盧武鉉前大統領のシンボルカラーが黄色だということを,このたびの国民葬で知りました。タイの国王と同じですね。プミポン国王の場合,誕生日が月曜日なので,月曜日の色の黄色がシンボルカラーという,実にわかりやすい理由(→リンク)。
盧武鉉氏の場合はなぜ黄色なのだろう。
ちょっと調べてみたところ,あるアメリカの歌の歌詞に「黄色のリボン」という文句があって,それはテヘランのアメリカ大使館占拠事件に由来するだとか,マルコスの独裁政権に反対したアキノ氏のシンボルカラーだったとか,それにちなんで金大中が自分の党のシンボルカラーにしたとか,たいそうな「起源論」を述べ立てているサイトもありました。
でも,2003年,盧武鉉氏が大統領になったときの「ネイバー質問コーナー」では,「盧武鉉の頭文字の「ノ」が,黄色(ノランセク)の「ノ」と同じだから」,といういたって単純な理由が「ベストアンサー」に選ばれていた。
結局,理由はよくわかりませんでした。
在任中,盧前大統領と激しく対立し,退任後は賄賂疑惑追及に熱心だった大手3大新聞の論調も,「非業の死」のあとの社説は追悼一色。わずかに東亜日報が,「疑惑発覚以来,距離を置こうとしていた野党が,盧武鉉氏の死を利用して政府批判に結びつけようとしている」ことにたいして警戒感を表した程度。
在任中から現在まで,一貫して盧武鉉氏を擁護し続けた京郷新聞の社説をご紹介しておきましょう。
京郷新聞5月30日社説
再び「人間らしく住める世の中」のために
盧武鉉前大統領が永遠に私たちのもとを離れた。「生と死は自然の一コマ」と言っていた盧前大統領は,自然に帰った。「残念がらないでほしい。誰も恨まないでほしい。運命だ」という,わずかな言葉を残して永眠した。彼は貧農の息子として生まれ,人権と民主化運動の先鋒として立ち,庶民の代弁者として,大統領として「人間らしく生きられる世の中」を夢見て生きた。いまや故人の夢は後代の課題として残った。どうか故人が肩の荷を下ろし安眠できることを祈る。
盧前大統領が最後に歩んだ道は孤独でなかった。途切れなく続いた追慕の行列は,人権と民主主義,権威主義打破,原則と常識,改革と統合のために献身してきた故人の人生を振り返り,哀悼の意を捧げた。疎外され,弱く,貧しい隣人たちの友となろうとし,「馬鹿盧武鉉」に象徴される政治革命を試みた故人の歩みを讃えた。前大統領という権威を打ち捨てて帰郷し,住みよい農村を作ろうというささやかな夢まで奪い取った現実に憤った。故人が死をもって社会に投げかけた対話と統合のメッセージを受け止めようと嗚咽した。世知辛い対話不在の社会と破局に直面した南北関係の厳しい現実を痛感した。景福宮からソウル広場,ソウル駅の前をすぎる葬列は,故人の死出の旅立ちを見届けようとする人の波に埋もれ,遅々として進まなかった。いよいよ後退する民主主義にすがりつこうとする,必死のあがきであるかのようだった。故人の死は,前大統領という一個人でなく,索漠たる人生より,さらに胸を締めつける絶望を訴えようとする何者かだった。
故人を哀悼した7日間は,私たち皆の人生を再発見するひとときだった。告別式の前日までに烽下村に集まった追慕の人々は百万人を越え,全国各地に用意された焼香所の人々を合わせれば五百万近くの人が参列した。老若男女,各界各層の人々が詰めかけた。葬儀の部屋と焼香所は対話を熱望する空間であり,流された涙は悲痛な故人の人生と,不人情になった我々の姿に対する怒りのように思えた。不意に降り注いだ豪雨も,三十度を超えて照りつけた日ざしも彼らを怯ませることはなかった。誰が命じたわけでもないのにみなボランティアを買って出た。追慕の熱気を恐れ,快く思わない一部勢力の心配をよそに秩序正しく敬虔な追慕の列が続いた。一人ひとりが喪主であり,参列者であった。故人の死は「人間らしく生きられる世の中」を夢見る人々を,再び一つにまとめる溶鉱炉であった。
故人のひと言ひと言は,まだ生きている人の声のように生々しい。「一流大学出でなくとも,出世できなくとも,人間らしい扱いを受けられる,そんな世の中になれば…」「国民統合は,今の時代の最も重要な課題だ」「規則違反と特権が容認される時代は終わらせなければならない」「大統領の超法規的権力行使はなくなるだろう」「保安法は独裁時代の遺物だ。博物館に送るべきではなかろうか」「国家権力が犯した誤りは必ず正さなければならない」「任期5年は長い」「私はすでに抜け出せない泥沼にはまった。皆さんは私を見捨ててほしい」これらはすべて「人間らしく生きる世の中」への渇望であり,自らの夢が挫折したことに対する悔恨だった。故人は本も読めず,文も書けない苦痛と,寄る辺ない孤独の中で生涯を終えた。
私たちは故人の意を継承する責務を負っている。そのためには,何よりもまず政権担当者に対する省察が必要だ。彼らの眼中に庶民があったか,彼らの胸中に「私」でなく「君」があったか,彼らの耳に民意の声が聞こえたのか。痛切に反省しなければならない。ソウル広場も,彼ら心の広場も,これ以上閉ざされてはいけない。故人の死に対する政権責任論も,謙虚に受け止めなければならない。国民を恐れるだけでなく,彼らの胸の内を読まなければならない。警察力に依存した公安政治は国民の怒りだけかきたてるだけだ。絶えず続く追慕の波も故人の死に対する哀悼を越えて,彼の遺志を受け継ぐという確約でなければならない。それが「バカ盧武鉉」を私たちの生活の中で復活させ,哀悼と怒りを昇華させることだ。民主主義,均衡発展,平和な韓半島,遠く険しくても進まなければならない道だ。
盧武鉉氏の場合はなぜ黄色なのだろう。
ちょっと調べてみたところ,あるアメリカの歌の歌詞に「黄色のリボン」という文句があって,それはテヘランのアメリカ大使館占拠事件に由来するだとか,マルコスの独裁政権に反対したアキノ氏のシンボルカラーだったとか,それにちなんで金大中が自分の党のシンボルカラーにしたとか,たいそうな「起源論」を述べ立てているサイトもありました。
でも,2003年,盧武鉉氏が大統領になったときの「ネイバー質問コーナー」では,「盧武鉉の頭文字の「ノ」が,黄色(ノランセク)の「ノ」と同じだから」,といういたって単純な理由が「ベストアンサー」に選ばれていた。
結局,理由はよくわかりませんでした。
在任中,盧前大統領と激しく対立し,退任後は賄賂疑惑追及に熱心だった大手3大新聞の論調も,「非業の死」のあとの社説は追悼一色。わずかに東亜日報が,「疑惑発覚以来,距離を置こうとしていた野党が,盧武鉉氏の死を利用して政府批判に結びつけようとしている」ことにたいして警戒感を表した程度。
在任中から現在まで,一貫して盧武鉉氏を擁護し続けた京郷新聞の社説をご紹介しておきましょう。
京郷新聞5月30日社説
再び「人間らしく住める世の中」のために
盧武鉉前大統領が永遠に私たちのもとを離れた。「生と死は自然の一コマ」と言っていた盧前大統領は,自然に帰った。「残念がらないでほしい。誰も恨まないでほしい。運命だ」という,わずかな言葉を残して永眠した。彼は貧農の息子として生まれ,人権と民主化運動の先鋒として立ち,庶民の代弁者として,大統領として「人間らしく生きられる世の中」を夢見て生きた。いまや故人の夢は後代の課題として残った。どうか故人が肩の荷を下ろし安眠できることを祈る。
盧前大統領が最後に歩んだ道は孤独でなかった。途切れなく続いた追慕の行列は,人権と民主主義,権威主義打破,原則と常識,改革と統合のために献身してきた故人の人生を振り返り,哀悼の意を捧げた。疎外され,弱く,貧しい隣人たちの友となろうとし,「馬鹿盧武鉉」に象徴される政治革命を試みた故人の歩みを讃えた。前大統領という権威を打ち捨てて帰郷し,住みよい農村を作ろうというささやかな夢まで奪い取った現実に憤った。故人が死をもって社会に投げかけた対話と統合のメッセージを受け止めようと嗚咽した。世知辛い対話不在の社会と破局に直面した南北関係の厳しい現実を痛感した。景福宮からソウル広場,ソウル駅の前をすぎる葬列は,故人の死出の旅立ちを見届けようとする人の波に埋もれ,遅々として進まなかった。いよいよ後退する民主主義にすがりつこうとする,必死のあがきであるかのようだった。故人の死は,前大統領という一個人でなく,索漠たる人生より,さらに胸を締めつける絶望を訴えようとする何者かだった。
故人を哀悼した7日間は,私たち皆の人生を再発見するひとときだった。告別式の前日までに烽下村に集まった追慕の人々は百万人を越え,全国各地に用意された焼香所の人々を合わせれば五百万近くの人が参列した。老若男女,各界各層の人々が詰めかけた。葬儀の部屋と焼香所は対話を熱望する空間であり,流された涙は悲痛な故人の人生と,不人情になった我々の姿に対する怒りのように思えた。不意に降り注いだ豪雨も,三十度を超えて照りつけた日ざしも彼らを怯ませることはなかった。誰が命じたわけでもないのにみなボランティアを買って出た。追慕の熱気を恐れ,快く思わない一部勢力の心配をよそに秩序正しく敬虔な追慕の列が続いた。一人ひとりが喪主であり,参列者であった。故人の死は「人間らしく生きられる世の中」を夢見る人々を,再び一つにまとめる溶鉱炉であった。
故人のひと言ひと言は,まだ生きている人の声のように生々しい。「一流大学出でなくとも,出世できなくとも,人間らしい扱いを受けられる,そんな世の中になれば…」「国民統合は,今の時代の最も重要な課題だ」「規則違反と特権が容認される時代は終わらせなければならない」「大統領の超法規的権力行使はなくなるだろう」「保安法は独裁時代の遺物だ。博物館に送るべきではなかろうか」「国家権力が犯した誤りは必ず正さなければならない」「任期5年は長い」「私はすでに抜け出せない泥沼にはまった。皆さんは私を見捨ててほしい」これらはすべて「人間らしく生きる世の中」への渇望であり,自らの夢が挫折したことに対する悔恨だった。故人は本も読めず,文も書けない苦痛と,寄る辺ない孤独の中で生涯を終えた。
私たちは故人の意を継承する責務を負っている。そのためには,何よりもまず政権担当者に対する省察が必要だ。彼らの眼中に庶民があったか,彼らの胸中に「私」でなく「君」があったか,彼らの耳に民意の声が聞こえたのか。痛切に反省しなければならない。ソウル広場も,彼ら心の広場も,これ以上閉ざされてはいけない。故人の死に対する政権責任論も,謙虚に受け止めなければならない。国民を恐れるだけでなく,彼らの胸の内を読まなければならない。警察力に依存した公安政治は国民の怒りだけかきたてるだけだ。絶えず続く追慕の波も故人の死に対する哀悼を越えて,彼の遺志を受け継ぐという確約でなければならない。それが「バカ盧武鉉」を私たちの生活の中で復活させ,哀悼と怒りを昇華させることだ。民主主義,均衡発展,平和な韓半島,遠く険しくても進まなければならない道だ。
これではないかと推測、とかく宗主国の影響が強い国ですからね。
映画「ラスト・エンペラー」の中で、最後の皇帝、愛新覚羅薄儀がまだ幼い頃、黄色の服を着た弟に向かって、「中国には二人の皇帝がいる。この黄色の服を着られるのは私だけだ!」と叫ぶシーンがあります。中国では黄色は皇帝のシンボルカラーなのです。中国大陸を悠々と流れる河は黄河で、地下泉を黄泉といいます。黄金につながり、太陽の色ともいえる黄色は、中国にとって最高の色というわけです。
参考URL:http://www.aichi-kyosai.or.jp/service/culture/internet/hobby/color/color_1/post_219.html
セクトンチョゴリ(原色をフルに使ったチョゴリ)も,黄色を使っていますね。
韓国でも高貴な色なのかもしれません。