まずは,次の文章をお読みください。
古くから人間によって家畜化された。主人に忠実であり,人間の最も古い友といえる。よく働くだけでなく,競走をして,賭博の対象ともなる。普通の人は食べないが,ある民族は食用にする。ただし家庭ではあまり食べない。すき焼き風の鍋にすることもある。味は牛肉に近く,美味である。しかし,食用の習慣のない国の人々は,しばしばこれを野蛮視する。
さて,ここまで読んできて,みなさんは何の話だと思われたでしょうか。
犬の話?
実はこれ,「馬の話」なのです。
もし,「犬の話」だと思った人がいるとすれば,その人は「文脈」による誤読をしたことになります。
文脈とは,この文章が書かれているシチュエーションのこと。これが「犬鍋の韓国便り」というブログに書かれた文章であること,筆者が犬鍋をこよなく愛している(らしい)こと,という文脈の中で読んだために,このような誤読が誘発されたわけです。
そのような文脈の先入観があったために,「よく働く」で,「番犬」「盲導犬」「警察犬」などのイメージがむくむくとわき上がり,「競走,賭博」という,普通なら当然「競馬」を連想させる表現を見ても,「アメリカにはドッグレースがあるよな」なんて思ったのではないでしょうか。
そして,「韓国に犬食の習慣があり,一般の日本人はそれを野蛮視している」という予備知識も,その誤読を支えたのでしょう。
とまあ,こんなことを突然書いたのは,今読んでいる本に面白い内容があったからです。その本の中に掲げられた,次の文を読んでみてください。
新聞の方が雑誌よりいい。街中より海岸の方が場所としていい。最初は歩くより走る方がいい。何度もトライしなくてはならないだろう。ちょっとしたコツがいるが,つかむのは易しい。小さな子どもでも楽しめる。一度成功すると面倒は少ない。鳥が近づきすぎることはめったにない。ただ,雨はすぐしみ込む。多すぎる人がこれをいっせいにやると面倒がおきうる。ひとつについてかなりのスペースがいる。面倒がなければ,のどかなものである。石はアンカーがわりに使える。ゆるんでものがとれたりすると,それで終わりである。
なんのこっちゃ?
難しい単語はないし,文章も平易。一文一文は完全に理解できるのに,全体としてはちんぷんかんぷん。
ここで,この文が「凧を作って揚げる」ことについての文章だ,という文脈を与えられたとしたらどうでしょう。
とたんにすべてが氷解し,霧が晴れるように文の隅々まで「わかる」のではないでしょうか。
これは西林克彦『わかったつもり-読解力がつかない本当の原因』(光文社新書2005年)からの引用です。
文章理解における「文脈」の重要性を論じた本で,文脈について次のような説明があります。
①文脈がわからないと「わからない」
②文脈がスキーマ(予備知識)を発動し,文脈からの情報と共同してはたらく
③文脈がそれぞれの部分の記述から意味を引き出す
④文脈が異なれば,異なる意味が引き出される
⑤文脈に引き出されたそれぞれの意味の間で関連ができることで,文がわかる
「馬の話」例は,④の典型例になっていると思います。
古くから人間によって家畜化された。主人に忠実であり,人間の最も古い友といえる。よく働くだけでなく,競走をして,賭博の対象ともなる。普通の人は食べないが,ある民族は食用にする。ただし家庭ではあまり食べない。すき焼き風の鍋にすることもある。味は牛肉に近く,美味である。しかし,食用の習慣のない国の人々は,しばしばこれを野蛮視する。
さて,ここまで読んできて,みなさんは何の話だと思われたでしょうか。
犬の話?
実はこれ,「馬の話」なのです。
もし,「犬の話」だと思った人がいるとすれば,その人は「文脈」による誤読をしたことになります。
文脈とは,この文章が書かれているシチュエーションのこと。これが「犬鍋の韓国便り」というブログに書かれた文章であること,筆者が犬鍋をこよなく愛している(らしい)こと,という文脈の中で読んだために,このような誤読が誘発されたわけです。
そのような文脈の先入観があったために,「よく働く」で,「番犬」「盲導犬」「警察犬」などのイメージがむくむくとわき上がり,「競走,賭博」という,普通なら当然「競馬」を連想させる表現を見ても,「アメリカにはドッグレースがあるよな」なんて思ったのではないでしょうか。
そして,「韓国に犬食の習慣があり,一般の日本人はそれを野蛮視している」という予備知識も,その誤読を支えたのでしょう。
とまあ,こんなことを突然書いたのは,今読んでいる本に面白い内容があったからです。その本の中に掲げられた,次の文を読んでみてください。
新聞の方が雑誌よりいい。街中より海岸の方が場所としていい。最初は歩くより走る方がいい。何度もトライしなくてはならないだろう。ちょっとしたコツがいるが,つかむのは易しい。小さな子どもでも楽しめる。一度成功すると面倒は少ない。鳥が近づきすぎることはめったにない。ただ,雨はすぐしみ込む。多すぎる人がこれをいっせいにやると面倒がおきうる。ひとつについてかなりのスペースがいる。面倒がなければ,のどかなものである。石はアンカーがわりに使える。ゆるんでものがとれたりすると,それで終わりである。
なんのこっちゃ?
難しい単語はないし,文章も平易。一文一文は完全に理解できるのに,全体としてはちんぷんかんぷん。
ここで,この文が「凧を作って揚げる」ことについての文章だ,という文脈を与えられたとしたらどうでしょう。
とたんにすべてが氷解し,霧が晴れるように文の隅々まで「わかる」のではないでしょうか。
これは西林克彦『わかったつもり-読解力がつかない本当の原因』(光文社新書2005年)からの引用です。
文章理解における「文脈」の重要性を論じた本で,文脈について次のような説明があります。
①文脈がわからないと「わからない」
②文脈がスキーマ(予備知識)を発動し,文脈からの情報と共同してはたらく
③文脈がそれぞれの部分の記述から意味を引き出す
④文脈が異なれば,異なる意味が引き出される
⑤文脈に引き出されたそれぞれの意味の間で関連ができることで,文がわかる
「馬の話」例は,④の典型例になっていると思います。
凧は作ったこともあげたこともない人にはさっぱりわからないでしょう。
予備知識や体験が無いと文脈は全然わからない?!
オーストラリアに渡った人類が犬を連れて行ったのが,数万年前のはずだから。