水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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空蝉

2006年07月25日 23時02分30秒 | 言葉に寄せて
源氏物語をコミック化した『あさきゆめみし』(大和和紀)と言えば、私の年代の女性にはかつて夢中になった方も多いのではなかろうか。私もご多分に漏れず中学時代友達から借りてハマり、特に空蝉と玉鬘(たまかずら)を気に入っていた。
方違えの夜運命のいたずらで源氏と一夜の契りを交わした空蝉は、その後の文を頑なに拒み続け、源氏の再訪にも薄衣を脱ぎ滑らして残すことで意志を通す。
旧約聖書の創世記にも、この空蝉を連想させるシーンがある。兄弟達の策謀によりエジプトの侍従長に売られたイスラエルの息子ヨセフは、その妻に言い寄られたところを服を残して逃げおおせるが、逆にヨセフが彼女をかどわかそうとしたと言いがかりを付けられ、監獄に入れられてしまう。
時に私達は、自分に落ち度が無いのに事態が悪い方へ悪い方へと向かうことを経験する。そのように追い詰められたら、普通だったら天を恨みたくなるだろう。5年半前の発病は私にとってまさに青天の霹靂であった。訳も分からぬままに山梨の病院に入院し、退院後もしばらくは摂食障害に悩まされ、字を書こうにも手の震えが止まらなかった。「何でこんな目に遭うのか…。」頼みの綱の聖書を読むのも辛い月日が続き、塞いだ気分をようやく脱したと思った時には既に数年が経っていた。
いつ頃だっただろうか、そんな悶々とした日をやり過ごしていたある時、詩編105編が目に留まった。

    主はこの地に飢饉を呼び
    パンの備えをことごとく絶やされたが
    あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。
    奴隷として売られたヨセフ。
    主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ
    首に鉄の枷をはめることを許された
    主の仰せが彼を火で練り清め
    御言葉が実現するときまで。
    王は人を遣わして彼を解き放った。
    諸国を支配する王が彼を自由の身にし
    彼を王宮の頭に取り立て
    財産をすべて管理させた。 (詩編105編16-21節より)

これを読んで、すぐに私のわだかまりが霧消したかと言えば、そうではない。相変わらず、日々ちょっとしたことでつまずき、神様に内心不平を並べている自分がいた。
今でも、神様がどのような計画をお持ちで私をこのような状況下に置いているのかは、私には分からない。ただ少しだけ変わったのは、時折この聖句を思い出して、神様は何か意味があって私が東京を追われるのを容認されたのだということを覚えるようになったことである。
見えない神様の計画を信じるのは、時として何とも心許なく感じられるものだ。せめてものよすがとして、ボブ・ディランの「Day of the Locusts」を聴いて自分を勇気付けることにしたい。(注:locustは蝉のこと。) この曲が入っている『New Morning』は有名盤の合間にひっそりとある一枚だけれど、のびのびとした雰囲気、私は結構好きだなぁ。
コメント
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