明け方五時前に家を出て,最寄りの八高線の始発に乗り,川越線,埼京線,高崎線と乗り継いで,はるばる鴻巣駅に着いたのは朝7時前。
今風ファッションの学生さんたちにまじって,まずはヘッドホン講習。そして講師による直前チェックポイント指導を受けます。
「試験は,前は10パターンでしたが,今年の4月から8つ増えて18パターンになりました。新たに追加された問題は…」
と,実に実戦的な指導をしてくださる。ひっかけ問題はことごとく種をあかしてくれる。
「イラストの問題で,「加速」という言葉が出たら,すべて×です。覚えておきましょうね」
まあ,試験対策としては役立ちそうだけど,これでいいのかしらん…。
(でも,これで10点はあがったぞ)
午前中に学科試験を受けられるのかと思ったら,失効者の受け付けは午後一時からということで,出鼻をくじかれました。ところが,受験相談窓口で必要書類のチェックをしているとき,重大なことに気がついた。
駐在期間中に,一カ月以上日本にいた期間がないかどうかをパスポートでチェックすると聞いていたので,新旧のパスポートをもってきていたのですが,そのうちの一つがやけに大判だ。みると,80年代に作った,二つ前のパスポートを持ってきてしまっていたのでした。
アイゴー。
一瞬目の前が真っ暗になりました。せっかく早起きしてきたのに,一日を棒に振ったか…。
「明日また来ていただかないと…」
窓口の人が気の毒そうに言います。家に電話すると,案の定,家にあるという。
「悪いけどさあ,ちょっと持ってきてくれ…」
「だめだめ,今日,私忙しいんだから。ちゃんとチェックしてって,あれほど言ったのに」
(つ,冷たい)
「でも,ちょっとバイク便聞いてみるね」
数分後,かかってきた電話は…
「バイク便は,1時までに届けるのは無理だって。でも,○○(次女の名)が持って行ってあげてもいいって」
(おお! ありがたい。やはり持つべきものは娘だなあ)
「ただし,お小遣いくれるならだって」
(……)
家と免許センターの中間地点の川越まで,免許センターからバスが出ている。運よくあまり待たずに乗れた。川越でパスポートを受け取ったあとは,戻りのバスが1時間に一本なので,再びJRの乗り継ぎ。着いた時刻は12時45分で,セーフ。
写真を撮り,証紙を買い,書類を書いて受付開始と同時に提出。
「懐かしいですねえ,これ」
10年前に失効した免許証を見て,窓口のおじさんも感慨深げ。
「途中で,日本に何回か帰ったんですよね」
「ええ,何十回か帰りました」
「えっ?」
一瞬,初老のおじさんの顔が曇ります。パスポートをパラパラと繰り,
「これ,全部チェックしないと…。あちらの椅子でしばらくお待ちください」
ところが,待てども待てども呼ばれない。
受け付け時間の1時45分を過ぎ,2時になったとき,不安になって窓口に行くと,さきほどのおじさんが私のパスポートと格闘してる。私の顔を見ると,
「あ,ちょっと来てください」
と,呼ばれた。
「いやあ,よくも行ったり来たりしましたねえ。こんなの初めてだ」
(どうもすいません。なにしろ11年ですから)
「これなんですけどね,2006年4月。この入国のあとの出国スタンプがないんですよ。ちょっと探してくれませんか」
若い係員も応援に駆けつけて,もう一度初めから点検した末,懸け離れたページに押されていたスタンプを発見。すでに,時刻は3時に近づいていました。
そして学科試験。失効者の試験は一般とは別に組まれているらしく,私以外にもう一人,ごま塩頭のおじさんが待っていました。ずいぶん待たせてしまったのではないでしょうか。
50分で95問の試験。すでに,5パターンほどの予想問題集をこなしていたので,たいていはどこかで見た問題。それに加えて,早朝の特別授業で「要注意」と言われていた問題がバシバシ出ている。
「これは最近加わった問題です。60キロで壁に激突したときの衝撃は,14メートル,ビルの5階から転落したときの衝撃と同じです。「14」を覚えておいてください。ときどき「25メートル」というひっかけ問題が出ます…」
まさにこのひっかけ問題もでました。
(しかし,14だろうが25だろうが,死ぬことにかわりないのに…)
採点結果は,「96点」で一発合格。妻が3回目で93点でしたから,主人としての面目は保ちました。
やっと終わった。時計は4時を回っていました。
(長い一日だったなあ)
でも,これですんなりとは終わりませんでした。川越行きのバスが楽ちんだったので,帰りもバスにしようと思い,時刻表を確かめる。
4時29分発。
(まだ20分以上あるから,もう少し涼しい館内で時間をつぶすか)
10分前ぐらいにバス停に行くと,すでに行列が出来ている。
(こりゃ,座れないかな)
バス待ちの列に,残暑の日差しが容赦なく照りつけます。
待つ。
なかなか来ない。
5分経過…。
(渋滞かな?)
10分経過。
(事故かな?)
15分が過ぎた当たりで,列に並んでいる人たらが何度も時刻表を確かめる。
20分が過ぎたとき,隣にいたアガシが携帯で調べたのでしょう,東武バスに問い合わせている。
「あの,29分のバスがまだ来ないんですけど,どのあたりまで来てるか調べてくれますか。…えっ? はあ,そ,そうなんですか。はい」
耳がダンボになっていた私は,アガシが電話を切るとすぐ聞きました。
「何かわかりましたか?」
アガシ,憮然とした表情で,
「今日は休日ダイヤで動いているそうです。だから,次は5時5分らしいです。それを,私たち30分以上待ったんですね」
(おのれ,東武バスめ! 張り紙ぐらい出せよ)
(しかし,これ韓国人だったら大声張り上げて猛然と抗議するだろうなあ。あんなにあっさり引き下がっちゃうなんて,やっぱり日本のアガシだなあ)
35度をゆうに越えているであろう酷暑と日差しに耐えかね,すぐ来た鴻巣駅行きのバスに飛び乗って,JRを乗り継ぎ,家に着いたのは夜の7時。
考えてみれば,朝の5時に家を出て以来,ろくにものも食っていない。でも,まあ受かったからいいか。
かくして,長くて暑くてしんどい一日が終わったのでした。
最新の画像[もっと見る]
-
角野隼斗~不確かな軌跡 2日前
-
角野隼斗~不確かな軌跡 2日前
-
1970年大阪万博の思い出 4日前
-
1970年大阪万博の思い出 4日前
-
朝間の読み方 6日前
-
『帝国の慰安婦』裁判、民事も無罪確定 1週間前
-
俳優・女優・男優 1週間前
-
一年ぶりのミニ同窓会 2週間前
-
東野圭吾『魔球』 2週間前
-
いちご狩りからのPISOLA 2週間前
15年の運転歴があるのに~。
私の場合は一時帰国の時に免許の更新をしました。
申請書の住所をどう書くべきか聞いたら、向こうも唖然としてました。
これはやばいと思い、「でも間もなく元いた場所に戻ります」と言って難を逃れる。
でも外国居住者の免許書の住所ってどうなんでしょうね?
ところでまた戦前の親日派の土地を没収したとニュースでありました。明日は光復節。大人しくしてよう。