『日本は侵略国家ではなかった』(善本社,1993年)の中に,「日本の植民地政策-朝鮮と台湾を比較して」という,台湾人の書いた論文があるので,要約・紹介します。
著者は張炳楠。この本が出た93年当時,淡江大学教授日本研究所長。台湾生まれで,22歳まで日本帝国の植民地下で教育を受ける。戦後,台湾史を編纂,政府委員,県知事を務めたあと中国文化大学教授,台湾史研究所長歴任。83~89年,明治大学客員研究員。
(1)両植民地獲得の異同
日清両政府は1885年,天津条約で朝鮮からの撤兵と,今後出兵するときは相手国に通告することを約束した。1894年,朝鮮に東学党の乱が起こると,清国政府は朝鮮政府からの出兵要請を受け,条約にしたがって日本に通知して出兵,日本もこれに応じて出兵。反乱鎮圧後の政策をめぐって対立し,日清戦争が勃発。
戦争は日本が大勝し,1895年,下関条約が結ばれる。その内容は,
清国は,
①朝鮮を独立国として認める,
②遼東半島,台湾,澎湖諸島を日本に割譲する,
③2億円の賠償金を日本に支払う,
④新たに4港を開く,
というもの。
これにより,台湾は法的に日本帝国の領土となった。
一方,日本は明治初めより隣国朝鮮を侵略あるいは併合したいという野望を抱いていた。日露戦争中に第一次日韓協定で顧問政治を認めさせ,1905年第二次協約で外交権を奪い,07年第三次協約で内政権まで手中に収めた。朝鮮では義兵が反日抗争を行い,09年には伊藤博文がハルピンで暗殺された。それをきっかけに日本は軍艦数十隻で威嚇しながら,日韓併合条約を結ばせた。この際,日本は,一進会という親日団体,李完用などの親日派を利用して,韓国人自らが合併を願っていると見せかけるための術策を弄した。併合後,韓国国王と王族,親日派の政治家には爵位と多額の恩賜金を与えた。
台湾と朝鮮の違いは,台湾は漢民族が定住するようになってから歴史が浅いうえ,清国の中の一つの島にすぎなかったのに対して,朝鮮は三千年の歴史を有する独立国だったことである。
韓国が亡国の憂き目にあったのは,日本の大陸進出の野望と巧みな謀略もあったが,当時の韓国の宮廷の腐敗,財政困窮,内閣の無能,韓国内部の親日と反日,親清国と反清国諸派閥の抗争,日本,清国,ロシア3国による朝鮮における複雑な利権争いも理由であった。
(2)総督の格式
植民地における総督の地位は「小皇帝」にたとえられるほど絶大なもので,行政,立法,司法の大権を一手に握っていた。しかし,日本本国における地位は,常に朝鮮総督が台湾総督より上であった。それは宮中の席次,俸給に表れていた。
(3)統治政策の異同
統治政策は似通っており,台湾より15年遅れて植民地となった朝鮮も,当初は台湾の武官総督時代の専制政治が行われた。ほぼときを同じくして,文化文治政策が打ち出された。
政策上,両地への共同スローガンとして「日台/日鮮融和」「一視同仁」「皇民化運動」「日本臣民化」があり,朝鮮神宮/台湾神社参拝,宮城遥拝,国旗掲揚,姓改名,国語常用などの運動があった。台湾では寺廟撤廃と日本の神道信仰を強要した神棚奉祀が強い反感を買った。
また,台湾は割譲後,住民はそのまま日本国民となったが,それを欲しない者は退去した。清国を選択したものは4456人で,総人口の0.16%だった。これは台湾住民が台湾に定着していたこと,また一部では祖国清朝の無能を恨んだためだと思われる。一方,朝鮮は併合後,全住民が日本国籍となった。
朝鮮では,13道(=内地の県)の知事のうち,6人が朝鮮人であり,218郡の郡守の大部分で朝鮮人が任用されたのにたいし,台湾では,日本統治50年間,1人の知事あるいは市長も任命されなかった。
官吏は,郡守から巡査にいたるまで,大きな権力をもち,「泣く子も黙る」ほど恐れられ,恨まれた。全国の警察の配置は,台湾では住民547人に対し1人,朝鮮では919人に1人,内地(日本)では1228人に一人の割合であった。「武断政治」といわれた朝鮮は,住民数の比率でいうと,台湾の約半分であった。
朝鮮の学校では校長に多くの朝鮮人が起用されたが,台湾では中等学校校長に台湾人は一人も任用されず,1074校の小学校の校長にわずか5人しか台湾人を登用しなかった。
文官の待遇については,1919年,朝鮮では給与,恩給,退官賜金すべてが内地人と同じになったのに対し,台湾は太平洋戦争末期の改訂で,内地人の半額になったにすぎない。
1940年の日本式改姓名運動では,朝鮮人の8割が改姓名したのにたいし,台湾人の総人口の2%にとどまった。
1938年,朝鮮に陸軍志願兵制度が施行されたが,台湾は4年遅れて42年に施行された。徴兵制は1945年,同時に施行された。朝鮮は,終戦までに将官,佐官級将校が数十人にのぼったが,台湾でもっとも高い級は大尉であり,中少尉を合わせても数人であった。
その他,両地における内台人,内鮮人への政治的,教育的,経済的,社会的な差別は枚挙にいとまがない。
(つづく)
著者は張炳楠。この本が出た93年当時,淡江大学教授日本研究所長。台湾生まれで,22歳まで日本帝国の植民地下で教育を受ける。戦後,台湾史を編纂,政府委員,県知事を務めたあと中国文化大学教授,台湾史研究所長歴任。83~89年,明治大学客員研究員。
(1)両植民地獲得の異同
日清両政府は1885年,天津条約で朝鮮からの撤兵と,今後出兵するときは相手国に通告することを約束した。1894年,朝鮮に東学党の乱が起こると,清国政府は朝鮮政府からの出兵要請を受け,条約にしたがって日本に通知して出兵,日本もこれに応じて出兵。反乱鎮圧後の政策をめぐって対立し,日清戦争が勃発。
戦争は日本が大勝し,1895年,下関条約が結ばれる。その内容は,
清国は,
①朝鮮を独立国として認める,
②遼東半島,台湾,澎湖諸島を日本に割譲する,
③2億円の賠償金を日本に支払う,
④新たに4港を開く,
というもの。
これにより,台湾は法的に日本帝国の領土となった。
一方,日本は明治初めより隣国朝鮮を侵略あるいは併合したいという野望を抱いていた。日露戦争中に第一次日韓協定で顧問政治を認めさせ,1905年第二次協約で外交権を奪い,07年第三次協約で内政権まで手中に収めた。朝鮮では義兵が反日抗争を行い,09年には伊藤博文がハルピンで暗殺された。それをきっかけに日本は軍艦数十隻で威嚇しながら,日韓併合条約を結ばせた。この際,日本は,一進会という親日団体,李完用などの親日派を利用して,韓国人自らが合併を願っていると見せかけるための術策を弄した。併合後,韓国国王と王族,親日派の政治家には爵位と多額の恩賜金を与えた。
台湾と朝鮮の違いは,台湾は漢民族が定住するようになってから歴史が浅いうえ,清国の中の一つの島にすぎなかったのに対して,朝鮮は三千年の歴史を有する独立国だったことである。
韓国が亡国の憂き目にあったのは,日本の大陸進出の野望と巧みな謀略もあったが,当時の韓国の宮廷の腐敗,財政困窮,内閣の無能,韓国内部の親日と反日,親清国と反清国諸派閥の抗争,日本,清国,ロシア3国による朝鮮における複雑な利権争いも理由であった。
(2)総督の格式
植民地における総督の地位は「小皇帝」にたとえられるほど絶大なもので,行政,立法,司法の大権を一手に握っていた。しかし,日本本国における地位は,常に朝鮮総督が台湾総督より上であった。それは宮中の席次,俸給に表れていた。
(3)統治政策の異同
統治政策は似通っており,台湾より15年遅れて植民地となった朝鮮も,当初は台湾の武官総督時代の専制政治が行われた。ほぼときを同じくして,文化文治政策が打ち出された。
政策上,両地への共同スローガンとして「日台/日鮮融和」「一視同仁」「皇民化運動」「日本臣民化」があり,朝鮮神宮/台湾神社参拝,宮城遥拝,国旗掲揚,姓改名,国語常用などの運動があった。台湾では寺廟撤廃と日本の神道信仰を強要した神棚奉祀が強い反感を買った。
また,台湾は割譲後,住民はそのまま日本国民となったが,それを欲しない者は退去した。清国を選択したものは4456人で,総人口の0.16%だった。これは台湾住民が台湾に定着していたこと,また一部では祖国清朝の無能を恨んだためだと思われる。一方,朝鮮は併合後,全住民が日本国籍となった。
朝鮮では,13道(=内地の県)の知事のうち,6人が朝鮮人であり,218郡の郡守の大部分で朝鮮人が任用されたのにたいし,台湾では,日本統治50年間,1人の知事あるいは市長も任命されなかった。
官吏は,郡守から巡査にいたるまで,大きな権力をもち,「泣く子も黙る」ほど恐れられ,恨まれた。全国の警察の配置は,台湾では住民547人に対し1人,朝鮮では919人に1人,内地(日本)では1228人に一人の割合であった。「武断政治」といわれた朝鮮は,住民数の比率でいうと,台湾の約半分であった。
朝鮮の学校では校長に多くの朝鮮人が起用されたが,台湾では中等学校校長に台湾人は一人も任用されず,1074校の小学校の校長にわずか5人しか台湾人を登用しなかった。
文官の待遇については,1919年,朝鮮では給与,恩給,退官賜金すべてが内地人と同じになったのに対し,台湾は太平洋戦争末期の改訂で,内地人の半額になったにすぎない。
1940年の日本式改姓名運動では,朝鮮人の8割が改姓名したのにたいし,台湾人の総人口の2%にとどまった。
1938年,朝鮮に陸軍志願兵制度が施行されたが,台湾は4年遅れて42年に施行された。徴兵制は1945年,同時に施行された。朝鮮は,終戦までに将官,佐官級将校が数十人にのぼったが,台湾でもっとも高い級は大尉であり,中少尉を合わせても数人であった。
その他,両地における内台人,内鮮人への政治的,教育的,経済的,社会的な差別は枚挙にいとまがない。
(つづく)
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