コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

見上げてごらん夜の星を

2008-12-03 01:54:43 | 日常雑感
12月は師走といって、いろんな”師”が走り回るほど慌しい時期ということですね。
やはり年の瀬が迫るというか、「いついつまでに終わらせたい」という気持ちが、早め早めに物事を進めたくなるんでしょうね。
「あと31日ある」ではなく、「もう31日しかない」と。

「慌しい」は「心が荒れる」、「忙しい」は「心が亡くなる」、もうその漢字からして尋常じゃない雰囲気ですね。

昨日の書き込みにも通じるのですが、「いついつまでに」という期限付きですすめる出来事は、どこか心に余裕をなくしてしまい、「目標達成」というプレッシャーが必要以上に気持ちを責め立ててきますね。
それを克服できる人はどんどん先に進めるのでしょうが、ひとつクリアしてもまた次の目標・期限に追い立てられて、なかなか心が休まらない気がします。
もう、心が荒れたまま、亡くなったまま、突っ走る様は、師走の街中で当たり前のように見かける風景ですね。

カウンセリングを通じての相談にも、そういう「期限付き」や「目標設定」が入り込んできていると聞きます。
さらには「効率化」という言葉さえも聞かれます。
どれも、来談者を中心にすることとは相反する、受け手の都合を重視した考え方の気がします。

そうすると、「今の状態」というものを受け入れてもらえず、「次のステップ」を求められ、困ってしまうんじゃないでしょうか。
どこまで行っても、「そのままじゃ駄目」と責められ続けるのは辛いですね。

そういうことを考えるとき、「今のまま、そのまま救うぞ」という阿弥陀仏の誓いを軸にした、浄土真宗の教えは、本当に無条件の肯定なんだなと実感します。

いろいろ感情の混じった私が、仏のような肯定観をもつのは到底無理なんですが、そういう肯定観があるということを知っていれば、「そうで居れない自分」というものを内省することもできるし、少しでもそれに近い関係作りを目指せんるんじゃないかと。

実際は、私自身なんだかんだ切羽詰った感じになってしまうんですが、ただ「慌しい」「忙しい」と突っ走るのじゃなく、ちょっと足元を見ながら、あるいは星空を見ながら、一呼吸つくことを忘れないでいたいなと。

最近、子どもを保育園に迎えに行く時間はすっかり暗くなって星が出ていたりするんですが、そういう星を見ながらこんなことに思いが到ってました。

写真は昨日の夕刻、金星と木星と月が並んだ風景です。(産経新聞社の写真より)
にっこり微笑んでいる星を子どもらと一緒にしばし眺めることができました。