雨に負け風に敗れて一皿のブイヤベースに改宗(ころ)びたり、われ
この一首を読んでまず思ったのは、創世記のエサウが空腹に耐えかねてレンズ豆の煮物と引き換えに弟ヤコブに長子の権利を譲り渡してしまうエピソードである。少し引用する。
二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。 イサクはエサウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである。しかし、リベカはヤコブを愛した。ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。エサウはヤコブに言った。「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。ヤコブは言った。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。(創世記25章27〜34節)
掲出歌「雨に負け風に敗れて」は当然、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を踏まえているのだろう。そうそう高潔には生きられない、生きていれば「一皿のブイヤベース」と引き換えに、これだけは譲れないと思っていた信念を曲げてしまうこともあるのではないか、とやや自虐味を交じえながら人間の悲哀を詠った一首である。
私の母教会は、主日礼拝を重んじるため、また伝道活動に勤しむために、忙し過ぎたり日曜出勤のあったりする仕事は辞めて他の仕事に変えることを推奨している教会であった(今はどうか知らない)。振り返ってみれば自分の不器用さのためと分かるのだが、私は社会人になってから四年ほどは仕事で上手くいかず、勤務時間も長すぎると母教会の信徒にクレームされたのもあり、転職を繰り返した。私としては、皆んな会社を辞めるように言ったのに現実的には何も助けてくれないじゃん……と内心不満たらたらで、社会人三年目には二進も三進も行かなくなり母教会を一時離れた。イザヤ書47章13節「助言が多すぎて、お前は弱ってしまった」の通りの状態だったのである。今となれば、「助言」や「提案」は、「指示」や「命令」とは違ったのだなぁと分かるのだが、当時の私は具体に飛びつく奴隷根性の塊でしかなかった。
社会人三年目に派遣会社に登録して事務の仕事をしていた時、私は(どうせ神様から離れちゃったんだし、こうなったら思いっきり好きと思えることを試してみよう)と、昼食代を大幅にケチって色々習い事をした。都内某所の個人スタジオにトラックダウン(音楽のミキシング)の方法を習いに行ったのもその一つである。そこのスタジオの持ち主は私の先々のことも心配してくれ、半ば同情心もあったのであろうが「ウチの名前を出していいよ」と職歴を捏造することを勧めてきた。それは罪だ、と私にはハッキリ判った。でも私はその唆しに乗った。もう就職活動でどん詰まっていたというのは勿論あった。けれど、スタジオ主の言ったことはその人の罪としてあるにしても、それを実行した私の罪は私自身の罪なのだ。ましてや私は、聖書を読んで罪の基準を知っていたのだから、弁解の余地はなかった。創世記3章で、神に禁じられていた園の中央の木の果実を食べた口実を「蛇がだましたので、食べてしまいました」 と答えたエバと私は全く同罪である。
それでも神は憐れみにより、映像のポストプロダクションのバイトを、その後にはBGM制作(主に選曲)の正社員の仕事を下さった。大変ながらもやり甲斐のある仕事であったのは確かだ。しかし(今思えば)定められた時に、神様は私に精神の病を発症させた。そして定年により先に山梨に来ていた両親の元へ身を寄せることになった。「転落人生」と傍目には映るであろう。因果応報と思う方もいるかもしれない。もう山梨に来て二十年が経った。今は障害者の作業所で働き、障害年金暮らしである。でも私は、今の地位まで突き落とされたことに、逆に神の誠実さと本当の意味での憐れみを感じる。私に言えるのはここまでである。
塚本邦雄『汨羅變』
この一首を読んでまず思ったのは、創世記のエサウが空腹に耐えかねてレンズ豆の煮物と引き換えに弟ヤコブに長子の権利を譲り渡してしまうエピソードである。少し引用する。
二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。 イサクはエサウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである。しかし、リベカはヤコブを愛した。ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。エサウはヤコブに言った。「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。ヤコブは言った。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。(創世記25章27〜34節)
掲出歌「雨に負け風に敗れて」は当然、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を踏まえているのだろう。そうそう高潔には生きられない、生きていれば「一皿のブイヤベース」と引き換えに、これだけは譲れないと思っていた信念を曲げてしまうこともあるのではないか、とやや自虐味を交じえながら人間の悲哀を詠った一首である。
私の母教会は、主日礼拝を重んじるため、また伝道活動に勤しむために、忙し過ぎたり日曜出勤のあったりする仕事は辞めて他の仕事に変えることを推奨している教会であった(今はどうか知らない)。振り返ってみれば自分の不器用さのためと分かるのだが、私は社会人になってから四年ほどは仕事で上手くいかず、勤務時間も長すぎると母教会の信徒にクレームされたのもあり、転職を繰り返した。私としては、皆んな会社を辞めるように言ったのに現実的には何も助けてくれないじゃん……と内心不満たらたらで、社会人三年目には二進も三進も行かなくなり母教会を一時離れた。イザヤ書47章13節「助言が多すぎて、お前は弱ってしまった」の通りの状態だったのである。今となれば、「助言」や「提案」は、「指示」や「命令」とは違ったのだなぁと分かるのだが、当時の私は具体に飛びつく奴隷根性の塊でしかなかった。
社会人三年目に派遣会社に登録して事務の仕事をしていた時、私は(どうせ神様から離れちゃったんだし、こうなったら思いっきり好きと思えることを試してみよう)と、昼食代を大幅にケチって色々習い事をした。都内某所の個人スタジオにトラックダウン(音楽のミキシング)の方法を習いに行ったのもその一つである。そこのスタジオの持ち主は私の先々のことも心配してくれ、半ば同情心もあったのであろうが「ウチの名前を出していいよ」と職歴を捏造することを勧めてきた。それは罪だ、と私にはハッキリ判った。でも私はその唆しに乗った。もう就職活動でどん詰まっていたというのは勿論あった。けれど、スタジオ主の言ったことはその人の罪としてあるにしても、それを実行した私の罪は私自身の罪なのだ。ましてや私は、聖書を読んで罪の基準を知っていたのだから、弁解の余地はなかった。創世記3章で、神に禁じられていた園の中央の木の果実を食べた口実を「蛇がだましたので、食べてしまいました」 と答えたエバと私は全く同罪である。
それでも神は憐れみにより、映像のポストプロダクションのバイトを、その後にはBGM制作(主に選曲)の正社員の仕事を下さった。大変ながらもやり甲斐のある仕事であったのは確かだ。しかし(今思えば)定められた時に、神様は私に精神の病を発症させた。そして定年により先に山梨に来ていた両親の元へ身を寄せることになった。「転落人生」と傍目には映るであろう。因果応報と思う方もいるかもしれない。もう山梨に来て二十年が経った。今は障害者の作業所で働き、障害年金暮らしである。でも私は、今の地位まで突き落とされたことに、逆に神の誠実さと本当の意味での憐れみを感じる。私に言えるのはここまでである。
進めない日は進まない ぶらんこを後ろに漕げば空が近づく
いきなり私事で始める非礼を詫びつつ筆を執る。以前から私は体力に自信のある方ではなかったが、ここ三年ほどはとみに身体の衰えを実感するようになった。そんな私に、美好の一首はとても慕わしい。あぁそれで良いのだな、と安心させられるのだ。美好が真摯な信仰を抱いているのはTwitterの呟きの端々から明らかだが、掲出歌では聖書的な語句をあえて使わず、主への信頼の気持ちを現代の日常的なものに置き換えて表しており、信仰のない方にも届く射程を備えた一首になっていると思う。
出エジプト記は、飢饉のためにエジプトに移住していたイスラエルの民がファラオの圧政から逃れるためにエジプトを脱出し、約束のカナンの地へ向かった歩みの初期の頃を綴った書である。出エジプト記40章34〜38節に、「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである」とある。
私の日常は、週の半分において作業所への通所をし、残りの半分は身の回りの雑務をする他は、短歌作りや読書、執筆、ポストカード作成、手紙書きなどを行なっている。作業所へ通所しない所謂オフの日は、溜まった疲労感と共に、やらなければいけないこと及びやりたいことの数々に圧倒されて、頭の中ではぐるぐる思い巡らしてはいるものの傍目には横になっているようにしか見えないことも多いと思う。現在の母は以前ほど干渉しなくなってきたが、日々寝込んでいるだけに見える私に「情けない!」「呆れた!」を連発していて、ただでも疲れているのにそれに追い討ちで過重をかけてくるようなところがあった。
「怠けている」という人からのジャッジに怯えて自己証明のために行動に走っても、ただそういう自分への誇りになるだけである。見下しへの抗いが動機だと内面に怒りが蓄積されるように思う。時には有言実行になれないことが出てきてもある程度致し方ない。それよりも、自分の非は非と認め、軌道修正していくことの方がより重要な気がする。
旧約に散見される「雲の柱」に纏わる聖句は、若い頃はよく解らない感じがしていた。いつの間にか私も性急に成果を求める結果偏重なマインドセットが醸成されてきていたのかもしれない。でも最近は、人にはどう見えようと主と共に歩むことの大切さを噛み締めながら暮らしている。モーセやイスラエルの民と歩まれた主をいつも覚えて生活していけますようにと裡に祈りつつ、次の御言葉を心に留めたい。
人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。(箴言 16章9節)
美好ゆか(2022年5月6日のTwitterより)
いきなり私事で始める非礼を詫びつつ筆を執る。以前から私は体力に自信のある方ではなかったが、ここ三年ほどはとみに身体の衰えを実感するようになった。そんな私に、美好の一首はとても慕わしい。あぁそれで良いのだな、と安心させられるのだ。美好が真摯な信仰を抱いているのはTwitterの呟きの端々から明らかだが、掲出歌では聖書的な語句をあえて使わず、主への信頼の気持ちを現代の日常的なものに置き換えて表しており、信仰のない方にも届く射程を備えた一首になっていると思う。
出エジプト記は、飢饉のためにエジプトに移住していたイスラエルの民がファラオの圧政から逃れるためにエジプトを脱出し、約束のカナンの地へ向かった歩みの初期の頃を綴った書である。出エジプト記40章34〜38節に、「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである」とある。
私の日常は、週の半分において作業所への通所をし、残りの半分は身の回りの雑務をする他は、短歌作りや読書、執筆、ポストカード作成、手紙書きなどを行なっている。作業所へ通所しない所謂オフの日は、溜まった疲労感と共に、やらなければいけないこと及びやりたいことの数々に圧倒されて、頭の中ではぐるぐる思い巡らしてはいるものの傍目には横になっているようにしか見えないことも多いと思う。現在の母は以前ほど干渉しなくなってきたが、日々寝込んでいるだけに見える私に「情けない!」「呆れた!」を連発していて、ただでも疲れているのにそれに追い討ちで過重をかけてくるようなところがあった。
「怠けている」という人からのジャッジに怯えて自己証明のために行動に走っても、ただそういう自分への誇りになるだけである。見下しへの抗いが動機だと内面に怒りが蓄積されるように思う。時には有言実行になれないことが出てきてもある程度致し方ない。それよりも、自分の非は非と認め、軌道修正していくことの方がより重要な気がする。
旧約に散見される「雲の柱」に纏わる聖句は、若い頃はよく解らない感じがしていた。いつの間にか私も性急に成果を求める結果偏重なマインドセットが醸成されてきていたのかもしれない。でも最近は、人にはどう見えようと主と共に歩むことの大切さを噛み締めながら暮らしている。モーセやイスラエルの民と歩まれた主をいつも覚えて生活していけますようにと裡に祈りつつ、次の御言葉を心に留めたい。
人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。(箴言 16章9節)
外出は禁止となりて二年過ぎ窓に見上ぐる雲に乗りたし
とても平明ながら胸を打つ一首である。おそらくご高齢の方で施設などに入所されていて、コロナウイルス感染症の拡大により外出の禁止が課されているのだろう。ご自分が出かけられないだけでなく、今はご家族の方々との面会もできない所が殆どと聞く。施設内に籠って鬱々と部屋の窓から外を眺め、雲が空を自在に動いていく様に遠く憧れるような情感が言い表されていて切実である。
雲は身近に神の存在を感じさせる風物だと思う。私は20代の頃から雲を眺めるのが好きだった。雲は傍目にはゆっくり動いているように見えるが、その実結構なスピードで進んでいる。神様が働かれる時というのはそれに似ていて、遅々として一向に進まぬと見えたものが急に展開する感じがする。
有名な詩編18編の10〜11節「主は天を傾けて降り 密雲を足もとに従え ケルブを駆って飛び 風の翼に乗って行かれる」は、新改訳第三版では「主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。主は、ケルブに乗って飛び、風の翼に乗って飛びかけられた」(9〜10節)となっている。「天を押し曲げて」でも降りて来られたというのは、相当なことではないだろうか。神様は、あまりにも私達を愛していて、その一番大切な御子を地上に降ろしてくださったのだ。18篇19節(新改訳)では「主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから」と書かれている。
コロナ禍がいつ収束するか、先は見えない。閉鎖された空間の中で、ジリジリとした焦燥感に包まれて生活している方も多いに違いない。私は、その方々に何もできない無力な者である。ただ、窓から見える空の青さや陽射しの確かさ、雲の形などが、天の父なる神様から来るものとして、安らぎが感じられますようにと願うばかりである。一つ詩篇の御言葉を引いて、結びに代えたい。
* * *
主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだときに。(新改訳第三版 詩篇33篇22節)
小林捷恵(『信徒の友』2022年2月号「読者文芸」欄より)
とても平明ながら胸を打つ一首である。おそらくご高齢の方で施設などに入所されていて、コロナウイルス感染症の拡大により外出の禁止が課されているのだろう。ご自分が出かけられないだけでなく、今はご家族の方々との面会もできない所が殆どと聞く。施設内に籠って鬱々と部屋の窓から外を眺め、雲が空を自在に動いていく様に遠く憧れるような情感が言い表されていて切実である。
雲は身近に神の存在を感じさせる風物だと思う。私は20代の頃から雲を眺めるのが好きだった。雲は傍目にはゆっくり動いているように見えるが、その実結構なスピードで進んでいる。神様が働かれる時というのはそれに似ていて、遅々として一向に進まぬと見えたものが急に展開する感じがする。
有名な詩編18編の10〜11節「主は天を傾けて降り 密雲を足もとに従え ケルブを駆って飛び 風の翼に乗って行かれる」は、新改訳第三版では「主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。主は、ケルブに乗って飛び、風の翼に乗って飛びかけられた」(9〜10節)となっている。「天を押し曲げて」でも降りて来られたというのは、相当なことではないだろうか。神様は、あまりにも私達を愛していて、その一番大切な御子を地上に降ろしてくださったのだ。18篇19節(新改訳)では「主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから」と書かれている。
コロナ禍がいつ収束するか、先は見えない。閉鎖された空間の中で、ジリジリとした焦燥感に包まれて生活している方も多いに違いない。私は、その方々に何もできない無力な者である。ただ、窓から見える空の青さや陽射しの確かさ、雲の形などが、天の父なる神様から来るものとして、安らぎが感じられますようにと願うばかりである。一つ詩篇の御言葉を引いて、結びに代えたい。
* * *
主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだときに。(新改訳第三版 詩篇33篇22節)
取税人マタイ登りし木のように悲を抱きとる人となりたし
私が住んでいる市の市民生活課がゴミの処理などについての情報発信しているプリントが二枚、私の手許に取ってある。内の一枚は2020年8月発行の号で、プリントの裏面には【プラスチックごみの削減に向けて…「今日からはじめる10のこと」】というリストが掲載されている。なるほどなぁと思う項目もあるのだが、その中の「テイクアウトを減らし、お弁当を作る」の項に私はギョッとした。趣旨は分かる。使い捨てのお弁当箱がプラスチック製であることが多いから、無闇にテイクアウトを買ってプラスチックごみを増やさない方が良いということだろう。しかし、あまり親切な提案ではないなと思った。折も折、コロナ禍真っ只中に発行された号である。外食の自粛の呼びかけ、飲食店への時短営業あるいは営業停止要請などがされているさ中、テイクアウトに望みを繋いだ飲食店や居酒屋なども少なくなかった筈だ。
まぁそれは一例なのだが、毎日の暮らしの中では色々判断に迷うシチュエーションも出てくる。あることは、Aという便利さ・利点などがあるが、一方でBという負の側面もある——ある行為を選び取ればそれに批判的な人からの風当たりもあるというのは、誰しもが日々経験していることではないだろうか。松村は、某新聞社の記者を務めていた。それゆえ、経済発展などあることを推進した結果としての〈負の遺産〉や、様々な価値観の人がすれ違う中で生まれる軋轢を熟知しており、そうした中でも生き抜いていかなければならないことへの無力感・寄る辺なさを描いて秀逸である。
プラスチックだらけの日々は層を成しなだれ込むなり亀の胃壁へ
深海に死の灰のごと降り続くプラスチックのマイクロ破片
絶滅危惧種なること母に言いたれど鰻重届いてしまう帰省日
プラスチックは象牙の代替品なりき罪の連鎖は果てなく続く
私は、イエス様が地上に生きていらした頃はどのように過ごされていたのかなぁ、とふと考える。イエス様はいつも群衆から称賛されていたわけではない。批判・やっかみと隣り合わせであったことが、福音書を読んでいて分かる。書き始めると切りがないので、ここでは二つの出来事を引用するに留める。
* * *
イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。 「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。イエスは言われた。 「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」 (マルコによる福音書14章3〜9節)
* * *
イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。 「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」 (ルカによる福音書19章1〜10節)
* * *
掲出歌の「取税人マタイ」とは、マタイによる福音書9章9〜13節に登場する。イエスは、徴税人マタイが収税所に座っているのを見かけて声をかけ、マタイは主に従い弟子となる。前掲のルカによる福音書19章の徴税人ザアカイとは別人物のようであるが、境遇や周囲から受ける蔑みの目などにおいてザアカイとマタイには似通ったものがあったであろう。確かにベタニアの女(マルコによる福音書14章)の主に捧げた香油は贅沢品であったかもしれない。またザアカイ(ルカによる福音書19章)がイエスの前に公言した約束は、傍から見れば(また何でも金で解決しようとして……!)と見えたかもしれない。しかしイエスは二人を裁かなかった。
コリントの信徒への手紙 二 9章7節に「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです」という御言葉がある。イエスは細かい掟で人を雁字搦めにしない。マルコによる福音書12:29〜31にあるように、神である主を愛すること、隣人を自分のように愛すること以上の負担を与えないのである。生きづらいこの世で、負いやすい軛・軽い荷を与えてくれる主(マタイによる福音書11章28〜30節)を知らされていることは、私にとって最大の幸せである。
松村自身が聖書に通暁しているのは歌集から読み取れるが、この世の理不尽な現実を前に信仰の道を選び取れてはいないようだ。それでも、取税人マタイが登った木のように、周囲からの偏見と非難の目に晒されて生きている人の「悲」を抱きとる人となりたいという松村の気持ちは、読み手の心にしんと沁み渡ってくる。
松村由利子『光のアラベスク』
私が住んでいる市の市民生活課がゴミの処理などについての情報発信しているプリントが二枚、私の手許に取ってある。内の一枚は2020年8月発行の号で、プリントの裏面には【プラスチックごみの削減に向けて…「今日からはじめる10のこと」】というリストが掲載されている。なるほどなぁと思う項目もあるのだが、その中の「テイクアウトを減らし、お弁当を作る」の項に私はギョッとした。趣旨は分かる。使い捨てのお弁当箱がプラスチック製であることが多いから、無闇にテイクアウトを買ってプラスチックごみを増やさない方が良いということだろう。しかし、あまり親切な提案ではないなと思った。折も折、コロナ禍真っ只中に発行された号である。外食の自粛の呼びかけ、飲食店への時短営業あるいは営業停止要請などがされているさ中、テイクアウトに望みを繋いだ飲食店や居酒屋なども少なくなかった筈だ。
まぁそれは一例なのだが、毎日の暮らしの中では色々判断に迷うシチュエーションも出てくる。あることは、Aという便利さ・利点などがあるが、一方でBという負の側面もある——ある行為を選び取ればそれに批判的な人からの風当たりもあるというのは、誰しもが日々経験していることではないだろうか。松村は、某新聞社の記者を務めていた。それゆえ、経済発展などあることを推進した結果としての〈負の遺産〉や、様々な価値観の人がすれ違う中で生まれる軋轢を熟知しており、そうした中でも生き抜いていかなければならないことへの無力感・寄る辺なさを描いて秀逸である。
プラスチックだらけの日々は層を成しなだれ込むなり亀の胃壁へ
深海に死の灰のごと降り続くプラスチックのマイクロ破片
絶滅危惧種なること母に言いたれど鰻重届いてしまう帰省日
プラスチックは象牙の代替品なりき罪の連鎖は果てなく続く
私は、イエス様が地上に生きていらした頃はどのように過ごされていたのかなぁ、とふと考える。イエス様はいつも群衆から称賛されていたわけではない。批判・やっかみと隣り合わせであったことが、福音書を読んでいて分かる。書き始めると切りがないので、ここでは二つの出来事を引用するに留める。
* * *
イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。 「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。イエスは言われた。 「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」 (マルコによる福音書14章3〜9節)
* * *
イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。 「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」 (ルカによる福音書19章1〜10節)
* * *
掲出歌の「取税人マタイ」とは、マタイによる福音書9章9〜13節に登場する。イエスは、徴税人マタイが収税所に座っているのを見かけて声をかけ、マタイは主に従い弟子となる。前掲のルカによる福音書19章の徴税人ザアカイとは別人物のようであるが、境遇や周囲から受ける蔑みの目などにおいてザアカイとマタイには似通ったものがあったであろう。確かにベタニアの女(マルコによる福音書14章)の主に捧げた香油は贅沢品であったかもしれない。またザアカイ(ルカによる福音書19章)がイエスの前に公言した約束は、傍から見れば(また何でも金で解決しようとして……!)と見えたかもしれない。しかしイエスは二人を裁かなかった。
コリントの信徒への手紙 二 9章7節に「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです」という御言葉がある。イエスは細かい掟で人を雁字搦めにしない。マルコによる福音書12:29〜31にあるように、神である主を愛すること、隣人を自分のように愛すること以上の負担を与えないのである。生きづらいこの世で、負いやすい軛・軽い荷を与えてくれる主(マタイによる福音書11章28〜30節)を知らされていることは、私にとって最大の幸せである。
松村自身が聖書に通暁しているのは歌集から読み取れるが、この世の理不尽な現実を前に信仰の道を選び取れてはいないようだ。それでも、取税人マタイが登った木のように、周囲からの偏見と非難の目に晒されて生きている人の「悲」を抱きとる人となりたいという松村の気持ちは、読み手の心にしんと沁み渡ってくる。
会食も茶会も中止の降誕節クリスマスカラーの菓子袋受く
今年の9月上旬、コロナ禍の教会でのクリスマスについて一本は一首鑑賞を書いておきたいと思って、『信徒の友』のバックナンバーの文芸欄を見直していた。角田の掲出歌もそのうちの一首で、ああ2020年のわがN教会も同じことをしたよなぁと感慨にふけった。自然と今年のクリスマスの祝会は開催するのか否かなどに思いが及び、どう考えても愛餐会・祝会は無理ではないだろうかと考えを巡らすうちに、今年のクリスマス礼拝後に配るお菓子袋に入れる俳句のミニカードを思いついて、半ば操られるかのようにパソコンを起動し、その原案をすぐ作ってしまった。
その俳句は、高田たづ子氏の「クリスマス地球にリボンかけるかな」という句である。私は俳句は余技程度の嗜みしかないが、2018年のバザー向けに俳句のアドヴェントカレンダーを作成・出品した関係で、クリスマスの俳句だけはネットを駆使して調べ尽くしていたので、俳句のミニカードの案を思いついた時には高田の俳句がパッと浮かんだ。翌週半ばに教会へ週報などを取りに行った際に、牧師先生にクリスマス礼拝関係の事柄の見込みをお尋ねした上で、一応形になった原案をワープロソフトで開いた状態のパソコン画面をスマホで撮影した写真をお目にかけ、「もし祝会ができそうもなかったら、こういうミニカードを菓子袋に入れるのもいいんじゃないかと、勝手に作りました。ただご提案です」と申し上げた。牧師先生は少し煙に包まれたかのような顔つきをなさっていたが、とりあえず話はそこまでにして私は帰った。
2020年春先からのコロナウイルスの急速な感染拡大に伴い、イースター愛餐会・祝会も中止になったが、実はその祝会は私の所属する委員会が計画していた。2019年の年末の委員会で私は目玉企画「イースター俳句穴埋めクイズ」を提案し、俳句選び・出題の仕方など着々と準備を進めていたので、出鼻を挫かれた感が強かったが勿論このようなご時世では仕方ない。感染者数は上下しつつも状況は収束に向かわず、2020年のクリスマスも、2021年のイースターも、結局愛餐会・祝会は行われず、今年の11月の長老会で2021年のクリスマスも愛餐会・祝会は行われないことが決定した。私はクリスマス菓子袋用のミニカード原案を完成させ、そのプリントアウトを三枚、牧師先生・牧師夫人・委員長にご確認いただくために11月最後の礼拝に持参した。お菓子の準備・ラッピングは牧師夫人と委員長でするということだった。私はクリスマス礼拝の当日を楽しみに待った。
クリスマス礼拝は“密”を避けるために、二回に分けて行われた。私は二回目の礼拝に出席した。二回目の礼拝の当番で受付をなさっていた委員長が開口一番「凄く可愛いよ!」と仰った。帰りに一つお土産のお菓子をいただいた。それがこれである。




ミニカードの裏面には、「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」 (コロサイの信徒への手紙3章14節)という聖句も印字した。——コロナウイルス感染症がいつ収束するのかは分からない。けれど、地球上の皆さんをイエスの愛が包んでいてくださいますように、との願いをささやかなカードに込めた。
『信徒の友』2021年11月号文芸欄に、八ヶ岳というペンネームの方の「教会で集いて川柳作りたい」という川柳が掲載されていたが、まさに我が意を得たり、と思った。教会の祝会で俳句穴埋めクイズができる日が早く来ますように、と心から願う。
角田靜恵(『信徒の友』2021年4月号「読者文芸」欄より)
今年の9月上旬、コロナ禍の教会でのクリスマスについて一本は一首鑑賞を書いておきたいと思って、『信徒の友』のバックナンバーの文芸欄を見直していた。角田の掲出歌もそのうちの一首で、ああ2020年のわがN教会も同じことをしたよなぁと感慨にふけった。自然と今年のクリスマスの祝会は開催するのか否かなどに思いが及び、どう考えても愛餐会・祝会は無理ではないだろうかと考えを巡らすうちに、今年のクリスマス礼拝後に配るお菓子袋に入れる俳句のミニカードを思いついて、半ば操られるかのようにパソコンを起動し、その原案をすぐ作ってしまった。
その俳句は、高田たづ子氏の「クリスマス地球にリボンかけるかな」という句である。私は俳句は余技程度の嗜みしかないが、2018年のバザー向けに俳句のアドヴェントカレンダーを作成・出品した関係で、クリスマスの俳句だけはネットを駆使して調べ尽くしていたので、俳句のミニカードの案を思いついた時には高田の俳句がパッと浮かんだ。翌週半ばに教会へ週報などを取りに行った際に、牧師先生にクリスマス礼拝関係の事柄の見込みをお尋ねした上で、一応形になった原案をワープロソフトで開いた状態のパソコン画面をスマホで撮影した写真をお目にかけ、「もし祝会ができそうもなかったら、こういうミニカードを菓子袋に入れるのもいいんじゃないかと、勝手に作りました。ただご提案です」と申し上げた。牧師先生は少し煙に包まれたかのような顔つきをなさっていたが、とりあえず話はそこまでにして私は帰った。
2020年春先からのコロナウイルスの急速な感染拡大に伴い、イースター愛餐会・祝会も中止になったが、実はその祝会は私の所属する委員会が計画していた。2019年の年末の委員会で私は目玉企画「イースター俳句穴埋めクイズ」を提案し、俳句選び・出題の仕方など着々と準備を進めていたので、出鼻を挫かれた感が強かったが勿論このようなご時世では仕方ない。感染者数は上下しつつも状況は収束に向かわず、2020年のクリスマスも、2021年のイースターも、結局愛餐会・祝会は行われず、今年の11月の長老会で2021年のクリスマスも愛餐会・祝会は行われないことが決定した。私はクリスマス菓子袋用のミニカード原案を完成させ、そのプリントアウトを三枚、牧師先生・牧師夫人・委員長にご確認いただくために11月最後の礼拝に持参した。お菓子の準備・ラッピングは牧師夫人と委員長でするということだった。私はクリスマス礼拝の当日を楽しみに待った。
クリスマス礼拝は“密”を避けるために、二回に分けて行われた。私は二回目の礼拝に出席した。二回目の礼拝の当番で受付をなさっていた委員長が開口一番「凄く可愛いよ!」と仰った。帰りに一つお土産のお菓子をいただいた。それがこれである。




ミニカードの裏面には、「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」 (コロサイの信徒への手紙3章14節)という聖句も印字した。——コロナウイルス感染症がいつ収束するのかは分からない。けれど、地球上の皆さんをイエスの愛が包んでいてくださいますように、との願いをささやかなカードに込めた。
『信徒の友』2021年11月号文芸欄に、八ヶ岳というペンネームの方の「教会で集いて川柳作りたい」という川柳が掲載されていたが、まさに我が意を得たり、と思った。教会の祝会で俳句穴埋めクイズができる日が早く来ますように、と心から願う。
空間の歪みを感じ蹲るJacob's ladder(ヤコブズ ラダー)今降(くだ)り来よ
歌集全体から、伊津野が家族の憎しみ合いに巻き込まれて生きてきたこと、その呪縛から解き放たれていないこと、そしてその苦しみを聖書の神にひたすらにぶつけて、手を伸べ続けたことが伝わってくる。
ちちあにをうちあにわたしうちなにをわたしはうてばいいの はるにれ
上の一首を一読、(うっ……)となった。私はこのことを自分語り以外で書く術を知らない。私の父と母の仲は険悪だった。父は酒を呑んで暴れ、母に物を投げたり殴ったりはほぼ毎日のことだった。暴力に必死に抗する母に父は「お前は女で年下だ。俺のお蔭でお前は食べられてるんだ。だからお前を殴ってもいい」といつも嘯いていた。私と兄は年子で、私が生意気だったこともあり、兄は私をよく殴った。そして父と(生計のこと以外は)同様の論理を振り翳した。私は兄に殴られるたびに泣いて母に助けを求めていたが、毎日の泣き喚きにうんざりした母はある時「お兄ちゃんは馬鹿なんだから、あんたが我慢すればいいのよ」と言った。それを聞いて、私の中であるものがプチンと切れた。ああ泣くのは無駄なんだ、と悟ったような気持ちになった。私はもう無駄に涙を流すことは無くなった。しかし暴力的な父は、私が兄に殴られているのを知ると、怒って兄を殴った。すると兄は「お前のせいで俺が殴られた!」とまた暴力を振るった。そのうち兄は、お前が存在するから俺が殴られるんだ、お前さえいなければいいんだ、という論理に移っていった。私は蔭で兄に暴力を振るわれつつ、それを誰にもバレないように押し殺して生活した。私は、どんな痛みにも無感覚になっていった。テレビで残虐な映像が流れようとも(人生そんなもの、世界ってそんなもの)と開き直っていった。小学校に入ってしばらくすると、仲のいい家族というのが世の中に存在することを知り、(気っ持ち悪りぃ……演技じゃねぇ?)と僻みっぽい目で見ていた。私が自分の気持ちを話すことができるようになったのは、大学3年の時身体を壊して休部していた間に聖書を勉強してからである。
創世記25章19節以降、創世記の筆はヤコブ(後のイスラエル)に焦点を定めて描かれていく。ヤコブの母リベカは兄のエサウよりも弟のヤコブを愛し、一計を案じて弟ヤコブに長子としての祝福を騙し取らせた。エサウの怒りは母リベカには全く向かわず、父イサクの死後ヤコブを殺してやろうという憎しみを腹に蓄えていった。それを知ったリベカは、ハランにいる彼女の兄ラバンの許にヤコブを逃がすことを思いつき、ヤコブは逃亡を余儀なくされた。(創世記27章41〜45節)
話が脱線するが、私は昨秋、精神症状を大きく持ち崩し、家では日々母と大喧嘩になっていた。お互いに逆上して過去を蒸し返す中で、私が中高のころ風呂に入っている最中に兄に風呂のボイラーを消されたことがたびたびあった事実に触れた。そして、兄が居間にいる気配がしなくなるまでずっとボイラーを点け直しにいくことができず、冷えていく風呂の中で約2時間耐えて待っていたが、それをずっと父母に隠してきたことを話したら、母に逆ギレされた。「そんなことある筈がない!」と言うのである。私は(そんなことわざわざ作り話で言うかよ……)と思ったし、(母は私に我慢するよう教え込んだくせに、それじゃあ訴え出れば良かったんですかい、どうせ兄の暴力がエスカレートする無限ループでしょうに……)とも思った。まぁ母にどれだけ過去の事情が伝わったかは分からないが、激闘は行けるところまで行って、年明けに終息していった。
掲出歌の「Jacob's ladder(ヤコブズ ラダー)」とは、創世記28章10〜16節に記された、所謂「ヤコブの梯子」と呼ばれているエピソードに基づくものである。少し長いが引用する。
ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。 とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。 すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。 見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。 あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」 ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」
ヤコブは母の依怙贔屓に翻弄されて、兄の妬みと憎しみを一身に背負い、見知らぬ伯父の許に旅立った。逃亡先のハランでも二十年ただ同然で働かされ、苦渋を舐めるが、やがて時満ちて、妻子と多くの財産と共に帰還する。神はハランにたどり着くまでの道で、「地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。」(創世記28章14節)と約束された。
暴力や諍いは弱い者に行き当たるまで止むことがない——実際の世界はそのようである。けれど、神は憎悪の捌け口とされたヤコブを祝福の基とした。聖書を熟読していた伊津野は、そのような神に食らいつくように歌で訴え出た——。今現在の伊津野に平安が訪れたかどうか、その後の消息を私は存じ上げていない。だが、私の人生に介入された神の真実さを思う時、きっと伊津野にも……!と強く思うし、そう願うのである。
伊津野重美『紙ピアノ』
歌集全体から、伊津野が家族の憎しみ合いに巻き込まれて生きてきたこと、その呪縛から解き放たれていないこと、そしてその苦しみを聖書の神にひたすらにぶつけて、手を伸べ続けたことが伝わってくる。
ちちあにをうちあにわたしうちなにをわたしはうてばいいの はるにれ
上の一首を一読、(うっ……)となった。私はこのことを自分語り以外で書く術を知らない。私の父と母の仲は険悪だった。父は酒を呑んで暴れ、母に物を投げたり殴ったりはほぼ毎日のことだった。暴力に必死に抗する母に父は「お前は女で年下だ。俺のお蔭でお前は食べられてるんだ。だからお前を殴ってもいい」といつも嘯いていた。私と兄は年子で、私が生意気だったこともあり、兄は私をよく殴った。そして父と(生計のこと以外は)同様の論理を振り翳した。私は兄に殴られるたびに泣いて母に助けを求めていたが、毎日の泣き喚きにうんざりした母はある時「お兄ちゃんは馬鹿なんだから、あんたが我慢すればいいのよ」と言った。それを聞いて、私の中であるものがプチンと切れた。ああ泣くのは無駄なんだ、と悟ったような気持ちになった。私はもう無駄に涙を流すことは無くなった。しかし暴力的な父は、私が兄に殴られているのを知ると、怒って兄を殴った。すると兄は「お前のせいで俺が殴られた!」とまた暴力を振るった。そのうち兄は、お前が存在するから俺が殴られるんだ、お前さえいなければいいんだ、という論理に移っていった。私は蔭で兄に暴力を振るわれつつ、それを誰にもバレないように押し殺して生活した。私は、どんな痛みにも無感覚になっていった。テレビで残虐な映像が流れようとも(人生そんなもの、世界ってそんなもの)と開き直っていった。小学校に入ってしばらくすると、仲のいい家族というのが世の中に存在することを知り、(気っ持ち悪りぃ……演技じゃねぇ?)と僻みっぽい目で見ていた。私が自分の気持ちを話すことができるようになったのは、大学3年の時身体を壊して休部していた間に聖書を勉強してからである。
創世記25章19節以降、創世記の筆はヤコブ(後のイスラエル)に焦点を定めて描かれていく。ヤコブの母リベカは兄のエサウよりも弟のヤコブを愛し、一計を案じて弟ヤコブに長子としての祝福を騙し取らせた。エサウの怒りは母リベカには全く向かわず、父イサクの死後ヤコブを殺してやろうという憎しみを腹に蓄えていった。それを知ったリベカは、ハランにいる彼女の兄ラバンの許にヤコブを逃がすことを思いつき、ヤコブは逃亡を余儀なくされた。(創世記27章41〜45節)
話が脱線するが、私は昨秋、精神症状を大きく持ち崩し、家では日々母と大喧嘩になっていた。お互いに逆上して過去を蒸し返す中で、私が中高のころ風呂に入っている最中に兄に風呂のボイラーを消されたことがたびたびあった事実に触れた。そして、兄が居間にいる気配がしなくなるまでずっとボイラーを点け直しにいくことができず、冷えていく風呂の中で約2時間耐えて待っていたが、それをずっと父母に隠してきたことを話したら、母に逆ギレされた。「そんなことある筈がない!」と言うのである。私は(そんなことわざわざ作り話で言うかよ……)と思ったし、(母は私に我慢するよう教え込んだくせに、それじゃあ訴え出れば良かったんですかい、どうせ兄の暴力がエスカレートする無限ループでしょうに……)とも思った。まぁ母にどれだけ過去の事情が伝わったかは分からないが、激闘は行けるところまで行って、年明けに終息していった。
掲出歌の「Jacob's ladder(ヤコブズ ラダー)」とは、創世記28章10〜16節に記された、所謂「ヤコブの梯子」と呼ばれているエピソードに基づくものである。少し長いが引用する。
ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。 とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。 すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。 見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。 あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」 ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」
ヤコブは母の依怙贔屓に翻弄されて、兄の妬みと憎しみを一身に背負い、見知らぬ伯父の許に旅立った。逃亡先のハランでも二十年ただ同然で働かされ、苦渋を舐めるが、やがて時満ちて、妻子と多くの財産と共に帰還する。神はハランにたどり着くまでの道で、「地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。」(創世記28章14節)と約束された。
暴力や諍いは弱い者に行き当たるまで止むことがない——実際の世界はそのようである。けれど、神は憎悪の捌け口とされたヤコブを祝福の基とした。聖書を熟読していた伊津野は、そのような神に食らいつくように歌で訴え出た——。今現在の伊津野に平安が訪れたかどうか、その後の消息を私は存じ上げていない。だが、私の人生に介入された神の真実さを思う時、きっと伊津野にも……!と強く思うし、そう願うのである。
今の世にパウロが居たら昼も夜もせっせと手紙書いてるだろう
クリスチャンには「信仰を豊かにする」と銘打たれたキリスト教月刊誌『信徒の友』を定期購読されている方も多いことだろう。忙しい毎日の中だとなかなか隈なく読み尽くすことができずに次の号が届いてしまう、なんてこともあるに違いない。私はどんな雑誌でも特集の方に目が行きがちで、『信徒の友』の聖書日課ページ「日毎の糧」欄をじっくり読むようになったのはここ四、五年くらいではないかと思う。「日毎の糧」欄には一日一軒各地の教会の紹介・祈りの課題が付記されているが、ここにも目が及ぶようになったのは確か私の所属教会の2019年9月1日の礼拝説教がきっかけだったように記憶している。掲出の福山の歌のように、「日毎の糧」欄を見てせっせと毎日葉書をしたためている〈葉書職人〉が各地にいること、中にはご自身の所属教会の礼拝出席者は一名ほどなのに堅く信仰に立って、各地の教会を励ます葉書を書き続けている方がいることに胸を打たれた。
そうは言っても、朝の黙想時間に各教会の紹介を読んでマーカーを引いてちょっと思いを馳せる程度のことをしていた期間が長く続いた。転機は去年の11月15日にやって来た。その日の黙想で『信徒の友』2020年10月号の「日毎の糧」の10月15日の欄に紹介された山口の周防教会の祈りの課題を見て、戦慄した。曰く「ただ助けてください。全国で相次ぐ小教会の無牧・閉鎖。そこはあなたの故郷かもしれません。あなたの教会が安泰ならば、小犬にもパンを!」と。小犬にパン——これは、マタイによる福音書15章21〜28節に基づく訴えである。(——私は安穏としていた——!!)そして年度主題聖句のホセア書10章12節「恵みの業をもたらす種を蒔け 愛の実りを刈り入れよ。新しい土地を耕せ。主を求める時が来た。ついに主が訪れて 恵みの雨を注いでくださるように」が浮かんだ。私は祈りのうちにトラクト(N教会だより)とFEBCラジオの番組表を送ることに決めた。諸用に追われながらの生活で、『信徒の友』「日毎の糧」欄掲載の全軒にはとても送れないので、祈りながらいくつか教会を選び、手紙を添えて送る——そんなことを繰り返し、半年が経過したところである。
N教会の皆さんは、私が聖書に物凄く詳しいという印象を抱いているようだが、これは別に能力とかそういう問題ではない。少し私の母教会の話をする。母教会では、同じグループの方の誕生日や洗礼日、あるいは特定の記念日でなくても折に触れ自発的にポストカードを贈る習慣があった。自分の気持ちや相手を励ます言葉、時には叱咤の言葉を、吟味の上で必ず聖句も書き添えて贈っていた。文章を書くのが上手な人や社交的な人に限らず、教会全体がこういう交流をしていたのである。ローマの信徒への手紙15章14節でパウロが「兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています」と書いているが、そうした交流を通じて、いくら自分がつぶさに聖書を読んでいても出会えない御言葉に幾度も〈邂逅〉した。
ここまでの文章を読んだ皆さんが引け目とか圧迫感をお感じになっていないことを私は祈る。当然、私も最初は聖書に詳しくなかった。でも何とか主にある兄弟姉妹を励まそうと思い、色々な相手のことを考えて聖書をたくさん開いた。今あるのはただその結果なのである。求めれば与えられる、という御言葉は真実である。それでも「そんなに簡単に言わないで……!」と難色を示す方もいらっしゃると思うので、二つほど聖句を引いておく。
* * *
わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。 良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。 (ヤコブの手紙1章16〜17節)
* * *
ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。 (ヨハネによる福音書3章27節)
福山理花(『信徒の友』2020年10月号読者文芸[短歌]欄)
クリスチャンには「信仰を豊かにする」と銘打たれたキリスト教月刊誌『信徒の友』を定期購読されている方も多いことだろう。忙しい毎日の中だとなかなか隈なく読み尽くすことができずに次の号が届いてしまう、なんてこともあるに違いない。私はどんな雑誌でも特集の方に目が行きがちで、『信徒の友』の聖書日課ページ「日毎の糧」欄をじっくり読むようになったのはここ四、五年くらいではないかと思う。「日毎の糧」欄には一日一軒各地の教会の紹介・祈りの課題が付記されているが、ここにも目が及ぶようになったのは確か私の所属教会の2019年9月1日の礼拝説教がきっかけだったように記憶している。掲出の福山の歌のように、「日毎の糧」欄を見てせっせと毎日葉書をしたためている〈葉書職人〉が各地にいること、中にはご自身の所属教会の礼拝出席者は一名ほどなのに堅く信仰に立って、各地の教会を励ます葉書を書き続けている方がいることに胸を打たれた。
そうは言っても、朝の黙想時間に各教会の紹介を読んでマーカーを引いてちょっと思いを馳せる程度のことをしていた期間が長く続いた。転機は去年の11月15日にやって来た。その日の黙想で『信徒の友』2020年10月号の「日毎の糧」の10月15日の欄に紹介された山口の周防教会の祈りの課題を見て、戦慄した。曰く「ただ助けてください。全国で相次ぐ小教会の無牧・閉鎖。そこはあなたの故郷かもしれません。あなたの教会が安泰ならば、小犬にもパンを!」と。小犬にパン——これは、マタイによる福音書15章21〜28節に基づく訴えである。(——私は安穏としていた——!!)そして年度主題聖句のホセア書10章12節「恵みの業をもたらす種を蒔け 愛の実りを刈り入れよ。新しい土地を耕せ。主を求める時が来た。ついに主が訪れて 恵みの雨を注いでくださるように」が浮かんだ。私は祈りのうちにトラクト(N教会だより)とFEBCラジオの番組表を送ることに決めた。諸用に追われながらの生活で、『信徒の友』「日毎の糧」欄掲載の全軒にはとても送れないので、祈りながらいくつか教会を選び、手紙を添えて送る——そんなことを繰り返し、半年が経過したところである。
N教会の皆さんは、私が聖書に物凄く詳しいという印象を抱いているようだが、これは別に能力とかそういう問題ではない。少し私の母教会の話をする。母教会では、同じグループの方の誕生日や洗礼日、あるいは特定の記念日でなくても折に触れ自発的にポストカードを贈る習慣があった。自分の気持ちや相手を励ます言葉、時には叱咤の言葉を、吟味の上で必ず聖句も書き添えて贈っていた。文章を書くのが上手な人や社交的な人に限らず、教会全体がこういう交流をしていたのである。ローマの信徒への手紙15章14節でパウロが「兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています」と書いているが、そうした交流を通じて、いくら自分がつぶさに聖書を読んでいても出会えない御言葉に幾度も〈邂逅〉した。
ここまでの文章を読んだ皆さんが引け目とか圧迫感をお感じになっていないことを私は祈る。当然、私も最初は聖書に詳しくなかった。でも何とか主にある兄弟姉妹を励まそうと思い、色々な相手のことを考えて聖書をたくさん開いた。今あるのはただその結果なのである。求めれば与えられる、という御言葉は真実である。それでも「そんなに簡単に言わないで……!」と難色を示す方もいらっしゃると思うので、二つほど聖句を引いておく。
* * *
わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。 良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。 (ヤコブの手紙1章16〜17節)
* * *
ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。 (ヨハネによる福音書3章27節)
普段ならお酒をちびちび飲むけれど行くあてもない午後八時半
一ヶ月ほど前だったろうか、運転して帰ってくるとうちの駐車場に缶が二つ転がっているのが見えた。それでとりあえず駐車場の前に停車し、(本当なら家のゴミ箱に捨てるべきなのだろうが)我が家の向かいの美容院の自販機の隣にあるゴミ箱のところに缶を持って行った。ゴミ箱は缶で満杯になっていた。それでも無理矢理ねじ込もうとして投入口のところの缶をよく見ると、ビールの缶だった。当然その自販機で売られているものではない。自分が横着してうちの駐車場の缶ゴミをそこに入れたのは差し置いて、何だか苦々しい気持ちになった一件であった。
4月25日、東京・大阪など4都府県に緊急事態宣言が出され、酒類提供の飲食店へ休業要請がされた。しかし緊急事態宣言発出後ある程度の感染者減が見られても、宣言解除で街に人が溢れると再び感染者が激増し……ということを繰り返していると、長く行動を制限される中でのストレスも爆発し、半ばやけばちに刹那的にアルコールに走る心情も解らなくはない。蔓延防止措置などが講じられても人出が収まらず、都心の繁華街で路上飲みをして暴れる人達を槍玉に挙げるのもやや躊躇われるのが、昨今ではないだろうか。
掲出歌の作者はお酒がお好きなようである。だが時短営業で飲食店を早々に放り出されてしまうこのご時世、明るく鬱憤を晴らす場もなく、ストレスは内面化し抑圧される一方だ。
世の中ではキリスト教に禁欲的なイメージを抱いている方が多いようだが、それは少し違う。コヘレトの言葉3章12〜13節に「わたしは知った 人間にとって最も幸福なのは 喜び楽しんで一生を送ることだ、と 人だれもが飲み食いし その労苦によって満足するのは 神の賜物だ、と。」とあり、またコヘレトの言葉10章19節には「食事をするのは笑うため。酒は人生を楽しむため。銀はすべてにこたえてくれる」という御言葉もある。またマタイによる福音書11章19節には、「人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」と、イエスがよく弟子達や友人、民衆とお酒を飲んでいた様を表す言葉も見受けられる。
しかしイエスが何の希望もなく貪食・鯨飲に耽っていたのかと考えると、それも違うように思う。ヨハネによる福音書4章31〜34節に〈その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。〉というシーンがあるが、これは五度の結婚の果て今連れ添っている男性は夫君ではないサマリアの女性に御心を伝えた後、心満たされていたイエスの言葉である。
コロナウイルス感染症が収束するのはいつなのか——それは誰にも分からない。いつ止むとも分からない不安・怒り・苦しみで私達は疲弊している。そのような中にあってもしクリスチャンが堂々として見えるとしたら、先のサマリアの女性にイエスが語った御言葉が裡に生きているからに他ならない。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネによる福音書4章 13〜14節)
深水遊脚(2021年4月25日のTwitterより)
一ヶ月ほど前だったろうか、運転して帰ってくるとうちの駐車場に缶が二つ転がっているのが見えた。それでとりあえず駐車場の前に停車し、(本当なら家のゴミ箱に捨てるべきなのだろうが)我が家の向かいの美容院の自販機の隣にあるゴミ箱のところに缶を持って行った。ゴミ箱は缶で満杯になっていた。それでも無理矢理ねじ込もうとして投入口のところの缶をよく見ると、ビールの缶だった。当然その自販機で売られているものではない。自分が横着してうちの駐車場の缶ゴミをそこに入れたのは差し置いて、何だか苦々しい気持ちになった一件であった。
4月25日、東京・大阪など4都府県に緊急事態宣言が出され、酒類提供の飲食店へ休業要請がされた。しかし緊急事態宣言発出後ある程度の感染者減が見られても、宣言解除で街に人が溢れると再び感染者が激増し……ということを繰り返していると、長く行動を制限される中でのストレスも爆発し、半ばやけばちに刹那的にアルコールに走る心情も解らなくはない。蔓延防止措置などが講じられても人出が収まらず、都心の繁華街で路上飲みをして暴れる人達を槍玉に挙げるのもやや躊躇われるのが、昨今ではないだろうか。
掲出歌の作者はお酒がお好きなようである。だが時短営業で飲食店を早々に放り出されてしまうこのご時世、明るく鬱憤を晴らす場もなく、ストレスは内面化し抑圧される一方だ。
世の中ではキリスト教に禁欲的なイメージを抱いている方が多いようだが、それは少し違う。コヘレトの言葉3章12〜13節に「わたしは知った 人間にとって最も幸福なのは 喜び楽しんで一生を送ることだ、と 人だれもが飲み食いし その労苦によって満足するのは 神の賜物だ、と。」とあり、またコヘレトの言葉10章19節には「食事をするのは笑うため。酒は人生を楽しむため。銀はすべてにこたえてくれる」という御言葉もある。またマタイによる福音書11章19節には、「人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」と、イエスがよく弟子達や友人、民衆とお酒を飲んでいた様を表す言葉も見受けられる。
しかしイエスが何の希望もなく貪食・鯨飲に耽っていたのかと考えると、それも違うように思う。ヨハネによる福音書4章31〜34節に〈その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。〉というシーンがあるが、これは五度の結婚の果て今連れ添っている男性は夫君ではないサマリアの女性に御心を伝えた後、心満たされていたイエスの言葉である。
コロナウイルス感染症が収束するのはいつなのか——それは誰にも分からない。いつ止むとも分からない不安・怒り・苦しみで私達は疲弊している。そのような中にあってもしクリスチャンが堂々として見えるとしたら、先のサマリアの女性にイエスが語った御言葉が裡に生きているからに他ならない。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネによる福音書4章 13〜14節)
祝福を受けし子どもらと牧師は透明板隔てエア・タッチする
新型コロナウイルス感染症の拡大は言うまでもなく教会活動全般に影響を及ぼした。昨年4月より教会学校「こどもと大人の礼拝」が休止されたのもその一つである。「当面休止」とされながらも、なかなか再開には至らず一年が経過した。2019年の【0才からのクリスマスコンサート〜えほんとおんがくのおくりもの】が成功裡に終わり、コンサートに大きく関わってくださったDこども園の先生方がその後大勢教会にいらしたり、新しい子ども出席者も来ていたりしていたところの腰折れである。2020年度に入った途端に教会で見かける子ども達が激減したのは当然と言えば当然だが、教会員各々の心の内に大きな痛みをもたらした。
11月は世間でも七五三の時季であるが、わがN教会でも「子ども祝福式」を行なっている。通常であれば参列した子ども一人一人の頭に牧師が手を置いて、神様の子どもとして健やかに歩めるよう祈ってくださるが、昨年度は子ども達を礼拝堂の前の方に呼んだけれども、牧師は子ども達とは距離を取って祝福の祈りをするに留めた。妥当な判断だったと思うが、やはりイエス様が子どもの頭に手を置いて祈ったように牧師に手を置いて祈ってほしかったと残念がる声も聞かれた。掲出歌の岩津氏の教会では、子ども祝福式をアクリルパネルを隔てて行なったようだ。祝福を受けた後の子どもと牧師が手と手を〈エア・タッチ〉をしたというのが何とも粋で、励まされる。短歌文芸欄選者の林あまり氏が「祝福をさえぎるものはありません」と選評を書いていて、本当にそうだなぁと感じ入った。
聖水を亨けしみどり児をこもごもに幸い分くるごとくにいだく /大塚善子『パンの笛』(1997年)
大塚氏のご息女は国際結婚をしてドイツに移住された。上の歌は、大塚氏にとっての孫が幼児洗礼を受ける際にドイツに渡って、その場に立ち会ったことを詠んだ一連のうちに収められている。FEBCラジオの某番組で読まれたリスナーからのお手紙で、コロナのために受洗が延期になったという話があったが、今はあちこちの教会でそういうことが起こっているのかもしれない。大塚氏の歌が詠まれた時分は勿論そんな気兼ねなく受洗したばかりの嬰児を代わる代わる抱かせてもらえて、みんなで喜びを分け合ったのだろう。それがどれほどの恵みであるかということは、今になって私達の胸に迫ってくるのではないか。
幼子は半年ぶりに礼拝に 思わず囲むマスクの我ら /柴田文子(『信徒の友』2021年1月号読者文芸欄より)
わがN教会では3月の長老会で、新年度から教会学校「こどもと大人の礼拝」の再開が決まった。もちろん感染症対策は十分に取られた上での再開である。久々に礼拝にやって来る子ども達に、あまり接近し過ぎないように気遣いながらも、ついつい囲んでしまう。そんな光景がN教会でも生じるのが今から目に浮かぶようだ。どうか、神様の御手がいつも子ども達と共にあって、色々なことがあっても子ども達がのびのびと成長していけるように、と願ってやまない。
岩津美子(『信徒の友』2020年12月号読者文芸欄より)
新型コロナウイルス感染症の拡大は言うまでもなく教会活動全般に影響を及ぼした。昨年4月より教会学校「こどもと大人の礼拝」が休止されたのもその一つである。「当面休止」とされながらも、なかなか再開には至らず一年が経過した。2019年の【0才からのクリスマスコンサート〜えほんとおんがくのおくりもの】が成功裡に終わり、コンサートに大きく関わってくださったDこども園の先生方がその後大勢教会にいらしたり、新しい子ども出席者も来ていたりしていたところの腰折れである。2020年度に入った途端に教会で見かける子ども達が激減したのは当然と言えば当然だが、教会員各々の心の内に大きな痛みをもたらした。
11月は世間でも七五三の時季であるが、わがN教会でも「子ども祝福式」を行なっている。通常であれば参列した子ども一人一人の頭に牧師が手を置いて、神様の子どもとして健やかに歩めるよう祈ってくださるが、昨年度は子ども達を礼拝堂の前の方に呼んだけれども、牧師は子ども達とは距離を取って祝福の祈りをするに留めた。妥当な判断だったと思うが、やはりイエス様が子どもの頭に手を置いて祈ったように牧師に手を置いて祈ってほしかったと残念がる声も聞かれた。掲出歌の岩津氏の教会では、子ども祝福式をアクリルパネルを隔てて行なったようだ。祝福を受けた後の子どもと牧師が手と手を〈エア・タッチ〉をしたというのが何とも粋で、励まされる。短歌文芸欄選者の林あまり氏が「祝福をさえぎるものはありません」と選評を書いていて、本当にそうだなぁと感じ入った。
聖水を亨けしみどり児をこもごもに幸い分くるごとくにいだく /大塚善子『パンの笛』(1997年)
大塚氏のご息女は国際結婚をしてドイツに移住された。上の歌は、大塚氏にとっての孫が幼児洗礼を受ける際にドイツに渡って、その場に立ち会ったことを詠んだ一連のうちに収められている。FEBCラジオの某番組で読まれたリスナーからのお手紙で、コロナのために受洗が延期になったという話があったが、今はあちこちの教会でそういうことが起こっているのかもしれない。大塚氏の歌が詠まれた時分は勿論そんな気兼ねなく受洗したばかりの嬰児を代わる代わる抱かせてもらえて、みんなで喜びを分け合ったのだろう。それがどれほどの恵みであるかということは、今になって私達の胸に迫ってくるのではないか。
幼子は半年ぶりに礼拝に 思わず囲むマスクの我ら /柴田文子(『信徒の友』2021年1月号読者文芸欄より)
わがN教会では3月の長老会で、新年度から教会学校「こどもと大人の礼拝」の再開が決まった。もちろん感染症対策は十分に取られた上での再開である。久々に礼拝にやって来る子ども達に、あまり接近し過ぎないように気遣いながらも、ついつい囲んでしまう。そんな光景がN教会でも生じるのが今から目に浮かぶようだ。どうか、神様の御手がいつも子ども達と共にあって、色々なことがあっても子ども達がのびのびと成長していけるように、と願ってやまない。
最後(をはり)まで試煉(こころみ)にあはせずといふ声をわれは心耳(しんじ)の奥に聴きにき
空穂は後半生に入って難聴を患い、そのもどかしさを詠った歌を多数残している。いくつか拾ってみる。
声低くものいふ人は悲しくも聞えしさまを我にせさする /『明闇』
耳とほくなりぬ我はといふべくは半(なかば)は聞ゆやや高くいへ /〃
声ひそめ眼をかがやかしいふ人のその眼をただに我の守りつ /〃
聞えねば我に存せずよるの雨夜明けの小鳥人がいふこと /『冬木原』
低ごゑの聞きはかぬるをおのづから聞かむとつとめ疲れけるらし /〃
耳うとく聴き取りかぬるもどかしさ馴るるがままに忘れなむとす /〃
声ひくき人と対へばあざむきをしてゐる我とこころのくるし /〃
笑顔向けもの言ふ人を手もて制し補聴器耳にす聞えもすやと /『去年の雪』
庭の粟見出で下り来る雀ども声なき鳥とぞなりはてにける /〃
軒に吊る風鈴風にゆるれどもさやけき音を立つることなし /〃
掲出歌所収の『木草と共に』は1964年に発行された。遺歌集より二つ前の歌集であり、『去年の雪』の一つ前の歌集となる。当時の空穂に聴こえづらさは当然付き纏っていた筈だが、この掲出歌には何とも言えない穏やかな心情が表れている。空穂は難聴の他にも様々な病に苦しめられていた。しかしその空穂に「最後(をはり)まで試煉(こころみ)にあはせずといふ声」が心の耳に聴こえた、と言わせたものは一体何だったのか。
卑近な話で恐縮だが、私の母は一年ほど前からだいぶ耳が遠くなった。私も初めの頃は大きな声で滑舌よく話しかけたり、あるいは言葉自体がわかりづらいのだろうと平易な言葉に置き換えて説明したりもしていたが、どうもそれで解決する問題ではなかったようだ。昨年秋から今年の1月頃まで、私は持病の再燃と言えるくらいの精神的な危機に陥っていた。どこへ行っても理解されず、作業所で、家で、病院で、私は自分の置かれている状況と精神および身体の状態をくだくだしいほどに説明して回り、誇張ではなく目が回っている感じであった。特に家では夕食の準備をしている母に、作業所で起こっていることを説明したことがたびたびあったが、言葉が聞き取れない母に向かって一人芝居を打って出ることでやっと状況が飲み込めてもらえ、脈拍数が急上昇するなんてことが頻繁にあった。
去年の8月に私は、伊藤比呂美の『道行やーHey, you bastards! I'm still here!』(英語による副題を日本語にすれば、「(ちくしょう)あたしはまだ生きてるんだ。」)を読んでいた。その中の「耳の聞こえ」という章に、耳が聞こえなくなることがいかに humiliating(屈辱的)か、ということが書いてあって、目から鱗が落ちる思いがした。聞こえない人に対して大声で話されても、声を荒げたようにしか聞き取れない。甲高く喋った声に伴う、苛立ちや呆れ、戸惑いの感情。そういった感情をぶつけられた側の感じる気持ちを、伊藤比呂美は「人には、前を向いて、頭を上げ、立ち上がって歩き出そうとする特性がある。それが意味もなく否定され、押しつぶされる感じ」と表現した。空穂の難聴にまつわる歌にも、聴こえないことへのもどかしさ、苛立ちが抜き難く備わっている。
その上で改めて掲出歌を見てみると、「最後(をはり)まで試煉(こころみ)にあはせずといふ声をわれは心耳(しんじ)の奥に聴」いたというのは、単なる諦念ではなさそうだと察しがつく。空穂は、若き日に植村正久師に教えを請うたこともあり、晩年においても神への畏敬の念を感じさせる歌も作っている。「こころみにあはせず」は、「主の祈り」に出てくる一節でクリスチャンには馴染み深い。部分的に引いてみる。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
そして、コリントの信徒への手紙 一 10章13節「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」も浮かんでくる。この聖句は近年、複数の著名人から取り上げられたものだから部分的に有名になった。だが、障害を持って生まれた子の親に対してこの聖句を大上段に構えて語るなど、神の愛の前提抜きにこの聖句が広まってしまい、誤解と波紋を呼んでいるようだ。それについてここではあまり深入りできないが、この聖句の肝は節の後半「神は真実な方です。…(中略)…試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」にあろう。
「最後(をはり)まで試煉(こころみ)に…」なんて言うけれど、結局は空穂が信心深かったからそう思えたのでしょう?と問う方もいるに違いない。そういう方々に答えるべき上手い言葉を私は知らない。けれど、イエスご自身が生前受けた苦しみと、主がそれにどう立ち向かったかを集約した聖句を稿末に引くことで、読む人の心に委ねたい。
キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。(ヘブライ人への手紙 5章7節)
窪田空穂『木草と共に』
空穂は後半生に入って難聴を患い、そのもどかしさを詠った歌を多数残している。いくつか拾ってみる。
声低くものいふ人は悲しくも聞えしさまを我にせさする /『明闇』
耳とほくなりぬ我はといふべくは半(なかば)は聞ゆやや高くいへ /〃
声ひそめ眼をかがやかしいふ人のその眼をただに我の守りつ /〃
聞えねば我に存せずよるの雨夜明けの小鳥人がいふこと /『冬木原』
低ごゑの聞きはかぬるをおのづから聞かむとつとめ疲れけるらし /〃
耳うとく聴き取りかぬるもどかしさ馴るるがままに忘れなむとす /〃
声ひくき人と対へばあざむきをしてゐる我とこころのくるし /〃
笑顔向けもの言ふ人を手もて制し補聴器耳にす聞えもすやと /『去年の雪』
庭の粟見出で下り来る雀ども声なき鳥とぞなりはてにける /〃
軒に吊る風鈴風にゆるれどもさやけき音を立つることなし /〃
掲出歌所収の『木草と共に』は1964年に発行された。遺歌集より二つ前の歌集であり、『去年の雪』の一つ前の歌集となる。当時の空穂に聴こえづらさは当然付き纏っていた筈だが、この掲出歌には何とも言えない穏やかな心情が表れている。空穂は難聴の他にも様々な病に苦しめられていた。しかしその空穂に「最後(をはり)まで試煉(こころみ)にあはせずといふ声」が心の耳に聴こえた、と言わせたものは一体何だったのか。
卑近な話で恐縮だが、私の母は一年ほど前からだいぶ耳が遠くなった。私も初めの頃は大きな声で滑舌よく話しかけたり、あるいは言葉自体がわかりづらいのだろうと平易な言葉に置き換えて説明したりもしていたが、どうもそれで解決する問題ではなかったようだ。昨年秋から今年の1月頃まで、私は持病の再燃と言えるくらいの精神的な危機に陥っていた。どこへ行っても理解されず、作業所で、家で、病院で、私は自分の置かれている状況と精神および身体の状態をくだくだしいほどに説明して回り、誇張ではなく目が回っている感じであった。特に家では夕食の準備をしている母に、作業所で起こっていることを説明したことがたびたびあったが、言葉が聞き取れない母に向かって一人芝居を打って出ることでやっと状況が飲み込めてもらえ、脈拍数が急上昇するなんてことが頻繁にあった。
去年の8月に私は、伊藤比呂美の『道行やーHey, you bastards! I'm still here!』(英語による副題を日本語にすれば、「(ちくしょう)あたしはまだ生きてるんだ。」)を読んでいた。その中の「耳の聞こえ」という章に、耳が聞こえなくなることがいかに humiliating(屈辱的)か、ということが書いてあって、目から鱗が落ちる思いがした。聞こえない人に対して大声で話されても、声を荒げたようにしか聞き取れない。甲高く喋った声に伴う、苛立ちや呆れ、戸惑いの感情。そういった感情をぶつけられた側の感じる気持ちを、伊藤比呂美は「人には、前を向いて、頭を上げ、立ち上がって歩き出そうとする特性がある。それが意味もなく否定され、押しつぶされる感じ」と表現した。空穂の難聴にまつわる歌にも、聴こえないことへのもどかしさ、苛立ちが抜き難く備わっている。
その上で改めて掲出歌を見てみると、「最後(をはり)まで試煉(こころみ)にあはせずといふ声をわれは心耳(しんじ)の奥に聴」いたというのは、単なる諦念ではなさそうだと察しがつく。空穂は、若き日に植村正久師に教えを請うたこともあり、晩年においても神への畏敬の念を感じさせる歌も作っている。「こころみにあはせず」は、「主の祈り」に出てくる一節でクリスチャンには馴染み深い。部分的に引いてみる。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
そして、コリントの信徒への手紙 一 10章13節「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」も浮かんでくる。この聖句は近年、複数の著名人から取り上げられたものだから部分的に有名になった。だが、障害を持って生まれた子の親に対してこの聖句を大上段に構えて語るなど、神の愛の前提抜きにこの聖句が広まってしまい、誤解と波紋を呼んでいるようだ。それについてここではあまり深入りできないが、この聖句の肝は節の後半「神は真実な方です。…(中略)…試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」にあろう。
「最後(をはり)まで試煉(こころみ)に…」なんて言うけれど、結局は空穂が信心深かったからそう思えたのでしょう?と問う方もいるに違いない。そういう方々に答えるべき上手い言葉を私は知らない。けれど、イエスご自身が生前受けた苦しみと、主がそれにどう立ち向かったかを集約した聖句を稿末に引くことで、読む人の心に委ねたい。
キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。(ヘブライ人への手紙 5章7節)
母乳さえうまく飲めないみどりごを抱いてごらんとわれに抱かせる
永田は脚に障害を持って生まれた。そのことを発端に両親亡き後の身の回りの心配をされたりと、肩身の狭さを感じつつ暮らしてきた様子が歌集全体から窺える。また障害を理由に終わった恋もあったようだ。淡々と事実を描写しているだけに、その悲哀がいっそう胸に迫る。掲出歌と続く下記の歌は、妹の子がまだ生まれて間もない頃に抱かせてもらったことを描いている。
晩秋のようなあかるさ子を知らぬわたしの腕がみどりごを抱く
永田の裡に秘めた葛藤を嬰児は知らず、安心して抱かれている。「晩秋のようなあかるさ」とは屈託のない子どもの笑顔とも取れるし、無防備とも思えるまでにゆったりと彼女に身を任せている幼子にふつふつと込み上げてくる永田自身の喜びとも取れる。その両方なのかもしれない。
掲出歌を読んでの思い出を一つ書かせていただく。私は20歳で洗礼を受け、24歳の時に教会を離れた。けれど会社で生じた後輩との諍いから、私が神様なしでは人を愛することのできない人間なのだと思い知らされ、数年のちに母教会へまた通い始めた。母教会は信仰に関して大変厳しい教会で、再び教会員として認めてもらうためには様々なハードルを乗り越えなければならなかった。私は昔からリーダー格の人と話すのが苦手だったが、私が何とか教会に籍を復帰できるようにと信徒らは代わる代わる私を牧師や教会スタッフのもとへ連れて行った。御言葉は鋭い。容赦なく突き刺してくる。私が自分でもよく分かっていない自身の気持ちを上手く説明できぬうちに、様々なリーダーから裁かれる思いが拭えず、ある日牧師のもとへ連れて行かれた私はただ泣いてしまった。幼い長女を抱っこした牧師に「怖いの?」と訊かれた私は「はい」と答えることしかできなかった。すると牧師は「○○ちゃーん、お姉ちゃんのところへ行って」と、娘さんを抱かせてあげようと私の方へ差し出した。その子が人見知りしやすい子であることは知っていたし、実際少し戸惑いの表情も見えたが、私の方に恐る恐る身を預けて抱っこさせてもらえた。私のようにおどおどした大人は、子どもにとって居心地の良い存在では決してない筈だ。しかしその子は私の腕に身を任せてくれた。それは私が信頼できたからではなく、そのように仕向けたお父さんを絶対的に信頼していたからであったに違いない。そして、子どもの扱いに慣れない私でも信用して子どもを抱かせてくれた牧師の愛を感じた。それからしばらくして、私は母教会に再堅信することができた。
掲出歌の二首前に下記の歌が置かれている。
どこかからようやく着いた舟みたい母がひなたに籠(クーハン)を干す
この歌に、ヘブライ人モーセの誕生の経緯が綴られた出エジプト記2章を思い出した。ヘブライ人の男児を皆殺しするよう命じたファラオに背き、嬰児を隠していた母親がついに子を隠しておけなくなり、パピルスの籠に入れてナイル川河畔に置く物語である。モーセはファラオの王女に拾われる。籠を開けると泣いていた男児に王女は不憫になり、モーセは王女の子として迎え入れられ育てられた。
私は結婚しておらず子どもはいない。多分独り身のまま一生を終えることだろう。でも子どものいない私に、その恵みを分かち合って下さった方が人生の節目節目でいたことを思う。今でも子ども世代との関わりは極めて薄いし、非現実的な想像を膨らませるのが無責任なのは言うまでもない。だがこれまでの人生を振り返って御言葉の真実さを思う時、次の聖句も何かの形でしみじみと味わう日も来るのかもしれない、とふと思ったりもするのである。
あなたは心に言うであろう 誰がこの子らを産んでわたしに与えてくれたのか わたしは子を失い、もはや子を産めない身で 捕らえられ、追放された者なのに 誰がこれらの子を育ててくれたのか 見よ、わたしはただひとり残されていたのに この子らはどこにいたのか、と。(イザヤ書49章21節)
永田愛『アイのオト』
永田は脚に障害を持って生まれた。そのことを発端に両親亡き後の身の回りの心配をされたりと、肩身の狭さを感じつつ暮らしてきた様子が歌集全体から窺える。また障害を理由に終わった恋もあったようだ。淡々と事実を描写しているだけに、その悲哀がいっそう胸に迫る。掲出歌と続く下記の歌は、妹の子がまだ生まれて間もない頃に抱かせてもらったことを描いている。
晩秋のようなあかるさ子を知らぬわたしの腕がみどりごを抱く
永田の裡に秘めた葛藤を嬰児は知らず、安心して抱かれている。「晩秋のようなあかるさ」とは屈託のない子どもの笑顔とも取れるし、無防備とも思えるまでにゆったりと彼女に身を任せている幼子にふつふつと込み上げてくる永田自身の喜びとも取れる。その両方なのかもしれない。
掲出歌を読んでの思い出を一つ書かせていただく。私は20歳で洗礼を受け、24歳の時に教会を離れた。けれど会社で生じた後輩との諍いから、私が神様なしでは人を愛することのできない人間なのだと思い知らされ、数年のちに母教会へまた通い始めた。母教会は信仰に関して大変厳しい教会で、再び教会員として認めてもらうためには様々なハードルを乗り越えなければならなかった。私は昔からリーダー格の人と話すのが苦手だったが、私が何とか教会に籍を復帰できるようにと信徒らは代わる代わる私を牧師や教会スタッフのもとへ連れて行った。御言葉は鋭い。容赦なく突き刺してくる。私が自分でもよく分かっていない自身の気持ちを上手く説明できぬうちに、様々なリーダーから裁かれる思いが拭えず、ある日牧師のもとへ連れて行かれた私はただ泣いてしまった。幼い長女を抱っこした牧師に「怖いの?」と訊かれた私は「はい」と答えることしかできなかった。すると牧師は「○○ちゃーん、お姉ちゃんのところへ行って」と、娘さんを抱かせてあげようと私の方へ差し出した。その子が人見知りしやすい子であることは知っていたし、実際少し戸惑いの表情も見えたが、私の方に恐る恐る身を預けて抱っこさせてもらえた。私のようにおどおどした大人は、子どもにとって居心地の良い存在では決してない筈だ。しかしその子は私の腕に身を任せてくれた。それは私が信頼できたからではなく、そのように仕向けたお父さんを絶対的に信頼していたからであったに違いない。そして、子どもの扱いに慣れない私でも信用して子どもを抱かせてくれた牧師の愛を感じた。それからしばらくして、私は母教会に再堅信することができた。
掲出歌の二首前に下記の歌が置かれている。
どこかからようやく着いた舟みたい母がひなたに籠(クーハン)を干す
この歌に、ヘブライ人モーセの誕生の経緯が綴られた出エジプト記2章を思い出した。ヘブライ人の男児を皆殺しするよう命じたファラオに背き、嬰児を隠していた母親がついに子を隠しておけなくなり、パピルスの籠に入れてナイル川河畔に置く物語である。モーセはファラオの王女に拾われる。籠を開けると泣いていた男児に王女は不憫になり、モーセは王女の子として迎え入れられ育てられた。
私は結婚しておらず子どもはいない。多分独り身のまま一生を終えることだろう。でも子どものいない私に、その恵みを分かち合って下さった方が人生の節目節目でいたことを思う。今でも子ども世代との関わりは極めて薄いし、非現実的な想像を膨らませるのが無責任なのは言うまでもない。だがこれまでの人生を振り返って御言葉の真実さを思う時、次の聖句も何かの形でしみじみと味わう日も来るのかもしれない、とふと思ったりもするのである。
あなたは心に言うであろう 誰がこの子らを産んでわたしに与えてくれたのか わたしは子を失い、もはや子を産めない身で 捕らえられ、追放された者なのに 誰がこれらの子を育ててくれたのか 見よ、わたしはただひとり残されていたのに この子らはどこにいたのか、と。(イザヤ書49章21節)
脱衣所に吹く風だけは涼しげにこのおっぱいでいいのだと言う
なるべく冷静に書くようにと心がけていてもたいてい自分語りに陥ってしまう私の一首鑑賞だが、今回は平身低頭を装いつつ拙歌まで引用する厚かましさで自分語りを通させていただく。
エプロンの紐が右肩より落ちる腫瘍切除に胸の傾いで(拙歌/2017年8月2日 作歌)
右乳房の乳がんの手術を2012年初頭にして、抗がん剤治療、放射線治療を何とかくぐり抜け、少し落ち着いてみて気づいたことがある。エプロンの肩紐が右肩よりどうしてもずり下がってくるということである。ハンバーグ大の腫瘍を切除した分、右乳房の「嵩」は減っているので両胸のバランスが取れていないというわけだ。気にしても仕方ないこと、全摘した方のおつらさに比べれば……と思っていた。
自分にとっては、そうして肩紐がずり落ちることも日常になってしまい特に気にしてもいなかったが、市民交流センターの調理室を借りてそのころ月一で行われていた作業所の料理教室で、少し若めの男性メンバーにエプロンの肩紐が落ちてきていることを指摘されたのである。彼はどちらかと言えば思いやり深いタイプで、この時も気遣いで言ってくれたことは私にもよく分かった。「ああ、ありがとう……」と言いながら、内心苦い思いを噛み締めた。そのしばらく後にできたのが上の拙歌である。
この一件は私の中にそれほどの痼りは残さなかった。けれどそれからだいぶ経って母に指摘されたことに私は大きなショックを受けた。曰く「だらしない。安い女に見える」と。つまり、玄関の呼び鈴などが鳴った際にエプロンの肩紐がずり落ちた状態で扉を開けたりすれば、あるいは危険なことが起こるかもしれないというのである。私は非常に怖くなってしまって、翌通所日に作業所の指導員さんに相談し、幸いとても具体的な良いアドヴァイスをいただけた。しかし、病気など身の上に起こった致し方ない災難にまつわることに対し、そのように身内からも心ないことを言われるのは本当に身を切られるようだと痛切に思った。
さて、掲出歌では「胸」の様相について何も記していないから、ただ細身な女性が自分の胸を見て感じるちょっとした鬱屈を描写したとも考えられる。だが、もし何某かの手術を受けた女性が、普段肩身の狭い思いをして暮らしながら、ありのままの自分を受け容れてくれている「風」を感じているのだとしたら、何と慰めに満ちた歌であろうか。この一首を読んで浮かんだイザヤ書の御言葉を引いて、この稿を閉じたい。
彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し 形づくり、完成した者。(イザヤ書43章7節)
深水遊脚(2020年8月1日のTwitterより)
なるべく冷静に書くようにと心がけていてもたいてい自分語りに陥ってしまう私の一首鑑賞だが、今回は平身低頭を装いつつ拙歌まで引用する厚かましさで自分語りを通させていただく。
エプロンの紐が右肩より落ちる腫瘍切除に胸の傾いで(拙歌/2017年8月2日 作歌)
右乳房の乳がんの手術を2012年初頭にして、抗がん剤治療、放射線治療を何とかくぐり抜け、少し落ち着いてみて気づいたことがある。エプロンの肩紐が右肩よりどうしてもずり下がってくるということである。ハンバーグ大の腫瘍を切除した分、右乳房の「嵩」は減っているので両胸のバランスが取れていないというわけだ。気にしても仕方ないこと、全摘した方のおつらさに比べれば……と思っていた。
自分にとっては、そうして肩紐がずり落ちることも日常になってしまい特に気にしてもいなかったが、市民交流センターの調理室を借りてそのころ月一で行われていた作業所の料理教室で、少し若めの男性メンバーにエプロンの肩紐が落ちてきていることを指摘されたのである。彼はどちらかと言えば思いやり深いタイプで、この時も気遣いで言ってくれたことは私にもよく分かった。「ああ、ありがとう……」と言いながら、内心苦い思いを噛み締めた。そのしばらく後にできたのが上の拙歌である。
この一件は私の中にそれほどの痼りは残さなかった。けれどそれからだいぶ経って母に指摘されたことに私は大きなショックを受けた。曰く「だらしない。安い女に見える」と。つまり、玄関の呼び鈴などが鳴った際にエプロンの肩紐がずり落ちた状態で扉を開けたりすれば、あるいは危険なことが起こるかもしれないというのである。私は非常に怖くなってしまって、翌通所日に作業所の指導員さんに相談し、幸いとても具体的な良いアドヴァイスをいただけた。しかし、病気など身の上に起こった致し方ない災難にまつわることに対し、そのように身内からも心ないことを言われるのは本当に身を切られるようだと痛切に思った。
さて、掲出歌では「胸」の様相について何も記していないから、ただ細身な女性が自分の胸を見て感じるちょっとした鬱屈を描写したとも考えられる。だが、もし何某かの手術を受けた女性が、普段肩身の狭い思いをして暮らしながら、ありのままの自分を受け容れてくれている「風」を感じているのだとしたら、何と慰めに満ちた歌であろうか。この一首を読んで浮かんだイザヤ書の御言葉を引いて、この稿を閉じたい。
彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し 形づくり、完成した者。(イザヤ書43章7節)
ライヴっていうのは「ゆめじゃないよ」ってゆう夢をみる場所なんですね
2020年度はわがN教会でも行事をことごとく中止にせざるを得なかった。その一つが、参遊亭遊助さんの落語会である。遊助さんの持ちネタは伝統的落語に止まらず《聖書落語》《英語落語》《落語 DE 社史》《地域落語》《馴れ初め落語》《故人想い出落語》と幅広く、大変人気のある噺家さんで2020年も口演のご予定がビッチリ入っていたが、コロナの威力は凄まじく半数以上がキャンセルになってしまったらしい。が、そこは転んでもタダでは起きない遊助さん、元々YouTubeに多数の落語動画をupしている実力家なので、今はオンラインでの落語会も増えてきているようだ。
私がよく話題にするFEBCで、今クールは【Session―イエスのTuneに合わせて】 が放送されているが、その10月15日の放送分でゴスペルシンガーの塩谷達也さんが「ライヴの時しか伝わらないものがある」と仰り、ライヴで飛び交う言葉を「生き物」と表現されていたのが忘れ難い。穂村の掲出歌も、ライヴ空間を〈「ゆめじゃないよ」ってゆう夢をみる場所〉と、演奏家と観衆が一体となって音楽を共有するリアルな感動と恍惚感を十二分に言い表している。
コロナウイルス感染症の拡大に伴いオンラインで礼拝を行なっていた教会なども、少しずつ教会堂に参集しての礼拝へと戻ってきているようである。N教会では一時礼拝出席者は減ったものの会堂での礼拝は守られ続けていたが、飛沫感染を防ぐため礼拝中会衆は声を出さず、讃美歌・使徒信条・主の祈りなどは心のうちに唱えるようになっていた。こうした礼拝の簡略化に最初の頃こそかなり動揺したが、徐々に慣れていったのも実際のところ。月初の長老会では、教会の礼拝の持ち方や活動計画について、感染情況を見据えつつ綿密に討議して月々の方針を決定していって下さった。そしてつい先日10月第二日曜日から、約半年ぶりに礼拝堂に讃美歌の朗唱が響いた。ただそれは講壇のアクリルパネル内において、牧師による讃美歌一節のみの独唱ではあったが。しかしその讃美の声を聴いて、明らかに内心込み上げるものがあった。ああ、私は主を賛美したかったんだ、とその思いに打ち震えた。最前列の方に座っていたある信徒が歌声を聴いて、鞄からハンカチを出して頰を押さえていたのが見えた。
ヨハネの手紙 一 1章冒頭に、「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。(中略)わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです」とある 。弟子のヨハネはイエスの間近にいて、イエスの涙、憤り、喜び、動揺、傷をつぶさに見た。
皆が集って礼拝する素晴らしさは、そこにいた者にしか分からない。けれどイエスのご復活を目の当たりにした弟子達から、私達はその喜びを受け継いだ。——イエスは復活されたよ、夢じゃないよ——今ほどそれを伝えたい時はない。
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』
2020年度はわがN教会でも行事をことごとく中止にせざるを得なかった。その一つが、参遊亭遊助さんの落語会である。遊助さんの持ちネタは伝統的落語に止まらず《聖書落語》《英語落語》《落語 DE 社史》《地域落語》《馴れ初め落語》《故人想い出落語》と幅広く、大変人気のある噺家さんで2020年も口演のご予定がビッチリ入っていたが、コロナの威力は凄まじく半数以上がキャンセルになってしまったらしい。が、そこは転んでもタダでは起きない遊助さん、元々YouTubeに多数の落語動画をupしている実力家なので、今はオンラインでの落語会も増えてきているようだ。
私がよく話題にするFEBCで、今クールは【Session―イエスのTuneに合わせて】 が放送されているが、その10月15日の放送分でゴスペルシンガーの塩谷達也さんが「ライヴの時しか伝わらないものがある」と仰り、ライヴで飛び交う言葉を「生き物」と表現されていたのが忘れ難い。穂村の掲出歌も、ライヴ空間を〈「ゆめじゃないよ」ってゆう夢をみる場所〉と、演奏家と観衆が一体となって音楽を共有するリアルな感動と恍惚感を十二分に言い表している。
コロナウイルス感染症の拡大に伴いオンラインで礼拝を行なっていた教会なども、少しずつ教会堂に参集しての礼拝へと戻ってきているようである。N教会では一時礼拝出席者は減ったものの会堂での礼拝は守られ続けていたが、飛沫感染を防ぐため礼拝中会衆は声を出さず、讃美歌・使徒信条・主の祈りなどは心のうちに唱えるようになっていた。こうした礼拝の簡略化に最初の頃こそかなり動揺したが、徐々に慣れていったのも実際のところ。月初の長老会では、教会の礼拝の持ち方や活動計画について、感染情況を見据えつつ綿密に討議して月々の方針を決定していって下さった。そしてつい先日10月第二日曜日から、約半年ぶりに礼拝堂に讃美歌の朗唱が響いた。ただそれは講壇のアクリルパネル内において、牧師による讃美歌一節のみの独唱ではあったが。しかしその讃美の声を聴いて、明らかに内心込み上げるものがあった。ああ、私は主を賛美したかったんだ、とその思いに打ち震えた。最前列の方に座っていたある信徒が歌声を聴いて、鞄からハンカチを出して頰を押さえていたのが見えた。
ヨハネの手紙 一 1章冒頭に、「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。(中略)わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです」とある 。弟子のヨハネはイエスの間近にいて、イエスの涙、憤り、喜び、動揺、傷をつぶさに見た。
皆が集って礼拝する素晴らしさは、そこにいた者にしか分からない。けれどイエスのご復活を目の当たりにした弟子達から、私達はその喜びを受け継いだ。——イエスは復活されたよ、夢じゃないよ——今ほどそれを伝えたい時はない。
隣席は電子版聖書読む女ときをり印刷物(プリント)にチェックを入れて
今回の鑑賞は、聖書通読よもやま話に終始しそうなのを予め断っておく。
私がFEBCの聖書通読表に基づいて通読を毎日行うようになったのは、記録では2015年8月末からとなっている。2016年1月にFEBCのスタッフの方が通読の感想や疑問などを気軽にシェアできるTwitterアカウント(@febcjp)を新設してくださり、それに乗じてFEBC宛のリプライでどんどん聖書通読の感想を呟くようになった。当初の通読感想ツイートにも英訳を引用しての感想がところどころあるが、それは意味を深掘りしたい時に限られていた。黙想日記を振り返ってみると、英語の聖書(New International Version)を使って日々通読するようになったのは2017年2月半ばであったことが分かった。New International Version(NIV)は、アメリカ的な母教会に在籍時に入手したものだが、東京にいる頃はそんなに丹念には読んでいなかった。
私がなぜ通読に英語聖書を持ち出したのかは、キザに聞こえるかもしれないが、日本語では聖書をとことん読んでしまった感覚があり、新しい発見に飢えていたからだ。初めは当然、手持ちの NIV の《紙》の聖書を引っ張り出してきて英語の辞書と首っ引きで読んでいたが、それはもう一種修行のような様相。でも、そうやって《紙》ベースで読んでも、通読感想をするのはネット上である。となれば自然聖書を引き写すのも面倒になってきて、ネットで英語の聖書を読めるサイトを探し、見つけたのが【BibleGateway】だった。このサイトを通じて私はNIV通読を完遂した。
現在は英語での通読は New Living Translation(NLT)に移行しているが、きっかけは極めてアナログなところにあった。私が現在の所属教会に移ってきた時に在籍していた方で、夫君が神学校で勉強中のご婦人がいらした。対面での交流は半年ほどで、西日本の教会へ夫婦で赴任され、今に至っている。その方がある年に贈ってくださったクリスマスカードに印字されていた聖句が、NLT によるものだった。私はまず【BibleGateway】でNLTをチラ見して、だんだん気に入ってきたので、2019年1月、まずは新約聖書をNLTで読み始め、同年12月から旧約通読もNLTに切り替えた。
「電子書籍」と聞くだけで心にバリアを張る方も中にはいるかもしれないが、色々メリットはある。筆頭は単語検索機能だろう。私はオンラインの聖書は専らiPhoneのブラウザ上で無料で読んでおり、いわゆる聖書アプリなどは使っていないけれど、語意の分からない単語を長押しすると[調べる]というポップアップメニューが表示される辞書機能も大変便利である。また画面の大きさの制約上逐語読みになるので、かなり深く読めるという利点がある。一方、電子版の欠点はバッテリーの持ちの問題が大きい。逐語的な読みを強いられる中でバッテリーを気にしなければならなくなるとかなりストレスだ。先月中旬思い切って NLTの紙の聖書を購入したのも、そういう経緯からだった。紙のNLTを読み始めて三週間ほど経過してみて、ページが広く見渡せ、拾い読みができるという、紙の書籍ならではの良さを改めて感じている。その裏腹の問題としては読みが浅くなりがちという点が挙げられるだろう。
穂村弘の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』に次の歌がある。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、きらきらとラインマーカーまみれの聖書
この一首について、穂村弘自身が『世界中が夕焼け〜穂村弘の短歌の秘密』(穂村弘・山田航 共著)の中で、「行為としては冒瀆的でありつつ、聖書を熟読している、或いはその逆。そのへんの両義性ですよね」と自註しているが、これには唸る他なかった。受洗まもない私は4色ボールペンで聖書に線を引きまくっていたが、これは聖書を熟読し、憶える上で大変有効であった。しかしこの聖書を開けば引かれた線がいつも目に付いてしまうので、初読の読み以上に深く聖書が入ってこなくなるという点で非常に厄介であり、私は後年その聖書を廃棄して真っさらの聖書を買った。以来、どんな聖書を買っても、線引き・書き込みなどは全くしていない。
その意味で、掲出歌の「電子版聖書読む女」が、「ときをり」聖書とは別に用意された「印刷物(プリント)にチェックを入れ」つつ読むというのは、よっぽど聖書を読み込んでいる人なのだろうと察しがつく。同時に、三十一文字でその人物像を描き切った真中の眼力にはただ恐れ入ったのである。
真中朋久『火光』
今回の鑑賞は、聖書通読よもやま話に終始しそうなのを予め断っておく。
私がFEBCの聖書通読表に基づいて通読を毎日行うようになったのは、記録では2015年8月末からとなっている。2016年1月にFEBCのスタッフの方が通読の感想や疑問などを気軽にシェアできるTwitterアカウント(@febcjp)を新設してくださり、それに乗じてFEBC宛のリプライでどんどん聖書通読の感想を呟くようになった。当初の通読感想ツイートにも英訳を引用しての感想がところどころあるが、それは意味を深掘りしたい時に限られていた。黙想日記を振り返ってみると、英語の聖書(New International Version)を使って日々通読するようになったのは2017年2月半ばであったことが分かった。New International Version(NIV)は、アメリカ的な母教会に在籍時に入手したものだが、東京にいる頃はそんなに丹念には読んでいなかった。
私がなぜ通読に英語聖書を持ち出したのかは、キザに聞こえるかもしれないが、日本語では聖書をとことん読んでしまった感覚があり、新しい発見に飢えていたからだ。初めは当然、手持ちの NIV の《紙》の聖書を引っ張り出してきて英語の辞書と首っ引きで読んでいたが、それはもう一種修行のような様相。でも、そうやって《紙》ベースで読んでも、通読感想をするのはネット上である。となれば自然聖書を引き写すのも面倒になってきて、ネットで英語の聖書を読めるサイトを探し、見つけたのが【BibleGateway】だった。このサイトを通じて私はNIV通読を完遂した。
現在は英語での通読は New Living Translation(NLT)に移行しているが、きっかけは極めてアナログなところにあった。私が現在の所属教会に移ってきた時に在籍していた方で、夫君が神学校で勉強中のご婦人がいらした。対面での交流は半年ほどで、西日本の教会へ夫婦で赴任され、今に至っている。その方がある年に贈ってくださったクリスマスカードに印字されていた聖句が、NLT によるものだった。私はまず【BibleGateway】でNLTをチラ見して、だんだん気に入ってきたので、2019年1月、まずは新約聖書をNLTで読み始め、同年12月から旧約通読もNLTに切り替えた。
「電子書籍」と聞くだけで心にバリアを張る方も中にはいるかもしれないが、色々メリットはある。筆頭は単語検索機能だろう。私はオンラインの聖書は専らiPhoneのブラウザ上で無料で読んでおり、いわゆる聖書アプリなどは使っていないけれど、語意の分からない単語を長押しすると[調べる]というポップアップメニューが表示される辞書機能も大変便利である。また画面の大きさの制約上逐語読みになるので、かなり深く読めるという利点がある。一方、電子版の欠点はバッテリーの持ちの問題が大きい。逐語的な読みを強いられる中でバッテリーを気にしなければならなくなるとかなりストレスだ。先月中旬思い切って NLTの紙の聖書を購入したのも、そういう経緯からだった。紙のNLTを読み始めて三週間ほど経過してみて、ページが広く見渡せ、拾い読みができるという、紙の書籍ならではの良さを改めて感じている。その裏腹の問題としては読みが浅くなりがちという点が挙げられるだろう。
穂村弘の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』に次の歌がある。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、きらきらとラインマーカーまみれの聖書
この一首について、穂村弘自身が『世界中が夕焼け〜穂村弘の短歌の秘密』(穂村弘・山田航 共著)の中で、「行為としては冒瀆的でありつつ、聖書を熟読している、或いはその逆。そのへんの両義性ですよね」と自註しているが、これには唸る他なかった。受洗まもない私は4色ボールペンで聖書に線を引きまくっていたが、これは聖書を熟読し、憶える上で大変有効であった。しかしこの聖書を開けば引かれた線がいつも目に付いてしまうので、初読の読み以上に深く聖書が入ってこなくなるという点で非常に厄介であり、私は後年その聖書を廃棄して真っさらの聖書を買った。以来、どんな聖書を買っても、線引き・書き込みなどは全くしていない。
その意味で、掲出歌の「電子版聖書読む女」が、「ときをり」聖書とは別に用意された「印刷物(プリント)にチェックを入れ」つつ読むというのは、よっぽど聖書を読み込んでいる人なのだろうと察しがつく。同時に、三十一文字でその人物像を描き切った真中の眼力にはただ恐れ入ったのである。
塩害で咲かない土地に無差別な支援が植えて枯らした花々
近江は宮城県石巻市出身。東日本大震災が起こったのは東京の大学の三年次在籍中だった。就職活動真っ只中だった近江が「帰った方がいいか」と電話で問うと父は「食料が一人分減るだけ」と答えたという。しかし近江は卒業後に就職した会社を2013年夏に辞め、石巻の新聞社に入社した。本歌集の第三部冒頭の掲出歌には、ただ口を噤むほかない。自己本位な支援への手厳しい批判というより事実そのままだというのが正しいだろう。
大地震当日から10日ほど後、作業所の朝会で私は近々行う予定の誕生会のお弁当代を被災地への募金に回しては、と提案した。すると、妹さんが宮城の大学で学んでいた他のメンバーが、妹からのアイディアの借用だと前置きして、手作りのマスコット等を被災地の保育園などに届けられないだろうかとおずおずと申し出た。結果的には前者は通り、お弁当代に当時の所長が個人的に大幅に上乗せした額を日本精神保健福祉士協会に復興支援募金として献げてくださった。後者に対しても職員は蔑ろにせず、手作り石鹸などを送ることも考えたようだが、届け先や配達方法の確保など難しい点が多く、実現しなかった。私には震災以前からTwitterの相互フォローの方で宮城にお住まいの方がいるが、震災から約一ヶ月後にさらっと「昨夜ようやくお風呂に入れました」とツイートしたことに絶句し、私達の精一杯の善意も自己満足に過ぎないことを悟らされた。
途切れつつ防潮堤は横たわる現場の作業員は足りない
掲出歌に続く一首である。身近な話で恐縮だが、震災当時家で燻っていた私の弟は被災地にボランティアへ行き、石巻に寝泊まりして預金が底を突くまで復興支援に働いていた。そして一時は被災地での就職も考えた。石巻での所在が証明されないと面接が受けられないということで、災害ボランティア宿営地の弟宛てに適当なものを見繕って封書を速達郵送したのを覚えている。弟の就職は決まらず結局はこちらに戻ってきたのだが、複雑そうな表情の弟にはあまり色々問いただせず、そのままになっている。
まとめるのうまいですねと褒められてまとめてしまってごめんと思う
この歌には、「2年前に結婚をした。妻と出会ったのは、震災ボランティアで石巻を訪れ、その後移住した女性が仮設屋台村の一画に開いたお店だった。そういうことは多くある。もしかしたら僕が今、仲良くしている友人たちは震災なくしては出会えなかった人たちの方が多いかもしれない。」と添え書きがある。
私の弟と屋台村の店のオーナーの境目が何であったのかは分からない。むしろ、判別の事由を断じようとするのは驕りですらあるかもしれない。
「まとめるのうまいですね」。被災者の窮状の訴えか、あるいは復興支援に携わる人への取材か、そういったものを近江は筋道立てて記事にし、後日それを褒められたという状況が目に浮かぶ。止め処ない不安や苛立ちを多くの人の目に留まるよう纏めてもらえ、インタヴューされた側は正直有り難かったに違いない。職業柄、混沌とした事象を整理して一定の枠組みをその都度与えていかなければならない立場にあるのだから、そう後ろめたさを感じなくてもいい筈だ。けれど近江は「まとめてしまってごめん」と思う。それゆえにこそ、私は近江の言葉に信頼を置く。お仕着せのようにキリスト教の言葉を充てがうのは少し躊躇われるが、この近江の姿勢は「愛」なのだと私は感じる。どういう愛——?その問いへは次の聖句を以って返答としたい。
ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。 自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。 (コリントの信徒への手紙 一 8章1〜2節)
近江瞬『飛び散れ、水たち』
近江は宮城県石巻市出身。東日本大震災が起こったのは東京の大学の三年次在籍中だった。就職活動真っ只中だった近江が「帰った方がいいか」と電話で問うと父は「食料が一人分減るだけ」と答えたという。しかし近江は卒業後に就職した会社を2013年夏に辞め、石巻の新聞社に入社した。本歌集の第三部冒頭の掲出歌には、ただ口を噤むほかない。自己本位な支援への手厳しい批判というより事実そのままだというのが正しいだろう。
大地震当日から10日ほど後、作業所の朝会で私は近々行う予定の誕生会のお弁当代を被災地への募金に回しては、と提案した。すると、妹さんが宮城の大学で学んでいた他のメンバーが、妹からのアイディアの借用だと前置きして、手作りのマスコット等を被災地の保育園などに届けられないだろうかとおずおずと申し出た。結果的には前者は通り、お弁当代に当時の所長が個人的に大幅に上乗せした額を日本精神保健福祉士協会に復興支援募金として献げてくださった。後者に対しても職員は蔑ろにせず、手作り石鹸などを送ることも考えたようだが、届け先や配達方法の確保など難しい点が多く、実現しなかった。私には震災以前からTwitterの相互フォローの方で宮城にお住まいの方がいるが、震災から約一ヶ月後にさらっと「昨夜ようやくお風呂に入れました」とツイートしたことに絶句し、私達の精一杯の善意も自己満足に過ぎないことを悟らされた。
途切れつつ防潮堤は横たわる現場の作業員は足りない
掲出歌に続く一首である。身近な話で恐縮だが、震災当時家で燻っていた私の弟は被災地にボランティアへ行き、石巻に寝泊まりして預金が底を突くまで復興支援に働いていた。そして一時は被災地での就職も考えた。石巻での所在が証明されないと面接が受けられないということで、災害ボランティア宿営地の弟宛てに適当なものを見繕って封書を速達郵送したのを覚えている。弟の就職は決まらず結局はこちらに戻ってきたのだが、複雑そうな表情の弟にはあまり色々問いただせず、そのままになっている。
まとめるのうまいですねと褒められてまとめてしまってごめんと思う
この歌には、「2年前に結婚をした。妻と出会ったのは、震災ボランティアで石巻を訪れ、その後移住した女性が仮設屋台村の一画に開いたお店だった。そういうことは多くある。もしかしたら僕が今、仲良くしている友人たちは震災なくしては出会えなかった人たちの方が多いかもしれない。」と添え書きがある。
私の弟と屋台村の店のオーナーの境目が何であったのかは分からない。むしろ、判別の事由を断じようとするのは驕りですらあるかもしれない。
「まとめるのうまいですね」。被災者の窮状の訴えか、あるいは復興支援に携わる人への取材か、そういったものを近江は筋道立てて記事にし、後日それを褒められたという状況が目に浮かぶ。止め処ない不安や苛立ちを多くの人の目に留まるよう纏めてもらえ、インタヴューされた側は正直有り難かったに違いない。職業柄、混沌とした事象を整理して一定の枠組みをその都度与えていかなければならない立場にあるのだから、そう後ろめたさを感じなくてもいい筈だ。けれど近江は「まとめてしまってごめん」と思う。それゆえにこそ、私は近江の言葉に信頼を置く。お仕着せのようにキリスト教の言葉を充てがうのは少し躊躇われるが、この近江の姿勢は「愛」なのだと私は感じる。どういう愛——?その問いへは次の聖句を以って返答としたい。
ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。 自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。 (コリントの信徒への手紙 一 8章1〜2節)