さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

復活しました。近所に住むジンバブエ人のお話。

2010年04月08日 21時47分40秒 | Web log
壊れたパソコンは壊れたままなのですが、
マイクが、マイク所有の古いパソコンを復活してくれました。



ので、いつになったらネットに復活できるのか、新しいパソコンを
買うまでこのままか?と思っていましたが、意外に簡単に
復活してしまいました。

また、よろしくお願いいたします。

多忙を極めた期末を終え、今はホリデー中。

毎朝遅く起きて、公園に行ったり、友達と遊んだりして、
ゆっくりとした時間をすごしています。

ホリデームードなので、脳みそもホリデー。

硬い話を語るモチベーションがあがりません。
申し訳ございません。

さーて。

パースも4月に入って、とても涼しくなってきました。
朝晩は肌寒く、日中でもジーンズを履いてちょうどいい感じ。
夕方には上着が必要なくらいの寒さです。
洗濯物も乾きにくくなってきました。

これからどんどん寒くなっていきます。

昨日、近くにすむジンバブエ出身の黒人のお母さんとおしゃべりしました。

彼女は近くの私立の病院に看護婦として勤務しております。
以前会ったときは、母国に住む家族が恋しい。家族の支えもなくここで
暮らすのは大変だ。お金がかかる。ぜんぜん貯まらない。なんでここに
いるのかわからなくなるときがある。とホームシックモードだったのですが
昨日はちょっと前向きになっていました。

で、ジンバブエの話をちょっと聞きました。

ジンバブエは、失業率85%、インフレ率前年比220万%
国として機能していないし、国は国民をぜんぜん守ってくれない。

これではやっていけないというので、最初南アフリカに働きに出たのだけれど、
一向に永住権を発行してくれない。6ヶ月の労働許可のみ。

半年ごとに労働許可の申請、更新を続けたけれど、永住権をもらえなければ
そこで働いていても、先の計画が立てられない。国には帰れない、働く場所と
永住権が欲しかった。自分の子供のことを考えると、どこかにきちんと
落ち着きたかった。

そしてオーストラリアでの仕事を見つけた。

母親、兄弟のことも考えたけれどもオーストラリアに来る決断をした。

色々あるけれど、永住権をもらい、仕事もあり、子供も学校に通い、
それなりになんとか暮らしているし、いくらかのお金を母親に送金もできる。

感情的に、国に帰りたい、家族の元に帰りたいと思っても、ここにいるから
できることもある。生活の質について聞いたけれど、
『生活の質?ジンバブエより高いけれど、その分お金もかかるし、
どこにいってもお金はいくらあっても足りないものなのよ』と笑いながら
言っていた。

冷静に考え、そして欲張りにさえならなければ、オーストラリアにいることの
メリットが見えてくる。

と、話してくれた。

なんだか、色々考えてしまった。

わたしは、帰りたい国があって、帰れる国があって幸せなんだ。

きっと彼女にとってジンバブエ人であるということは、家族、親族が
そこにいるということ以外、あまりメリットがないんだろうと思う。

時々、オーストラリアの市民権を取らないの?と聞かれるときが
ある。これは日本国籍を失うことを意味する。パスポートも失う。

ま、マイクもオーストラリア人ではないので、そうするつもりは
まったくないし、日本人でなくなるということに大きな躊躇いを
感じてしまう。

でも、母国の国籍を捨てて、オーストラリア人になっている人も
結構いる。

家族がオーストラリアにいるし、インドネシアのパスポートを
持っていても、あまりメリットはないし、と言い切る。

愛国心とか国籍とかへのこだわりというのは、その国の世界での
競争力、経済力と意外と関係しているんだなぁと思った瞬間である。

わたしが日本人として日本人であることにこだわりがあるのは、
もちろん家族、親族、友人そして自分の歴史がそこにあるからという
のもあるけれど、同時に日本に経済力があり、世界の中で国としての
地位が高いからというのも、大きな要因としてあるのだということを
見落としていたことに気がついた。

自分にさまざまな形で利益をもたらしてくれないのならば、その国民で
あることに価値はない。

(続く。硬い話をするモチベーションがあがらないなんて…嘘だった。)







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