どうしてだ何があいつと違うのか言葉もあんなにエグいあいつと
(とど)
2020年11月8日 作歌。
*お題は上句。
(とど)
2020年11月8日 作歌。
*お題は上句。
脱衣所に吹く風だけは涼しげにこのおっぱいでいいのだと言う
なるべく冷静に書くようにと心がけていてもたいてい自分語りに陥ってしまう私の一首鑑賞だが、今回は平身低頭を装いつつ拙歌まで引用する厚かましさで自分語りを通させていただく。
エプロンの紐が右肩より落ちる腫瘍切除に胸の傾いで(拙歌/2017年8月2日 作歌)
右乳房の乳がんの手術を2012年初頭にして、抗がん剤治療、放射線治療を何とかくぐり抜け、少し落ち着いてみて気づいたことがある。エプロンの肩紐が右肩よりどうしてもずり下がってくるということである。ハンバーグ大の腫瘍を切除した分、右乳房の「嵩」は減っているので両胸のバランスが取れていないというわけだ。気にしても仕方ないこと、全摘した方のおつらさに比べれば……と思っていた。
自分にとっては、そうして肩紐がずり落ちることも日常になってしまい特に気にしてもいなかったが、市民交流センターの調理室を借りてそのころ月一で行われていた作業所の料理教室で、少し若めの男性メンバーにエプロンの肩紐が落ちてきていることを指摘されたのである。彼はどちらかと言えば思いやり深いタイプで、この時も気遣いで言ってくれたことは私にもよく分かった。「ああ、ありがとう……」と言いながら、内心苦い思いを噛み締めた。そのしばらく後にできたのが上の拙歌である。
この一件は私の中にそれほどの痼りは残さなかった。けれどそれからだいぶ経って母に指摘されたことに私は大きなショックを受けた。曰く「だらしない。安い女に見える」と。つまり、玄関の呼び鈴などが鳴った際にエプロンの肩紐がずり落ちた状態で扉を開けたりすれば、あるいは危険なことが起こるかもしれないというのである。私は非常に怖くなってしまって、翌通所日に作業所の指導員さんに相談し、幸いとても具体的な良いアドヴァイスをいただけた。しかし、病気など身の上に起こった致し方ない災難にまつわることに対し、そのように身内からも心ないことを言われるのは本当に身を切られるようだと痛切に思った。
さて、掲出歌では「胸」の様相について何も記していないから、ただ細身な女性が自分の胸を見て感じるちょっとした鬱屈を描写したとも考えられる。だが、もし何某かの手術を受けた女性が、普段肩身の狭い思いをして暮らしながら、ありのままの自分を受け容れてくれている「風」を感じているのだとしたら、何と慰めに満ちた歌であろうか。この一首を読んで浮かんだイザヤ書の御言葉を引いて、この稿を閉じたい。
彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し 形づくり、完成した者。(イザヤ書43章7節)
深水遊脚(2020年8月1日のTwitterより)
なるべく冷静に書くようにと心がけていてもたいてい自分語りに陥ってしまう私の一首鑑賞だが、今回は平身低頭を装いつつ拙歌まで引用する厚かましさで自分語りを通させていただく。
エプロンの紐が右肩より落ちる腫瘍切除に胸の傾いで(拙歌/2017年8月2日 作歌)
右乳房の乳がんの手術を2012年初頭にして、抗がん剤治療、放射線治療を何とかくぐり抜け、少し落ち着いてみて気づいたことがある。エプロンの肩紐が右肩よりどうしてもずり下がってくるということである。ハンバーグ大の腫瘍を切除した分、右乳房の「嵩」は減っているので両胸のバランスが取れていないというわけだ。気にしても仕方ないこと、全摘した方のおつらさに比べれば……と思っていた。
自分にとっては、そうして肩紐がずり落ちることも日常になってしまい特に気にしてもいなかったが、市民交流センターの調理室を借りてそのころ月一で行われていた作業所の料理教室で、少し若めの男性メンバーにエプロンの肩紐が落ちてきていることを指摘されたのである。彼はどちらかと言えば思いやり深いタイプで、この時も気遣いで言ってくれたことは私にもよく分かった。「ああ、ありがとう……」と言いながら、内心苦い思いを噛み締めた。そのしばらく後にできたのが上の拙歌である。
この一件は私の中にそれほどの痼りは残さなかった。けれどそれからだいぶ経って母に指摘されたことに私は大きなショックを受けた。曰く「だらしない。安い女に見える」と。つまり、玄関の呼び鈴などが鳴った際にエプロンの肩紐がずり落ちた状態で扉を開けたりすれば、あるいは危険なことが起こるかもしれないというのである。私は非常に怖くなってしまって、翌通所日に作業所の指導員さんに相談し、幸いとても具体的な良いアドヴァイスをいただけた。しかし、病気など身の上に起こった致し方ない災難にまつわることに対し、そのように身内からも心ないことを言われるのは本当に身を切られるようだと痛切に思った。
さて、掲出歌では「胸」の様相について何も記していないから、ただ細身な女性が自分の胸を見て感じるちょっとした鬱屈を描写したとも考えられる。だが、もし何某かの手術を受けた女性が、普段肩身の狭い思いをして暮らしながら、ありのままの自分を受け容れてくれている「風」を感じているのだとしたら、何と慰めに満ちた歌であろうか。この一首を読んで浮かんだイザヤ書の御言葉を引いて、この稿を閉じたい。
彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し 形づくり、完成した者。(イザヤ書43章7節)
愚痴だけのつもりがナラティブ強化する断捨離したい記憶のあって
(とど)
2020年10月23日 作歌。
*お題は下句。
(とど)
2020年10月23日 作歌。
*お題は下句。
喋りすぎ上から目線になっている 今日は葉書を出すのやめよう
(とど)
2020年10月26日 作歌。
(とど)
2020年10月26日 作歌。
あの人に君を取られて泣き笑い でも私にはイエスがいるから
(とど)
2020年10月31日 作歌。
*お題は上句。
(とど)
2020年10月31日 作歌。
*お題は上句。
手に余ることは考えないように獲らぬ狸の受賞スピーチ
(とど)
2020年10月25日 作歌。
*お題は上句。
(とど)
2020年10月25日 作歌。
*お題は上句。