
◆ピサック村の化学染料店

◆ワンカイヨの染色家宅(有害な媒染剤も使われている)

◆土でコバルトブルーを染める(水で溶かす)

◆染色

◆アマゾンの藍

◆ツボに葉と水を入れ、三日間静地

◆三日間の状態
2006年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 39号に掲載した記事を改めて下記します。
「古代アンデスの染織と文化」-アンデスの染色Ⅱ- 上野 八重子
◆古代と現代の染色事情
2006年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 39号に掲載した記事を改めて下記します。
「古代アンデスの染織と文化」-アンデスの染色Ⅱ- 上野 八重子
◆古代と現代の染色事情
古代アンデスの染織品を見たとき、色数と鮮やかさに「ほんとに草木染め?」と目を疑われる事でしょう。紀元前10世紀頃はまだ辰砂、タンニン酸、貝紫等での描き染めでしたが、紀元前 5~6世紀になると赤、黄、青、緑とカラフルな色遣いになってきます。現在の様な染色法があったとはとは考えられませんが、アンデスは世界有数の鉱山資源地で各所に露出した鉄、錫、銅、明礬石、銀、鉛の鉱床が見られる事から考えると自然の知恵としての媒染方法があったのではないでしょうか。いわゆる泥染め的な染色法が確立していたのでしょう。僅かに伝承で残っているものとして特殊な葉・灰・尿による媒染があります。
20世紀初頭までは技法の移り変わりはあったものの天然染料による染色は行われておりました。しかし、その後、化学染料の発明、輸入により、長い間つちかわれてきた染色技法は絶えてしまいました(近代文明の入り込まない奥地では続いているかもしれませんが)。現在、市場では化学染料をスプーン1杯単位で売っています。インディヘナの間ではビビットな色合いが好まれていて、それが今、我々が目にするアンデスカラーと呼ばれている色なのです。
途絶えてしまった文化を惜しみ、50年ほど前にドイツ人とスイス人の染織作家が中央アンデスのワンカイヨという町に住みついて、地元民自信が忘れ去ろうとしている染色技法を聞き取りながら草木染めの復活を始めました。しかし、それは「復活」と言うよりもヨーロッパの染色法を持ち込んだのでは…と思えます。
なぜなら、染材料はアンデスの植物を使うものの、明礬石以外は科学的な媒染剤…硫酸銅、硫酸第一鉄、重クロム酸カリウム(注1)他を使っているからです。「科学的媒染剤を使うから違う」と言うのではなく、染色法が途絶え、資料も残っていない現在では、復活と言うよりも現在の染色法を伝えながら、その中で新たなアンデス色を作るといった方が正しいのかもしれません。昔ながらの方法をたどり、古代色を復活させるのは不可能に近いのではと思うのです。無い物ねだりのような古代式染色法にこだわるのではなく、今の技術で色を出せたらそれはそれでいいのでは…と思うのですが。
(注1) 別名;六価クロムと言われ、日本では公害問題で大 きく取り上げられた有毒薬品。ワンカイヨの染色家は料理 鍋兼染色タンクで通常に使っている。見慣れない媒染剤 だったので記号を控えておき、帰国後に判明したので注 意できませんでした。今から8年前の事。
◆リマの染織家と染色法
◆リマの染織家と染色法
そんな古代色に魅了され、再現を目指して研究を続けている日本人がいます。ペルーの首都リマに住まいと店を持ち、彼女なりの考えで染色を試みていました。屋外(注2)にある広い染め場とペルー人の若者二人を助手にしての作業は羨ましい限りだった事を20年経た今でも鮮明に思い出されます。本とワンカイヨの染織家と情報交換で得た知識を基に染色方法を積み重ねていったようです。ではその染色法を記してみましょう。
※5種類の染料を抽出する。
※それぞれの染液に媒染剤を入れる(目分量)
※糸を浸す(好みの色になったら出す)
※染めた糸を別の染液に浸す(重ね染め)
※何度か染めた染液に別の媒染剤を入れる(染液の色が変わる)
※糸を浸す(好みの色になったら出す)
※最後に濯ぐ
※それぞれの染液に媒染剤を入れる(目分量)
※糸を浸す(好みの色になったら出す)
※染めた糸を別の染液に浸す(重ね染め)
※何度か染めた染液に別の媒染剤を入れる(染液の色が変わる)
※糸を浸す(好みの色になったら出す)
※最後に濯ぐ
言葉で表すとしたら「同浴、混媒染」とでも言えるでしょうか。日本で草木染めを学んだ人が来ると目を丸くして「そんな事をしてはいけないと教わりました!」と言うのだそうです。彼女曰く「秤も無かった時代に何を何g…なんてやってる訳無いじゃない!」と一言。その言葉の中には、失敗を繰り返し、経験を積み重ねた者のみが言える重さがありました。目から鱗の一言でした。幸い…と言うか、当時まだ草木染めを知らなかった私には“何でも良し”のペルー式染色法がすんなりと頭に入ってきたのです。しかし今、染色に携わる身になり、この時の事を思い起こすと、やはり「そんな事をしてはいけません!」と発してしまう程、日本での染色法とは大きな違いがあるのです。
天然染料による染色は古代から現代に至るまで世界中で脈々と受け継がれています。絹が主な国、他にも綿、麻、羊毛、獣毛とその地で使われる素材の違い、また気候風土に適した助剤としての草木実があり…と、故に同じ染料でも地域が変わると染色法が違ってくることになります。我々の染色法と違うからと言って「それは間違っている」と言うのではなく「それもありか…」なのです。
(注2) リマは年間を通してほとんど雨が降らないので屋外でOKなのです。
◆コバルトブルーの染料
ペルーで会う1年前、銀座で彼女のアルパカセーター展があり、そこで見たコバルトブルーの染め糸…、その染料は何と「土」だと言うのです。日本にいると青=藍染めと思ってしまいますが、言われてみると藍とは青さが違うのです。
1年後、リマの染め場で手にした土は白っぽい乾いた粘土の様な感じです。水に溶かすと白濁し、その中に何やら媒染剤を加えると液はサッとコバルトブルーに変わり見た事もない美しい染液になりました。その中に糸を入れると吸い込まれるように糸が染まっていきます。喉から手が出る程欲しい染料でしたが一握りの持ち帰りを許されただけで残念ながら入手先は秘密とのこと。その後、ウルグアイの草木染め糸を入手した際、中に同じ色があり南米では普通の色としてある事を知り、豊かな鉱物資源を抱えたアンデス山脈の恩恵を深く感じたのでした。
◆アンデスの藍染め
藍、藍染め…と一口で言ってしまえば、思い浮かべるのは一番身近な藍の葉と染色法だと思います。例えば日本の場合は、たで藍の葉と地面に埋め込まれた藍瓶が頭に浮かぶでしょう。藍という言葉そのものは一つの植物を指すのではなく、藍の色素を含む植物を総称するもので、藍の世界分布地図によるとインド藍系、蓼藍系、琉球藍系、大青系とあり、各地域の気候風土により、それぞれ異なった品種の植物が用いられています。その地図の中でアマゾン地域が?マークになっており品種不明との事。
リマで退屈な日を過ごしていた時、アマゾンから運ばれてきた藍を見る事が出来ました。観葉植物カポックに似て7枚の葉が付き、一見「これ、藍?」と言いたくなる葉です。早速、生葉染めを試みたものの、葉が厚くて思うように揉み出す事が出来ません。やむなくミキサーを使い何とか染められたものの蓼藍生葉のようなスカイブルーにはならず濃緑色となりました。
次に、アンデスの藍染めを記してみましょう。
※大きな壺に葉をそのまま口まで詰め込みます。
※葉が隠れるまで水を入れます。
※日当たりの良い場所に3日間そのまま放置。(リマは日中の気温が40℃以上になる)
※3日目になると葉からインジカンが溶出し、醗 酵して紺色の泡が盛り上がってきます。
※その状態になったら、バナナ葉の灰を入れてよくかき混ぜます。
※漉して染色可能です。
※葉が隠れるまで水を入れます。
※日当たりの良い場所に3日間そのまま放置。(リマは日中の気温が40℃以上になる)
※3日目になると葉からインジカンが溶出し、醗 酵して紺色の泡が盛り上がってきます。
※その状態になったら、バナナ葉の灰を入れてよくかき混ぜます。
※漉して染色可能です。
な~んて簡単なのでしょう。熱い陽射しに助けられての藍染めです。
実はこの染色法はアンデスだけに限られた方法ではなく、日本でも沈殿藍を作る工程で行う事が出来ます。ただし、バナナ灰は無理なので消石灰を使う事になるのですが…。
次回はコチニールを求めて養産場に行った話を交えて染織品を紹介したいと思います。(つづく)