西江さんはまた,名エッセイストで,魅力的な旅のエッセイを数多く残しています。
彼自身が編んだ『日本の名随筆別巻51 異国』(作品社,1995)には,自身の『プログレッソ』という随筆が収録されています。長いものではないので,全文をご紹介します。
東京郊外のK町には,どこか国籍不明の雰囲気が漂っている。
その町の雑踏の中で,一人の少女が,汗ばんだ浅黒い腕に小型の犬をしっかりと抱いていた。
しなやかそうな少女の腕と,簡素な袖無しシャツでおおわれた胸と,肩の下までゆったりと下がっていく豊かな黒い髪の間で,明るい茶色の長い毛に全身をおおわれたその犬の腹が,大きく波打っていた。
酷暑である。外側からは見えないが,胸にうずまった犬の顔の先では,尖った口がなかば開き,赤い舌が熱気を帯びた息を小刻みにハッハッと送り出しているのが手にとるようによくわかった。
と,突然,その犬が,少女の胸のあたりをひと蹴りするような動作をしたかと思うと,身軽に地面の上に飛び下りて,わたしの足元をまるで蝶々のように軽やかに飛び跳ねたり,じゃれついたりしはじめたのだった。
その時になってはじめて見えた十四,五歳のその少女の顔は,程よく陽に焼けていた。健康な美しさが,顔の表情のみではなく,からだのすみずみにまであふれていた。少女は明らかにアジア人だった。しかし,どこかヨーロッパ人の血が入っているようにも思えた。
その顔は,瞬間的に,わたしがメキシコの南のはずれ,ユカタン半島のプログレッソで出会った一人の少女を思い出させた。そしてその犬は,メキシコの少女との出会いが縁で「ナビ」と名付け,東京の自宅で飼っていたわたしの犬を思い出させた。「ナビ」とは韓国語で,「蝶々」を意味する単語なのである。
――うちにもこれとそっくりな犬がいたんですよ,
と,わたしは思わずその少女に言った。それに答えるかのように,少女は澄んだ黒い瞳に,はにかみの表情を見せて,無言のまま微笑んだ。それはプログレッソの少女,マリアそのものだった。
プログレッソの海岸には,カリブの海の波が打ち寄せている。暑い陽ざしの中の重い空の青と,重い海の青が,浜辺で遊ぶ陽焼けした人々をおしつぶしそうに見える。
海岸を少し離れると,気が抜けたような陸地の景色が見えてくる。何もかもが乾燥していて,まばらに生えている細い灌木も,暑さの中で活気がない。気だるそうに走る車が,路傍の野草に,白い土ぼこりをふりかけて通り過ぎていく。
行く手に小さなパン屋があり,そこを覗き込んでいると,「同郷の人!」と,軽くはずんだ声をかけられて,わたしはマリアと知り合った。
――母があなたと同じ国の人なんです。会えばきっと母は喜びますよ。父はノルウェー人の船員だったけど,わたしの半分は韓国人なのよ,
と,マリアは言う。
わたしは韓国人でもないし,韓国の言葉も話せない。そのことをマリアに説明したのだが,それは彼女には意味がなかった。しかし,わたしはヨーロッパ人でもないし,マヤ族でもない。それに考えてみれば,彼女とほぼ同じ身体特徴を持つ人間だ。それだけでも同郷の人と言えるではないか。この土地で育ったマリアは,わたしのような人種を見たことがないのだろう。
マリアの家は海辺にあった。広い庭には背の高い椰子の林があり,快い風がその中を吹き抜けてくる。数羽のニワトリを追い回して飛び跳ねていた犬が,わたしのほうを向いて吠えると,その後ろからマリアの母が現れた。近づけば,確かにそこには,五十代の韓国の女の表情があった。しかし,インディオの民俗衣装を身にまとった彼女は,全体としてはやはりどう見ても一人のマヤ族の女としか見えなかった。
マリアの母親は,小さな時に,韓国からこの土地,メキシコの南,ユカタンまで父に連れられて来たと言った。そしてすぐ父を失い,マヤ族の中で一人で育ったことを話してくれた。
彼女は,韓国とはどんな国か,韓国の人々は何を食べているのか,韓国は日本とは別の国なのかと,次々にわたしに尋ねた。にもかかわらず,韓国語の単語をうろ覚えに記憶していた。そして,蝶のように飛び跳ねている犬にも,「ナビ」という名を付けていた。ナビは椰子の林の中で,白い砂を蹴散らしながら走り回っていた。
三十年近くもマリアの母は自分の国の人々に出会うこともなかったので,自分の国の風習も,地理もほとんど記憶にない。それにもかかわらず,自分の国の言葉のいくつかは一所懸命まもり続けて生きているのだ。このことは大いにわたしの心をうった。
こんなことが縁となり,その一年後のユカタンへの旅の折も,わたしは再びこの母娘の家を訪ねた。マリアは急に大人っぽくなり,母親はますます逞しくなったと感じた。
それからまた三年たち,旅先でのある日,予告もなしにわたしは彼女たちの家の庭に立っていた。家は静かで活気がなかった。庭もいくぶん荒れていた。出てきた母親は一挙に十年も年を取ってしまったかのようにやつれて見えた。そして重々しい口調で言った。
――マリアは数カ月前に死にました。あこがれのスチュワーデスになり,空を飛んで数日目に墜落したんです。
旅での出会いと別れは,いつもこんなふうである。確かなものは何もない。こんなことを考えていると,目の前の母親も,椰子の林も,犬も,海も,すべてがずっと昔の思い出の一駒のようにさえ思えてきてしまう。
その数年後,東京でわたしが飼った犬「ナビ」も,今はもういない。二十年の歳月はやはり長いのだ。
そして今も確かに記憶の中で生きているあの旅先での景色といえば,わたしの目の前に立っている一人の少女のみとなってしまっているのである。
構成といい,文章表現といい,読後の余韻といい…。こんな名文が書けたらいいなあ,と思います。
このエッセイを書いたときは,韓国語がしゃべれなかったようですが,その後やすやすとものにしたかもしれません。
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男性でないとかけない文です。
うらやましい。
このごろよく聞く「国際」的な生活の必要性を感じたためでもなく,学問のためというのでもなかった。
「見知らぬ奇妙な文字の連なりの背後には,自分の知らない世界が開けているに違いない」
とか,
「知らない言語で話している人物の口から出ている奇妙な音の連なりの背後には,わたしにとっては別世界に住んでいるその人物の歴史や文化が隠されているに違いない。喜怒哀楽も隠されているに違いない」
そんな世界を垣間見てみよう…
(『わたしは猫になりたかった』新潮文庫)
私の場合,韓国語もタイ語もインドネシア語も,全部「仕事のため」。ぜんぜんピュアじゃない…。
女性には書きにくいのかどうか,私にはわかりません。