「許容されている殺人」として、「正当防衛」に似たものに、「緊急避難」があります。
緊急避難は、たとえば「カルネアデスの板」によって説明されます。
一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、壊れた船の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪に問われることはなかった。(ウィキペディアより)
「カルネアデスの板」は、古代ギリシアの哲学者カルネアデス(紀元前2世紀)が考えたとされる「思考実験」です。実際に、似たような事件が19世紀のイギリスで、もっと劇的な形で起こりました。
それが「ミニョネット号事件」。
1884年の夏、4人のイギリス人船乗りが南大西洋を漂流していた。4人は乗っていたミニョネット号が嵐で沈没し、救命ボートで脱出したのである。食料は缶詰2個、飲み水はなかった。4人とは、トーマス・ダドリー(船長)、エドウィン・スティーヴンズ(一等航海士)、エドムンド・ブルック(甲板員)、リチャード・パーカー(雑用係)。パーカーは最も若く、17歳。不幸な生い立ちで孤児。このときが初めての長期航海だった。
彼らは、ほかの船が通りかかり、自分たちを救助してくれることを願いながら、水平線を見つめ続けた。最初の3日間は缶詰を分け合って食べた。4日目に海亀を1匹捕獲し、数日間の食料とした。その後の8日間、食料はまったくなかった。雑用係のパーカーは、ほかの者たちの忠告を聞かずに海水を飲み、体調を崩して寝込んでいた。遭難から19日目、ダドリー 船長は「くじ引きで誰が死ぬか決めよう。その肉を食べれば、ほかの者は生き延びられるかもしれない」と提案したが、甲板員の ブルック が反対した。 ブルックが反対した理由はわからない。自分が死ぬのが嫌だったのかもしれないし、他人を殺すのが嫌だったのかもしれない。結局、くじ引きは行われなかった。翌日、船長はブルックに目をそらしているように言った後、一等航海士の スティーヴンズ に目くばせし、パーカーを殺すことを伝えた。船長はナイフを取り出し、スティーヴンズ と二人がかりでパーカーを殺害した。パーカーの殺害に加わらなかったブルックも分け前にあずかり、3人は4日間、パーカーの肉と血で命をつないだ。
遭難から24日目、彼らは通りかかったドイツの船に救助され、故国イギリスに送還された。イギリスで3人はただちに逮捕された。殺人に手を貸さなかったブルックは検察側証人になった。
船長と一等航海士は、裁判で、「パーカーを殺し、食べた」と正直に証言した。
弁護士は、
「悲惨な状況下で、3人を救うために1人を殺すことが必要だった。誰も殺されず、食べられなかったら、おそらく4人全員が死んでいた。パーカーは衰弱しており、長く生きられそうになかった。さらにほかの3人とは違って身内がおらず、彼が死んでも支えを奪われる者はなく、悲嘆にくれる妻子が残されることもなかった」
と主張した。
つまり、利益(3人の生存)がコスト(1人の死亡)を上回ったということである。
この主張に対する第一の反論は、
「1人が死んで3人が生き残ることは、利益がコストを上回ると考えられる。しかし、その他のコストもあるのではないか。こうした殺人を許容することは、社会に悪影響がありうる。殺人に対する規範が緩んだり、正規の裁判を経ないリンチを許容する傾向が強まったり、あるいは今後船長が雑用係を雇いにくくなったり…」
というもの。
第二の反論は、
「たとえ利益がコストを上回ったとしても、無抵抗の人間を殺して食べること、相手の弱みにつけこみ、同意もなく命を奪うというのは間違っている。損得の計算で殺人を許容すべきではない」
というもの。
当初、「カルネアデスの板」に見られる「緊急避難」を適用した違法性の阻却(不起訴)が考えられたが、イギリス当局は「殺人は殺人である」として起訴。最初の裁判の陪審員は、違法性があるか否かを判断できないと評決したため、イギリス高等法院が緊急避難か否かを自ら判断することになった。イギリス高等法院はこれを緊急避難と認めることは法律と道徳から完全に乖離していて肯定できないとし、謀殺罪として死刑が宣告された。
しかし、世論は死刑判決を下された2人に同情する声が強かったため、当時の国家元首であったヴィクトリア女王から特赦され、禁固6か月に減刑された。
この事例は、アメリカの哲学者、マイケル・サンデルが2005年にハーバード大学で行った講義で紹介されました。書籍としては、『ハーバード大学白熱教室講義録(上・下)』(小林正弥・杉田晶子約、2010年、早川書房刊。2012年同文庫)、『これからの「正義」の話をしよう』(鬼澤忍訳、2010年、早川書房刊、2011年同文庫)で読むことができます。
ハーバード大学の講義では、この殺人が道徳的に許容されるかについて、サンデル教授と多くの学生たちの間で白熱した議論を繰り広げられました。
殺人を弁護する意見としては、
「悲惨な状況下で生き延びるには必要な行為だった」、
(暗黙裡に)「死者と生存者の「数」も重要だ」、
「パーカーは孤児で、ほかの3人より悲しむ者が少なかった」
など。
批判する意見としては、
「殺人は絶対に許されない」
「たとえ「社会全体の幸福」が増えるにしても、殺人は常に間違っている」
など。
ほかに、
「殺人は、公正な手続きを経ていないから問題だ。もし、くじ引きで誰が死ぬかを決めていたらいいかもしれない」
というのもあります。
これはつまり、殺人が絶対悪なのではなく、「平等」でないのが問題だという考え。
さらに、
「もしパーカーが同意していたら許される」
という意見も。
この事案は、さまざまな問題を提起します。
「なぜ人を殺してはいけないのか」の答えとして、「残された家族が悲しむから」というのがありえますが、じゃあ家族のいない人は殺してもいいのか(パーカーのように)。
公正な手続きを経た殺人はいいのか(死刑のように)。
本人の同意のある殺人はいいのか。安楽死や、自殺ほう助のように。
多くの人を助けるためなら、少数の人を殺してもいいのか。
最後のものは、米国が日本に原爆を投下した際に使われた論理です。
もし原爆を使用せず、「本土決戦」となれば、100万人の米兵の戦死が予想されたので、それを防ぐために原爆を落とし比較的少数(約20万人)の市民を殺害したのは正当である。
原爆投下問題は、「虎に翼」でも扱われました。
「虎に翼」に思う~原爆裁判
裁判では、原爆投下を国際法違反(市民の殺傷、残虐兵器の使用)としましたが、米国では「正当防衛」とする意見が根強い。
「100万人」というのは誇張で、原爆による死者、約20万人より大幅に多いことを強調するために作られた数字でしょう。
この考えの裏には、「功利主義」があります。ベンサムの「最大多数の最大幸福」という考え方です。幸福と不幸を天秤にかけ、幸福が上回れば不幸は許容される。
原爆投下は、少数(20万人)の不幸によって多数(100万人)の幸福を得た事例だいうことです。
美雪に対する虎子の答えに戻ると、虎子の考えは「殺人はどんな場合にも絶対に許されない」という考えに近いと思われます。
「人は、人を殺してはいけないと、本能で理解している」
以前書いたように、ここで「本能」という概念を使うのは不適切だと思いますが、虎子の言いたかったのは、
「人は誰でも、人を殺してはいけないという良心を持っている」
ということではないかと思います。
これについて、次回、さらに考えてみようと思います。
(つづく)
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