東京帰任が決まってから、ふつうなら何回も送別会を開いてもらえるところですが、コロナの緊急事態宣言下なので、大人数が集まっての会食はできない。
会社の部署の送別会は、オンラインでした。
プライベートの送別会も、人数を制限して、時間も8時まで。
大阪でもっともよく通っていたのは、Blueblueというカフェバー。だいたい週に2回は行っていました。ひどいとき(?)は、週4ということも。
実はそのお店、コロナの影響でしょうか、昨年末に閉店。私が年末に帰省する前の日、私のことを知るスタッフが集まって、お別れの会を開いてくれました。
そのとき、客として来ていたスタッフが、最後に「私がおごります」と言って、その店でいちばん高いシャンパン(1万4000円ぐらい)を頼み、その場にいた全員にふるまってくれました。
(申し訳ないなあ、いつかお返ししなくっちゃ)
そのときはまだ帰任が決まっていませんでしたが、大阪を離れる日が近づき、そのお店のホールやキッチンの元スタッフに声をかけてみました。3人が都合をつけてくれて、最近できたラム肉専門店で飲み会を開きました。
でも、時間は夜8時まで。みなさん、飲み足りなそうだったので、「テイクアウトなら半額」という宣伝をしているピザ屋さんにピザを注文し、私の家で二次会をすることに。
ピザ屋に向かうとき、そのうちの1人が姿を消し、戻ってきたときには自転車の荷台に洋酒のボトルをたくさん積んでいました。お店の閉店時に、余ったお酒をスタッフで山分けしたんだそうです。
私の好きなスコッチのシングルモルト以外にも、ブランデーや、日本産ウイスキーもありました。
私の家にはロックフォール(山羊のブルーチーズ)とワイン、少し前に中華系日本人からもらった「からすみ」(ボラの子)と彼が漬けた密造酒(金柑酒と山桃酒)がありました。
家飲みゆえ、時間を気にせずいろんな酒をちゃんぽんで空けていき、私は意識が朦朧としてきました。
夜中、頭ががんがんして目が覚めたとき、私は服のまま、ベッドの上にいました。
家飲みの途中から、いっさいの記憶がありませんでした。
見ると、テーブルの上も、シンクもきれいに片付いていました。人数分のグラスも皿も、元あった場所にしまわれていました。玄関先には、4~5本の空き瓶が。朝、家飲みをしたうちの一人にLINEをしました。
(昨日はどうも。すっかり片付けてくれたんだね!)
すると、
(いえ、お皿とコップをシンクに運んでちょっと洗っただけですよ)
という返事が。
(???)
(じゃ、そのあと食器をふいて棚にしまったのは僕なのか?)
どうやら、「アルコール性記憶喪失」を発症したようです。
その数日後、もっとひどい症状が表れました。
その日は、会社の同僚の日本酒マニアの家に招かれて、昼間から日本酒を飲みました。
スシローのテイクアウトのお寿司や、牛のたたきや、牡蛎のみそ炒めなどを肴に、出てきた酒は飛露喜純米大吟醸。滅多に手に入らない、レアな酒だそうです。
そして私が持参した例の金柑酒と山桃酒。
4時過ぎまで飲んでいたことは覚えています。そして、帰るときに同僚がタクシーを拾ってくれようとして、なかなか空車が来なかったことも。
そして、気がついたときは真夜中の2時。自宅ベッドの上でした。
(しまった! やってしまった!)
実は、その日は、夜も約束があったのです。新大阪の隣町、中津にあるバグースというインドネシア料理の店で、知り合いと待ち合わせていました。
どうも、すっぽかしてしまったようです。
(きっと、怒りのLINEが来てるだろうな)
おそるおそるLINEを確認すると、
「今日はありがとうございました! ゆっくり寝てくださいね」
という内容が22時過ぎに着信していたのです。
(えっ! 僕、そこに行ったんだ!)
財布の中には、バグースの領収書がありました(レシートではなく領収書を書いてもらったようです)。
翌日、LINEで、店での私の様子を聞いてみました。
「ほとんど何も覚えていないのですが、ご迷惑をかけませんでしたか?」
「フラフラ歩かれていましたが、迷惑とかはなかったです」
「よかったです! ところで、私はどうやって帰ったのでしょう? タクシー? 地下鉄?」
「地下鉄で西中(西中島南方の略)まで一緒に行きました」
(まったく覚えていない!)
特に問題行動はなかったので安心した半面、親しかったインドネシア人のマスターにしたであろう、惜別の挨拶をまったく覚えていないのが残念でした。
かつて、ソウルで似たような症状があったとき、その原因は、百歳酒と韓国焼酎のちゃんぽんでした。(リンク)
今回の、2回の「記憶喪失」は、どうも自家製の果実酒(金柑酒と山桃酒)が犯人だったようです。
東京に帰ったら、全体的な酒量とともに、焼酎とのちゃんぽんに注意しようと思います。
会社の部署の送別会は、オンラインでした。
プライベートの送別会も、人数を制限して、時間も8時まで。
大阪でもっともよく通っていたのは、Blueblueというカフェバー。だいたい週に2回は行っていました。ひどいとき(?)は、週4ということも。
実はそのお店、コロナの影響でしょうか、昨年末に閉店。私が年末に帰省する前の日、私のことを知るスタッフが集まって、お別れの会を開いてくれました。
そのとき、客として来ていたスタッフが、最後に「私がおごります」と言って、その店でいちばん高いシャンパン(1万4000円ぐらい)を頼み、その場にいた全員にふるまってくれました。
(申し訳ないなあ、いつかお返ししなくっちゃ)
そのときはまだ帰任が決まっていませんでしたが、大阪を離れる日が近づき、そのお店のホールやキッチンの元スタッフに声をかけてみました。3人が都合をつけてくれて、最近できたラム肉専門店で飲み会を開きました。
でも、時間は夜8時まで。みなさん、飲み足りなそうだったので、「テイクアウトなら半額」という宣伝をしているピザ屋さんにピザを注文し、私の家で二次会をすることに。
ピザ屋に向かうとき、そのうちの1人が姿を消し、戻ってきたときには自転車の荷台に洋酒のボトルをたくさん積んでいました。お店の閉店時に、余ったお酒をスタッフで山分けしたんだそうです。
私の好きなスコッチのシングルモルト以外にも、ブランデーや、日本産ウイスキーもありました。
私の家にはロックフォール(山羊のブルーチーズ)とワイン、少し前に中華系日本人からもらった「からすみ」(ボラの子)と彼が漬けた密造酒(金柑酒と山桃酒)がありました。
家飲みゆえ、時間を気にせずいろんな酒をちゃんぽんで空けていき、私は意識が朦朧としてきました。
夜中、頭ががんがんして目が覚めたとき、私は服のまま、ベッドの上にいました。
家飲みの途中から、いっさいの記憶がありませんでした。
見ると、テーブルの上も、シンクもきれいに片付いていました。人数分のグラスも皿も、元あった場所にしまわれていました。玄関先には、4~5本の空き瓶が。朝、家飲みをしたうちの一人にLINEをしました。
(昨日はどうも。すっかり片付けてくれたんだね!)
すると、
(いえ、お皿とコップをシンクに運んでちょっと洗っただけですよ)
という返事が。
(???)
(じゃ、そのあと食器をふいて棚にしまったのは僕なのか?)
どうやら、「アルコール性記憶喪失」を発症したようです。
その数日後、もっとひどい症状が表れました。
その日は、会社の同僚の日本酒マニアの家に招かれて、昼間から日本酒を飲みました。
スシローのテイクアウトのお寿司や、牛のたたきや、牡蛎のみそ炒めなどを肴に、出てきた酒は飛露喜純米大吟醸。滅多に手に入らない、レアな酒だそうです。
そして私が持参した例の金柑酒と山桃酒。
4時過ぎまで飲んでいたことは覚えています。そして、帰るときに同僚がタクシーを拾ってくれようとして、なかなか空車が来なかったことも。
そして、気がついたときは真夜中の2時。自宅ベッドの上でした。
(しまった! やってしまった!)
実は、その日は、夜も約束があったのです。新大阪の隣町、中津にあるバグースというインドネシア料理の店で、知り合いと待ち合わせていました。
どうも、すっぽかしてしまったようです。
(きっと、怒りのLINEが来てるだろうな)
おそるおそるLINEを確認すると、
「今日はありがとうございました! ゆっくり寝てくださいね」
という内容が22時過ぎに着信していたのです。
(えっ! 僕、そこに行ったんだ!)
財布の中には、バグースの領収書がありました(レシートではなく領収書を書いてもらったようです)。
翌日、LINEで、店での私の様子を聞いてみました。
「ほとんど何も覚えていないのですが、ご迷惑をかけませんでしたか?」
「フラフラ歩かれていましたが、迷惑とかはなかったです」
「よかったです! ところで、私はどうやって帰ったのでしょう? タクシー? 地下鉄?」
「地下鉄で西中(西中島南方の略)まで一緒に行きました」
(まったく覚えていない!)
特に問題行動はなかったので安心した半面、親しかったインドネシア人のマスターにしたであろう、惜別の挨拶をまったく覚えていないのが残念でした。
かつて、ソウルで似たような症状があったとき、その原因は、百歳酒と韓国焼酎のちゃんぽんでした。(リンク)
今回の、2回の「記憶喪失」は、どうも自家製の果実酒(金柑酒と山桃酒)が犯人だったようです。
東京に帰ったら、全体的な酒量とともに、焼酎とのちゃんぽんに注意しようと思います。
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