三日目は、マルセイユ近郊の海岸の町、カシに行きました。
マルセイユからTGVではなく一般の鉄道に乗りましたが、カシの街は駅からかなり離れているので、バスに乗らなくてはいけません。ところが電車とバスの接続が悪く、次のバスが来るまで1時間近くかかる。
駅の案内所で地図をもらい、街までの距離を聞いてみると、4キロとのこと。
「天気もいいし、歩いて行こうよ」
同じ電車で着いた他の観光客も、おおかたはバスを待たずに歩き出しているようです。駅から海岸の港町まではだらだらとした下り坂。延々と農園が続きます。途中、農協のような農産物直売所があったので、トマトを枝ごと買って、食べながら歩きます。
ところが、娘の歩くスピードが遅い。娘は、かかとのかなり高いサンダルを履いていて、下り坂を歩くのが大変そう。まあ、時間はいくらでもあるのでのんびり行くことに。
海岸に近づくにつれ、別荘のような建物が増え、路上に駐車されている車も目立つようになりました。
街に着くと、軽井沢のようなお土産物屋さんがずらっと並んでいます。靴屋さんがあったので、娘の靴を買うことに。ゴム草履のようなその場しのぎの安物を買うと思いきや、おしゃれなサンダルを選んできて、これが50ユーロ以上(約6千円)。旅先では財布のひもも緩みがちです。
海岸に出てみると、その混雑は江の島並み。けれども、江ノ島のように猥雑な感じがしないのは、強い日差しのわりにカラッとした気候のせいでしょうか。それとも、そこにいる人たちがアジア人種ではなく、西洋人だからでしょうか。
実際、マルセイユも、昨日行ったアヴィニョンやアルルでも、日本人を含めアジア系の観光客は滅多に出会わない。少し前に起きたニースのトラック暴走テロで、敬遠されたのかもしれません。
カシは、カランク(プロバンスの海岸沿いにある絶壁の景勝地)巡りの基点になっています。案内所に行くと、閉まっている。貼り紙を見ると、13時から15時まで昼休み。このハイシーズンにしっかり昼休みをとるという神経は、日本の感覚からするとありえない。
仕方なく海岸を歩き、自力で遊覧船のチケット売り場を見つけました。回るカランク(湾?)の数によって所要時間と値段が異なっており、私たちは1時間半で8つのカランクを巡るコースを選びました。
出航する船のそばに行くと、すでに乗船客がたくさん待っている。列を作るという習慣はないようで、船頭さん(?)がゲートを開けるとそこに殺到します。席は十分あるため、あわてる必要はないのですが。
観光客は大部分がフランス人。東洋人は、私たち3人以外に、韓国人の母娘が1組いました。
船の中では、屋根のない席に座ったため、強い直射日光にさらされました。妻と娘は日焼け止めクリームの十分に塗っていたのですが、私は無防備な首筋をやられ、あとで苦しむことになりました。
海は穏やかで、波を切って進む船の上でさわやかな潮風が心地よい。石灰岩でできた白い絶壁は壮観。
ところどころにある湾には、プライベートのヨットやモーターボートがたくさん停泊しています。岩場に上っている人もいて、観光船が近づくと、わざとこちらに見せつけるようにして、切り立った岸壁から海中へダイビングします。
乗客のほうも、
「アレー!(行けー) アレー!(行けー)」
と囃し、飛び込むようにけしかけます。
ところどころに洞窟があり、ある洞窟からは数万年前に描かれたとみられる壁画が発見されたとのこと。ラスコーやアルタミラの壁画のように、クロマニヨン人によるものかもしれません。アヴィニョン(中世)、アルル(ローマ時代)から、一気に古代人類へと歴史をさかのぼったことになります。
一時間半の周遊を終えた後、海岸沿いのしゃれたレストランで遅めの昼食。娘は、語学学校で昼間は学校のカフェテラス、夜は近くで買ったパンを寮で食べるというつましい食生活を送っているそうで、久しぶりに肉が食べたいという。海岸の観光客向けのレストランで、妻と娘はステーキを、私はタルタルステーキ(生挽肉の冷製)を食べました。
帰路、マルセイユまでバスがあると聞き、電車ではなくバスで帰りました。一つ後ろの席に酔っぱらったムッシュウがいて、こちらが日本人だと分かると「こんにちは」と日本語で話しかけてきました。面倒なことになりそうだと思いましたが、幸い、別のフランス人が相手をしてくれたおかげで、関わり合いにならずにすみました。
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