モンテーニュの「エセーⅡ」には,
「法王(教皇)ボニファキオ(ボニファティウス)8世は「狐のようにその地位につき,獅子のようにその職務をおこない,犬のように死んだ」
と書いているそうです。
ウィキペディアによれば,
「ボニファティウス7世(8世)は974年のローマ教皇ベネディクトゥス6世の死に関わったとされている。教皇として即位宣言するも、ローマ市民の蜂起によりコンスタンティノポリスへ逃亡せざるをえなくなった。逃亡の際には多量の財宝を持ち出した。984年4月にローマへ帰還。ローマ市民から反感を買っていた教皇ヨハネス14世をサンタンジェロ城に幽閉したうえ、同年8月20日に死亡させる。しかしボニファティウス7世の治世は短く、翌985年には殺害されその生涯を閉じた」
電子辞書に入っているマイペディアによれば,
「中世的教皇権の再興に努め,近世国家の絶対主義王権をめざすフランス国王フィリップ4世に対抗。1296年フランスの聖職者課税に反対し,1302年教書で教権が俗権にまさることを宣した。しかし1303年アナーニ事件でフィリップに敗れ,憤激のうちに没。その死後教権は衰退」
「狐のようにその地位につき」は,謀略(前法王の死に関与)による地位簒奪をさし,「獅子のようにその職務をおこなう」というのは,いったんは市民の蜂起にあって逃亡するも,すぐに復帰し前任者を幽閉し,死に追い込み,一方でフランス国王に対抗するというような獅子奮迅の働きを言うのでしょう。
では,「犬のように死んだ」はどうか。「憤激のうちに」「殺害された」という死に方を言うようです。
日本語で「犬死に」と言えば,何の役にもたたない死に方,無駄死に,というニュアンスですが,フランス語のニュアンスはちょっと違う。プチ・ロベールによれば,
「犬のように死ぬ」は,「世話もされず,絶望の中で,見捨てられて」死ぬこと。
「犬のように殺す」は「血も凍るように,いかなる慈悲もかけずに,殺す」こと。きわめてみじめな死に方というニュアンスです。
翻って,韓国語では,犬はどのようなニュアンスをもっているのか。
韓国語で発達している罵倒語の中で,犬は特別の地位を与えられており,「犬の赤ちゃん(ケセッキ)」「犬の子ども(ケチャシク)」が,最高度の罵倒であることは,以前書きました(→リンク)。
辞書にある,犬がらみの慣用句をいくつか紹介しましょう。
犬が糞をいやという(大好物であるはずなのにいやという場合)
犬のように汚く稼いで宰相のように清く暮らす(汚く稼いでも正しく有用に使う)
死んだ丞相が生きた犬より劣る(死んでの長者より生きての貧乏)
犬が憎くてタコを買う(犬が憎くて犬の嫌いなタコを買う,嫌いな者にわざと嫌がることをする)
犬の目には糞だけが見える(何かに凝ると目に映るもきがすべてそのように見える)
犬も五日飼えば主人を見分ける(犬でさえ恩がわかるのに,まして人間は…)
犬のあとについていけば便所に行く(くだらない人間とつきあうとよからぬ所へ行くことになる)
犬を殴りつけるようだ(他人を容赦なくぶん殴ることのたとえ)
これらの慣用句からほのみえる,韓国における犬のイメージは,
「(実際に)汚い」(糞を食う?)
「(やりかたなどが)汚い」
「貧乏」
「タコが嫌い(?)」
「恩を知る」
「くだらない」
「殴る対象」…
といったところでしょうか。肯定的なものは,「恩を知る」くらい。
次は前に紹介したものですが。
「どんな怨みか言ってみろ。お前の顔に書いてあるぞ,日本が旭日昇天の頃,尻っぽがチギレるほど振りましたと。どうだ。おれの占いは当たるだろ」
「…どうだ,〈敗戦日本〉を見下しながら仇呼ばわりをするのはいい気持ちだろ。なにしろ相手がピンピンしているときは尻っぽを振るので忙しかったからね」(→リンク)
「君も僕もみな知らなかったのだ。みんな眠っていたのだ。神社参拝しろといわれれば腰が折れんばかりに拝み,姓を改めろといわれると競い合って改め,時局講演といえばありったけの才能を傾けて語り,米英を罵倒し,転向しろといわれれば実にアッサリ転向し,よく見られようと聖書も直し,教会も売り,信用が得られるとなると四つん這いになり,犬の鳴き声もしてみせた」(→リンク)
「主人に仕える,従順」を通り越して,「卑屈」というイメージが強いようです。
「法王(教皇)ボニファキオ(ボニファティウス)8世は「狐のようにその地位につき,獅子のようにその職務をおこない,犬のように死んだ」
と書いているそうです。
ウィキペディアによれば,
「ボニファティウス7世(8世)は974年のローマ教皇ベネディクトゥス6世の死に関わったとされている。教皇として即位宣言するも、ローマ市民の蜂起によりコンスタンティノポリスへ逃亡せざるをえなくなった。逃亡の際には多量の財宝を持ち出した。984年4月にローマへ帰還。ローマ市民から反感を買っていた教皇ヨハネス14世をサンタンジェロ城に幽閉したうえ、同年8月20日に死亡させる。しかしボニファティウス7世の治世は短く、翌985年には殺害されその生涯を閉じた」
電子辞書に入っているマイペディアによれば,
「中世的教皇権の再興に努め,近世国家の絶対主義王権をめざすフランス国王フィリップ4世に対抗。1296年フランスの聖職者課税に反対し,1302年教書で教権が俗権にまさることを宣した。しかし1303年アナーニ事件でフィリップに敗れ,憤激のうちに没。その死後教権は衰退」
「狐のようにその地位につき」は,謀略(前法王の死に関与)による地位簒奪をさし,「獅子のようにその職務をおこなう」というのは,いったんは市民の蜂起にあって逃亡するも,すぐに復帰し前任者を幽閉し,死に追い込み,一方でフランス国王に対抗するというような獅子奮迅の働きを言うのでしょう。
では,「犬のように死んだ」はどうか。「憤激のうちに」「殺害された」という死に方を言うようです。
日本語で「犬死に」と言えば,何の役にもたたない死に方,無駄死に,というニュアンスですが,フランス語のニュアンスはちょっと違う。プチ・ロベールによれば,
「犬のように死ぬ」は,「世話もされず,絶望の中で,見捨てられて」死ぬこと。
「犬のように殺す」は「血も凍るように,いかなる慈悲もかけずに,殺す」こと。きわめてみじめな死に方というニュアンスです。
翻って,韓国語では,犬はどのようなニュアンスをもっているのか。
韓国語で発達している罵倒語の中で,犬は特別の地位を与えられており,「犬の赤ちゃん(ケセッキ)」「犬の子ども(ケチャシク)」が,最高度の罵倒であることは,以前書きました(→リンク)。
辞書にある,犬がらみの慣用句をいくつか紹介しましょう。
犬が糞をいやという(大好物であるはずなのにいやという場合)
犬のように汚く稼いで宰相のように清く暮らす(汚く稼いでも正しく有用に使う)
死んだ丞相が生きた犬より劣る(死んでの長者より生きての貧乏)
犬が憎くてタコを買う(犬が憎くて犬の嫌いなタコを買う,嫌いな者にわざと嫌がることをする)
犬の目には糞だけが見える(何かに凝ると目に映るもきがすべてそのように見える)
犬も五日飼えば主人を見分ける(犬でさえ恩がわかるのに,まして人間は…)
犬のあとについていけば便所に行く(くだらない人間とつきあうとよからぬ所へ行くことになる)
犬を殴りつけるようだ(他人を容赦なくぶん殴ることのたとえ)
これらの慣用句からほのみえる,韓国における犬のイメージは,
「(実際に)汚い」(糞を食う?)
「(やりかたなどが)汚い」
「貧乏」
「タコが嫌い(?)」
「恩を知る」
「くだらない」
「殴る対象」…
といったところでしょうか。肯定的なものは,「恩を知る」くらい。
次は前に紹介したものですが。
「どんな怨みか言ってみろ。お前の顔に書いてあるぞ,日本が旭日昇天の頃,尻っぽがチギレるほど振りましたと。どうだ。おれの占いは当たるだろ」
「…どうだ,〈敗戦日本〉を見下しながら仇呼ばわりをするのはいい気持ちだろ。なにしろ相手がピンピンしているときは尻っぽを振るので忙しかったからね」(→リンク)
「君も僕もみな知らなかったのだ。みんな眠っていたのだ。神社参拝しろといわれれば腰が折れんばかりに拝み,姓を改めろといわれると競い合って改め,時局講演といえばありったけの才能を傾けて語り,米英を罵倒し,転向しろといわれれば実にアッサリ転向し,よく見られようと聖書も直し,教会も売り,信用が得られるとなると四つん這いになり,犬の鳴き声もしてみせた」(→リンク)
「主人に仕える,従順」を通り越して,「卑屈」というイメージが強いようです。
でも日本でも犬はあまり良く思われていなかった。
ルール無用の非道がまかり通る今の世の中。
「犬畜生にも劣る」とは、やはり人間に対する表現なんですね。
国語大辞典にこういう用例がありました。
「彼は日帝の手先をする犬だ」