文化を継承するトゥガナン村の人々は、一般のバリ人よりもさらに祭儀に忙しい日々を過ごす。この村独自の暦によって祭儀の年間スケジュ-ルが決められている。暦は3年周期で繰り返され、1年目は360日を、2年目は352日を12カ月に分けて普通の年とし、3年目は383日を13カ月に分けて特別の年として、祭儀も盛大に行われる。 中でも、毎年第5の月(西暦の6月頃)は、1年の内で一番大きなウパチャラの月となる。村人達は、約1ヶ月間に渡って様々な祭礼・儀式をこなしていく。かってはバリの各地で行われていたが、今では途絶えてしまった儀式もこの村には残されている。また、普段トゥガナン村を訪れても、商品としての布を見ることはできるが、グリンシンを着た姿にお目にかかれることはまずない。ウパチャラの時期は各家に伝わる見事なグリンシンによる正装ををじっくりと鑑賞することもできる。村内結婚を基本とする村の閉鎖的な独自性と共にグリンシンの染織技法は守られ、伝えられてきた。1970年代には織り手が少なく風前の灯火であったが、海外からの注目と村内での技術指導により、今では若い世代へと受け継がれている。  インドネシアの人々の人生において、布との関係は私たちが想像する以上に密接な関係がある。布の用途とは身にまとい、ものを包むといった実用性だけではなく、彼らの人生観や世界観を表すものでもある。神や祖先への供物、婚礼の贈与品、死者への餞別、魔除けや神へのメッセージなど、広大で多民族のインドネシアでは、民族の象徴や存在証明として、精神性への用途も実に重要であり、今もなお息づいている。そして、自ら自由に模様を織り出すことのできるイカットには、さらに作り手の思いが込められていくようである。


最新の画像もっと見る