犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

韓国軍慰安婦 最初の報道20020304(2)

2016-08-13 23:30:33 | 慰安婦問題

オーマイニュース2002年3月4日(リンク

-韓国戦争当時、軍は慰安所をどのように運営したのですか。

 「大きく見て、陸軍本部で管轄した固定式慰安所、移動式慰安所、非正規的な慰安婦の3つの形態だ。「後方戦史」によれば、陸軍は、ソウルに3か所、江陵に3か所、束草、原州、春川など全部で9カ所の固定式慰安所を設置し、慰安婦を釘づけにして運営した。そして、必要に応じ、たとえば前方から準後方地域に帰ってきた部隊が慰安婦を要請すると、慰安婦女性たちをそこに送った。一種の移動式である。第3の形態は、一部の将校たちの記憶によれば、各師団や連隊単位で私娼の女たちを連れてきて、慰安婦として利用し、師団の恤兵部や連隊の人事関連部署でお金を支給する、非正規的な臨時慰安所だ。非正規は、部隊の事情に応じ、独自に慰安婦を利用したものだが、正規の慰安所との共通点は、個人(軍人)ではなく、軍(部隊)が費用を支給したという点だ。だが、非正規的な形で運営した慰安婦が、正規的に運用した慰安婦よりも多かったというのが、一つの仮説である。」

-韓国戦争当時、固定式慰安所はどこに設置され、その規模はどれほどだったのですか。

 「ソウルに三か所あったが、最も規模が大きいところが忠武路4街148番地所在の慰安所だった。大韓劇場前で、現在の行政区域では光熙洞だ。もちろん、今はその痕跡は残っていない。この番地にあった建物は、1988年のソウル五輪を控え、86~88年頃に撤去され、今ではほかのビルに変わった。興味深いのは、この場にあった古くてみすぼらしい建物のことを、人々が「海兵隊のアパート」と記憶しているという点だ。だが、光熙洞の地元の人々に確認しても、なぜ海兵隊アパートと呼んだのかは、誰も知らない。」

-そこが、民間人の出入りを禁止した「軍専用慰安所」という根拠はありますか。

 「民間人が出入りできない「軍専用慰安所」ということは、「後方戦史」にも出てくる。また、軍医官が性病の定期検診をした。そして、その性格を公娼と見ていたことは間違いない。なぜなら、「後方戦史」は慰安所閉鎖の背景を、「公娼がなくなる時代の潮流に従って、閉鎖する」と記録しているからだ。つまり、それが公娼かどうかが重要なのではなく、軍が運営していたことを、陸軍が認めたという事実が重要なのだ。」

-ならば、軍はいつからいつまで慰安所を運営し、慰安婦たちはどこから補ったのですか。

 「慰安所を設置した時期は51年の夏と推定され、廃止の時期は54年3月と明示されている。彼女たちが、どこで、どのように徴集されてきたのかについては言及がない。したがって、これを明らかにすることが大きな宿題の一つだ。だが、一部の予備役将校が記憶するように、「鍾三の女」(私娼)だけから補充したものではなかったと思う。なぜなら、束草のようなところにも、戦争の時期に私娼があったのに、私娼の女性たちと慰安所の女性は、区別されていたからだ。」

写真(リンク
▲キム・グィオク博士が「民族21」(2001年9月号)に書いた「束草の3人のハルモニが経験した6・25戦争」についての文と写真。離散と暴力など、戦争と分断が引き起こした問題に、社会学的にアプローチする文を発表し、注目を浴びている。

-その根拠は何ですか。

 「解放後、公娼や遊郭の女性は約2千人だった。ところが、これらの女性が48年末に2万人に増え、戦争が終わって50年代半ばになると、30万人に増える。このような統計を見ると、当時の私娼女性だけで軍慰安所を補充することは不可能だったとみられる。かなりの人員は、素人の女性が誘い込まれたのだろう。ここには、貧困のために流れこんだ人もいるが、一部は強姦と拉致によるケースもあったと推定される。なぜなら、私は出会ったある女性は、自分が軍部隊に捕まっていたとき、その部隊に既にそうした女性たちがいたと証言しているからだ。」

 「韓国の右翼が反省しなければ、日本の右翼を反省させられない」

-韓国軍慰安婦問題に関する論文を、今回、日本で開かれた第5回「東アジアの平和と人権シンポジウム」(2月22~25日)で発表したことに、特別な背景がありますか。

 「2000年の学術団体協議会が主催した韓国戦争に関する関連学術行事の総合討論会で、これまで現代史から解き放たれていない課題の一つとして、韓国軍が運営した慰安所があったという事実を、公開の席で初めて話した。それで、その時、その場にいたいくつかの新聞記者たちが、私に具体的に話をしてくれと言ってきたが、その規模や実態についてまだ調査中なので、今は話せないと言った。そして、その年の冬、北派工作員についての論文を発表したが、そこに慰安婦の話が少し入っていた。すると、韓国戦争の研究者である藤目ゆき教授(日本、大阪外大)が、この論文を見て、第5回東アジアの平和と人権シンポジウムで、これをテーマに論文を発表してほしいと、公開の席で推薦してくれたので、悩んだ末、最終的に論文を発表する決心をした。」

-韓国軍慰安婦という微妙なテーマの論文を日本で初めて発表すると、この論文が日本の右翼に悪用され、ただでさえ未解決状態の日本軍慰安婦問題の解決に、障害要因として作用する可能性も予想されますが、それについての考えや反論があればお願いします。

 「もちろん、それについては何度も悩んだ。当然ながら気になるのは、旧日本軍慰安婦問題もまだ決着していない状況で、日本の右翼これを悪用する可能性だ。そのため、実際に、96年にこの問題に初めて接したにもかかわらず、公開せず、時間を引き延ばした面がある。しかし、これについては確固たる考えを持っている。日本の右翼も問題だが、韓国の右翼もそれに劣らず問題だということだ。昨年、日本の歴史教科書歪曲問題で明らかになったが、冷戦親日派に起源をもつ韓国右翼が自ら反省しない限り、日本の右翼を反省させることはできないと思う。それゆえ、いわゆる国益を前面に出して、これを先延ばしにするのではなく、軍が作成した公式文書がある限り、話をしなければならないと考えた。わが国の歴史の清算をきちんとすることにより、日本の右翼の見方を変えさせ、国家の次元での謝罪をしてもらうことができると考えたことが、この論文を書いて発表した背景だ。」

-歪曲された過去の歴史の清算という次元で、韓国軍慰安婦問題の真相究明のために、政府、軍、民間に望むところがあるとしたら、それは何でしょうか。

 「軍は国家のために命まで捧げるのに、女性はそこまでするか、というふうに考えるかもしれない。それは、国家のレベルで慰安婦を動員したわけではないと言い逃れをする、日本政府の論理にほかならない。しかし、軍が暗い過去の歴史を明らかにすることは、恥部をあらわにするというよりも、むしろ軍が新たに生まれ変わる機会を提供するだと認識する必要がある。したがって、軍が積極的に乗り出し、当時の資料を公開し、真相を明らかにすることが望ましい。そして、第2の金学順ハルモニ(日本軍慰安婦証言者)のような方が出てきて、証言をしてくれるなら、この上なく大きい力になるだろう。」 

(了)


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