これまで,日本の植民地支配について実証的な研究を発表して物議をかもしてきたソウル大学教授,李栄薫の『大韓民国の物語』(永島広紀訳2009年文藝春秋)を読みました。
李栄薫教授については,これまでも当ブログで紹介したことがあります(→リンク)。こちら(→リンク)は,本書の韓国版が2007年に刊行されたときの記事。
まえがきによれば,この本は,2006年に編まれたニュー・ライトの論文集,『解放前後史の再認識』を,一般向けにテレビで解説したときの原稿に加筆したもの。
内容は,これまで韓国で主流だった民族主義的歴史観を否定し,「分別力のある利己心を持った個々の人間」を歴史の基本単位として,韓国解放前後史(大韓帝国滅亡から大韓民国成立初期まで)を見直そうというもの。『解放前後史の再認識』は,これまで韓国史学で大きな位置を占めていた『解放前後史の認識』を批判する論文のアンソロジーです。
では,現在の国定歴史教科書の歴史観の基礎にもなっている『解放前後史の認識』(1979~1989,全6巻)とはどんなものだったかというと,
「過去130年間の近現代史は汚辱の歴史であった。宝石にも似た美しい文化をもつ李氏朝鮮王朝が,強盗である日本の侵入を受けた。それ以後は民族の反逆者である親日派が大手を振った時代だった。日本からの解放後,もう一つの占領軍,アメリカが入ってきた。すると親日派は我先に親米の事大主義者に姿を変えた。民族の分断も,悲劇の朝鮮戦争も,これら民族の反逆者たちのせいだった。それ以後の李承晩政権も,朴正煕政権も,彼らが支配した反逆の歴史だった。経済開発を行ったとしても,肝心の心を喪ってしまった。歴史において,こうして正義は敗れ去った。機会主義が勢いを得た不義の歴史だった…。」
先に自殺した盧武鉉前大統領も,この史観の影響を受け,13に及ぶ過去史清算のための特別法を作りました。
李栄薫教授は,植民地収奪論,日帝時代の評価,軍慰安婦,朝鮮戦争の発端等々について,従来の韓国での常識を一つ一つ否定していくわけですが,これについては追い追い紹介するとして,まずは読売新聞に出た,小倉紀蔵氏の書評を掲げます。(→リンク)
民族主義からの脱却
真に勇気のある韓国人がここにいる、という感じだ。これまでは歴史について韓国人がどんなに声高に語っていても、つねに「民族」に遠慮している。「民族」をこわがっている。「民族」の代表者になってしまっている。「個人」の意見を堂々と語っていない。そんな印象を受けていたからだ。もっと自由に語ってもいいはずなのに、できなかった。
本書の著者は、韓国でニューライトの論客としてあまりにも著名な歴史家である。だが、民族主義者ではない。歴史の主体は民族ではなく個人であると明確に語る。その視点から見ると、これまでの韓国史は嘘(うそ)だらけだった。偽善の知性としての歴史学者たちが、実証を経ずにでたらめな説を述べ、歴史教科書に書き、そしてそれが韓国人の誤った集団記憶となってしまったというのだ。
韓国人は5000年前からひとつの民族でありひとつの共同体だった。日本は植民地支配を通して朝鮮人の土地・財貨・食料などを無慈悲に収奪した。解放後に親日派を粛清できなかったことが、今日の韓国の不正義の淵源(えんげん)だ。これらはすべて間違った認識だと、著者は次々に切り捨てる。すべてを根本的なひとつの要因によって説明しようとする道徳主義的な民族絶対主義から抜け出さなくては、韓国は決して先進国にはなれないという。
韓国の近現代史を、伝統文明と外来文明が衝突し接合する「文明史の大転換過程」と把(とら)え、善と悪の二項対立式の歴史観を拒絶する。歴史を見る目が単純でなく複合的なのだ。
「植民地時代に韓国は近代化し発展した」と説き韓国人の猛烈な反発と批判を受けても、実証への信頼があるから全く動じない。とはいえその主張は日本の支配の美化ではなく、日本の「右」を勇気づけるものでもない。歴史を直視できぬまま歴史から自由になれていない韓国人に、「過去の歴史の亡霊」から解放されよと発言する、強靱(きょうじん)な愛国の書なのである。永島広紀訳。
最新の画像[もっと見る]
-
邦楽と洋楽 2時間前
-
古典落語と古典音楽 2日前
-
古典落語と古典音楽 2日前
-
古典落語と古典音楽 2日前
-
尹大統領、釈放? 3日前
-
雪の日の飲み会 5日前
-
英語のput onは日本語で… 1週間前
-
角野隼斗~不確かな軌跡 1週間前
-
角野隼斗~不確かな軌跡 1週間前
-
1970年大阪万博の思い出 2週間前
李栄薫は、そうした大韓民国史学界の<鬼っ子>なのでしょう。
出生地は何処かわかりませんが、母親は朝鮮動乱の戦火の中で臨月のハラを抱えて右往左往していたのであろうと推測します。
いま日本の大学では、<史学科>は定員割れが当り前なのでは?専攻する生徒も女子が多いのでは?
英語がダメ、数学がダメそんな学生しか行かない。
それでも、マシな方は人類学・考古学・西欧史・東洋史になるのだろうが、如何せん就職先が無くては学生が集まるわけがない。
こうした事情は、<大韓民国の史学科>も同様なのでは?
人気が無いから、<チンセツ歴史オタク>科は日々劣化が進み、遂に行き着く先は【歴史の建直し】・【売国奴・親日名鑑】作りになるのでしょう。
残念ながら、李栄薫は大韓民国の史学者としては失格でしょう。朝鮮半島は永遠に「金日成マンセイ」「ノ・ムヒョンマンセイ」の歴史を書かなければいけないのです。それが、吾が豊葦原瑞穂国に都合が宜しいのです。
韓国の史料は基本的に「漢文」ですから。
学生の漢字力をあげるのは不可能なので,史料の現代語訳を進めている状況だそうです。
史料の現代語訳(漢文→ハングル?)ってどんな風にするんでしょう。
漢字→音読み→意訳→ハングル訳語作り(造語)?
今更ですが、明治日本の訳語・造語作りは大したもんです。
平成日本であれだけのことが出来るのか疑問です。
10年程以前ですが、兄弟会社の吸収合併を会計士と議論していた時の会話です。
会計士「被合併会社の【デューデリ】をきちんとヤラないとイケナイ・・・」と言った。
小生「何ですかソレ、スペルは?」
会計士「due diligence、企業価値評価くらいの意味」
今なら、常識かも知れませんが、「日本語で言え」と怒鳴りたくなったものです。小生のヤスモノの英英辞書を引いてもそんな語彙・語法はなかった。
現代語も難しいものです。
http://www.itkc.or.kr/index.jsp?bizName=JO
テジョカンホンチインケウンソンムンシンムデワン(太祖康獻至仁啓運聖文神武大王)の姓はイシ(李氏)であり, フィ(諱)はタン(旦)であり,あざな(字)はクンジン(君晉)だ。
やたらと括弧つき漢字が多いですね。
人名や地名は,やっぱり漢字を使わないと意味ないのでしょう。