植民統治策への評価
(1)化外の島
台湾は15世紀以降になって初めて開発されたが,清朝はこの島をもてあました。野蕃人がおり,土匪が横行し,害獣が多く,疫病が流行していた。このため清朝は台湾を「化外の地」として放任し続けた。
台湾で,蕃人,土匪は大変おそれられていた。日本統治下で討伐計画が立てられて,討伐後,生蕃に対して徹底的な教育を施した結果,教育普及は漢民族を越え,太平洋戦争では高砂族(蕃人の改称)は陸軍志願兵に参加,軍人または軍属として,もっとも日本軍に忠誠を尽くして功を立てた。「土匪」は日本の討伐により完全に姿を消した。
日本統治下50年3カ月の間に,治安の強化,制度の定着,教育の普及,陋習の打破,衛生改善,資源開発,社会文化の進歩,経済の発展と近代的建設が推進された。戦争後中国に復帰したあと,日本統治の基礎の上に国民政府の48年の治績が加わって,台湾は「化外の地」から,今日のような住みよい楽土となった。
(2)海南島と台湾
台湾と海南島は面積も気候風土も類似している。日本の領有前,台湾のほうがやや開発されていたが,中国本土に比べればどちらも未開であった。半世紀の日本統治のおかげで,台湾は中国本土を凌ぐ発展ぶりを示している。
筆者は公平,客観的立場から,次のような批判をくだしたい。
日本の植民地統治政策は,世界に稀なる専制政治として大いに非難すべきだが,領台後に献身的にこの島のために働いた医師,学校の教師,技術者,農業指導者らの無名の英雄をはじめとして,この島を立派にしようと努力した日本人の苦労あってこそ,祖国復帰後,国府が植民地統治がもたらした基礎を生かして,容易に,加速度的に近代国家を建設できたのである。
具体的には戸籍制度,土地調査,衛生,電力,交通網,運輸,都市計画,治安司法,国民教育の施設と普及,農業水利灌漑の整備,金融税制,農協組織,陋習を打破した近代思想の定着,遵法精神と物事を処理する観念などは,台湾の資産として台湾人に受け継がれ,大陸を遥かに凌ぐ発展の基礎となった。
この点,朝鮮も日本統治35年の間に,日本が築いて残したあらゆる施設と制度が韓国人によって受け継がれた。だから今日,韓国と台湾両地の政府による治績は多いに讃えられるべきだが,日本が両地に残した基礎があってこそ,現在の建設発展をたやすくなし得たのである。しかし,両地の人々がわざと日本統治下の治績を貶抑するのは,不公平である。
また,終戦によって台湾が祖国復帰をなし遂げてから,すべての価値観が一変した。これまで「土匪」「野心家」「不逞の輩」「悪徒」として総督府に追討された人々は,すべてがその実体を問わず,「抗日烈士」「民族革命家」として,台湾を代表する英雄として崇められるようになったのは,余りにも慎重を欠いた気がする。
(3)経済発展の要因
およそ国,地域の経済発展の原動力は,その国,地域の政治制度の定着,社会の安定,諸施設の完備および人民の勤労精神があいまって成功するものである。
台湾は清朝時代の「化外の地」から,日本が50年3カ月の植民地統治の間に鋭意経営したおかげで,住みよい楽土となった。
戦後,それまでに築かれた有形無形,物質的あるいは精神的な建設の基礎と人民に植えつけられた遵法精神,生産観念,勤労と経営理念が台湾の資産として,その後の国民政府による台湾経済発展の重要な土台となった。今日,国府の素晴らしい経済発展の大きな治績を讃えると同時に,私は日本統治の治績を抹殺するわけにはゆかない。日本植民地統治の治績があってこそ,今日の台湾経済発展を成功せしめたのである。
過去,台湾の官,学界では「植民台湾」「工業日本,農業台湾」などと言って植民地統治の治績を貶め,当局に迎合してきたが,これは不公平である。
日本が台湾を住みよくしようと考えていなければ,産業調査の必要もなく,行政,治安,金融,農業,林業などの施策を強化する必要もなかった。「農業台湾」は事実だが,それは台湾に鉱産物が少なく,初期工業発展に不利であり,農業発展にもっとも適していたからである。植民地末期は工業発展の条件も整ったので工業にも力を入れた。
この点,朝鮮も同じである。「南鮮農業,北鮮工業」である。それも朝鮮の経済発展にもっとも適していたからだ。
ある人々は「台湾における日本の建設は第二次大戦によって完全に壊滅され,わが政府によって経済発展したのである」と言う。しかし,この点については,私は同意できない。なぜなら「物資的建設はたやすく戦争によって破壊されるが,制度と観念,規律を守る遵法精神と生産観念,勤勉と節約,物事を処理する態度は簡単に崩潰しない。
すなわち,半世紀にわたった植民地統治の下で行われた専制もさりとて,高度なまでの教育の普及,台湾総督府をつうじて徹底した遵法精神の教育,つまり「法は絶対であり,お上のやることは法の具現として正しい」と教え込まれた「善良な市民」は,与えられた法を守り,お上に従った。その尊い精神と社会秩序を維持する観念,および政府を信じ,命令に絶対服従する精神が国府によって受け継がれた。だから日本統治あってこそ,我が国の建設を容易ならしめ,経済発展を成功せしめたのである。
(1)化外の島
台湾は15世紀以降になって初めて開発されたが,清朝はこの島をもてあました。野蕃人がおり,土匪が横行し,害獣が多く,疫病が流行していた。このため清朝は台湾を「化外の地」として放任し続けた。
台湾で,蕃人,土匪は大変おそれられていた。日本統治下で討伐計画が立てられて,討伐後,生蕃に対して徹底的な教育を施した結果,教育普及は漢民族を越え,太平洋戦争では高砂族(蕃人の改称)は陸軍志願兵に参加,軍人または軍属として,もっとも日本軍に忠誠を尽くして功を立てた。「土匪」は日本の討伐により完全に姿を消した。
日本統治下50年3カ月の間に,治安の強化,制度の定着,教育の普及,陋習の打破,衛生改善,資源開発,社会文化の進歩,経済の発展と近代的建設が推進された。戦争後中国に復帰したあと,日本統治の基礎の上に国民政府の48年の治績が加わって,台湾は「化外の地」から,今日のような住みよい楽土となった。
(2)海南島と台湾
台湾と海南島は面積も気候風土も類似している。日本の領有前,台湾のほうがやや開発されていたが,中国本土に比べればどちらも未開であった。半世紀の日本統治のおかげで,台湾は中国本土を凌ぐ発展ぶりを示している。
筆者は公平,客観的立場から,次のような批判をくだしたい。
日本の植民地統治政策は,世界に稀なる専制政治として大いに非難すべきだが,領台後に献身的にこの島のために働いた医師,学校の教師,技術者,農業指導者らの無名の英雄をはじめとして,この島を立派にしようと努力した日本人の苦労あってこそ,祖国復帰後,国府が植民地統治がもたらした基礎を生かして,容易に,加速度的に近代国家を建設できたのである。
具体的には戸籍制度,土地調査,衛生,電力,交通網,運輸,都市計画,治安司法,国民教育の施設と普及,農業水利灌漑の整備,金融税制,農協組織,陋習を打破した近代思想の定着,遵法精神と物事を処理する観念などは,台湾の資産として台湾人に受け継がれ,大陸を遥かに凌ぐ発展の基礎となった。
この点,朝鮮も日本統治35年の間に,日本が築いて残したあらゆる施設と制度が韓国人によって受け継がれた。だから今日,韓国と台湾両地の政府による治績は多いに讃えられるべきだが,日本が両地に残した基礎があってこそ,現在の建設発展をたやすくなし得たのである。しかし,両地の人々がわざと日本統治下の治績を貶抑するのは,不公平である。
また,終戦によって台湾が祖国復帰をなし遂げてから,すべての価値観が一変した。これまで「土匪」「野心家」「不逞の輩」「悪徒」として総督府に追討された人々は,すべてがその実体を問わず,「抗日烈士」「民族革命家」として,台湾を代表する英雄として崇められるようになったのは,余りにも慎重を欠いた気がする。
(3)経済発展の要因
およそ国,地域の経済発展の原動力は,その国,地域の政治制度の定着,社会の安定,諸施設の完備および人民の勤労精神があいまって成功するものである。
台湾は清朝時代の「化外の地」から,日本が50年3カ月の植民地統治の間に鋭意経営したおかげで,住みよい楽土となった。
戦後,それまでに築かれた有形無形,物質的あるいは精神的な建設の基礎と人民に植えつけられた遵法精神,生産観念,勤労と経営理念が台湾の資産として,その後の国民政府による台湾経済発展の重要な土台となった。今日,国府の素晴らしい経済発展の大きな治績を讃えると同時に,私は日本統治の治績を抹殺するわけにはゆかない。日本植民地統治の治績があってこそ,今日の台湾経済発展を成功せしめたのである。
過去,台湾の官,学界では「植民台湾」「工業日本,農業台湾」などと言って植民地統治の治績を貶め,当局に迎合してきたが,これは不公平である。
日本が台湾を住みよくしようと考えていなければ,産業調査の必要もなく,行政,治安,金融,農業,林業などの施策を強化する必要もなかった。「農業台湾」は事実だが,それは台湾に鉱産物が少なく,初期工業発展に不利であり,農業発展にもっとも適していたからである。植民地末期は工業発展の条件も整ったので工業にも力を入れた。
この点,朝鮮も同じである。「南鮮農業,北鮮工業」である。それも朝鮮の経済発展にもっとも適していたからだ。
ある人々は「台湾における日本の建設は第二次大戦によって完全に壊滅され,わが政府によって経済発展したのである」と言う。しかし,この点については,私は同意できない。なぜなら「物資的建設はたやすく戦争によって破壊されるが,制度と観念,規律を守る遵法精神と生産観念,勤勉と節約,物事を処理する態度は簡単に崩潰しない。
すなわち,半世紀にわたった植民地統治の下で行われた専制もさりとて,高度なまでの教育の普及,台湾総督府をつうじて徹底した遵法精神の教育,つまり「法は絶対であり,お上のやることは法の具現として正しい」と教え込まれた「善良な市民」は,与えられた法を守り,お上に従った。その尊い精神と社会秩序を維持する観念,および政府を信じ,命令に絶対服従する精神が国府によって受け継がれた。だから日本統治あってこそ,我が国の建設を容易ならしめ,経済発展を成功せしめたのである。
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