犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

謎の石島

2012-09-25 23:21:31 | 近現代史

 次は、1900年に大韓帝国が出した勅令41号です。

勅令41号

鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に改正する件

第一条 鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、管制に編入し、郡等級は五等にすること

第二条 郡庁は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島石島を管轄すること
(以下略)

 竹島という名前が出てきますが、これは今の竹島のことではありません。鬱陵島のすぐ東にある竹嶼を指すんだそうです。

 そしてもう一つ、石島というのが出てきます。これまで鬱陵島に関わる文書の中に石島という名前の島が出てきたことはありません。そして、勅令41号の後にも石島が話題に上ることはありませんでした。つまり、後にも先にも石島が文書の中に出てくるのは、1900年の勅令41号だけなのです。

 
謎の島、石島をめぐっては、日韓からさまざまな説が出ています。

 日本の研究者の中には、鬱陵島の東北にある小島、観音島だろうという人もいます。

 一方、韓国の研究者は石島を今の竹島/独島のことだと見て、1900年時点で韓国が独島を領有していたことの証拠にしようとします。

 実は、1900年当時、独島という呼び方もなかったのですね。独島という表記が公文書に現れるのは、上の勅令が出た5年後の1906年のこと。その前年、ご存じのように島根県は無主地であった竹島を日本領土に編入しました。

 そして1906年、鬱陵島を訪れた島根県の調査団から日本が竹島を領有したことを聞いた鬱陵島の郡守、沈興沢は「本郡所属独島…」で始まる報告書を書きました。これが公文書における独島表記の始まりです。

 
では、勅令の中の石島が独島とどうつながるのか。この推理がなかなか面白い。

 よく、日本語を勉強している韓国人が、「日本語の漢字は読み方がたくさんあって難しい。韓国語は読み方が一つなのに…」と不平を言います。

 確かに韓国の漢字の「音」は原則として一つです。中には「車」のように、自動車のときはチャ、自転車のときはコと読むような例外もありますが、それは少数です。

 という漢字の音はソク(seok)、島はト(to)。石島を韓国の音読みにするとソクト(seokto)になります。

 しかし、勅令で「石島」と書かれている島が「ソクト」という音で呼ばれていたかどうかはわからない。なぜなら、島の名前は漢字語ではなく固有語で呼ばれることが多いからです。

 石を意味する固有語はトル(tol)、島を意味する固有語はソム(seom)です。したがって、実際には「ソクト」ではなくて、「トルソム」と呼んでいたかもしれない。その島を、漢文の公式文書に書く際、「意訳」して石島という漢字をあてたという可能性があるのです。

 
さて、ここからが面白いのですが、石の固有語トルは、ソウル地方の発音であって、鬱陵島で石のことをトルと言っていたかどうかはわからない。方言で呼んでいたかもしれない。

 では、1900年の鬱陵島にどんな人が住んでいたかというと…。

 鬱陵島は、1882年まで朝鮮の空島政策をとっていたため、無人島でした。朝鮮は1883年から鬱陵島の開拓を始め、対岸の江原道や慶尚道から農民を移住させました。江原道や慶尚道北部の言葉では、石はトルです。

 ただ、鬱陵島には、春から秋にかけて全羅道方面からたくさんの漁民たちがやってきて、木の伐採や造船、ワカメの採取などをしていました。彼らは秋が過ぎると全羅道に戻っていったそうですから、一時的な滞在者です。

 1900年の鬱陵島で、どこの出身者が多数派だったかはよくわかりません。

 朝鮮の方言を初めて本格的に調査した人は、京城帝国大学の言語学者、小倉進平です。彼の遺著『朝鮮語方言の研究』(1944年)によれば、全羅南道および慶尚南道の方言では石(トル)のことをトクと言っていたそうです。

 鬱陵島に通ってきていた全羅道の人々は、石の島という意味で、「トルソム」という代わりに「トクソム」と言っていた可能性があるわけです。

 在日の研究者、朴炳渉氏は、当時の韓国で石島と表記されていた島をいくつも探してきて、その実際の名称を分析し、それらが「トルソム」「マクソム」「トリソム」「トクソム」などと呼ばれていたことを明らかにしました。このうち、「トクソム」というのは全羅南道にある島だそうです。

 一方、独島は今は「トクト」と呼ばれていますが、昔はちがったらしい。1953年に歴史家の崔南善が書いた文章では、「独島」をトクソムとハングルで書いています。

 つまり、全羅南道出身者が、ある島を指して「トクソム」(石の島の意味)と呼んでいた島を、1900年に漢文に書き表すときは「石島」としたが、同じ「トクソム」を、1906年のときは「トク」という音を持つ別の字、すなわち「独」をあてて、「独島」と表記したというわけです。

 こうして、1900年勅令41号の石島は、1906年の独島に見事につながりました。
なんだか、推理小説を読んでいるような気分です。

 
じゃあこれで1900年において韓国が今の独島を領有していたことが証明されたかというと、そうはいかない。

 
その理由は二つ。

 一つは、1900年に鬱陵島の人々がトクソム(石島)の名前で呼んでいたであろう島が、本当に今の独島/竹島をさしていたかどうかがわからないこと。

 もう一つは、もしトクソムが今の独島/竹島をさしていたとしても、韓国がその島を実効支配していたといえるかどうかは検証の必要があるからです。

 
これについては、いずれ当ブログで検証していきたいと思います。


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