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『古びない新鮮』  榛葉莟子

2017-07-19 13:02:34 | 榛葉莟子
2006年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 39号に掲載した記事を改めて下記します。

『古びない新鮮』  榛葉莟子


 爬虫類が好きという質はあるとは知ってはいても、その質ではないので蛇をペットにしていると聞けばちょっとぎょっとする。ここでは夏の頃、草むらから這い出してくる蛇はよく見かける。道路でも車に押しつぶされたそれもよく見かける。危険のないひなた蛇と教わったそれは、荒縄くらいの黒いような地に赤と黄色の縞模様がある。秋口の頃、我が家に蛇騒動があった。その日、庭の端の草むらで猫がその蛇とにらみ合っているのを目撃した。野性味の強い若いトラの猫は実を言うと獲物を口にくわえ得意気に私に誉めてほしいらしく見せにくることがたびたびある。よくやったよくやったと誉めつつ外へ出す。それがもしも蛇だったら・・ぞっとして強引に猫を抱き上げた。シュウと草の中に蛇は消えた。ペットの猫とはいえ種が異なる動物、共に暮らしながらもどこかで線を引いておく覚悟はいる。そんな出来事も手伝ったのだろうか。夕方時、カサコソコトンと出所不明の音がとぎれとぎれ聞こえていた。何だろう何だろうとさがした音の出所は雑誌など積んである箱の中だった。物を出して覗くと薄暗がりの隅に何かがいた。赤と黄色の色が動いたのを見た途端の驚きはわれながら尋常ではなかった。とにかく家の者が帰宅するまで厳重に蓋をしてぐるぐる巻きにテープをかけた。それからヒヤヒヤドキドキしながら待ったながいながい数時間後、息ができないくらい笑いころげることになるとは思いもしなかった。箱の隅にうずくまっていたものは、不用になって束ねてあった赤と黄色の差し込みのついたテレビ用の太いコードだった。疑ることもなく猫と蛇の騒動からあの蛇が忍びこみとぐろを巻いていると思い込んだ。なぜならひゅっと動いたのだ。それにしても動いたものが何なのか謎だけが残った。
 硝子越しに空を覗く。少し風はあるけれど小春日和かなとひとり散歩に出た。けれど思いのほか風は冷たい。あたりを明るく照らすようにしていた紅葉の雑木林の盛りもおしまいになりつつある。つい数日前にはあんなに枝がしなるほど柿の実がぶら下がって茜色の木の印象だった其処何処の柿の木は、一夜にして刈り取られたかのようにさっぱりと丸坊主だ。とはいってもどの柿の木も枝の先端には一つ二つ、あるいはいくつかの柿の実が必ず残っている。取り尽さない。小鳥たちへのおすそわけでもあるのだろうし、柿の木への感謝とか見えぬものと通じあったような、収穫した人の謙虚な心のかたちとも思える。家々の軒下には干柿用の縄暖簾ならぬ柿の実暖簾が吊るされはじめ、そのあたりにほのぼのとしたのどかな気配が漂っている。そういえば八ヶ岳の麓のこのあたりでは渋柿しか育たないと聞いた。土の成分の影響か何かはまったく分からないけれどもたとえ甘柿の苗木を植えても渋柿になるという。渋柿だから干柿にするにすることなど田舎に暮らしてから知ったことで、無知といえば無知だが渋抜きの方法を知らなければこの土地の柿は食べられないから私もいろいろ教わり覚えた。その土地その土地に暮らしてというというよりも生活して、はてな?にぶつかって初めて知る先人の知恵。古びない新鮮。
 散歩に出れば大体その荒れ地の道に出る。秋口、荒れ地に根を張ったいくつもの大きな株を持つすすきの、あの束ねた絹糸のごとくつややかな群生の見事さは誰もがすばらしく美しいとふつう単純に感動する。向こうからの誘惑にするりとのる受身の感動ともいえる。たとえば渓谷一帯のたけなわの紅葉をそこに架かる橋の上から眺めた時、絢爛豪華な綾錦の豊かに冗舌な色彩の誘惑に歓声をあげ、綾錦の感動を自分のみに吸収する。向こうからはたらきかけて来る冗舌を受けるこちらはいただくばかりで、カラフルな情報に惑わされる眼は受身になる。受身の眼はたいくつだ。
 そして、狭間の季節の今だからこそのカラフルを通過してきた風景がある。晩秋のこの時、荒れ地のすすきは刈られることすらもなく十五夜の夜を呑み込んだまま艶やかだった彩は蒸発しつくし、化石かしたかのような群生へと一変している。去年もおととしも、先おととしももっと前もいつのまにか立ち止まっているそこには古びない新鮮がある。素朴な匂いのたちこめるそこ。地の底の沈黙を潜り抜け吹いてくるかのような遠い風の気配に耳を澄まし、いつのまにか立ち止まるそこ。ただそれだけのそこがいい。そこは底でもあり、後でもあり裏でもあり、奥や隅や逆や角や狭間や未完成とか不安定とか、どちらかと言えば冗舌ではない寡黙などこか隠花植物的な匂いのそこなのだ。見るそこが寡黙であればあるほど、逆にこちら側からの能動的なはたらきかけは想像を生む人は想像するように見てしまうし、見えてしまうのだから。


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