おととい、子供たちを公園に連れて行きました。
ジョナサンはスクーターで遊んでいたのですが
勾配のある場所をスクーターで下降していましたら、
勢いよく降りていったジョナサンの目の前に
男の子が飛び出してきた。
で、激突。
その男の子、大声で泣き出した。
ジョナサンより年上で、わたしもよく知っている子です。
大人しく、気の弱い性格です。
「あちゃ~」と思いながら、なんで急に飛び出したんだろう。
猫じゃあるまいし。
と思いながら、近づいていきました。
その子のお母さんもその場にいたのですが、泣きじゃくって
収拾がつかないので、家につれて帰るとのこと。
私的には、ジョナサンは全く悪くないのに、加害者のように感じて
とても複雑な気持ちになってしまった。
「泣いたもん勝ちってことか」
ジョナサンだって、急に飛び出されて膝にあざをつくっていたし、
痛くなかったわけではない。でも、彼はそういうときに泣けない。
むしろおどけてしまうタイプ。深刻になりたくないのだ。
内心納得いかなかったけれど、ジョナサンに謝った?と聞くと
謝ったという。で、調子こいてもう一度 SORRY!!!! とふざけ調子で
言っていた。
泣くこともできなければ、怒ることもできず、緊張状態を笑いで
ぶち壊すしかないと思っているジョナサンの気持ちがわかるだけに、
はっきり言って根性のないその男の子にちょっといらついた。
痛かった気持ちもわかりますけどね。
公平にみたってジョナサンは悪くないと思う。
涙は女の武器って言いますが、泣くというのは一瞬にしてその場を
支配してしまいます。
泣いたものが同情を得て、優位に立ってしまいます。
で、この件に関しては「予防措置」として坂をスクーターで下りる
のは禁止にするしかなかった。危ないのは本当だし、小さい子も
うろちょろしていたので。
でも、ジョナサン納得いかないって顔していた。
ジョナサンとベンジャミンがけんかして、ベンジャミンがどうしようも
なくて泣き出すと、気持ち的にベンジャミン寄りになってしまうことが
あるので、よくわかる。
ジョナサン的には「ずるい」って思っているだろうなぁ。
でも、「泣き」に負けてしまう。
ある本を読んだときに、怒りも悲しみも根本は一緒というコメントを
読んだときに、イマイチ納得いかなかったけれど、今になって
納得。
自分でどうしようもできない出来事に遭遇したときに、その対象や
状況に対する不満をあらわした形が「怒り」であり「泣く」こと
であるということだ。
泣き悲しむということは、『自分の思い通りに行かなかった
ことに対する不満だ』と考えると、怒りも悲しみも根源は同じ。
痛みを受けたから泣くのは当然といえば、そうなんだろうけれど。
でも、怒る人には「怒るのはいけない」と言う事はあっても、
泣いてる人に「泣いてはいけない」と言う人は少ない。
でも、ここで泣くのはずるいだろうということは、結構
あるかもしれない。特に子供の世界では。
で、子供はそういうことを敏感に感じるのじゃないかと思う。
北米で起こったトヨタ レクサスのブレーキ事件にかんする
公聴会のときに、被害者代表で出てきたのは女性ばかりで
涙を流して訴えていた。
わたしもうるうるきてしまったのだけれど、ひねくれもの
の私は、何故女性ばっかりなの?男性も出してよ。と思いました。
だって、女性のほうが俄然感情的だし、感情に訴えるもんでしょ?
そのときに、トヨタの非がはっきりとしていなかったのに、
あれだけ米国民に涙で訴えれば、世論は絶対、反トヨタに
傾くに決まっていると思った。
で、15億円払うことになったけれど。
原因はアメリカ人独特のブレーキの踏み方と、マットの置き方に
問題があったとか。
よくわかりませんけれど、なんとなくこの件についても、
腑に落ちないというか、してやられた感を抱いているのは
ひねくれ根性をもつ私だけなんだろうか、と思うのであります。
日本や他の国で同様の問題起きましたか?
知っている人がいたら、教えてください。
北米仕様は、他国のと違うんですかね?
ジョナサンはスクーターで遊んでいたのですが
勾配のある場所をスクーターで下降していましたら、
勢いよく降りていったジョナサンの目の前に
男の子が飛び出してきた。
で、激突。
その男の子、大声で泣き出した。
ジョナサンより年上で、わたしもよく知っている子です。
大人しく、気の弱い性格です。
「あちゃ~」と思いながら、なんで急に飛び出したんだろう。
猫じゃあるまいし。
と思いながら、近づいていきました。
その子のお母さんもその場にいたのですが、泣きじゃくって
収拾がつかないので、家につれて帰るとのこと。
私的には、ジョナサンは全く悪くないのに、加害者のように感じて
とても複雑な気持ちになってしまった。
「泣いたもん勝ちってことか」
ジョナサンだって、急に飛び出されて膝にあざをつくっていたし、
痛くなかったわけではない。でも、彼はそういうときに泣けない。
むしろおどけてしまうタイプ。深刻になりたくないのだ。
内心納得いかなかったけれど、ジョナサンに謝った?と聞くと
謝ったという。で、調子こいてもう一度 SORRY!!!! とふざけ調子で
言っていた。
泣くこともできなければ、怒ることもできず、緊張状態を笑いで
ぶち壊すしかないと思っているジョナサンの気持ちがわかるだけに、
はっきり言って根性のないその男の子にちょっといらついた。
痛かった気持ちもわかりますけどね。
公平にみたってジョナサンは悪くないと思う。
涙は女の武器って言いますが、泣くというのは一瞬にしてその場を
支配してしまいます。
泣いたものが同情を得て、優位に立ってしまいます。
で、この件に関しては「予防措置」として坂をスクーターで下りる
のは禁止にするしかなかった。危ないのは本当だし、小さい子も
うろちょろしていたので。
でも、ジョナサン納得いかないって顔していた。
ジョナサンとベンジャミンがけんかして、ベンジャミンがどうしようも
なくて泣き出すと、気持ち的にベンジャミン寄りになってしまうことが
あるので、よくわかる。
ジョナサン的には「ずるい」って思っているだろうなぁ。
でも、「泣き」に負けてしまう。
ある本を読んだときに、怒りも悲しみも根本は一緒というコメントを
読んだときに、イマイチ納得いかなかったけれど、今になって
納得。
自分でどうしようもできない出来事に遭遇したときに、その対象や
状況に対する不満をあらわした形が「怒り」であり「泣く」こと
であるということだ。
泣き悲しむということは、『自分の思い通りに行かなかった
ことに対する不満だ』と考えると、怒りも悲しみも根源は同じ。
痛みを受けたから泣くのは当然といえば、そうなんだろうけれど。
でも、怒る人には「怒るのはいけない」と言う事はあっても、
泣いてる人に「泣いてはいけない」と言う人は少ない。
でも、ここで泣くのはずるいだろうということは、結構
あるかもしれない。特に子供の世界では。
で、子供はそういうことを敏感に感じるのじゃないかと思う。
北米で起こったトヨタ レクサスのブレーキ事件にかんする
公聴会のときに、被害者代表で出てきたのは女性ばかりで
涙を流して訴えていた。
わたしもうるうるきてしまったのだけれど、ひねくれもの
の私は、何故女性ばっかりなの?男性も出してよ。と思いました。
だって、女性のほうが俄然感情的だし、感情に訴えるもんでしょ?
そのときに、トヨタの非がはっきりとしていなかったのに、
あれだけ米国民に涙で訴えれば、世論は絶対、反トヨタに
傾くに決まっていると思った。
で、15億円払うことになったけれど。
原因はアメリカ人独特のブレーキの踏み方と、マットの置き方に
問題があったとか。
よくわかりませんけれど、なんとなくこの件についても、
腑に落ちないというか、してやられた感を抱いているのは
ひねくれ根性をもつ私だけなんだろうか、と思うのであります。
日本や他の国で同様の問題起きましたか?
知っている人がいたら、教えてください。
北米仕様は、他国のと違うんですかね?