犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

追悼 盧泰愚大統領

2021-10-28 13:41:24 | 韓国雑学
 韓国の盧泰愚(ノ・テウ)元大統領が、10月26日、亡くなりました。享年89歳。ご冥福をお祈りします。

 10月26日は、奇しくも朴正煕元大統領が暗殺された日だそうです。

 私が29歳で転職し、仕事の関係で韓国に深く関わるようになった1990年、大統領は盧泰愚氏でした。

 80年代後半、私はある出版社の地域研究部署で、ソ連の担当をしていました。隣の部署に韓国人やフィリピン人のスタッフもいて、ときどき話をしていました。

 1985年、ソ連にはゴルバチョフが共産党書記長になり、戦後の冷戦体制が揺らぎ始めていました。86年、フィリピンの独裁者マルコスが革命で倒れ、アジアの独裁国家の民主化のさきがけになりました。このとき、職場のフィリピン女性はとても興奮していました。

 当時の韓国は軍事政権で、私を含め、多くの日本人は韓国を「怖い国」と見ていたように思います。

 1979年に朴正煕大統領が暗殺されたあと、80年には民主化運動を弾圧した光州事件で多くの犠牲者が出ました。83年には、大韓航空機がソ連によって撃墜されたり、ビルマ(現ミャンマー)の首都ラングーン(現ヤンゴン)で、北朝鮮のテロリストが全斗煥大統領を爆殺しようとして未遂に終わった事件もありました。

 北朝鮮が「楽園」だという幻想を持っている人もけっこういました。私の会社では、大韓航空機撃墜事件(上記のソ連による撃墜事件。「真由美」事件ではない)に関する書籍が企画され、左寄りの著者は、KCIA(韓国中央情報部)の謀略説をにおわせていました。

 80年代半ば以降、民主化を求める学生運動が激化し、ソウル大の学生が拷問死した事件をきっかけに民主化デモが一般市民にも広がりました。

 このとき、韓国はオリンピックを招致し、88年のソウル開催が決まっていましたが、民主化デモが収まらない場合、開催地を変更することが検討されるようになりました。韓国の経済発展を世界にアピールするために是が非でもオリンピックを成功させたかった全斗煥政権は、思い切った決断をします。

 それが1987年の「民主化宣言」です。これは全斗煥の意志でしたが、発表は盧泰愚(与党民主正義党代表・次期大統領候補)によって行われました。

 民主化宣言の骨子は、それまで間接選挙だった大統領選挙を直接選挙にすることと、民主化闘争を行ってきた金大中の赦免・復権でした。

 87年12月の直接選挙による大統領選挙では、当然、民主化を求める野党候補が当選するものと思われ、与党候補の盧泰愚は苦戦が予想されました。

 ところが、さまざまな幸運によって、盧泰愚が当選します。盧泰愚は軍人出身でありながら、強面(こわもて)の朴正煕や全斗煥と違い柔和な顔立ちと物腰で、女性有権者の受けが良かったことも理由の一つです。

 しかし、もっとも大きい理由は、野党の金大中金泳三が最後まで自分が立候補すると言い張り、民主勢力の候補者一本化に失敗したことでした。

 そして、大統領選挙直前の11月に起きた「大韓航空機爆破事件(真由美事件)」がダメ押しをしました。これは北朝鮮工作員(金賢姫・金勝一)によるテロでした。北朝鮮は、韓国の政情不安をあおり、ソウルオリンピックを中止させることを目論んだのです。これによって韓国では北朝鮮に対する警戒感が一気に高まり、軍人出身の盧泰愚に有利に働きました。

 初の直接選挙による大統領選の投票率は90%に迫りました。盧泰愚は、得票率約36%、金泳三と金大中はそれぞれ27%前後でした。「過半数でなければ決戦投票」のような規定がなかったため、選挙はこれで確定しました。もし野党が候補者を一本化していたら、盧泰愚は負けていたはずです。

 同僚の韓国人女性は、全斗煥に父が経営していた新聞社をつぶされた恨みがあったそうで、選挙結果に大変失望していました。

 大統領に就任した盧泰愚は、1988年のソウルオリンピックを見事に成功させました。韓国の国際的地位は一気に高まり、91年には国連加盟も果たしました。全斗煥政権から続く経済成長も持続させました。そして、ベルリンの壁が崩壊すると、盧泰愚は北方外交に積極的に取り組み、90年にソ連と、92年には中国と国交樹立(台湾とは国交断絶)を成し遂げました。日本や西側諸国との関係も良好で、韓国は「怖い国」から「普通の国」にイメージチェンジを遂げました。

 しかし、1993年に大統領を退任したあとは、後任の金泳三大統領から、不正蓄財や過去の軍事クーデター、光州事件での責任を追及され投獄(97年に特赦)。

 不正蓄財はともかく、軍事クーデターや光州事件の責任を問うのは酷です。最高責任者は全斗煥で、盧泰愚は軍人として命令に従っただけですから。

 収監時の、全斗煥と手をつないだ写真は今も記憶に残っています。



 そのとき、韓国では次のようなアネクドート(政治風刺の小話)が流行りました。

 刑務所での服役者の会話。

囚人A「おめーさんたち、何やってぶちこまれたんだい」


囚人B「おれかい。おれは殺人よ」


囚人C「おれは強盗さ」


(新入りに向かって)


「おい、そっちのあんたは何やったんだ?」


囚人D「大統領さ」


 大統領になると投獄されるという伝統は、そのあとの大統領、朴槿恵、李明博にも受け継がれています(廬武鉉は投獄前に自殺)。

 実のところ、歴代大統領の中で、盧泰愚は韓国人にとって印象が薄いようです。

 廬武鉉政権時代の2006年に韓国の「中央日報」が行った、歴代大統領8人を評価するアンケート調査は次のようになっています。(リンク

1 朴正煕 55.4%
2 金大中 17.1%
3 全斗煥  3.1%
4 李承晩  2.2%
5 金泳三  1.6%


 尹普善、崔圭夏、盧泰愚の数字はありません。この3人は、「評判が悪い」というより、「印象に残っていない」ということだと思われます。

 しかし、軍人政権から文民政権への移行を「無血」で行ったこと、ソウル五輪を成功させたこと、旧共産圏との国交を開いたことなど、盧泰愚氏の業績は数多い。もう少し高い評価が出てしかるべきと思います。

 あらためてご冥福をお祈りします。

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4 コメント

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伊藤博文も。。 (しんこぶ)
2021-10-29 14:53:26
現役駐在員です。久々に投稿させていただきます。
伊藤博文が暗殺されたのも10月26日ですね。
実は娘の誕生日がこの日なので覚えてました。笑
政治指導者が3人も亡くなるなんて、日韓の政治家にとっては呪われた日なのかもしれませんね。
(1909年の方は、韓国にとっては"祝い"になるのでしょうが。。)
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シェアさせていただきました。 (skanno)
2021-10-31 08:22:09
今回もシェアさせていただきました。有り難うございました。犬鍋さんの文章は切れが良く、高度な内容ながらわかりやすい。いつも、このような文章力をうらやましく思います。
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しんこぶさん (bosintang)
2021-10-31 19:05:06
ごぶさたしています。三角地のチャドルパギの記事以来でしょうか。

伊藤博文が暗殺された日も同じ日とは知りませんでした。まあ、一年365日しかありませんから、長い歴史の中ではいろんなことが同じ日に起きているんでしょう。調べてみたら、李舜臣が日本の水軍を撃破した(と韓国で言われている)のも西暦1597年10月26日(和暦では9月16日)だったそうです。

娘さんが幸せな人生を送られることを祈念します。
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ほめていただきありがとうございます (bosintang)
2021-10-31 19:08:11
たんに、格調高く書くことができないだけだと思いますが…。

シェアもありがとうございました!
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