今年の夏季休暇は、南仏に行ってきました。
実は5年前にもフランスへの家族旅行の計画があったのですが、出発を2週間後に控えた3月11日、東日本大震災が発生。のんびり長期旅行をしている場合ではなくなり、私だけがキャンセルする羽目になりました。(リンク)
今回はそのリベンジ。といっても前々から計画していたわけではなく、たまたま大学3年生の4女がこの夏休みに1か月、フランスへ語学研修に行くことになり、それに合わせて夫婦でフランスに行こうという話が急速に盛り上がったのです。
私にとって、フランスは実に35年ぶりの再訪です。
当時、仏文科の学生だった私は、大学3年生の3月に、2か月の語学研修に行きました。中学3年の時に父が亡くなり、そのときに出た生命保険の一部(私の相続分)を母が貯金しておいてくれました。私が成人したとき、「有意義に使いなさい」といって通帳を渡されました。家庭教師をして貯めたお金に、その遺産の一部を加えて、当時としてはかなり贅沢な語学研修に行くことができたわけです。
当時はまだソビエト連邦が健在で、ソ連上空を民間航空機が飛ぶことはできなかったため、ヨーロッパ便はアラスカのアンカレッジ経由(北回り)か、東南アジアや中東を経由する南回りのどちらかを選択しなければなりませんでした。北回りは所要時間が短いけれども高額だったため、シンガポール航空で、シンガポールやドバイなどいくつかの経由地を経て、33時間をかけてフランスのパリまで行きました。
フランスでは1か月ずつ違う語学学校に通いました。一つはヴィシー。世界史を勉強した人は、フランスがナチスに占領されていた時に傀儡政権が置かれていた町として記憶しているでしょう。内陸の温泉のある保養地で、ナチス時代に接収されたホテルが、さまざまな官庁に使われ、史跡として残っていました。
もう一か所はカンヌ。5月には世界的な映画祭が開かれるリゾート地で、私が行ったのは4月でしたが、とても華やかな町だったことを覚えています。
語学学校に行く前に1週間ほどパリに、また学校が終わったあと、3週間ほどヨーロッパ全域を貧乏旅行しました。
この語学研修のおかげで、一時期、私のフランス語力は英語を凌ぐほどに上達しましたが、就職後はフランス語を使う機会がほとんどなかったので、私のフランス語は錆びつく一方。
さて、今回の旅程は7泊9日(機内1泊)。バカンスシーズンの南仏です。パック旅行は好きではないので、航空券と宿をそれぞれネットで予約。お盆休みというハイシーズンのせいでしょう、JALやエアフランスの直行便はとても高い。結局、キャセイパシフィック航空で香港経由にしました。要するに「南回り」ですね。香港での乗り換え時間を含めると片道20時間ぐらいになりますが、「北回り」で行く場合に比べ、二人合わせて10万円以上の節約になるのでやむを得ない。私は大阪から、妻は東京からの出発で、香港で落ち合うことにしました。
航空券はエクスペディアというサイトで予約し、ホテルもいっしょに予約をすると割引があるということなので、宿もそこでとりました。ホテルは泊まれさえすれば良いというポリシーなので、豪華なホテルに泊まるつもりはさらさらなく、一泊1万円前後(1部屋、2人分)を目安に中級ホテルを予約。マルセイユに3泊、カンヌに3泊、残りの1泊は、泊まる都市も含め現地に行ってから決めるという方針にしました。一方、娘は7月の終わりに日本を出発し、8月いっぱいは、デイジョンという町にあるブルゴーニュ大学で語学学校に通っています。週末、予定がなければ南仏をいっしょに旅行しようと言ってありました。
旅行の計画が決まった後、急遽『エクスプレス フランス語』(白水社)という語学本を購入し、CDなどを聞いて、付け焼刃で昔の記憶を取り戻そうと無駄なあがきをしましたが、どこまで実践に耐えられるか、自信はまったくありません。
以下、数回にかけて旅行記をアップします。
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