◆眞板雅文《音・竹水の閑-水の国》竹、縄、鉄、水/2003年
2003年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 30号に掲載した記事を改めて下記します。
『手法』について/眞板雅文《音・竹水の閑》 藤井 匡
眞板雅文はこれまで、様々な素材を様々な技法で扱いながら作品を制作してきた。1970年代の写真と蛍光灯などの日用品を組み合わせた作品、80年代のロープや布などを巻きつけたオブジェ的な作品、鉄の棒と自然石とによる野外での大型彫刻――そして、97年以降は竹を使用したインスタレーションが制作されるようになる。
これらを通観するとき、個々のシリーズ間の連続性は希薄に感じられる。使用される素材は共通イメージをもたず、使用される技法も素材ごとに異なるためである。作品の変化は思考に依拠するもので、技術的な蓄積にはないように思える。
しかしながら、外観の差異にも関わらず、全ての作品には共通した感覚が存在する。シリーズごとに技術的な形式は変化するが、そこに至るまでの素材やモチーフに対する姿勢が一貫するのである。
前のシリーズを否定することから次のシリーズへと移行する、弁証法的な過程を経て変化するタイプの作家であれば、時間軸に沿った理解は有効性をもつ。この場合、作者の内部に変化の必然性が宿されているのだから。しかし、眞板雅文の場合、外在的な要因から触発された部分が突出して、作品化されていくタイプの作家である。このとき、作品の変遷を、作者の個人史上の発展として把握するのは大した意味をもたない。
この点に着目するならば、個々のシリーズは並行した共時的存在として見えるようになる。この視点に立つときにはじめて、作品を作者の固有性に属する(作者の名前が冠される)ものとして捉えることができる。
最近のシリーズである《音・竹水の閑》は、鉄のフレーム一個につき百本強の竹を並べるように番線で留め、円錐形をつくりだした作品である。これは、素材の特性や展示場所が周到に計算された上で制作がなされている。
空へ向かって放射状に伸びる竹のラインは、見る者の視線を引き上げる。加えて、竹と天・地との接触を補強するように、空に最も近い部分に先細りの側が当てられ、地面に最も近い部分は垂直に切断される。そして、《音・竹水の閑-水の国》では既設の人工池に設置されるため、実像と映像とが水面を挟んで上下の線対称に位置することになる。こうして、単なる幾何学形態以上の垂直軸がつくりだされるのである。
また、円錐形は一方向が開かれており、ここから水平方向に竹の造形が延ばされる。円錐中央の地面には水盤が置かれており、水平の竹の中を通って落ちる水滴が波紋を広げる。この場所で、垂直方向から受ける力が水平方向へ押し広げられる。《音・竹水の閑-水の国》では水盤と人工池とが連動するため、水平方向への展開はより広範囲に渡ることになる。
さらに、風が吹くとき、円錐形に立てられた竹は先端部分が僅かに揺れ、垂直軸の基調となる作品の輪郭線は曖昧になる。同時に、水平方向でも、その風を受けて地面の水盤に小波が生じる。作品と景観とは明瞭に分節されるのではなく、両者の境界線は流動する。自然現象の中で〈作品外→作品内→作品外〉の循環系が発生するのである。
こうした要因が複合して、作品と景観とは一体化した状態を示す。さらに、竹という素材イメージが加算されることで、作品と景観とが各々のフィールドを超えて融合する状態が示されることになる。
円錐形では竹の間隔が上方ほど広くなるため、作品と景観との接触は同心円状に淡くなる。ここを通して見える景観は、竹林などで日本の風景において馴染み深いものである。ここでは、作品の構造に既視感のある風景がオーバーラップされ、人為を通して自然が回復されるのである。
作者は、自己と自然との関係の重要性、そして作品がこの関係の上に成り立つことを繰り返し語っている。《音・竹水の閑》で両者を密接に繋ぐ素材と加工の在り方は、他のシリーズ(過去の作品)にも――提示の形式は異なっているが――見いだせるものである。
眞板雅文は80年代から野外での大型の彫刻を多数制作している。素材は耐候性のある鉄と石が使用され、主に樹木や山などの自然物がモチーフに選ばれる。鉄も石も野外彫刻では一般的な素材であり、多くの彫刻家が使用するものである。しかし、作者の場合、生な感覚が残る素材と具象的な形態という、距離のある両者をシンプルな方法で結びつける特異な彫刻を制作する。
例えば、ヴェネチア・ビエンナーレに出品された《樹々の精》(1986年)は、湾曲させた鉄の棒を組み合わせることで、枝を広げた樹木を連想させる作品である。
細部に着目すると、元々それが工業製品であることが分かる。つまり、大幅な加工が行われておらず、素材である鉄の棒が最後まで鉄の棒として残存しているのである。しかしながら、作品全体にはそうした工業製品のイメージではなく、有機物としての構造(部分と部分とが連鎖的な運動感をもつ)が与えられる。工業製品を有機的なイメージに変容する方法の発見から作品が生み出されているのである。
作者は、この鉄の棒を使用し始める契機として、解体工事の現場でコンクリートから露出した鉄筋を見た経験を語っている。(註 1)だが、この出来事が作品をもたらした直接的な契機だったとしても、同じ光景を見た人間全てが同じ作品へ至るわけではない。作者はこの出来事以前に、意識されないままに、この素材を扱う方法を獲得していたはずである。その前提の上で、鉄筋(人為)と樹木(自然)との結合が可能になる。
ここでは、自然環境の豊かな所を制作場所とし、毎日のように自然を見つめてきた経験が先行し、その後の出来事を通して意識化されたものである。こうした日常の経験は、出来事のように特化されないため、明示することは困難である。だが、この潜在するものの厚みがなければ、作品は表層的な存在に留まるに過ぎない。作品は、出来事と経験の結合から導かれるのである。
《音・竹水の閑》における竹は、かつて「それ自体美しく、伝える力が大きい」(註 2)以上、これを素材とした美術作品を制作する必要があるのか、との問題として浮上していた。このシリーズが最初に制作された1997年の十年以上前から、作者は竹を素材とした作品を考えていたと言う。(註 3)それは裏返せば、構想から十年以上も――条件的には可能であったにも関わらず――制作できなかったことを意味する。
結果的に、戦前に水力発電所として建築された場所での発表機会によって作品は実現する。もちろん、この機会は偶然(作者の意志に由来しないもの)である。ただ、それ以前に、偶然=出来事を新たな作品へと結実する条件を整備していたことに、作者の主体的な意志を見ることができる。
眞板雅文の使用する素材や技法は、その都度その都度の都合に合わせて自由に選択されたものではない。「初めからこういうものをつくりたいとか、図面の上から考えていくというのではなくて、素材から入っていく場合が多い。そういう意味で、いつも素材を探している。総ての素材に興味があるといってもいいですね。」(註 4)この作品以前の段階に、手から出発する、眞板雅文にとっての不変の方法が存在する。
ここでは、コンセプト(主)が揺るぎなく掴まれた後に、それを実現する手段として素材(従)が選択されるのではない。作品として実現するかどうかに関わらず、素材が探され、手が加えられる。そこから、あるインスピレーションが引き出された結果として作品が出現するのである。
特異な素材として受け取られやすい《音・竹水の閑》の竹も、そのような無償=無目的な過程を経て掴まれたものである。作者が素材に関与した時間の蓄積が、作品の存在的な強度をもたらす。この時間は、見る者に直接提示されることはない。その上でなお、作品を規定する両者の関係を、眞板雅文の方法と呼ぶことができる。
註 1 インタビュー「日常・風景・素材」『みなとみらい21彫刻展』図録 1986年
2 眞板雅文「竹をめぐって」『眞板雅文 音・竹水の閑』図録 下山芸術の森発電所美
術館 1997年
3 前掲 2
4 前掲 1
2003年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 30号に掲載した記事を改めて下記します。
『手法』について/眞板雅文《音・竹水の閑》 藤井 匡
眞板雅文はこれまで、様々な素材を様々な技法で扱いながら作品を制作してきた。1970年代の写真と蛍光灯などの日用品を組み合わせた作品、80年代のロープや布などを巻きつけたオブジェ的な作品、鉄の棒と自然石とによる野外での大型彫刻――そして、97年以降は竹を使用したインスタレーションが制作されるようになる。
これらを通観するとき、個々のシリーズ間の連続性は希薄に感じられる。使用される素材は共通イメージをもたず、使用される技法も素材ごとに異なるためである。作品の変化は思考に依拠するもので、技術的な蓄積にはないように思える。
しかしながら、外観の差異にも関わらず、全ての作品には共通した感覚が存在する。シリーズごとに技術的な形式は変化するが、そこに至るまでの素材やモチーフに対する姿勢が一貫するのである。
前のシリーズを否定することから次のシリーズへと移行する、弁証法的な過程を経て変化するタイプの作家であれば、時間軸に沿った理解は有効性をもつ。この場合、作者の内部に変化の必然性が宿されているのだから。しかし、眞板雅文の場合、外在的な要因から触発された部分が突出して、作品化されていくタイプの作家である。このとき、作品の変遷を、作者の個人史上の発展として把握するのは大した意味をもたない。
この点に着目するならば、個々のシリーズは並行した共時的存在として見えるようになる。この視点に立つときにはじめて、作品を作者の固有性に属する(作者の名前が冠される)ものとして捉えることができる。
最近のシリーズである《音・竹水の閑》は、鉄のフレーム一個につき百本強の竹を並べるように番線で留め、円錐形をつくりだした作品である。これは、素材の特性や展示場所が周到に計算された上で制作がなされている。
空へ向かって放射状に伸びる竹のラインは、見る者の視線を引き上げる。加えて、竹と天・地との接触を補強するように、空に最も近い部分に先細りの側が当てられ、地面に最も近い部分は垂直に切断される。そして、《音・竹水の閑-水の国》では既設の人工池に設置されるため、実像と映像とが水面を挟んで上下の線対称に位置することになる。こうして、単なる幾何学形態以上の垂直軸がつくりだされるのである。
また、円錐形は一方向が開かれており、ここから水平方向に竹の造形が延ばされる。円錐中央の地面には水盤が置かれており、水平の竹の中を通って落ちる水滴が波紋を広げる。この場所で、垂直方向から受ける力が水平方向へ押し広げられる。《音・竹水の閑-水の国》では水盤と人工池とが連動するため、水平方向への展開はより広範囲に渡ることになる。
さらに、風が吹くとき、円錐形に立てられた竹は先端部分が僅かに揺れ、垂直軸の基調となる作品の輪郭線は曖昧になる。同時に、水平方向でも、その風を受けて地面の水盤に小波が生じる。作品と景観とは明瞭に分節されるのではなく、両者の境界線は流動する。自然現象の中で〈作品外→作品内→作品外〉の循環系が発生するのである。
こうした要因が複合して、作品と景観とは一体化した状態を示す。さらに、竹という素材イメージが加算されることで、作品と景観とが各々のフィールドを超えて融合する状態が示されることになる。
円錐形では竹の間隔が上方ほど広くなるため、作品と景観との接触は同心円状に淡くなる。ここを通して見える景観は、竹林などで日本の風景において馴染み深いものである。ここでは、作品の構造に既視感のある風景がオーバーラップされ、人為を通して自然が回復されるのである。
作者は、自己と自然との関係の重要性、そして作品がこの関係の上に成り立つことを繰り返し語っている。《音・竹水の閑》で両者を密接に繋ぐ素材と加工の在り方は、他のシリーズ(過去の作品)にも――提示の形式は異なっているが――見いだせるものである。
眞板雅文は80年代から野外での大型の彫刻を多数制作している。素材は耐候性のある鉄と石が使用され、主に樹木や山などの自然物がモチーフに選ばれる。鉄も石も野外彫刻では一般的な素材であり、多くの彫刻家が使用するものである。しかし、作者の場合、生な感覚が残る素材と具象的な形態という、距離のある両者をシンプルな方法で結びつける特異な彫刻を制作する。
例えば、ヴェネチア・ビエンナーレに出品された《樹々の精》(1986年)は、湾曲させた鉄の棒を組み合わせることで、枝を広げた樹木を連想させる作品である。
細部に着目すると、元々それが工業製品であることが分かる。つまり、大幅な加工が行われておらず、素材である鉄の棒が最後まで鉄の棒として残存しているのである。しかしながら、作品全体にはそうした工業製品のイメージではなく、有機物としての構造(部分と部分とが連鎖的な運動感をもつ)が与えられる。工業製品を有機的なイメージに変容する方法の発見から作品が生み出されているのである。
作者は、この鉄の棒を使用し始める契機として、解体工事の現場でコンクリートから露出した鉄筋を見た経験を語っている。(註 1)だが、この出来事が作品をもたらした直接的な契機だったとしても、同じ光景を見た人間全てが同じ作品へ至るわけではない。作者はこの出来事以前に、意識されないままに、この素材を扱う方法を獲得していたはずである。その前提の上で、鉄筋(人為)と樹木(自然)との結合が可能になる。
ここでは、自然環境の豊かな所を制作場所とし、毎日のように自然を見つめてきた経験が先行し、その後の出来事を通して意識化されたものである。こうした日常の経験は、出来事のように特化されないため、明示することは困難である。だが、この潜在するものの厚みがなければ、作品は表層的な存在に留まるに過ぎない。作品は、出来事と経験の結合から導かれるのである。
《音・竹水の閑》における竹は、かつて「それ自体美しく、伝える力が大きい」(註 2)以上、これを素材とした美術作品を制作する必要があるのか、との問題として浮上していた。このシリーズが最初に制作された1997年の十年以上前から、作者は竹を素材とした作品を考えていたと言う。(註 3)それは裏返せば、構想から十年以上も――条件的には可能であったにも関わらず――制作できなかったことを意味する。
結果的に、戦前に水力発電所として建築された場所での発表機会によって作品は実現する。もちろん、この機会は偶然(作者の意志に由来しないもの)である。ただ、それ以前に、偶然=出来事を新たな作品へと結実する条件を整備していたことに、作者の主体的な意志を見ることができる。
眞板雅文の使用する素材や技法は、その都度その都度の都合に合わせて自由に選択されたものではない。「初めからこういうものをつくりたいとか、図面の上から考えていくというのではなくて、素材から入っていく場合が多い。そういう意味で、いつも素材を探している。総ての素材に興味があるといってもいいですね。」(註 4)この作品以前の段階に、手から出発する、眞板雅文にとっての不変の方法が存在する。
ここでは、コンセプト(主)が揺るぎなく掴まれた後に、それを実現する手段として素材(従)が選択されるのではない。作品として実現するかどうかに関わらず、素材が探され、手が加えられる。そこから、あるインスピレーションが引き出された結果として作品が出現するのである。
特異な素材として受け取られやすい《音・竹水の閑》の竹も、そのような無償=無目的な過程を経て掴まれたものである。作者が素材に関与した時間の蓄積が、作品の存在的な強度をもたらす。この時間は、見る者に直接提示されることはない。その上でなお、作品を規定する両者の関係を、眞板雅文の方法と呼ぶことができる。
註 1 インタビュー「日常・風景・素材」『みなとみらい21彫刻展』図録 1986年
2 眞板雅文「竹をめぐって」『眞板雅文 音・竹水の閑』図録 下山芸術の森発電所美
術館 1997年
3 前掲 2
4 前掲 1