オーマイニュース2002年3月4日(リンク)
「ベトナム戦争のときも「慰安隊」の運用を計画」
韓国軍も「慰安婦」を運用した(3) キム・グィオク教授インタビュー
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▲キム・グィオク博士は「冷戦時の親日派に起源をもつ韓国の右翼が自ら反省しない限り、日本の右翼に反省させることはできない」と主張している。
1950年6月25日に勃発した韓国戦争当時、韓国軍が軍の士気高揚のために慰安所を設置し、3~4個中隊規模で慰安隊を運営したという事実は、韓国戦に参戦していた軍人らならば周知の「公然の秘密」だった。
しかし、この「公然の秘密」は、2月22日付「オーマイニュース」に初めて報道されるまで、過去50年間、男性の軍隊時代の冒険談や飲み会の席で語られるだけで、一度も公に論じられなかった。
韓国軍の暗い過去を含む、この公然の秘密は、学界でも「禁断の領域」であった。 しかし、旧日本軍慰安婦の存在についての近代史研究が目を向けるようになったのが、冷戦体制が崩壊したここ10年の間のことであることを勘案すれば、韓国軍慰安婦の存在にたいする遅ればせながらの関心は、それほど驚くべきことでもない。さらに、長年の分断状況と軍部独裁政権下で、軍の恥部をさらすことは、しばしば「利敵行為」とみなされた。
韓国軍のこの恥部を初めて「公の議論の場」に引き出したのは、女性社会学者キム・グィオク博士(慶南大北朝鮮専門大学院客員教授・社会学)だ。キム博士は、韓国戦争当時、越南した人々の歴史的経験とアイデンティティを研究するために、1996年越南人定着村(束草市チョンホ洞アバイ村など)に入り、現地調査活動を行い、韓国戦争当時の軍が運営した慰安所と慰安婦がいたという「衝撃的な事実」に、初めて接した。
離散と暴力のような戦争と分断が引き起こした問題を、社会学的に研究してきたキム博士は、過去数年間、韓国軍慰安婦という微妙な問題の手がかりに、慎重にアプローチし、これまで、その実体が全く公開されなかった北派工作員と民間人拉致に関する歴史的事実を、月刊「マル(言葉)」や「民族21」などに寄稿し、注目を浴びたことがある。
ジェンダーの視点をもった平和研究者として、常に積極的に現実に参与するキム博士に会い、「韓国軍慰安婦」という微妙なテーマを研究することになったこれまでの事情を聞いた。
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▲ブッシュ米大統領が訪韓中の2月20日、ソウル世宗路の米大使館前で、「平和を作る女性会」の象徴である「平和の鳩」を持って、単独デモをしているキム・グィオク博士。
「北派工作員たち、「慰安婦」も現地調達」
-いつ、どんなきっかけで、韓国軍が慰安隊を設置、運営したことを知ったのですか。
「1996年11月、束草で越南民インタビューをしていた時、この問題を最初に知った。1950年10月、国連軍に逮捕されたが越南民は、当時、民間人だったのに人民軍に分類され、巨済島(捕虜収容所)に移送されるまで、捕虜として米軍部隊について炊事や洗濯をした。だが、この越南民によると、当時、部隊には南側の言葉遣いをする慰安隊の女性がいたと言った。これは、占領地(以北)から連れてきた女性ではないということだ。つまり、米軍と国軍が50年10月に休戦ラインを突破したとき、すでに女性を連れて行ったという話だ。」
-それは、韓国軍ではなく、米軍部隊が慰安隊を運用したという話ではないですか。
「まさにその話が出発点になって、韓国軍慰安婦問題に関心を持つようになったのだが、それと関連する記録を1956年に陸軍本部が編纂した「後方戦史」のなかから発見した。人々の噂や記憶の所産ではなく、軍が「特殊慰安隊」という名で慰安所を設置し、運営したという確かな証拠を見つけたのだ。」
-関連の記録を発見したあと、どのような過程を経て、この問題にアプローチしたのですか。
「その後、軍関係者に会うときは、この記録の真偽や、慰安婦運用がどの程度不燃的なものだったのかを聞き、確認して、予備役将校たちの回顧録に関連の記録があるかどうかを検討した。また、それ以外の慰安隊の形態については、北派工作員と慰安婦女性の出会ったことがきっかけだった。韓国戦争期、北派工作員だった人たちにインタビューした中で、元山沖の島で諜報、工作活動をしながら、北朝鮮地域に浸透して女性を拉致すると、十中八九は強姦をしたり、女性たちを島に連れてきて、慰安婦の役割をさせたという事実を知ることになった。」
-それはHID諜報部隊の一部に限られた話ではないのですか。
「私が出会った北派工作員たちは、元山沖の島を何カ所か転戦したが、このような慰安婦たちが、どの島にもあったと証言した。もともとゲリラ部隊は、補給品を現地調達することになっているが、彼らは、北韓の女性までも現地で(補給品として)調達したという話だ。私はこのような現象が、証言者の部隊にだけあったとは思わない。」
-慰安婦被害者の証言も聴取したのですか。
「具体的な証言は聴取できなかった。その中には、1951年当時、16歳のときに、北派工作員に拉致され、慰安婦の生活を強要され、子供を2人産んだハルモニ(1936年生まれ)を尋ね回り、やっとのことで見つけたのだが、「戦争の時は、子供を産んで、苦労しながら暮らしただけだ」と、これ以上話すことはないと言った。このハルモニは、当時、4人の友人と女性同盟会議をしたあち、夜中に北派工作員に拉致され、慰安婦生活を強要された被害者でありながら、言ってはいけない秘密を持っているかのように生きている。」
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▲日本で開かれた第5回「東アジアの平和と人権」国際シンポジウムで発表したキム・グィオク博士の韓国軍慰安婦関連の論文を報道した「朝日新聞」2月24日付の記事。
-軍が慰安所を設置・運営した時代的背景を、どのように見ますか。
「1950年、戦争中に多くの女性たちが強姦された。しかし、51年の夏になると、戦線が膠着状態に入った。それで、50年には前出の国連軍の民間人捕虜が言ったように、女たちが非正規的な形で軍部隊に付いて回り、昼間は洗濯をして、夜は兵士を慰安するというような形で運用されていたが、51年夏に戦線が膠着状態になると、軍が自ら慰安婦制度を効果的に運営できるシステムを作る必要性を感じたのだと思われる。すなわち、50年には戦争という名で多くの女性たちに対し強姦、拉致して慰安婦生活を強制することが可能だったが、51年には戦線が膠着状態になり、後方の退屈な戦争が続いたので、定期的に前線から後方に交替で送られてくる将兵たちに、何か誘引策が必要だったのだ。」
-韓国戦争当時、慰安婦制度を導入したのは、日本軍に服務した経歴がある韓国軍首脳部が、日本軍慰安婦制度を経験したこと関係があると思いますか。
「予備役将校たちの証言によれば、密接な関係があるものと思われる。すなわち、韓国戦争当時、軍の根幹であった日本軍や関東軍出身の将校たちによって、軍慰安隊が創設されたという推定だ。これは、51年当時の陸軍本部恤兵部を、誰が主導したのかがわかれば、もっとはっきりした答えが得られると思う。」
「強姦、拉致による慰安婦もいたと推定」
-軍慰安婦制度の導入を企画した主体が誰なのかは、わからないのですか。
「陸軍本部の公式記録である「後方戦史」には、慰安婦制度を導入した主体が誰なのかはっきり書かれていない。しかし、いくつかの状況と将軍たちの証言から見て、日本軍や関東軍出身者であろうと推定するのは不自然ではない。そして、陸軍が慰安所を運営したということは、その当時、作戦指揮権を国連軍(米軍)司令官が持っていたのだから、慰安所の設置、運営に関することも、国連軍(米軍)司令官が最終的な承認をした、少なくとも黙認をしたという仮説を裏付ける。」
-米軍が韓国軍の作戦指揮権を持っていることと、後方地域で韓国軍が慰安所を運営することは、別のことだと思いますか。
「なぜ慰安婦制度の米軍承認問題を取り上げるかというと、ベトナム戦争時に、韓国軍が慰安隊を運営しようと計画をしたのだが、米軍の反対により失敗に終わった経験があったからだ。駐越韓国軍司令官を務めたチェ・ミョンシン将軍がそのように証言していた。ベトナム戦争時も、韓国軍が士気高揚のために慰安婦の運営を計画したが、米軍が同意せず、運営できなかったのだ。結局、韓国戦争の時も、作戦指揮権を持っていた米軍の承認までないとしても、少なくとも慰安婦設置、運営に関する報告は行われたと思う。」
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