水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

ペンテコステに寄せて(2012年の証)

2021年06月24日 17時00分27秒 | その他
以下は、2012年のペンテコステ前に所属教会の当時のメッセージブログ(ケロログ←今は存在していない)に載せた証の文章です。

    *   *   *

 5月27日、教会ではペンテコステ(聖霊降臨日)を迎えます。ペンテコステとは、主イエス・キリストの復活から50日後に弟子たちに天から聖霊が下り、教会が誕生したことを記念する日です。クリスチャンでない方には「聖霊」と聞いて、いかにも宗教臭い、妄想みたいなものと感じられる方もいることでしょう。そこで今日は、聖霊とはどのようなものか、私の実体験を通してお話ししたいと思います。
 私は二十歳の時に洗礼を受けクリスチャンになりました。その後紆余曲折があって、教会を離れた時期がありました。職場も二転三転し、BGM制作会社に勤めていた時のことです。ある朝私は、通勤の地下鉄の駅から地上に出る階段を上っていました。その際にふっと、弟アベルへの怒りに燃えるカインに対する神の語りかけ「罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」(創世記4章7節)の箇所が、頭の中に降りてきました。私は内心胸騒ぎがしましたが、心当たりがなかったため、その場はやり過ごしました。
 私は、制作部の中の音楽事業グループに属していました。同じフロアには映像グループの方も席を置いていました。その日、映像グループのボス格のSさんが私にちょっかいを出してきました。「○○君、君は堅いよ!」とか、そんな感じのことを言われたんだったと思います。私は、特に言われる筋合いのない方から、自分の仕事場での姿勢について茶々を入れられたことにイライラして、そういうようなことは同じ映像グループのNさんに言うべきことなんじゃないの、という意味合いのことを聞こえよがしに吐き捨てました。
 フロアの空気に緊張が走りました。しばらくして私は「あっ!!」と思いました。朝、階段を上っている時にふっと頭に入ってきた聖句は、このことへの忠告だったんだ!私は、神様から離れている時にもこのように聖霊が働くことがあるのだという事実に慄然としました。しかし、時すでに遅し。それから幾つかの事件を経て、私は自分の内には愛が存在しないこと、神様から愛を頂かなければ人を愛せないことを思い知らされ、教会に戻る決心をしました。
 ヨハネによる福音書14章26節に、「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」とあります。聖霊とは、洗礼を受けた者と共にあって、聖書の言葉を思い起こさせ、私達が神の御心に立ち返って歩むのを助けてくれる存在であると、私は自分の経験から言うことができます。
 そんな不思議なことが……と尚もいぶかる方もいらっしゃるかもしれません。そのような方にお勧めします。是非教会へおいで下さい。そして、聖霊の守りにあずかる生活に満ちている平安をご自分の目でお確かめ下さい。

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